一:狼VS子豚
ザクッと小石をブーツで踏み鳴らし、俺は一つの小屋へと狙いを定めていた。もう、俺はあんな生活懲りごりだ。だから、俺は俺の力で人生を切り拓くんだ。たとえ、それに幾つかの犠牲が出たとしても。
視線の先にはチンケな藁の家が一つ。今から俺はあの家に侵入して食料や金品をかっさらう。俺は偽善ヤローな親父とも、狂ったお母とも、ウジウジした兄貴とも違うんだ。
「よしっ」
俺が一歩足を前へ出したところで、目の前にギラリと輝いた銀色の細長い物が現れた。心臓がバクンッと跳ね、出した足を元に戻してしっかりと銀色の物体の正体を確かめた。其奴は鋭く尖り、左右は良く研磨され、切れ味の良さが日に反射している事から理解出来た。狙うはサーベルか。
「私の陣地に踏み入れるとは良い度胸だな小僧」
確か左耳から聞こえて来た気がする。つか聞こえてきたんだけど、なんか殺気の様なものを感じてあやふやにしたくなってきた。ヤバイ、怖い。
「目も見ないか。余程の自信があると見た」
「無いです! すぐに見ます!!」
……プライドも糞も無ェ。体が勝手に横を向き、口が勝手に上下しやがった。
目を向ければ薄ピンク色の髪の、頭部に髪と同じ色合いの耳が生えた女性がいた。狼である俺の耳よりか断然小さいのに、何だこの威圧。見る限りメス豚だよな? ……何だ、この威圧。
「事情を話せ」
「偶然通りかかりましたです。貴女様の様なお美しい方の下とは露知らず、ハイ。陣地へと足を踏み入れるような真似、失礼致しましたであります」
「だったらそうだとさっさと言え。……ああっ、そうだ」
怪訝そうに眉の間にシワを作るメス豚はふと棒読みで大きく口を開けた。片手拳を作るともう片方の手を受け皿にさせ、ポンッと手を合わせて言う。
「隣に木製の家があるだろう? あそこにいるのはか弱きメス豚だそうだよ。道を通るのならば其方を推奨するね」
「本当か!? ……です、か?」
「ああ本当だとも」
メス豚はニコリと笑って頷いた。となれば金品も狙えるはず。木の家ならば住むのにも困らないし、むしろこんなボロい藁の家より断然良いじゃないか。俺も思わず悪い笑みが出る。口元を手で覆い、頭を下げると、俺は木の家の方へと軽やかな足取りで向かった。
草を皮の手袋で掻き分け、俺は一つの小屋へと狙いを定めていた。もうあんな生活は懲りごりだ。だから、俺は俺の力で人生を切り拓くんだ。たとえ、それに幾つかの犠牲が出たとしても。
視線の先には良さげな木の家が一つ。今から俺は中のメス豚を叩きのめし、食料や金品を貰い受ける。中のメス豚がさっきのメス豚同様綺麗な女性だったらついでに嫁として迎える。よし、完璧な計画だ。早速行こう。
「あ、あうぅ……あのぉ……此処、私のおうちなんですぅ……」
右から聞こえて来た声は弱々しく可愛らしい。ああ、当然すぐに見たよ。自らの意思で。
顔も超カワイイし体型はむっちりだし背は俺より小さいし目茶目茶可愛い子豚ちゃん。うん、メス豚って言うよりこの子は子豚ちゃんだ。家に留まらず彼女ごと襲いたいね、ええ是非とも。
「そうか。……だがんなこと関係無ェ! お前やこの家ごと俺の物にしてくれる!!」
「いやあああっ!!」
俺は彼女の胸に向かって急襲した。ところがどっこい! 彼女が可愛らしい悲鳴を上げた瞬間、俺の股の間に激しい痛みが走った。ゴフッと口から数滴の唾を吐き出し、俺はその場に倒れ込んでしまった。
「やめて下さいっ! やめて、やめてっ、やめてぇっ!!」
彼女は泣きながら地面に倒れた俺の腹の上に跨り、俺の頬を重点的に殴り始めた。こっちがやめて下さい!! と言いたいのに、言う間も無く泣きながら殴り続けられる。物凄い生き地獄なんですけども。あまりにも物凄い勢いで殴られすぎて、妙に冷静な自分が怖い。ああ、口からは先程よりもヤバイ赤い液体が流れてきた。もう死ぬのかもしれない。
・ ・ ・
それから十分くらい経ったのかな? よく分からないけど結構な時が経過した頃、やっと彼女が落ち着きを取り戻し、「ごめんなさいっ!」と泣きながらも急いで俺から離れてくれた。
