1:再会は嵐の予感(1)
「あーっ!」
青葉みちるは大声を上げずにはいられなかった。
「あ、あなたはあの時の……」
みちるは長身をトレーニングウエアに身を包んだ、端正な顔立ちの男性を指差した。
男は爽やかに微笑みを返してきた。
「青葉、静かにしなさい」
秀越高校女子バスケットボール部監督、荻野貴美枝は目尻のよった双眸を吊り上げて、みちるを威圧する。四十一歳の男勝りな貴美枝は体力が有り余っており、未だに高校生相手に本気で試合をする熱血鬼監督である。
「すみません」
みちるは肩をすくめて小さく謝る。
「では、改めて紹介します。入院した夫、荻野に代わって、今日から合宿の間のみ男子部の監督をしていただくことになったジェイムス・ボンドさんです」
「皆さん、短い間ですが、よろしくお願いします」
ジェイムスは恭しく頭を下げた。
「はぁ〜」
みちるはベッドの上で携帯ゲーム機のロールプレイングゲームをやりながら超特大のため息をついた。ゲーム画面ではパーティが低級モンスター二匹に遭遇して戦っている最中だった。
「ったく、どうして今頃になって痔の手術なんかするのよ」
みちるは剣士の技を選びながら、小声で毒ついた。
男子バスケットボール部監督の荻野忠通が持病である痔を悪化させたのは、合宿前夜のことだったらしい。そして、合宿所へと向かうフェリー乗り場で、みちるはジェイムス・ボンドと再会したのは十日前ことだった。
「よりにもよってどうしてあの人なわけ?」
剣士の繰り出された華麗な技によってモンスターが一匹消滅する。
「明日でお別れなのねぇ」
腰まである長い髪を二つに分けてくくっている少女が憂いの吐息をもらす。みちると同じく秀越高校二年女子バスケットボール部部員の緒方梨花子である。
「いつもは長く感じる合宿もあっという間だったよな」
髪を短く刈り上げた活発そうな少女は鼻息を荒くしてこの十日間を振り返っている。彼女も同じく秀越高校二年女子バスケットボール部部員の神宮寺輝。
梨花子と輝はもう一つのベッドの上に座り込んでいる。
三人は秀越高校バスケットボール部専用の合宿所の女子寮の一室にいた。今はみちるの部屋になっている。六帖部屋にシングルベッドが二つとクローゼットだけの簡素なものだったが、一年生の時に比べればずいぶんとマシだった。一年生の時は同じ間取りにベッドが三つ並べられており、窮屈な思いをしたのを覚えている。逆に三年生になれば同じ間取りでベッドは一つ。つまり個室が与えられるということになる。ちなみに今年の二年生は奇数だったため、都合上みちるは二人部屋を一人で有意義に使っている。――はずだった。
「やっぱ彼女とかいんのかな?」
「あのルックスだったらぁいたって不思議じゃないと思うけどなぁ」
「だよな。何か年上キラーって感じだし」
「そうかなぁ。案外ロリコンでぇ小学生くらいの女の子と仲良く手をつないで歩いていたりしてぇ」
「いいや! あのテの顔は絶対に年上キラーだ!」
「やっぱりロリコンよぉ」
「青葉は」
「みちるはぁ」
抗弁していた輝と梨花子がみちるの方を向き、
「どう思う? あの臨時でやってきたジェイムス監督のこと」
異口同音で聞いてくる。
みちるはこめかみをピクピクさせながら、ゲームに集中しようと心がける。
一人の夜を有意義にゲームして楽しく過ごそうと思っていたみちるだったが、こうして毎晩輝と梨花子が押しかけてきてはジェイムスの話題で盛り上がっていた。
秀越高校バスケットボール部専用合宿所は本土から十キロメートルほど離れた小さな孤島にあった。数年前にバスケットボール部員のお金持ちな父親が子供のためにと個人所有のこの島を合宿所にと提供してくれたらしい。海と森に囲まれ携帯電話も圏外となる退屈なこの大自然の中で、輝たちにとってジェイムスの存在が唯一の娯楽といっても過言ではなかった。だが、みちるにとっては迷惑以外の何物でもなかった。
ゲームの中では、パーティが古城の迷路に迷い込み、中級クラスのモンスターが三匹出現する。
「青葉、アタシたちの話を聞いてんのか?」
返事をしないみちるに痺れを切らして、輝がみちるのベッドに侵入してくる。みちるはベッドの端へと追いやられる。
輝は真っ黒に日に焼けた肌と男勝りな口調のおかげで男に間違われることも多々あるが、本人は全く気にしていない。逆にそれを自分のチャームポイントだと言い切ってしまうのだから大した自信家である。バスケットボールの試合が始まると、輝は『オフェンスの鬼』と化す。その口調と同様に常に攻撃的なプレイをする。ポジションはパワーフォワード。
「おい、青葉」
みちるは無視してゲームを進めていく。モンスターを倒し、古城の迷路をやっと脱出した瞬間。
