一:推理しよう
とある村にある平凡な家には、赤い頭巾を被る少女がいた。
その名も赤ずきん。
赤い頭巾を被っているから、赤ずきんと呼ばれている。
「赤ずきん、このリンゴをおばあちゃんに届けてきて」
「うん? ……まさか毒リンゴでは無いだろうな母上」
「どこの怪しい魔法使いだよ。ったく、日常生活にまで職業肌持って来ないでくれる? 面倒ったらありゃしないわ」
「そうか……」
赤ずきんは未だバスケットに積まれたリンゴを用心深く睨みつけ、とりあえずバスケットを持つと、戸のノブに手をかけた。
その時赤ずきんの母親が、「ああそうそう!」と赤ずきんを呼び止めた。
「毒リンゴとは違うけど、狼には気をつけなさいね赤ずきん。森にはそれなりに凶暴な狼がいるからね。人だって食べてしまうのよ」
「母上。それを承知で娘を森へ一人で行かせるとはこれ如何に」
「それじゃあ、私は家の事で忙しいから、赤ずきんちゃんよろしくね」
今まで大切に育ててもらった母親には、流石に赤ずきんも逆らえないらしい。赤ずきんは、「はい気をつけます」とだけ言うと、家を出て行った。
「……そうか、狼か……。これは、急いだ方がいいかもしれないなぁ」
赤ずきんは目をキラリと光らせ、その足を止めることなく、祖母の家まで駆けていく。
・ ・ ・
同時刻。赤ずきんの祖母を狙い、屋敷に向かっていたのは、焦げ茶色の耳と尻尾を生やした狼男ダンテだった。
狙うとは言っても、半獣である彼は人間を食べる趣味は無い。狙おうとしているのは現実的に赤ずきんの祖母の金品だった。
「やだなぁ……こんなことさせるから俺達狼は何時だって悪役なんだっつうのあのクソ親父」
あくまで平穏な生活を望む狼男の足取りは重い。
・ ・ ・
そもそも、彼が金品を盗む事になったのは、父親が赤ずきん界の鼠小僧であり、困った人間に盗んだ金品をバラ撒くと言う荒行をやってのけてしまい、それを息子にも期待されているからである。
しかし、ダンテの父親と鼠小僧の決定的な違いがあった。
それは、金品を盗むのが裕福そうな家庭全般であることだった。
鼠小僧の場合は違う。鼠小僧の正義には、同時に平等や悪だけを懲らしめると言う意味のある正義だった。
だが、彼の父親は何が悪で何が善かも調べずに、とりあえず金品を盗んでしまうのだ。
そこらへんに、狼が鼠を演じる事の難しさが滲み出てしまっている。
そうは言っても、父親が盗んだ金をほとんど自分以外の貧困者に渡してしまうため、ダンテ家の食費すらもキリキリの状態だった。その為、ダンテはこうして赤ずきんの祖母の家の前まで来てしまった。
「うっし」
意を決すると、ノブを回して開けた。
「……よし。起きては無いみたいだな」
部屋の中をキョロキョロと見渡す。
金品そのものを持っていくのも何だか気が引けたダンテは、足元に惹かれている虎の毛皮の絨毯を掴み取る。
「やっぱ違うよなぁ……こんな事したって狼が鼠小僧になんてなれるわけが無いんだし」
ダンテは毛皮を掴んでいた手を離し、フルーツバスケットに目を向けた。
「……ごめんなばあさん」
バスケットを掴み出ていこうとしたダンテの尻尾の付け根を、白い手がグイっと掴んだ。尻尾の付け根を不意に掴まれたダンテは、ビクッと体を震わせ乙女の様な叫び声を上げた。
ダンテが恐る恐る振り向くと、掴んでいたのは祖母ではなく、祖母の寝ているはずのベッドに座っている赤ずきんがいた。
「住居侵入罪、そして盗品の罪だねお兄さん。てっきりばあちゃんを食われると想定して私が先にばあちゃん食べておいたら、まさかそっちだったとは」
チッとダンテは舌打ちしたが、しばらくしてから、赤ずきんの言葉のおかしい部分に気づき、「ばあさんを食ったのか!?」と顔を青ざめさせた。
「いや、普通に嘘に決まってるじゃないか」
「だ、だよな……じゃあばあさんは何処だ」
「ばあちゃんは亡くなった。虎に食われて」
また冗談かとダンテは眉間に小さくシワを寄せたが、どうやら先程の陽陽とした様子では無くなっていた
。
「で、その絨毯、その時の虎の皮」