「あうぇ……ごめんなさぃ……けれど、おうちは渡せないんですぅ……」
もじもじと出会った当初と変わらぬ様子で俺に言う。多分、此処で話し合いをしてみようとしても、話を聞かずにまた殴られるタイプなのだろう。可愛い顔して地味に力が強いんだよ彼女。男だよ、ちゃんこ鍋食いまくった男みたいな力持ってんだよ、力の基準は俺の偏見だけど。
それから数十分俺は痛みを自然に治そうと寝転がり、警戒心を示す彼女は怯えつつもずっと俺の下にい続けた。勇気があるのかないのかよく分からない子だ。
「ああぅっ、あのぅ……先程おうちを取ろうとしていましたが、相談ごとならばあのレンガの家にぃ……優しい方なのでぇ……すっ、すみませぇ……」
情報を提供してくれたのに何故か謝っている。彼女の場合、殴ったことに対する謝りと言うより、多分謝ることそのものがクセになっているのだろう。嫌なクセを持ってるなぁ。心が篭ってないから癪に障る。
「ひ、ひいあ……ひっ、ひぃです、隣の家行きます」
まだ頬の痛みは引かないし、多少言葉がおざなりでもしゃあない。それに彼女とまともに会話するのも怖くなってきたし……そもそもまともな会話に繋がらないから。そりゃあ俺がいきなり襲ったのも悪いが、あの手の場合、襲わずとも勝手に混乱してぶちのめしに来るであろう事が想像つく。
殴るまでは優しかった彼女が優しいと言うぐらいの相手だ、レンガの家の主は仏の様に優しい方なのだろう。だって、彼女と関わっているとすればお隣さんも俺同様数回殴られているはずだ。その場合、此処から越すか相手を殴り返すだろう。俺なら引っ越すけどね。すなわち、お隣さんは殴られても笑顔で大丈夫だと彼女を宥めていると言う事になる。本当に仏の様な方だな。俺なら本当に引っ越すけどね、なんせ相手は殴り返す余裕も無いくらいのジャブストレートフックをしてくるんだから。
カクッとよろける体を何とか立て直し、俺は一つの小屋へと狙いを定めていた。もう、あんな仕打ちは懲りごりだ。今は俺の力でどうとか言ってる場合じゃないから、真正面から話し合いに行こう。お隣さんに殴られたことを話せば手当てくらいはしてくれるだろう。仏の様に心優しいと聞いたから、手料理を振舞ってくれることも期待しよう。
ついでに、「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……ア・タ・シ?」みたいな展開も起こるかもしれないな。その際は一旦ご飯と言って焦らしてからの襲撃だ。これはこれは素晴らしい。
レンガ扉にはチャイムまでもがある。スイッチを押し、ピンポーンと軽やかな音が鳴ってから三十秒くらいくらい経過した所で、家主が扉を開けて出迎えてくれた。
「ご機嫌よう」
「は、はじめまして」
「それで、貴方様は何故こんな辺鄙な里へ?」
「え?」
包帯を巻き終え、「ふぅ」と可愛らしい声で一息ついたレンさんが顔を上げ、メガネをランプに反射させて俺を見た。錯覚だろうか? 奇妙にも彼女が俺を睨んでいた様に見えたのだ。
「何故って言われてもなぁ」
「言えない様な事情ですか? 例えば」
「こんな辺鄙な村だったら、俺でも一匹くらい襲って家を強奪することが出来るんじゃないか。とかな」
「へっ!?」
ヤバイ、思わず声が上ずった!! ……どころの話じゃ無いぞ。
今の言葉は、明らかに俺の後ろから聞こえてきた。それも、此処へ来て一番始めに聞いたメス豚の声! 咄嗟に振り返ると、其処にはサーベルを此方へと振り落とそうとするメス豚がいた、なんて説明してる場合じゃねぇっ!! 俺は急いで椅子から飛び退き、サーベルを避けた。その直後、なんと俺の座っていた椅子は真っ二つに。容赦ねぇ、本気で殺す気だったのか。
「まっ、これくらい動いてもらえないと此方が困るがな」
なんて言うメス豚はいやらしい笑みでサーベルを一舐めする。何が一番嫌って、アイツ俺を家畜を見るかの様な蔑んだ目で見やがるんだ。むしろアイツが家畜じゃないか!
