1:再会は嵐の予感(2)
「しっかし、今日の練習メニューはハードだったよな」
輝は早々にみちるの肩もみを止めて、ベッドの上にうつぶせで寝転がる。
みちるは輝の右足を軽く持ち上げてマッサージを始める。
「そうだね。二学期が始まったら何人が退部届けを提出してくることやら」
毎年のことだが、この合宿後には決まって一年生の中に数人の退部者が出る。それはこの合宿の厳しさを物語っていた。二年生になってレギュラーになった者でも厳しい練習に耐え切れずに退部してしまうくらいである。その地獄の練習に耐えられた者だけが秀越高校バスケットボール部に必要とされる。だからこそ、秀越高校バスケットボール部は過去に何度も全国優勝を成し遂げ、全国でも名を知られるほどの有名校になったのだ。
みちるは苦笑しながら、輝のふくらはぎを力強くもむ。
「痛いって、青葉!」
「神宮寺さん、かなりはってますねー」
「当たり前だろう! 足腰の鍛錬だって砂場を三百回ダッシュだぞ。その後は合宿所までフルマラソン。貴美枝監督は絶対Sだ!」
「あ、それ言えてるかもぉ」
同意する梨花子。
「まあまあ、疲れた体はあたしがもみほぐしてあげるから」
みちるはニコニコしながら輝に馬乗りになり、足全体を容赦なくもみほぐす。その度に輝が断末魔の悲鳴を上げる。みちるにとってその悲鳴はある意味心地よく、ストレスを解消してくれた。
「お、緒方も後でやってもらえよな」
輝は梨花子にも同じ苦痛を味あわせようと、みちるのマッサージを勧める。
「私はパスぅ」
梨花子は『おしゃれ七つ道具ポーチ』の中から美容液マスクを取り出し、顔に乗せる。
「あれぐらいでバテるような体してないからぁ」
そう答える梨花子に、みちると輝が絶句した。梨花子のあのか細い体のどこにそんなスタミナがあるのだろうか。もしかしてバスケットボール部で最強なのは梨花子ではないだろうかと思ってしまう今日この頃だった。
「それにぃ今日は新親睦会があるからぁ」
大きな口を開けてしゃべれない梨花子が小さく口ごもる。
寝食所が男子部と別のため合宿中にほとんど交流はなく、合宿最終日に行われる親睦会だけが部員たちの心の支えになっていた。
「何ーっ?」
輝が素っ頓狂な声を出して起き上がる。不意をつかれてみちるはバランスを崩してベッドから転げ落ちる。
「ちょっと、輝! 急に起き上がらないでよ!」
「このアタシがそんな大事なイベントを忘れるとは不覚だ!」
輝は拳を強く握り締めて雄叫びを上げていた。みちるの言葉など全く耳に入っていない様子である。
「おい、緒方。アタシにもそのマスクくれよ」
「残念でしたぁ。これが最後の一枚だったのぉ」
「じゃあ、それをくれよ」
「いやぁよぉ。輝じゃあ今更やったって手遅れでしょぉ。いつもお肌の手入れしていないんだからぁ。それに輝のチャームポイントは日に焼けた小麦色の肌なんだしぃ」
梨花子のごもっともな意見に、さすがの輝も反論できなかった。
いろんな意味で梨花子がやっぱり最強だね。
みちるは胸中でひとりごちた。
「あ、そういえば親睦会の準備はやらなくていいのかな?」
「毎年三年生が準備するんだってぇ。だから、私たちは呼ばれるまで自室待機よぉ」
「ふーん」
「何だよ、青葉。あんまり嬉しそうじゃないな」
輝は梨花子の『おしゃれ七つ道具ポーチ』の中から勝手にヘアスプレーを取り出し、髪型を整え始める。
みちるは今の男子部員たちと交流を深めようという気になれなかった。
「両監督が秀越高校のOBだってことは知っているよな? 何でも合宿中のイベントがきっかけで付き合うようになって結婚して幸せを手に入れたらしくてさ、毎年恒例のイベントになったんだよな」
