八話
直史は真っ直ぐ寮へと興元に連れて行かれ、更には寝室に直行され、ベッドの上でようやく解放された。否、解放というには些か語弊がある。ベッドに寝転がる直史の腹の上には漬物石が如く興元が乗っかっていた。
「す、すやぁ……」
「三秒以内に起きなければ逆レイプも辞さない」
「おはよう、興元」
目覚めぱっちり御機嫌いかがとウインクをキメた直史に、興元がふっと口元を綻ばせる。
「お、これは『誤解するな、怒ってなんていない』というオチですかな?」と期待した直史だが、興元の表情が無に閉ざされるのは一拍の間も置かない瞬間のことであった。
「どうして会長が直史に昼食を持ってきたんだ」
「生徒会長と風紀委員長としての話をしながら食事していたところに自分が呼び出しを受け、食事を中断したのを目撃して気を利かせてくれたものと推測します」
興元の目がほの暗く光る。事実は事実だが、誤解を招いたのかもしれない、と直史は胃がきゅうっと絞られる心地だ。
だが、興元はいきなり激昂したりなどしない。直史の知る興元は寛容な男だ。
そも、現在の直史と興元の関係上、興元が激昂したとしても直史にそれをぶつける権利などないのだが直史はそのことに気付かない。
「……どうして会長は直史を愛称で呼ぶ?」
「普段からじゃないよ?」
「で?」
「個人的な交流も深い――」
腹の上に乗った興元が上体を倒し、両手を直史の顔の横につける。
「この体勢、少女漫画に出てきた!」と声を上げる度胸が直史にはない。乱闘する不良が幾ら得物揃えていようと昭和の変身ヒーローのような正義を全面に押し出し悪を許さぬ口上述べながら向かっていけるが、どうにも興元に対して直史は弱かった。
若干、顔が近くなったけれど、興元はそれ以上近づかない。部分的には密着しているのだから距離をどうこう言う段階はとっくに過ぎている。
「個人的な交流? なあ、直史」
「……なあに?」
精一杯かわいこぶって直史は訊き返した。自分と同い年の同性が同じことをやったら直史はそいつの顔面を毛繕い直後の猫に擦り付ける。
「会長とは、どんな関係なんだ?」
直史はその質問を最初にして欲しかったと思う。
恋人でも片想いでも片想われでも両片想いでもないですよと言えば、興元はきっと落ち着いてくれるだろう。ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。
「幼馴染ですが!」
これで万事解決だと思った直史だが、興元の無表情は変わらない。距離も体勢も変わらない。
「幼馴染、な」
興元がゆっくりと首を傾げる。同時に上がっていく口角は表情を笑みに見せるための動きだというのに、どうしたことかえらく寒々しい。
「ギャルゲで言えば誰ともくっつかなくてもエンディングでついてきてくれる可能性があるポジションじゃねえか」
「二次元と三次元の混同はよくねえなあ!!」
昔はインドア派と言っていたことがある興元だ、その手のゲームに手を出したこともあるのだろう。意外な一面知っちゃったと喜ぶ余裕は直史にない。
解決への切り札だと思っていたがなんの役にも立たない豚だったと頭抱える間も惜しみ、直史は興元へ抱きつくように上体を勢い良く跳ね上げると、そのまま興元を押し倒して先ほど自分がされていたように興元の顔の横へ両手を突く。腹に乗られていた体勢からの流れのせいで傍目にははいっている疑惑が浮かぶ構図だ。
「ナル……ああ、もう。会長とはそういった関係にない。むしろ、あったら俺があいつを殴るし、俺が妹に尻子玉を抜かれる」
「直史の妹は河童か」
「禰々子を妹に持った覚えはない」
直史は些か真面目な顔で興元に言い聞かせる。
成海は直史の幼馴染であるが、同時に直史の妹とも幼馴染であり彼女とは去年から付き合っている。幼馴染以前に妹分として見られる部分の大きかった女の執念もといガッツは直史が「こりゃ清姫も裸足で追いかけ蛇になっても川渡りますわ」と思ったほどである。成海は誠実な男なので安珍の末路を辿ることはないだろう。仕事が終わったのをいいことに、生徒会室のPCでメールを作成するくらい惚れていることでもあるし。
「…………俺は」
「うん?」
直史からの説明を聞いて、興元がぽつりと呟く。よく聞こえなくて顔を寄せた直史の背中に、そのまま興元の腕が回る。見られたくないのか、男前で大変直史好みの顔は直史の肩へと埋められた。
「俺は、直史のことを見ていたと言っただろう」
「ですね」
「積極的に追いかけはしなかったが、見かけるときは目で追い続けたんだ。そういう、少し離れた距離感だったからか、会長と仲がよくないという噂がまったく信じられなかった」
学園における直史と成海への認識は先入観によるものだ。興元のように引いたところで見れば、ふたりの気安さがよく分かることだろう。
「立場上、過ぎる親密さを批難されないためのカモフラージュに流した噂かと思ったこともある」
「その発想はなかったな」
興元の抱きつく力が強くなる。
「……よかった」
ぽつん、と水滴をひとつ落としたような呟き。
とても小さくささやかであるはずの呟きが、直史のなかにある興元に対する残り五分の何かを満たした。
自分に強くしがみつくせいで僅かに浮いている興元の体の下へ、直史は自分の腕を回す。
困惑したのか驚いたのか、強張った興元に構わず直史は興元に負けない力で抱きしめる。
「なあ、興元」
興元からの返事はない。
ただ、笛を鳴らすのにも似た鋭い呼気がひとつしただけだ。
「いま、お前が好きになった」
まともに会話をするようになった時間から考えれば早過ぎるかもしれないが、元々確信していたのだ。いっそ、遅いくらいだろう。
「ああ、好きだな。うん、好きだ。好きだよ、興元」
繰り返すごと、肩口が僅かに濡れていく。けれど、直史は興元を抱きしめたまま、抱きつかせたまま身を離そうとは思わなかった。
好きになるための気持ちが十割になったら、好きだという気持ちはあっという間に溢れてしまう。
直史はやっぱり見られたくなかったのだ。
興元が好きですきで堪らないという自分の顔を。