ぷちっ。
携帯ゲーム機の液晶画面が一瞬にして真っ暗になる。どうやら充電が切れたようである。
「あーーーっ!」
みちるは絶望の悲鳴を上げた。
輝と梨花子のペースに惑わされて、充電をするのをすっかり忘れていた。しかも、今夜は一度もセーブしていない。
みちるは枕に顔を埋めた。
「だーっ、またあの迷路に行かなきゃいけないなんてー!」
「アタシたちの話を無視した報いだ」
嘆き悲しむみちるから輝は枕を奪い取ると、梨花子にチェストパスする。
「もぉう、輝たらぁ。そんなきつく投げないでよねぇ」
「あ、悪い悪い」
梨花子は昼間の練習で左手首をひねってしまいテーピングしていた。
「でも、みちるはいいわよねぇ。ジェイムス監督とはお知り合いだったみたいだしぃ」
梨花子が受け取った枕を今度はみちるに向かってショルダーパスする。おっとりした口調の中には明らかに皮肉が込められている。梨花子の夢は玉の輿に乗ることらしい。貧乏人とは交際する気にはなれないと言っては、告白してくる男どもを奈落の底へと突き落とす。色白で華奢な梨花子はアスリートに見られないらしく、試合の時は相手の意表をついて華麗なパスを披露してくれる。ポジションはポイントガード。みちるたちは『コートの小悪魔』と呼んでいる。
ちなみに、みちるのポジションはシューティングガード。『3ポイントの魔女』などと言われている。
「知り合いって程じゃないって、何度も説明したでしょう!」
みちるは梨花子がショルダーパスした枕を受け取る。輝と梨花子の非難の視線を浴びながら、今夜で十回目となるジェイムスとの出会いの経緯を話す。
約一ヵ月前の、あの雨宿りの出来事を事細かく。
「名刺、ホントに捨てちまったのか?」
と、輝。まだ疑いの眼差しを向けている。
「しつこいわね。会社の名刺だったから、すぐに捨てたって言ってるでしょう!」
「でも、携帯電話の番号も書いてあったんだろう?」
「もったいなぁい。私だったら絶対に捨てたりしないのにぃ」
「青葉もマヌケだよな。あの後、電話してりゃあ万が一にもあのジェイムス監督の彼女になれたかも」
輝は言葉を切って、みちるの顔をマジマジと見つめ、
「……ありえないか、そんな奇跡みたいなこと」
嘲笑した。
「そうよねぇ。私を差し置いてみちるにカレシができるわけないわよねぇ」
梨花子が止めを刺す。
「何言ってるの。この三人の中ではあたしが一番まともじゃない」
二人の毒舌に負けずと、みちるは発育途中の胸を張る。
「あんたさ、鏡見たことある?」
輝は嘆息すると、右手をかざす。すると、梨花子が『おしゃれ七つ道具ポーチ』からコンパクトミラーを取り出し、輝の右手に乗せる。輝はコンパクトミラーを開くと、みちるに顔を見させようとする。
「ほら、やっぱりね」
みちるは鏡に映る自分の顔を見て、その美貌を再認識する。
「一度、眼科でちゃんと診てもらった方がいいぞ」
「あ、私いい眼科知っているからぁ、帰ったら教えてあげるねぇ」
「いやーね、女の嫉妬って」
みちるは、ほーほっほっほと右手を口に当ててお上品(?)笑いをしてみせる。
輝と梨花子とは出身中学校は違うため、秀越高校バスケットボール部に入部してからの付き合いになる。性格は三者三様だが、バスケットボールが好きという共通点がこの三人を気軽に憎まれ口が叩けるような仲に進展させていた。夏のインターハイでは三人そろって初めてスターティングメンバーに選ばれて、嬉しさのあまり抱き合って号泣したくらいである。
「青葉、合宿が終わるまでにはちゃんとジェイムス監督の携帯番号とメアドを聞いておけよ」
輝は詰め寄ってくる。
「どうしてあたしが?」
「だってぇ、みちるが一番ジェイムス監督に話しかけやすいじゃないのぉ」
梨花子はそう言いながら『おしゃれ七つ道具ポーチ』の中からヘアピンを取り出すと、自分の前髪を留める。
「知りたいなら自分で聞きにいけばいいでしょう」
「それができないから頼んでんだろう。ほら、アタシってシャイだから、男の人を目の前にすると何もしゃべれなくなっちまうんだ」
「どの辺がシャイなわけ?」
「なぁ、アタシたち親友だろう?」
輝は慢心の笑顔を作って、みちるの肩をもみ始める。
「都合のいい時だけそう言うんだから」
「そんなこと言うなよ。な、緒方」
「そうそう。私だって手首を捻挫してなかったらぁ、特訓で疲れたみちるの体をもみほぐしてあげるんだからぁ」
「はいはい。あたしは優しい親友を二人も持てて幸せ者です」
みちるは皮肉ると、超特大のため息をもらした。
合宿に来てからは毎晩こんなやりとりを繰り返し、のんびりとさせてもらえないみちるだった。




