二:夢を見る
「それじゃあ、早速船の手配でもしておこう」
「今からですか!? ……ですがお忙しくありませんか?」
「僕のすることはアンドロイド制作だけだ。それを取れば僕はとても暇人だよ」
「成程」
そう言って、申し訳なさそうに苦笑いで返す。もう一度言うが、アンドロイドが、苦笑いをしているんだぞ? 僕の目指すべきは此処なのかもしれないが、いきなりそれが目の前で起こっていると、何とも奇妙な感覚だ。
「お姉さん方は何処の海にいるんだ?」
「お姉様達は色々な海を渡っておりますが、主に海の奥深くです。時折ある人魚の休憩場や人気の無さそうなところを見つけたら地上へ上がって一息つくのですが……」
「君とお姉さん方だけの特別な呼べる合図みたいなものは無いのか?」
「ああ! あります!! 歌を唄うのです。そうすれば、お姉様が何時も来て下さりました」
歌か……そうか、以前人間だった時の彼女は声を持たなかったから、きっと姉達にこの恋の奥深くを語ることも、苦しい時、姉達に助けを求める歌を唄うことも、出来なかったのだろう。
「それじゃあ、人気の無い場所で君が歌を歌えばいいのだな」
彼女は、「はい!」とはじけんばかりの笑顔で答えた。
・ ・ ・
僕は以前の友人に連絡し、研究のため船を出したいと相談すると、快く承諾してもらえた。彼女と二人で早速港の方へと向かい、友人を見つけると、「おーい!」と手を振る。
「ああ、久しぶりだな! ……んでな、久しぶりなところ申し訳無いんだが、今日はちょっと無理だな……」
「はっ!?」
あははと頭を掻きながら友人が言うが、こっちにしてみれば冗談じゃない。頼んでいるのがこっちとはいえ、二時間半かけてやっとこっちまで来ていると言うのにそんな馬鹿な。
「ちょっと今日の海は心配なんだよなぁ。何となく」
「何となく!? 実際に荒れているわけでもないのに何故そんなこと……」
「うーん、なんつうかなぁ……」
友人は困り果てて笑顔を引きつらせていた。どっちつかずな態度が腹立たしい。何かあるのなら何かあると素直に言ってくれればいいものを。
「ねぇちょっとあそこ!!」
港にいたおばさんが指を差して叫ぶ。指された方向では、少年が海に溺れているかの様子が伺えた。
「少年。凍傷の疑い有り。溺死寸前。救助致します」
「お、おい!!」
僕が止める間も無く彼女は海へと飛び込んでしまった。
溺れている少年は目に見える位置にいるとはいえ、若干遠めだ。防水だってずっとは続かないだろうし、急いで行かなければ。
「クリスが人形作ってるとは聞いたけど、あそこまでになるとはな……しかもべっぴんさんだし」
「いいから船を貸してくれ! 僕一人で操縦出来る小さなものでいい!!」
「あ、すまん……けど、あの二人連れたらすぐに戻ってこいよ」
さっきまで曖昧な表情をしていた友人の真摯な言葉に、俺はゴクリと唾を飲み、一度頷くと友人の出してくれたボートに乗って、急いで二人の元へと飛ばした。
「乗れ! 早く!!」
「は、はい!!」
彼女が少年を抱えてボートに乗る。少年の唇は青くなっているが、大丈夫なのだろうか。
「クリス様のお早い対処のお陰で、この子もどうやら無事みたいです」
「……良かった」
二人で思わず同じタイミングに溜息をつく。僕と彼女は顔を見合わせると、思わず笑ってしまった。
しかし、笑っていられるのも束の間だった。
突然強い風が僕達を襲い、気がつけばボートは既に港から随分と離れてしまった。
「何だ……?」
俺は疑問符で驚いていたが、彼女は少し違った驚きの様だった。
「どうして……まさかお姉様!?」
「お姉様!?」
海面から、数人の女性が浮き上がってきた。茶色い髪に柔らかそうな母性的な肉体、そして下半身には人のものではない、魚の鱗やヒレがあった。
「君のお姉さんかい?」
「はい……けれど、様子がおかしい……? お姉様? お姉様!!」
彼女がお姉様と何度も問いかけるが、確かに様子がおかしい様で、彼女の声に聞く耳を持ってはくれない。それどころか、またもや僕達に強い風を当てつける。
「船に掴まれ!!」
「分かりました!」
彼女は子供を前に抱え、空いている両手で船に掴まった。
「ならば、その船も散り散りにして差し上げましょう」
「何故だ! 何故一方的に僕達を狙うんだ!!」
強い風を出そうとしていたらしい左手の動きを止め、姉人魚は俺に鋭い眼光で睨みつける。
「私達の末の妹は人間達に不条理に殺されたのです。私達は、そんな人間達を許しません。……絶対に」
「そんな!!」
彼女が姉達を見上げ、大きく口を開けて叫ぶ。
