2:親睦会は曇り模様(1)
親睦会は体育館で行われた。
夕食はすでに済ませているので、並べられたテーブルの上にはスナック菓子とジュースが用意されているだけの簡素なものではあったが、部員たちはそれぞれの思惑を胸に秘めて心をときめかせていた。
喜美枝の短いあいさつが終わると、輝と梨花子はお目当ての三条の元へ駆け寄っていく。気が付けば、みちる以外の二年生の女子部員は皆三条の所へ集まっている。三条の周囲は女子部員であふれていた。三年生はすでにカップルができあがっており、清香はやはり斎藤といっしょにいた。一年生はというと、昼間の地獄の練習にグロッキーになっていて親睦会に参加する元気は残っていないらしい。これもまた恒例である。去年は例外もいたが。
みちるは誰もいないテーブル席に腰掛け、オレンジジュースの入った紙コップを片手にスナック菓子をつまんだ。
「あんな男のどこがいいんだか」
三条を取り囲む輝たちを見ながら、みちるは毒づいた。
三条からバスケットボールの情熱を感じたことがなかった。地位と名声を手に入れるためだけにバスケットボール部に入部したように思えた。上背がある分、体格的にはバスケットボール向きだし、プレイも下手ではない。それなりの実力もある。ただ人を蔑むような態度が気にくわなかった。
みちるはオレンジジュースを一気に飲み干すと、おかわりを注ぐ。
「お一人ですか?」
背後から掛けられた声に、みちるは一瞬ドキっとしてオレンジジュースをこぼしそうになる。振り向くと、紙コップを片手に持ったトレーニングウエア姿のジェイムスが立っていた。しかも、まぶしいくらいのさわやか笑顔を振りまきながら。
「えぇ、まあ」
みちるは目をそらして返事すると席を立ち、足早に壁際へと移動する。
ジェイムスと話をしているところを輝たちに見られたら後で何を言われるかわからないので、距離をおいておく方が賢明といえよう。
だが、みちるのそんな気持ちなど知るはずもないジェイムスはこちらへと歩み寄ってくる。
こっちに来ないでよ!
みちるは横目でジェイムスを追いながら、胸中で叫んだ。
「話し相手がいないのでどうしようかと困っていたのですが、あなたがいてくださって助かりました。青葉みちるさん」
ジェイムスの声が斜め後ろ四十五度の角度から鮮明に聞こえてくる。
みちるは輝たちの様子をうかがう。どうやら三条争奪戦に白熱していて、こっちにまで気が回らないようである。
みちるは安堵して型の力を抜くと、ジェイムスに向き直る。
「話し相手なら他にもいっぱいいるんじゃないですか、ジェイムス監督」
「よく見てください。荻野さんは入院しているご主人に電話を掛けに行ってしまいましたし、女子部員の皆さんは男子部員、特に三条くんの所に集結しています」
言われてみればその通りだった。カップル、三条グループ、後は女子部員に相手にされない哀れな男子部員諸君、としっかりとグループ分けされていた。さすがにブルーモードに入っている男子部員たちとはお話したくない。となると、一人でいたみちるの元へ必然的にやってくるしかないということになる。唯一一人でいたみちるもジェイムスに取られてしまい、男子部員たちのブルーモードにますます拍車がかかっていた。
みちるが呆れた顔をしていると、ジェイムスが同意を求めてくる。
「わかっていただけましたか?」
「な、何となくね」
みちるは壁に自分の背中を預けると、ジェイムスもその横に背中を預ける。二人の身長差は20センチほど。みちるの身長は171センチ。ということは、ジェイムスは190センチを越えているということになる。
「でも、ジェイムス監督なら女子が放っておかないでしょう?」
「どうも彼女がいると思われているらしく、誰も声を掛けてくれないのです」
「いないの?」
みちるは信じられないといった様子で目を丸くする。
「変ですか? やはり彼女はいませんと」
「まあ別にいいんじゃない。っていうか、前に派手な車で迎えにきた人は?」
「あの人は社長ですから」
ジェイムスは微苦笑する。
「そういえば、そんな風に呼んでたっけ。そっか」
無意味に安堵する自分に気付いて、みちるは頬が熱くなるのを感じた。
「それにしても驚きました。あなたが秀越高校バスケットボール部の部員でしたとは」
「あたしだって驚いたわよ。あの時のおにーさんが男子部の臨時監督として来るなんて」
「お客様のニーズに応えるのがわが社のモットーですので」
みちるはジェイムスからもらった名刺を思い出した。