「そうか……えっ、ちょっ、お、おいッ! そ、そんなもん普通人の踏む所に敷く!?」
「ちなみに、その虎は私が銃で撃った」
「ばあさん食われてるのにッ!?」
ダンテは先程この絨毯を触ってしまった手をパンパンと叩き、絨毯からなるべく離れた。
「と言う冗談はさておき」
「冗談かよッ!!!」
持っていたリンゴを一つ地面に投げつけ、激しいツッコミを入れつつも、ダンテは内心安心した。二つの屍の宿る絨毯を踏んだのかと思うと、人心と言わず獣心でも不快感や罪悪感はある。
「祖母は事前に出て行ってもらった。狼が来るとも限らないからね。一応、色んな獣に効く傘とか鈴とか持たせて母上の家に向かわせたから大丈夫だろう」
「ああ……はあ」
「で、話戻って君は今私の目の前で列記とした犯罪を犯そうとしていたのだ。私の前で白昼堂々とやるところに関してはある意味勇敢だ。褒め称えよう。その代わり、この先のお前の人生は」
赤ずきんはグッドサインの手を逆さに向けて言った。
「地獄行きだ」
長いまつげで瞳を覆い隠しているため、本心は見えづらい。
ダンテは冷や汗を垂らすと、赤ずきんに見える様に前の方へと移動して、地面に額を叩きつける勢いで土下座した。
「……どういうつもりだい? 薄汚い狼モドキさん」
丁寧にも靴を脱ぎ、その足でダンテの頭をグリグリと踏みつける。
「見逃してくれ」
「私は知っているのだ。お前がこのリンゴを持っていき、このリンゴに毒を入れようとしていた事を。そして! 老婆である私の祖母にリンゴを食わせてそのまま白雪姫ストーリへと持ち込もうとしていた事をなッ!!」
「それ完全に二つ前の白雪姫は老婆だったじゃねぇか! 宣伝乙!!」
踏みつけられていた頭を振り上げてダンテが思わずつっこむと、赤ずきんが眉間に皺を寄せ、足を組む。もう踏みつける気持ちはないのか、床に置いていた靴を拾い上げ、足へと収めた。
「……今回の主役は赤ずきんだ。ババアをまた主役になんてさせたくないのだよ」
「自分のばあちゃんババア扱い!?」
ダンテは己のしようとしていた行為を大きく後悔した。
しかし、それは罪悪感とは大分かけ離れた感情。見られてしまっていたこの赤ずきんと関わるのは、とても面倒な事だと痛感していたためだ。罪悪感なんてものは、盗む前から既に持ち合わせている。
それよりも、今はこの少女からどう逃れようかと言う事でダンテの頭の中はいっぱいだ。
「遠い目をしてどうした?」
赤ずきんはベッドから降り、片膝をついてダンテの顎に手を添える。
「決して、逃しはしないぞ」
赤ずきんの言葉に、ダンテは背筋をゾッとさせた。狼なのに立つのは鳥肌だ。
「牢獄にて臭い飯を食わされるのと、……弁明のチャンスを与えるのならば、もう一つ道がある」
「な、何でしょうか」
ダンテはゴクリと生唾をのみ、焼刃の様に真っ赤な赤ずきんの瞳を見る。
「私の助手になる事だ」
「は……?」
「お金に困っているのだろう? 私の言う通りにちゃんと助手をしてくれれば、君の食費くらいは出してやろう」
それまで、ダンテにとって最悪の印象だった赤ずきんの印象に、待った! の疑問符が入る。
「何故俺の家庭事情を知っている?」
「一度手にとって躊躇ってから結局安物のリンゴを手にして持ち去ろうとした。こんなもの、名探偵でなくたって予想つく。心優しい貧困者だとな?」
涼しげな程にクールな表情にダンテは唖然とした。
「どうする? 通報されるのと、私の優秀な助手になるのと」
「そりゃあ勿論……」
ダンテはもう一度、今度は丁寧に深々と赤ずきんに土下座した。
その丁寧な土下座には、彼なりの溢れんばかりの感謝の気持ちが現れていた。
「助手にして下さい」
「宜しい」
深々と頭を下げているのでダンテに彼女の表情は伺えないが、彼女は目を細めて微笑み、今度は飼い主の様にダンテの頭を撫でた。
・ ・ ・
ダンテは知らなかった。
何故ならば、彼の家にはテレビなんてモノも無ければ、新聞やラジオなども無かったからだ。