どうにか……どうにか彼女がその末の人魚だと気づかせてやる方法は無いか……。
━━歌を唄うのです。そうすれば、お姉様が何時も来て下さりました。
此処へ来る前、彼女が言った姉達と会うための方法を思い出す。もしかしたら、彼女の歌で姉達も思い出してくれるかもしれない。
「歌だ! 歌を、歌を唄うんだ!!」
「え? あ、ああ! はい!!」
片腕に子供を抱きしめ、船を掴んでいた手を離し、ぐらつく船の上に立ち、その歌を唄い始めた。
その声は人魚達の肌の様に、透き通り、語りかける様に唄うその表情は、悲しい障害を遂げてしまったマーメイドの刹那の儚き美しささえ感じた。
「……アニー……?」
アニー? そう言えば、そんな名前だったな。
出会った当初さらりと名前を言われただけで、あまり記憶にも残らなかったからマーメイドとか人魚と言う事で統一してしまっていた。
「そうですお姉様! 現在はこうして別の姿へと変わってしまったのですが、私、どうしてもお姉様方に会いたくてやって来ました」
「ですがアニー、その男は……」
「私を救って下さった方なのです。名前はクリス様と申します。……お姉様、私は人間を恨んでなどおりません。あの王子様を救いたいと願ったのは私であり、あの王子様に声無くしても好かれたいと一方的に望んだのも私なのです。だから、アレは一か八かの賭けに恵まれなかった私の当然の末路でした。悪いのは、全て私なのです」
「アニー……」
「だからお姉様、もうこの様なことやめて下さい。私のせいで、罪のない人々を傷つけるだなんて!!」
彼女はその腕で弱々しく眠る少年を見つめて言った。
「そう……そうですよね。ごめんなさい。貴女がね、人魚になって戻ってこなかった時、もしかしたら王子を刺すのに失敗して、殺されてしまったのではないかと思ってしまったの」
姉のその言葉に、彼女は慈悲の表情で、小さく首を横に振った。
「でも、貴女が刺せるわけが無かったのですよね。本当に愛した人なのですから。それだと言うのに、私達はそんな人間を憎み、メロウに化してまで、罪のない人間の命まで奪ってしまいました」
メロウ、確か女は美しく、男は醜いと呼ばれる人魚か。メロウが出現すると嵐が起こるのにも定評があって、船乗りからは恐れられていたらしい。
「貴女が素敵な殿方と出会えた様で、良かった」
「……はい」
「けれど、その姿はまるで人魚……いえ、それ以上に不便なものなのかもしれません。何時、その命が尽きるとも、一生尽きないとも言えるその体」
アンドロイドに寿命なんてものは無いからな。確かにそれは無慈悲な作りとも言えるかもしれない。
「それでも構いません。私はクリス様のお側にいられるのでしたら」
「……え?」
「言ったではありませんか。あの時、私がいるから安心して下さいと。貴方が私を必要としなくなれば、その時はその時で考えますし、貴方様が死んでしまったその時は、私は私自身の手でこの身を滅ぼすつもりです」
二人で頑張れば、お互い前へ進めるはずってのは、本当に二人で頑張るってことだったわけか。アンドロイドにしてはかなり重たい言葉だが、妻も子も失った俺には丁度いいか。
「そういうことでお姉さん方、彼女にはこれからも僕の研究の手伝いをしてもらいますし、もしも、彼女に素敵な人が見つかれば喜んで……」
そう言った僕の手を掴み、彼女は悲しそうに口元を尖らせ、首を横に振った。
「うふふ。アニーは貴方のことを父親としてではなく、恋い慕う人として見ていらっしゃるようです。時はかかるかもしれませんが、どうか受け入れてやって下さいませんか?」
僕は驚き、思わず手を掴むアニーを見た。頬を火照らせて今にも泣きそうな顔をしている。
とは言っても、アンドロイドに涙を流す機能なんてつけてないし体内には水なんて入ってないがな。
「ですがアニー。その体であっては、愛する人と触れ、その温もりを感じることも、子を授かることも出来ません」
「承知の上です」
アニーが迷いない表情で答えると、姉人魚が近づき、アニーの額にコツンっと軽く手を握って叩く。
「クリス様、この子の体を、少し変えても宜しいでしょうか?」
「え……? ……あ、まぁ……」
姉が微笑むとその長く美しい髪をボートの機体に張り付いていた貝殻で切り落とした。
「お姉様!?」
他の姉達も同様に髪を切り落とし、その髪をボートの上に乗せる。
「これで、彼女にも人の体を、短い障害を美しく生きる、人の体を授けてやっては下さりませんでしょうか? ……ポントス様」
姉達がそう問いかけた相手はアニーの抱えていたその少年だった。
……で、少年がホポン……ん? 何だって?