「あらあらランちゃんってば、お転婆さんね」
お転婆と言うのは他人にサーベルを向けて笑っている異常者に対しても通用するのか!?
「ああ。私は昔からお転婆娘だったよ」
俺、落ち着いた口調で、それも自分でお転婆娘だっていう人初めて見たな!!
ランとか言うメス豚は、遠慮なく俺にサーベルを振り回す。知り合いの家だろうってのに、棚やその中に置いてあった如何にも高そうな酒瓶がみるみる破壊されている。けれど、どうやらこれでも手を抜いている方らしい。こっちは汗だくだってのに、あっちは汗どころか苦しい顔一つ見せない。いや、それどころか涼し気だ。
このまんまじゃ勝ち目なんて無いっつか、そもそもこっちはこの試合挑んだ記憶ねーよ!
「ったく。俺は此処で命を落とす気はねぇんだよ」
この状況じゃ勝ち目がないのはわかるが、イカレタお転婆娘ラン、そしてあの女神だとさえ感じていたレンさんは生憎傷負いの俺をナメまくっている。さっき子豚ちゃんにフルボッコにされた体を何とか奮い立たせて攻撃避けてんだからな。……此処で俺が唯一死を免れる方法、おわかりだろうか?
「どう見ても一匹狼に見えるのだが、お友達でもいるのかい?」
「んなモンいねーよっ!!」
言葉を返すとほぼ同時、俺は傍にあった暖炉の中の燃え滾る薪を数個取って、割れた酒瓶から飛び出したアルコールへと投げつけた。すると案の定、アルコールは火を呑み込み、そして更に火力を増していく。
「んじゃあな!」
二人は驚きを隠せない様子で辺りを見渡す。幾らレンガの家って言ったって、絨毯や木製の家具は其処ら中にあるからな。その隙に、俺は窓を突き破ってその場から逃げ出した。
「クソッ、待てっ! ……クッ、しくった!!」
「家は任せなさい、貴女はロンと一緒に彼を追うの!」
「了解!」
・ ・ ・
何とかあの場から逃げ出したものの、手やら服やらなかなか焼けちまった。折角ヒリヒリに耐えながら手当してもらったのに、結局またヒリヒリしてるよ。でも、服は肩全般と腰の部分や足に数箇所小さいのがって感じで焼けてるから、一種のオオカミファッションに見えなくもない。
「ふぃ~」
火の中にいたからか、いいや違う。冷や汗あぶら汗がだっくだく。拭っても拭っても流れてきやがる。ひとまず暗い森の中に身を潜めて呼吸を整えるが……寒い。肌寒い夜ってのと、この大量に流れる汗の所為か。風邪引いちまう。
「大丈夫ですか?」
暗い森の中、聞き覚えないの無いとても可愛らしい声が聞こえてきた。大丈夫ですかって……多分、俺に対してか?
「え、えっと……」
「待って、動かないで。傷だらけじゃない!」
ちょっと幼い女の子の声にすら聞こえる。可愛いその声の言うとおりに、俺は動かないでその子が来るのを待つ。可愛い声だからかな。ザクザクと草を踏んで進んでくる音すら、心地良く感じる。
「ああやっぱりね……貴方」
目の前までやって来ると、少し想像していたよりガタイが大きいその子。結構ビビる。何だか異様な悪寒を感じた俺は、ジリジリとその場から立ち上がろうとした。しかし、其処への、「動かないで!」である。それも可愛い声で。
怒鳴る途中、後ろから怯える声と腕を強く掴まれる衝撃を覚えた。ついでに、背中にギュッと当たる豊満な胸の感触も。
「あうっ、あうぅっ……ひぃ、ごめんなさぁ……」
「……子豚ちゃん。ってことは」
「一歩も動くんじゃねぇぞおおおおおおっ!!」
伏せていた顔を上げればあら不思議。さっきまで可愛い声を出していた女の子はイカレタお転婆娘ことランさんではありませんか、俺にサーベルなんか向けちゃって!!
