一:現実逃避
入り口の無き高き塔には、塔からはみ出る程の長い紫色の髪を纏った女性がいた。
彼女の名はラプンツェル。
一人塔に住み続け、ただただ髪だけが伸びていく。寂しく、悲しい美女であった。
彼女はその悲しみを誰かに気づいて欲しいかのように高らかに歌を唄う。そして、その歌声に一人の青年が気が付き、その塔まで近寄った。塔に触れ、塔の存在をしっかりと肌で感じる。
・ ・ ・
しかし、この塔には入り口が無いのだ。彼は回って入口を確かめるものの、やはり扉らしきものは見つからなかった。
「ん?」
青年は、足元ににちっとしている変わった感触の縄があるのに気づいた。
「ああ、これを使えば……」
青年は縄を掴み、塔を一歩ずつ登っていった。目指した部屋に到達したらしく、地面に足が付いた事に安心するとホッと胸を撫で下ろす。
「……魔女様で御座いましょうか」
「いいえ違います。僕は」
「そ、それでは帰って下さいまし!!」
助けを求めるかの様に歌っていたあの時とは一転、ラプンツェルはやって来た青年にいきなり拒絶反応を見せた。あまりに相対する反応に、青年は驚きながらもラプンツェルに触れると、「やめて下さいまし!!」と更に強く拒絶されてしまった。
「何があったの? 一体どうしたの?」
青年は悲しそうに彼女の両腕を掴んで聞いた。
「私は……私は……」
ラプンツェルは優しい青年に真実を告げたかった。だが、それは魔女が許してはくれない。ラプンツェルは魔女に言われた以前の言葉を思い出す。
━━真実を語るくらいなら、その身を石に変えてしまいなさい。
俯いていたラプンツェルは、意を決して顔を上げ、青年の目を見た。
「やっと、話してくれる気になった?」
「は……ど、どうして……?」
ラプンツェルが青年を見たが、青年は至って変わらずの状態で彼女を見つめる。
「どうして石にならないのっ!?」
動揺したラプンツェルは青年に怒鳴りかける。
「石?」
「だって……私はメデューサなのに……目を見たらみんな石になってしまうのに……」
ラプンツェルはメデューサだった。
目を見れば石になるはずだと言うのに、青年は変わらず話しかける。
その恐怖に、今度は小刻みに震えて怯え始めるラプンツェルを、青年が抱きしめて笑った。
「そうだったの? それって本当?」
「本当! ……なんです。実際、私の目を見たネズミや虫だって石になってしまったのですから……なのにどうして……?」
青年はカバンから小さなネズミを持ち上げ、「いやっ……」と怯えるラプンツェルの前に出す。
「今度はこの子を見てくれないか? 大丈夫、絶対に石にならないと思うから」
甘くとろける様な青年の問いかけに、ラプンツェルは薄目でネズミを見た。すると、見つめられたネズミは固まることも、ましてや石になることもなく、首を小さく傾げてラプンツェルを見ていた。
「……どうして!?」
驚いたラプンツェルは目を見開き、青年の両膝に手を乗せると、腰を曲げてネズミを見る。
「あはは、あのね?」
青年は頭を掻いて苦笑いで言った。
「僕等はね、目が見えないんだよ」
「え……!?」
新たな驚きに、思わず目を点にするラプンツェルだったが、見る対象を青年に変えて話し始める。盲目とは思えない程に澄んだ赤い瞳だが、実際に彼女を視線で捕らえることは出来無い。赤い瞳が頻りに上下左右に動く。
「そんな馬鹿な……目が見えないのにこの高い塔を、私の髪……蛇を支えにして登ってきたと言うの!?」
「あれ蛇だったんだ……どうりで変わった感触の縄だと思ったら。ああえっと、僕は目が見えないけれど、目が見えないから何も知れないなんて嫌だなって思って。見えないなら、この世界を感じて生きていきたい。だからこそ、こうしてあらゆる所を巡って旅をしていたんだ」
「そうだったのですか……」
「君は、ずっと此処に居るの?」
青年の茶色い髪が顔の近いラプンツェルの額に触れ、くすぐったいラプンツェルは、青年の抱きしめられていた腕から強引に離れる。桃色に染まった頬は、青年やネズミの目には見えていない。
「は、はい! 無闇に出歩いて、他の方を石にしたくないですもの。それに何より、魔女様がそれをお奨めして下さっているので」
「そう……けれど、もっと色んな世界を見て行きたいと、思わないの?」
ラプンツェルは言葉を詰まらせ、しばらく返答出来なかった。純朴な青年は、それを聞いていなかったのかと勘違いし、もう一度同じ質問をしたが、やはりラプンツェルは返答を出来ずにいた。
「はいかいいえって言うだけなのに、そんなに考えているってことは、君は見に行きたいって思ってるんだと思うよ。けれど、君は人々を石にしちゃうから外の世界へ行くことが出来無い。ただそれだけ」
「それだけだなんて……」
「行こうよ、外の世界へ」
青年は優しく微笑み、離れたラプンツェルに手を差し伸べた。戸惑うラプンツェルだったが、手先を震わせながら、彼の温かい掌へと乗せた。