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ウルテリオルム・ルナエ  作者: 桜田駱砂 (さくらだらくさ)
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5 火星航宙演習

「配備が見送られたって、どういうことですか。」

 ガロイス宇宙港区内にあるブリーフィングルームの一室で、エンキドは制服の将校へ詰め寄っていた。普段のラフなつなぎ姿から、それがエンキドとすぐには気づかないほど印象が違うのは、月軍の士官用正装に身を包んでいるためだ。長身で均整のとれたエンキドのボディラインに、正装はよく似合った。

 美人のエンキドにきつく詰め寄られているものの、どこか見下したような視線でエンキドを見ながら将校は言った。

「見送られたものは見送られたのだ。私もこの決定に至る経緯の詳細までは知らない、イェンガ技術少尉。」

 イェンガ、エンキド・イェンガは、納得できないという抗議を全身で表しながら、なお詰め寄る。

「しかし・・・! 配備が取り消されたのはこれでもう三度目です。いったいいつまで待てば、新型が届くんですか。」

「いつまで待てば? 次の配備が決定するまでだ。私は決定事項を述べているだけだ。私へいくら詰め寄ったところで、結果は変わらないぞ。君もいろいろと準備があるのだろう。私はこれで失礼する。」

 将校はそれだけ言い残すと、その場に流れた険悪な雰囲気から一刻も早く逃れようとするかのように、足早に部屋から出て行った。

「その配備が毎回取り消されるから、こっちもイラついてるっていうのに・・!」

「まあ、しょうがないだろう、エンキド。ないものはないのだ。」

「踝教官・・・。」

 エンキドの背後から、同じく正装を着込んだ踝が言った。そうは言うものの、口を真一文字に結び、腕を組んだまま座るその姿からは、エンキドが感じているのと同じ、焦慮(しょうりょ)がにじみ出ていた。

 現在、踝達のいるコロリョフ基地には、訓練用として使用している旧式のOCM、ミンネジンガと同型の機体がわずかに存在するのみで、要求している新型機がいつまでたっても配備されない状況が続いていた。

 踝は、筋肉ではちきれんばかりの体躯をのそりと動かし、立ち上がりながら言った。

「本営も状況が厳しいのだろう。こちらまで機体を回す余裕がない、ということだ。モノがない以上、手持ちの駒でどうにかするしかない。」

「し、しかし、教官・・・。この前の、ニンギルス侵入もそうですが、OCMの不足は、この月の裏側においても致命的になるかと・・・。それに、この前の通達・・・。あの計画がそのまま実現するようなことになれば、やはり現状では厳しいのでは・・。」

「お前の心配は分かるが、やるしかないのだ。むしろ、お前にとって好機ではないか。」

「こ、好機・・・?」

 ぽん、と踝はエンキドの肩に手を置き、エンキドの顔がさっ、と赤く染まる。踝は含みをもった笑みを浮かべて言った。

「お前ができる限りのことをしろ、ということだ。多少のことには目をつぶる、と言っている。」

 踝の言わんとすることに気づいたエンキドは、ぱぁ、と表情を輝かせた。

「い、いいんですか?」

「ばらばらにならん程度にな。」

「は、はい!」

「よし。行くぞ、エンキド。ひよっこ共を待たせている。」

「はい!」

 かっ、という靴音も高く歩き出す踝と、もしも尻尾があれば全力で振っているであろう、うきうきとした足取りで、エンキドは後に続くのだった。


 移送中の機体と共に兵員輸送用トラックで移動する響達の前へ、ドック内に固定された巨大な戦艦がその姿を現し始めてた。

 須津城が、トラック後部の開放部から身を乗り出すようにして外を覗きながら、感嘆の声を上げた。

「あれがアスピディスケか。でけぇ!」

 三連ビーム砲塔を艦橋前部に二、後部に一。他、質量弾用副砲多数を装備し、後部二段甲板の下部がOCMの発進デッキになっているその巨体は、須津城でなくともその心をときめかせるに十分だった。