なんて馬鹿なこと言ってるが、今の俺は逃げも隠れも出来無い。当然このメス豚のサーベルを避けることも。彼女のことだから勢いで後ろの子豚ちゃんの首まですっ飛ばしちまうなんてヘマはしないんだろう。死ぬのは俺だけか。
「……ま、いーや」
俺は呆れ笑いを零した後に静かに目を閉じ、意を決した。狩られる、意を。
別に、今まで人生を謳歌していた訳でも無いんだ。かと言って、絶望だってしてないんだ。
俺の親父は世の為人の為と、金持ちの家荒らして鼠小僧の真似事ばかりしていた。他人から見るその生き様は、さぞ可笑しかったことだろう。所詮不器用で単細胞な狼の考える善意なんて空回りするのがオチのテンプレだ。
なのに、親父は何時までも自分の犯している罪に気づかず、強盗って言う名の弱者助けを何時までも続けた。その所為でお母が幾ら狂った様に泣き叫んでも。
兄貴なんてもいたけど、アイツは駄目だ。お母を助けるわけでも無く、親父を止めるわけでも無い。アイツは無関心すぎる。俺? 俺はって言うと……。
「……ただの、弱虫だったんだっけな」
「……へっ……?!」
背後から微かに聞こえてきた子豚ちゃんの声に、俺はハッとした。死ぬって覚悟してたからかな、色々思い出しちまって、何か変なこと言っちまった。やべ、さっきの言葉思い出したからか、やたらドキドキする。
激しい動悸にムセちまった俺は、折角男らしくと思って上げていた頭を垂れ、必死に咳き込む。
「そうだろうな。貴様が弱虫であることは誰もが知っている」
「……に、を……っ!」
「力が無いが、悪知恵だけは多少。だがそれも、危機を逃れるが為に会得した弱いものの使う能力だ」
自覚しているはずなのに、何だか不思議と込み上げてくるイライラが爆発し、俺は顔を上げようとした。首にサーベルの冷たい感触が当たるまでは。
冷たく首の後ろを冷やすソイツによって、冷静さを取り戻したけど、そしたら今までの自分が嫌になったり、馬鹿馬鹿しく感じたりして。思わずケラケラ笑い声が出た。
「ひひっ……へへ、はははっ! 殺せよ、逃げ出した俺を、かっこ悪くて無様な俺をさっさと殺せよ!!」
「ぅうんっ……ら、らぁん」
「静かにしてくれ、ロン姉さん」
「あぅ……」
ランは子豚ちゃんの声に怪訝そうに顔を顰めた後、俺を見下して目を細めた。動きを止めていたサーベルがもう一度動き、背後の俺を締め付ける力が強まると同時に、俺はまた固く目を閉じた。
・ ・ ・
目を閉じてから、どれ程の時が経ったのだろう。激しい激痛も、感覚が薄れる意識も暫く経っても感じ無かったのだ。彼女のサーベルさばきが凄すぎて、痛みすらも感じさせなかったのかとも考えた。だが、目を覚ました俺は暖かな部屋の中で、分厚い毛布に包まれていた。
ぼんやりと意識の中、目玉だけを動かして事態を探る。此処は藁の家の様だ。暖かいが、暖炉は見当たらないし荒げる声も聞こえない。恐らく、賊に売り渡されたわけでも無いらしい。
「もう良いのか? あまり寝ていないだろう」
「え!?」
聞き覚えのある声に反応し、即座に飛び上がった。声の方へとくるりと振り返れば、目に映る人物に驚いた。
ランなのだ。あの時俺に確かにサーベルを向けていたランなのだ。薄ぼんやりな明かりのランプが天井から下げられたその下で、彼女は俺へ向けて手の平から炎の玉を出して、暖房代わりにパチパチと燃やしている。
「元気そうだな。治癒能力が高いとみた」
「何故俺を生かしたんだ」
首を触れても傷跡一つ無い。これは俺に対する同情? いいや、そんなことがあるはず無い。俺は彼女を同情させる様な過去を明かしていないし、そもそもこんな冷たい瞳をしたメス豚が、俺に同情なんぞを感じると思えない。
質問を聞くと、彼女は片腕で膝を抱えて俺の目を見る。俺の心の奥を覗き見るかの様に。やがて、穏やかな口調で彼女は答えた。
「私は、弱い者いじめをする気は無い」
彼女の言葉に、言葉を失った。
「私は、強く驕り高ぶる者を成敗し、弱く心優しき者を救済することを生き様としているのでな」
言葉を返せずにいる俺。彼女は、そんな俺に言葉を続ける。
「弱虫とは、人を傷つける勇気の無い者のことなんだ。そんなお前は強くは無くとも、良いヤツだとは思うぞ」
何でかわからない。だけど、彼女のその言葉で、沢山の涙が溢れ出た。