ダンテが知らなかったこと。それは彼女、赤ずきんが一週間の七日間の内、六日間はほぼ探偵業をしていた事だった。
赤ずきんは探偵だった。
それも、名が付く程に切れた頭の持ち主だった。
敏感な洞察、回転の速すぎる脳味噌、予言者の様な推理の正確さは勿論の事、最後には犯人にはこの様な事情がうんたらかんたらと言う、犯人や容疑を自分だと犯人から的を自らにずらした人物等のフォローにまで入る。
正に、探偵の鏡と言わざるを得ない完璧な少女であった。
そんな彼女を人は、影で”赤い頭巾の奥の真実”と言う意味のよく分からない中二病臭い別名で呼ぶ。
それはダンテの助手なんてものは必要無い程だった。
もしかしたら、彼女はダンテをただ純情な人心で救いたいと思ったのかもしれない。
ダンテは赤ずきんに心から感謝していた。
・ ・ ・
だが、一方でダンテの父親の盗み行為の悪化に頭を痛める日も増えていた。
ダンテが働いてお金を貰っている事を父親にバレてしまうと、父親はダンテの金の大半を奪い、それでも尚盗みを働くのだ。
どうしたらいいのだろう? 正解の見えない父の悪行に、ダンテが働きもしない脳を使って考えようとする。
「何をぼうっとしている? 給料を下げるぞ」
「え!? あ、す、すみません」
給料を下げると脅したのだが、その言葉への返しが無いことで、赤ずきんは二十四時間フル活動の脳を使ってダンテの目を見る。
この目は嫌いだと言わんばかりに、ダンテはその目をゆっくりと逸した。
「今回の事件だ。助手だからな、一応聞いてもらおうか」
「はい!」
この思いを察して欲しくないダンテは、無理に明るく笑顔を作り、その事件資料を見た。
しかし、その事件資料がダンテの作った笑顔をすぐに壊してしまう。
「これって……」
資料に書かれていたのは“大豪邸から金品を盗み込む謎の男を捕まえる”ことが依頼となっていた。盗み出した場所からして、それは明らかにダンテの父親を指していた。
「以前からこれを解決してくれという富裕層からの頼みはあったのだが、依頼は平等であるべきだろうとすぐには手を出さなかった。だが、盗みもどうやら悪化しているみたいだし、もう聞き流す事は出来無いだろうと……うん? どうかしたのか?」
サディスティックな赤ずきんが優しい心配の言葉をかける程、ダンテの表情は不自然なものになっていた。寒くもないのに鳥肌が立ち、顔も青ざめている。
「まさか……コイツを知っているのか?」
「いやっ」
震える声で返してみるものの、勘の鋭い赤ずきんには見抜かれてしまうのはダンテも分かっていた。
父親のしている行為はもはや人助けの域を超えている。
だからこそ、父親を救うと言う意味でも彼女に父親を捕まえてもらうことが良いのかもしれない。
ダンテは赤ずきんに自分の父親の事をありのまま話した。
・ ・ ・
「そうだったのか。それはお前も大変だったな」
「いいえ、大変なのは俺よりもオフクロだと思うので……」
ダンテの母親は父親を何度も止めたが、父親はそれを聞くどころか、妻である彼女に暴力を振るってでも盗みへと働いてしまう。
現在、母親は精神的に追い詰められ、今では部屋に篭りきりだ。
時折部屋からは母親の泣き声や震え声が聞こえる。ダンテは毎日料理を作り、掃除をある程度済ませたらすぐさま家を出るのが日課となっていた。狂った母親の声をずっと聞いていれば、自分までもがおかしくなってしまうと思ったからだ。
ダンテは四人家族で、弟もいるのだが、崩壊同然の家庭に耐え切れなくなり、家を出て行ってしまった。
「大変だったな。お前も」
赤ずきんは小高くて丸いテーブルの上に頬杖を付き、ダンテを見つめる。そして、あえて同じ言葉を口にした。大変なのは、一人だけではないという意味を込め。
その表情には慈悲が見て取れたが、視線を逸しているダンテには見えていない。
「オヤジを、何とかしてやって下さい」
決心したかの様に視線を赤ずきんの方へと戻してダンテは言った。
ダンテからの真剣な依頼に、赤ずきんは片肘で頬杖をつきながら、空いたもう片方の手を伸ばし、ただダンテの頭を撫でた。