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六話




「ナオ?」


 成海が直史を呼ぶ声を聞いた瞬間、直史を腕に抱える興元が本性を現した雪女のような形相になった。




「直史」

「……なん?」

「呼んでみただけだ」


 かわいい少女がやっても引っかかるものを覚えるこのやりとり、既に四回目だ。

 興元としては名前を呼べることが嬉しくて堪らないらしいが、直史としては笑いも乾く。余計なことを言って再び王子様呼びに戻されても困るのでなにも言わないが、もう少しどうにかならないだろうかと頭を捻った。

 しかし、幾ら頭を回転させても絞れるものはなにもなく、いよいよ朝食の時間が差し迫っているため直史は諦める。

 今朝も興元が淹れた珈琲を一杯飲んで、食堂へ向かおうとした直史を興元はひらひらと手を振って見送った。


「……興元も食堂使うだろ?」

「そりゃな。だが、風紀委員長と並んで行ったらお互い面倒だろ? 五分位したら行く」


 お互いと言ったところに興元の気遣いを感じるが、事実そうなのだろう。Fクラスのなかでも遠巻きにされている興元が直史と深く交流持っているように思われれば囀りだす輩は確実に現れる。気に入らない、面白くないという感情に傾く人間が多くなれば興元の周囲は騒がしくなるだろう。


「そうなりゃ、俺も出動するがね」


 ぽそっと呟いて直史は見送る興元へ肩越しに手を振って、部屋を出た。

 一人部屋を出されたからといって、食堂に確保された席まで使えなくなったわけではない。混雑する食事時には大変ありがたい特権を今日もありがたく享受しつつ、直史は既にいた成海へと声をかける。


「おはようさん」

「おはよう」

「そっちからなにか連絡とかある?」

「今のところはない。きみはあるのか」

「ないな」


 風紀委員会と生徒会として、毎朝のやりとりだ。

 直史と成海の前、数代はいがみ合うことが多かったらしく直史と成海もその例に当てはめて見る生徒はちらほらしている。そうでなくともビジネスライクの範囲と思っている生徒は多いだろう。


「こんなに仲良しなのに」

「別に困っていないだろう」

「おうよ」


 不仲だの冷めた関係だのと思われてもなにも困らない。

 こうして近い席で食事をしているとき、はらはらした視線が時折鬱陶しいだけだ。心配されていると思えば「今日も俺の人望輝いてるう!」と直史は前向きになれる。事実上の人望は成海へ傾いているのだが。

 ふと成海が直史の後ろへと視線をやった。気づいた直史が振り返れば食堂へ入ってくる興元が見える。食堂がほんの少し静かになった。


「その後、どうだ」

「名前で呼び合うようになった」

「お赤飯か」

「いらんよ」

「遠慮か?」

「必要な事態になってねえです」


 それは異なこと、と成海が怪訝な顔をする。さっと短く興元を追った視線は観察のそれだ。


「四枝の顔は、好きだろう?」

「ナルちゃん、俺は顔が好みなら誰かれ構わずの節操なしじゃないんだよ」


 言い聞かせても成海は「ちょっと理解できませんね」と言い出す始末。直史は小一時間ほど幼馴染の自分に対する見解を聞き出し認識の修正を強制したくなる。


「顔が好みなら、きみのなかで相手を好きになる理由は九割満たされるだろう」

「九割は言い過ぎ、八割くらい」


 そして、残り二割がなかなか埋まらない。

 直史自身、二割の足りないものが何であるのか、定かではないのだ。


「ああ、でも」

「うん?」

「興元には九割……九割五分くらいきてる気がするんだよ」

「きみたち付き合っちゃえよ」

「ナルちゃん、そういうのは俺のキャラだから」


 ほんの少し、後もうちょっと。興元を好きだと言い切るために足りないものがある。

 その何かを探したり、求めているのなら、それはもう好きだということなのではと直史も思わなくもない。

 けれど、だめだ。

 足りないものは、引っかかるものは後々必ず気持ちを躓かせる。


「きみは見た目も言動もちゃらんぽらんなところがあるが、時折見せる真摯な部分は美点だ」

「……それは俺のキャラじゃないね」


 微笑む成海と目を合わせていられなくて、直史は顔を背けた。




 今日もFクラスは喧嘩が起きている。もはや手段のために目的を捏造している説が直史のなかでは濃厚だ。毎回まいかい、事情を聞き取るほうの身にもなってほしい。書類に何故こんなばかばかしいことを記載しなくてはならないのかと怒りのあまり忍文字で調書を作成して顧問にメッされた風紀委員もいる始末。連帯責任と監督不行き届きのダブルコンボを喰らった直史は激おこである。

 派手な喧嘩が起きているとの連絡にナンを咥えて食堂を飛び出した昼休み、食堂へ残してきたカレーの恨みを込めて直史は手荒くもみ合う数人を引き剥がして別々の方向へ放り投げていく。中庭という拓けた空間で行われた乱闘は人数が多いが、直史は次々と千切っては投げる。


「ふぃふはひははえ!」

「はっ?」

「なんだって?」

「ふぃふはりははえ!」

「分かんねえよ!!」


 直史は咥えたままだったナンの残りを素早く咀嚼して飲み込む。喉に詰まった。

 体を動かしまくって乱れた呼吸のなかでの事態、直史は膝をついて胸を叩くもナンの塊は食堂から胃へ落ちてくれない。

 いよいよ苦しさは最高潮、自身は此処で潰えるのかと直史の目に涙が浮かぶ。


(まだ、俺はまだ興元に……)


 走馬灯のように次々と浮かんでは過ぎ去る情景、最後に浮かんだ顔へ伸びた手は宙を掻く。


「なおし? ッ直史!」


 ああ、と儘ならぬ呼吸に視界が霞むなか、直史は笑う。

 彼は自分を王子様だと、大衆向けに呼びたくないからヒーローの呼称を避けたけれど、彼こそがヒーローではないか。


(なあ、興元)


 自身を抱き起こす興元がなにかを叫ぶが、直史にはもうよく聞こえない。ただ、伸ばしていた腕から力が抜けてだらんと落ちた。

 ――人間の手は力を抜いた自然体のとき、人差し指が僅かに伸びてあとは内側に軽く丸々まる。見ようによってはひとを指さしているように映るだろう。

 そして、興元はこのとき「どいつにやられた」と訊ねていた。


「……お前か」


 乱闘していた生徒は数人いるが、そのなかで見事当選してしまった一人。明らかにやばい様子の興元に落選した残りの数人も「そうです、こいつがやりました」「俺は止めました」などと魂を悪魔に、生贄を興元へ売り飛ばす。

 息も絶え絶えな直史、殺意を芽生えさせる興元、震える一人の生徒と自らに災厄降らぬよう邪神崇拝を始める残りの生徒。

 地獄しか生まれそうにない現場へ、第三者がスパイシーな匂いとともに現れる。


「ナオ?」


 修羅場という新たな地獄の気配を引き連れて。

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