一:前を見る
とある国に、それは美しい王子がいた。
王子は乗っていた船が嵐にぶつかり、難破した船から落ちてしまったのだ。
落ちた先は何処までも広がる海。凍傷になり、抵抗するすべもなく王子は溺死するのがきっと目に見えていただろう。
だが、王子は救われた。気がつくと城のベッドの中にいたのだ。
ただ一つ、あの中で覚えていたのはうっすらと見えた透けるような白い手先だった。
王子は自身を救ってくれた者が誰なのか知りたかった。
そんな時、王子の前に現れたのは綺麗で足の不自由な女性であった。
彼女の足を不憫に思った王子は、女性を城に住まわせる事にしたが、彼女は声を出すことも出来なかった。
その為、最低限の意思の疎通しか出来なかった。
きっと、王子は考えを過ぎりもしなかったでだろう。
彼女が王子を愛し、救ったその張本人であったことを。
実際、王子は偶然浜を通りかかった女性を王子を救ってくれた人物だと勘違いし、王子とその娘の婚儀を行われることになってしまった。
婚儀が行われたその日、足と声の不自由な女性は現れなかった。
女性は人魚であった。彼女は王子を救い、そして王子を一途に愛した。
足を不自由にし、声も出せない状態でもなお、王子が何時か自分の事に気付いてくれると信じていたのだ。
しかし、王子が選んだのは彼女ではなかった。
彼女以外の女性と王子が結ばれてしまえば、彼女は泡になってしまう。
彼女の姉達が自身の髪を糧としたナイフを王子に刺し、人魚に戻れと言うが、本気で王子を愛してしまった彼女は王子を刺すことが出来ず、海へ自ら身を投げ、海の泡へと変わってしまったのだ。
それを人々は、「マーメイド」と呼んだ。
・ ・ ・
そして、そのマーメイドが今正に僕の隣にいるのだ。
……但し、彼女は以前とは姿形が違うそうだ。海面の神秘さを纏った様な青い髪、足はヒレでなく、ちゃんと2足分の人の足もあり、足の痛みも無い。強いて言うなら透けそうな程白い肌や美しい顔立ちは彼女らしいだろう。
膝や肘、肩指の節々などは球体関節人形の様になっており、耳からは異様な出っ張りがある。現在は背中の蓋を外し、中の回線を露わにしながらコンセントをつなげ、充電している。
マーメイドはアンドロイドだった。
唐突な説明な上に、彼女がマーメイドとは何処の馬鹿が言っているんだと思うかもしれないが、彼女を制作したのが僕なのだから仕方無い。
僕だって、始めからマーメイドの様なアンドロイドを作りたかったわけじゃない。そもそも、作りたかったら僕は足をヒレにしていただろうしな。
他人事口調なのは、彼女がマーメイドアンドロイドへとなってしまったからだ。
・ ・ ・
それは以前、僕はアンドロイドを少しでも人に近づけようと防水実験を近くの海でしていた。その時だった。
あくまで防水実験のために浮かせるだけのつもりだったアンドロイドが、何の命令も、それ以前に僕はアンドロイドに泳ぐと言う行動プログラムを入れていなかったのに、優雅に両足を揃えて泳ぎだしたのだ。
僕が急いで呼び止めると、彼女は此方を見て、見られてはいけないものを見られてしまったと言わんばかりの表情で怯えていた。
……アンドロイドが、怯えているんだぞ?それはさすがに僕も怖い。
とは言っても、何かが憑依した事は代わりないだろう。僕は彼女にその体は機械であり、君はこの媒体に入ってしまったのだろうと冷静に説明すると、彼女が自身があの物語として語り継がれている人魚姫と酷似した過去の出来事を話し始めたのだ。
普通に考えてみれば嘘みたいな話で信用も出来無いはずなのだが、彼女の儚げな表情や、若干常識外れな行動、そして時折海に行くと毎回披露してくれるあの優雅な泳ぎが、何故だか彼女の言葉を疑わせなかった。