「恋する気持ちがバスケのプレイに不思議なパワーを与えるって思っているみたいだしぃ」
「いや、それは違う気がするけど」
みちるは小声で否定した。
「青葉、あんたはこのイベントの重大さがわかっていないみたいだな。いいか? 普段あまり交流がない男子部の奴らとゆーっくりお話ができるんだぞ! しかも、今夜は無礼講で夜更かしもOKのお許しが出ているんだ! このチャンスを活かさずして、いつカレシをGETするってんだ!」
輝が鼻の穴を膨らませて力説する。
バスケットボール部内は基本的に恋愛は自由になっている。もちろん部員以外との恋愛も認められている。しかし、クラブ活動をしていると、どうしても相手とすれ違いが生じ、長続きしないのが現状である。そのせいか、同じバスケットボール部内で異性を求めてしまう傾向にあった。
「はいはい、去年もそんなこと言っていました」
すっかりカレシGETモードに突入している輝に、みちるの諦念は強くなっていくばかりだった。
「でもぉ、斎藤キャプテンはもう無理よねぇ」
梨花子が言っているのは、男子部キャプテンの斎藤貴俊のことだった。バスケットボールの実力が買われてスカウトされて秀越高校に入学してきたという、誰もが認める実力の持ち主である。容姿は目立って美形というわけではないが、社長子息でもあり将来を有望されているため、女子部員からの人気は絶大だった。
ちなみに輝と梨花子の去年のターゲットは斎藤だったが、見事に粉砕された。
「相手がうちのキャプテンじゃオール整形したって太刀打ちできないんもんな」
ガッカリと肩を落とす輝。
「それってウワサだけでしょ?」
「面と向かって『俺は真木くんが好きだから、君たちとは付き合えない』って言われたんだぞ。それにあの二人の雰囲気を見てればわかるだろう。ったく、青葉はまだまだお子様だな」
「お子様の輝にそんなこと言われるとは思わなかった」
輝に鼻で笑われ、負けずと言い返すみちる。
「でも、斎藤キャプテンに真木キャプテンはもったいない気がするんだけど」
女子部キャプテンである真木清香はバスケットボールが上手なだけではなく眉目秀麗であり、みちるたちの憧れの的だった。ポジションはセンター。女子部では一番長身で、みちるたちは『バスケットコートに舞い降りた女神』と呼んでいる。
「何を言ってんだよ。うちの部はキャプテンになれば好条件で有名な体育大学からお誘いがくるんだぞ。だから斎藤キャプテンの将来はもう決まったようなもんだろう。ってことは、真木キャプテンの未来もバラ色決定なんだよ」
「そこに愛はないわけ?」
「愛なんてぇ後からいくらでも生まれてくるわよぉ。でも、お金はそうはいかないものぉ」
みちるの突っ込みに、梨花子がシビアな見解を述べる。
「そういうこと! アタシも斎藤キャプテンみたいなカレシをGETするぞ」
輝は両手をしっかり握りしめて、どこか虚ろな瞳で銀河系の彼方を見上げていた。
みちるは頭を抱えた。
「ということはぁ、輝のターゲットは三条くんねぇ。彼、次期キャプテンってウワサされているもんねぇ」
「ぐっ」
梨花子のするどい指摘に、輝が言葉を詰まらせる。
三条光彦はみちるたちと同じ二年生だが、父親が代議士とかでそれを鼻にかけているところがみちるは嫌いだった。
「まさか、緒方も?」
「だってぇ、他にお金持ちがいないんだもぉん」
梨花子はマスクを下からゆっくりとはがしていくと、顔に残った美容液を手でやさしくなじませていく。
「緒方には竹ノ内みたいなのがいいんじゃないか?」
「えぇ? やだぁ。あの子、三条くんのパシリみたいだしぃ、将来お金持ちになるように思えないんだもぉん」
「顔は三条よりいいだろうが」
「だったら、輝が竹ノ内くんにすればいいじゃなぁい」