「人材派遣会社って、こんなこともするの?」
「これはうちの会社だけだと思いますよ」
「ふーん」
この合宿所で再会を果たしてから、こうしてまともにジェイムスと会話するのは初めてだった。ジェイムスは年下のみちるに対しても敬語を使っている。おそらく癖なのだろう。しかし、これでは監督としての威厳はまったく感じられない。こんな調子で男子部員たちはちゃんと従ってくれたのだろうか。バスケットボールの実力は斎藤と互角のように見えたが。
他人事ながら少し心配になったみちるだった。
「そういえば、気になっていたんだけど。その名前って本名なの?」
「もちろんですよ」
みちるはジェイムスの顔を凝視した。
黒髪、黒目の極一般的な日本人の顔立ちをしている。どう見ても異国の血が混じっているようには思えなかった。
その視線に気付いたジェイムスは柔和な顔で小さく笑い声をもらす。
「よく勘違いされますが、ボクは純粋な日本人ですよ」
「じゃあ、その名前は……?」
「本当はちゃんと漢字があるのですよ。ただそれですと読みにくいと思いまして、便宜上カタカナにしているのです」
ジェイムスはズボンのポケットの中からシステム手帳を取り出して、メモ欄に何かを書き始める。そして、そのページを千切ると、みちるに渡す。
梵杜時瑛武梳
と、書かれている。
「まさか、これ?」
「そうです。漢字で書くとこうなります」
確かに普通では読めない漢字である。
「どうしてまたこんな名前を……」
「ボクの母がスパイ映画の大ファンでして、梵杜家に嫁いだ時から男の子が生まれたら絶対この名前をつけようと決めていたみたいです」
「兄弟はいるの?」
「残念ながら一人っ子です」
ジェイムスは破顔で答える。
みちるはそれを聞いて安心する。もし兄弟がいたらどんな名前になっていたのだろうか。ましてや男の子ではなく女の子が生まれていたら。そんなことを考えながら、みちるは青葉家に生まれたことを神に感謝した。もし自分の名前がそんな理由で付けられていたらグレていたかもしれない。
だが、ジェイムスはまったく気にしていない様子だった。
名前の事情さえ知れば何ら普通の人と変わりはない。バスケットボールのプレイ中もけっこうサマになっていたし、彼女もいない。となれば、このチャンスを黙って見逃すのも惜しい。しかし、輝たちに『興味がない宣言』をしておいてぬけがけするのも気が引ける。
みちるの中で激しい葛藤が始まる。
「でも、またお会いできて嬉しいです。電話をくださらないから諦めていたのですが」
何の前ぶれもなく唐突に言ってくるジェイムスの言葉に、みちるは口に含んだオレンジジュースを吐き出しそうになる。それを何とか飲み込んでゴホゴホと咳き込む。
「大丈夫ですか?」
ジェイムスは心配そうにみちるの背中をさすってくれる。
「そ、それってどういう意味で言っているの?」
「どういう意味かと言いますと」
「青葉!」
「みちるぅ!」
ジェイムスの言葉は輝と梨花子のすがるような叫び声にさえぎられた。二人の声を聞いて硬直するみちる。
輝が右から、梨花子が左から、みちるに抱きついてくる。思わず紙コップを落としそうになり、ジェイムスが気を利かせて紙コップを受け取ってくれる。
「ど、どうしたのよ、二人とも」
声が明らかに動揺していた。輝と梨花子は涙でうるんだ双眸をこちらに向けてくる。
みちるは二人に責め立てられるのを覚悟した。だが、二人の口から発せられたのは別の言葉だった。
「聞いてくれよ、青葉。三条の奴、ひどいこと言うんだぜ」
『三条の奴』と言った時点で、みちるは次の言葉が予想できた。
「『お前のような下品な女には用はない』なんて言ったんだっ!」
「私なんか『男に媚を売る色きちがい』って言われたのよぉ!」
輝と梨花子は口々に三条の悪言を言い始める。隣に立っているジェイムスは眼中にないといった感じだ。そして、当の三条はまだ女子部員に囲まれている。
「自分を何様だと思ってんだよ!」
「ホントホント。お金持ち以外は何の取り柄もないのにぃ!」
数分前まで三条への熱いラブコールを送っていた人間とは思えない豹変ぶりである。
「くやしーいっ!」
業腹な二人は声をそろえてみちるに泣きついた。
「だから言ったのに。輝や梨花子ならもっといい男が見つかるから……元気出してよ」
みちるは泣きじゃくる二人の頭をやさしくなでた。なぐさめるのはいつもみちるの役目となっている。
「男なんてもういらない!」
と、輝と梨花子。