「充電完了いたしました」
「おおそうか。それじゃあ外すよ」
にしても、人間に近づけて作ろうとは思ったが、人間そのものに憑依されると色々大変だな。
何より、人間には恥じらいと言う感情があるため、今までは服をその場に脱ぎ捨てて置いておいたものだが、彼女が入って以来いちいち腕で胸を隠される。胸はあくまでアンドロイド感を残すためにパッド型にしているのに、である。機械が頬を火照らせて視線を逸らし、見るなと言う意思表示をしてくるのだ。
こっちは作り手なので、細部を見て修正や機能追加をしていきたいと言うのに、恥じらうせいで無理強いもさせられない。
「……だが、お前は何時までコイツに入っているつもりなんだ? これはあくまで人の形に極力似せた人形の様なものであって、人では無いんだぞ。それに、恐らくお前の探し求めている王子はもういないはずだ」
「分かっております。けれど、私はそれでも、泡となった後も無意識にこの魂だけが浮遊し、この体に入ったので、何か出来るのでは無いかと感じているのです。こんな私でも」
「ふぅんーあっそう」
正直言うと、僕のアンドロイドは他にもあるが、コレがずば抜けて利口に作られていた。
だからこそ、これに憑依されたのはかなり面倒な話なわけで。
「クリス・ライム。男。年齢三十八歳。幼少期から機械いじりを趣味とし、妹が人形を見て、この子が話せたらいいのにと言っていたことから人間に近いアンドロイド制作を試みる。ブロンド色で首元まで伸びた髪や、顎鬚が特徴。……ほうほう。妹さん思いなのですね。私のお姉様達も、私にとても優しくして下さいました。それなのに私は……」
機械の中に入っているが故に、こうして勝手に僕の解析までされてしまい、そこはかとなくアンドロイドから出てって下さいと以前から何度も言っているが、彼女は全くその言葉に動じず、それ以上に僕の秘密を分析し始めてくる。
「まぁ、人であった以上、人を殺すのは犯罪だったわけだし、それも選択としては悪かったんじゃないのか? お姉さんだってきっと分かってくれるさ」
「……クリス様にそう言っていただけると、有難いです」
僕は君に逆らえないだけなのだけれどな。
「しかし、君は一体これからどうしたいんだ? 機械では出来ることは限られていると思うのだが」
「そうですね……」
振り向くと、彼女は丁度服を着替え終えたところの様で。僕の方を向き、僕の目を見て言った。
「人魚の寿命は人に比べてとても長く、最低千年は生きられるのです」
「うむ。聞いたことはある」
「あの時の私は百歳過ぎたばかりで、お姉様方は三百年、四百年は生きておられる様でした。ですが、もしまだ六百年未満の月日しか経過していないのであれば、きっとお姉様方は生きておられると思うのです」
彼女はいじらしく、指の隙間に指を挟め、その手に顎を乗せて言う。
さっき三十八歳のおっさんと分析していたろう。そのおっさんの前でわざわざそんな可愛いらしいことをするんじゃない。
「会って話したいと?」
「ええ。出来ることでしたら」
「で、その後はどうするつもりなんだ? さすがに今の君は機械だし、一生潮の強い海面にいるのは難しいと思うのだが」
つまり、それはこの高性能アンドロイドの破壊とも取れる行為であり、それだけは絶対に避けたいのだ。
「なので、お姉様方に今までの経緯をお話したら、お別れしようと思っています」
「そうか……」
俺は思わず安堵を漏らした。
「それと、貴方は王子様があの後、どうなったかはご存知ですか?」
本の内容ならば、“王子はあのままあの娘と結婚した。”とかで、終わりのはずだ。