プチ混乱する僕と、かなり混乱して思考を停止させてしまったアニーをよそに、目を瞑っていたはずの少年の目が開き、姉達の方を向く。
「まぁ、本来ならこの程度ではそんな大きな魔法使わないが、先程僕を救ってくれた礼や、彼女の悲劇的な障害には同情の余地もある。いいだろう」
「……えっと、何様?」
僕が思わず聞いてみると、少年がムスっと頬を膨らませて僕を見る。
「海の神様! ポントスだよ!! 知らんのかお前はっ!!!」
いや、知らんことは無いが、目の前にいるこの子供がその神様だとは思えない。と言うか、何となく信じたくない。
「……まぁいいよ。僕が魔法をかければ嫌でも神だと信じるだろう。ほれ、ちょいと行くぞ」
思考を停止させていたアニーがハッとすると、「は、はい!」と上擦った声で答えた。少年がアニーに触れると、一瞬目を開けられない程の眩い光に包まれる。
目を薄らと開け、彼女を見ると、確かに彼女の体に柔らかみがあり、球体関節でもなく、耳は普通の人間の耳となっていた。
「凄いです……!」
アニーが驚いて、暫し口を開けていた。少年は驚くアニーを見て愉快そうに笑っている。
「それじゃあ、僕も人魚達と会えたしこれでさらばするよ。それじゃあ行こうか君達」
少年がそう言うと、人魚達が少年に寄っていく。何だそのハーレムは……少し癪に障るぞ。
其処へ一人ハーレムから抜け出した姉人魚が、僕の下へやって来た。
「……クリス様?」
「はい?」
「妹を頼みます」
頭を丁重に下げた姉達に、僕もアニーも頭を下げた。
・ ・ ・
「おい! おい大丈夫かクリス!!」
目を開けると、其処には港にいたはずの友人がいた。起き上がり、周りを見渡すと俺達のやって来た港と、そして俺の隣には人の姿のアニーが眠るように気絶していた。
「だから行かない方が良いと……まぁ、俺も最近海で謎の嵐が起こることを細かく言わなかったから悪いが……」
どうやら彼女や少年に触れる気は無い様だ。これも、あの少年の魔法といったところか? 信じたくはないが。
「ああ済まない。次からは気をつけるよ」
アニーの肩を揺らすと、アニーがゆっくりと瞼を開け、僕を見る。
「これで、前へ進めましたよね。クリス様」
「だが、まだ一歩に過ぎないさ。一歩だけ進んだって、ゴールには辿り着かないからね」
「ええ」
不思議そうに僕等を見る友人をよそに、僕等は海を遠く見つめた。まるで夢の様な現実を感じさせられる不思議な一時だった。これからの僕は、人をもっと大切に、愛することを出来るのだろうか?
いいや、今は彼女がいる。それこそ、海の神様がくれた、彼女がいれば。
きっとこの先も……そんなこれから現実となっていくであろう夢を見ていた。
アニーがすっと出した手の上に、僕の手を重ねた。
(二話了)