「いやだ! アタシ、軟弱者は大嫌いだ!」
みちるはしばらく傍観者となって、輝と梨花子のやり取りを見ていた。そして、ここにはいない竹ノ内直人に心底同情した。
「青葉、あんたは誰なの?」
輝の矛先がみちるに向いた。どうやら梨花子と話していても決着はつかないと思ったのだろう。
「あたし? 誰って言われても……」
「まさか、青葉も三条狙いか?」
輝の双眸がギラリと殺気を放ったように見えた。
「安心してよ。あたし、三条くんに興味ないから」
「ホントか?」
輝は猜疑心いっぱいの眼差しを向けてくる。
「悪いけど、今の男子部にあたしのタイプはいないから」
今度は輝と梨花子がそろって冷たい視線を投げつけてくる。
「な、何よ、その目は?」
「青葉、まずは己を知るっていう言葉を知っているか? そんなことだと去年の二の舞になるぞ」
確かに去年の親睦会でみちるたちは男子部員に声すらかけてもらえなかった。去年は慣れない地獄の練習のおかげで全身筋肉痛となり、そんな体に鞭打って引きずりながら参加した。あんな姿では声をかけてもらえないのは当然だろう。
輝は諦観のこもった表情を浮かべると、みちるの顔を凝視する。
「これが最後のチャンスかもしれないんだぞ」
「あのね、あたしにだって選ぶ権利ぐらいあるでしょうが!」
「ない!」
「なぁい!」
輝と梨花子がマッハで否定する。さっきまでいがみ合っていたというのに、こういう時だけ二人は意気投合する。やはり三人という奇数はむずかしいのだろうか。誰かもう一人を仲間に引きずり込もうかと真剣に思うみちるだった。
「もしかしてぇ、私たちが三条くん争奪戦をやっている時にぃ、みちるはジェイムス監督とうまくやろうなんて思ってるとかぁ」
梨花子はみちるのベッドに移動してくると、上目遣いに顔を近付けてくる。男ならばこの色香に間違いなく参ってしまうだろう。実際、梨花子にカレシがいないのは不思議なくらいだ。もっとも性格に難ありと言ってしまえばそれまでだが。
「またそうやって何でも結びつけないでよ。あたしはジェイムス監督にも興味ないから」
「みちるはまだ天道キャプテンのことが忘れられないのかなぁ」
「青葉、あの熱血青春バスケ男が好きだったのか?」
「そ、そんなことあるわけないじゃん!」
みちるは梨花子のするどい指摘に動揺を見せながら、輝の言葉を否定する。
男子部前キャプテンの天道透はみちると同じ中学校出身で、初恋の人だった。卒業後は県外の体育大学に進学している。
「だったらぁ、私が三条くんとうまくいっても文句は言わないわよねぇ」
梨花子は三条GETを想定してしゃべる。
それが輝にも伝わったのだろう。
「アタシにもな」
すかさず強調してきた。
「はいはい。燃えるのはいいけど、血の雨だけは降らさないでね」
みちるは本日三度目の超特大ため息を吐き出した。
「青葉さん?」
ドアをノックする音の後に、清香が顔をのぞかせる。バスケットボールのプレイ中はいつも一つに束ねている黒髪も今はほどかれていて、肩に当たる毛先がゆるくウェーブしている。
「あら、神宮寺さんと緒方さんもいたの? 親睦会が始まるから。そろそろ体育館へ行ってくれるかしら?」
「はい!」
待っていましたといわんばかりに、笑顔で答える輝と梨花子。清香は返事を確認すると、他の部員の部屋へ向かった。
「よっしゃー! 気合い入れまくるぞ!」
両拳を高々と振り上げて気合いを入れる輝の横で、梨花子は髪を結い直している。
みちるは窓の外に目を向ける。まだ十九時前だというのに、空はグレーの雲に覆われてどんよりと暗かった。
「いやな天気。雨、降らなきゃいいのにね」
みちるは誰にというわけでもなく呟いた。