その後二人が離婚しようが、事実が違うと分かろうが、王子が別の女に手を出そうが、知ったこっちゃ無い。
「王子が浜でみかけた女性と結婚したのは多分確かだ。それ以降は知らない」
「そうですか……二人が末永く幸せに、仲睦まじく暮らして、共に死ねたのなら幸せなのですが」
「綺麗事だな。さすが人魚姫」
「いいえ、きっとそう思わないと自分が前に進めないから……言い訳みたいなものなのだと思います。クリスさんだって、奥さんやお子さんがいらっしゃったけれど、奥さんはクリスさんがあまりにも仕事熱心すぎて悲しくなったから、お子さん連れて奥さんを愛して下さる男の人の元へと行ってしまいました。けれど、クリスさんはこうして一人で前に進んでいるではありませんか」
コイツ、やはり恐ろしい。何時の間に俺の過去を分析しやがった。結構思い出したくないエグい過去だったんだがな。
「僕は、昔は妹のためにと作っていたが、今じゃ妹は色々な男に愛想振りまいてて、それこそ男を生きた人形みたいに意に操るヤバイ女になっちまったし、今はせっかくいいところまで見いだせたこの技術をどうにかしたいと言う目標だけで進んでいる。過去の純粋だった妹の願いを叶えるためにアンドロイドを作ってやると言うのも、言い訳の一つだったのかもな」
「それでも、妹さんは貴方をこの仕事に結びつけてくれました。だから、私も前に進みたいです。彼という存在の力で」
つくづく愛しているのだな。
そう思うと、自分自身に少し虚しさを覚えてしまった。
此処まで誰かを愛したいとは思わないが、僕も、もう少し妻や子供達を愛してやれば良かったと、あの頃の妻の顔を思い出しながら感じた。
出会いは同じ研究チームに属していたことから。僕より少し年上の妻は、若くして才能と技術の豊富で、仕事熱心な僕に惚れたそうだ。
それにより、彼女に僕は猛アタックされ、断る理由も特にない僕は、彼女と結婚した。
だが、それがそもそも間違いだったんだろうな。
愛してもいないのに、彼女と結婚し、そして結婚してもなお、僕は仕事のことばかりで彼女の言う事は数える程しか聞けなかった。仕事熱心な僕に惚れたのなら、仕事をしていれば十分だと思っていた。
なんて馬鹿な男なのだろうと、今なら軽く自己嫌悪出来る。
「……クリス様は、奥様方の思いに引きずられて、今は空回りしていらっしゃるのかもしれませんね。あの時の私の様に、一方的に愛を得られるだろうと欲張ってしまったが故に」
「一緒にするんじゃない。僕は君よりももっと悪い人間だからね」
「貴方は貴方自身の悪さをしっかりと認めていらっしゃる。ですから、きっとこれからは良い人間になれますよ!」
彼女は、僕の手を両手で包み込み、ニコッと笑った。……まさか、自分の作ったロボットに励まされる日が来るなんてな。
「クリス様、お互い前へ進みましょう!! 今の私達はまだ足元がおぼつかない状態なのですよ、ですが、二人で頑張ればお互いきっと前へ進めるはずです!!!」
うーむ。出来る事なら心的な進歩より、僕はアンドロイドを技術的に進歩させたいのだが。
けれど、せっかくだ。何時も研究にコンを詰めすぎているし、たまには息抜きがてら彼女に付き合わされてみると言うのも悪くはない。
「はいはい」
気怠い二つ返事で返し、辺りを見渡してみると、思わずハッとした。
こんなところに、僕はずっと一人きりで過ごしてきていたのだなと。そう思うと、胸にどっと寂しさが押し寄せて来た。
「……クリス様、今は私がいますから、ご安心下さい」
俺の心を読み取ったのか、彼女は優しく微笑んでそう告げた。彼女は屍人の魂が入ったアンドロイドに過ぎないのだが。 仕方無い、今は彼女の優しい言葉に甘えよう。
「そうだな」