 須津城の下敷きになったような格好のまま、トラックの隅の方に座るエリオもその艦体を見つめていた。

「大きい・・。あれが・・・。」

 これから乗ろうとする艦の威容を前に、エリオも胸が熱くなる思いだった。サエラまでも首を伸ばして覗きながら、

「へぇ。まぁまぁじゃない。」

 と、まんざらでもない様子だ。

 しかし、興奮する皆の後ろで、ぴょこ、と顔を出す響だけが首をかしげている。

「あれって・・・?」

 響が妙な顔をしているのを見て、サエラが言った。

「どうしたのよ、響。これからあれに乗るのよ。悪くないんじゃない?」

「ええ。けど・・・。」

「けど、何よ?」

 サエラがそう訊く内に、トラックはドック前に停車した。わらわらと降り立つ訓練生達の後ろの方で、響はサエラに言った。

「L4方面軍旗艦のデルタベローラムよ、これ。」

「え? でも、私達が乗るのって、練習艦でしょ。」

「そうよ。だから、これじゃないわ、乗るのは。」

「これじゃないって、じゃあ、どれに乗るのよ。」

 そう言って、両手を腰にやるサエラは、須津城の出す大声に振り向いた。

「な、なんだ、ありゃ!」

 須津城が声をあげたのは、デルタベローラムの陰で見えなかった、ドックの最奥(さいおう)に停泊する艦を目にしたからだ。甲板の上からエンキドが呼んでいる。

「おーい! お前達、どっこ行くんだよぉ。こっちだよ、こっち。」

 艦体はデルタベローラムよりひとまわり小さく、何層にも塗り重ねられすぎた表面ペイントは、場所によって塗られた時期が異なるのか、斑模様となってしまっているし、それは、意図してそうしたわけではなさそうだ。艤装(ぎそう)の砲はレールガンやレーザー砲といったものではなく、すべて火薬(プロペラント)による質量弾の射出用で、どれも時代がかった骨董品にすら見える。夕陽の中にたたずむその船はさながら、小惑星に座礁して身動きの取れなくなった廃棄船、という様相を呈していた。

 エンキドが再び叫んだ。

「お前達で最後だ。OCMの搬入が済み次第、出航するぞー。急げ。」

 砂遠が、いまだぱっかりと口を開けて艦を見つめている須津城に言った。

「あ、あれに乗んのかよ。大丈夫・・か?」

「し、知らねぇよ。火星にたどり着けんのか、心配になってきたぜ。」

 須津城達の隣を歩き過ぎながら、響が言った。

「多分、大丈夫よ。」

 須津城は、

「大丈夫って、何を根拠に言うんだよ、尾野倉。」

 と、響の隣を歩きながら言った。

「メドン戦役の生き残りなのよ、この船。船齢は五十年を越えてるらしいけれど、機雷接触五回、対艦ミサイルの直撃にも耐え、沈まなかったのよ。一ヶ月の漂流の末、発見されて帰還したこともあったと聞くわ。」

「へぇぇ。尾野倉、お前、詳しいな。調べたのか?」

「調べたというか・・、ちょっと聞いたことがあるだけ。とにかく、運がいいのよ、この船。船体が古いといっても、何度も改装されてるだろうし、今さら火星に行くくらいで、問題が起こるとも思えないわ。」

「へっ。なるほどな。なら、まぁ大丈夫か。アスピディスケ様、どうか俺達を、無事運んでくれよ。」

 須津城はそう言って、アスピディスケを拝むように、ぱん、と両手を合わせた。

 そこへ、こんな場所で聞くのはおよそ場違いな、子供達の声が聞こえてくる。

「おぉぉ! すっげぇ、ぼろ船!」

「大丈夫かなぁ? だ、大丈夫かなぁ、お兄ちゃん。見つかったら・・・。」

「心配しすぎなんだよ、お前は、だーいじょうぶだって。見つかっても怒られるだけだよ、俺達子供なんだし。」

「・・・お腹すいた。」

 ちびっこいのが四人、きょろきょろと辺りを見回しながらやって来る。男の子三人に、女の子が一人混じっている。

 響が四人に言った。

「君達、何をしているの? ここは危ないわ。」

 一番身長の高い、兄と思しき子、恐らく長男だろう、の後ろに、他の三人は、ささ、と隠れる。長男は言った。

「姉ちゃんを探してるんだ。」

「姉ちゃん?」

 須津城と砂遠も何事かとやって来て、砂遠が言った。

「なんだ、こいつら? ちっこいな。」

 ガタイの大きい砂遠の顔を、四人は口をぽっかりと開けて見上げる。長男の後ろに隠れた、次男らしき子が、あっ、と砂遠を指差しながら言った。

木偶(でく)ちんのサトーだ。ちび助のスヅキもいる!」

「んが?」

「ち、ちび・・!」

 いきなり見ず知らずの子供におかしな二つ名で呼ばれ、砂遠と須津城はたじろいだ。そこへ、サエラが慌ただしく駆け寄って来て言った。

「ちょっと、あんた達、何やってんのよ!」

「あ、姉ちゃん!」と、子供達の表情が明るくなる。

「姉ちゃん?」

 須津城と砂遠は同時にそう言った。須津城は、ちび助などと呼ばれたショックから立ち直りきれないまま、サエラに言った。

「こ、このちっこいの、お前の弟達か?」

「そうよ。なんで、こんなとこに・・・。」

「こいつ、俺のこと、ちび助のスヅキとか呼ぶんだが・・。お前、学校以外で俺のことそういう風に言ってんの・・?」

「あ、ああ、はは・・。子供の言うことだから、気にしないでよ、須津城。」

「て、てめぇ、子供の言うこと、じゃなくて、お前がそもそもそういう風に言ったんだろー・・がっ!?」

 須津城が痛みに顔をしかめた。長男が、思いっきり須津城のすねを蹴り上げたのだ。

「姉ちゃんをいじめるな!」

 他の三人は、広げた両手の親指をそれぞれ鼻の穴につっこんで、指をひらひら動かして須津城を小馬鹿にしている。三人同時にやるものだから、屈辱度も通常の三倍だ。

「こ、このガキ共・・・!」

 サエラが弟達に言った。

「ほらぁ、やめときな、(つるぎ)。こいつを怒らせると、ねちっこくて後が面倒なんだから。」

「お、俺はねちっこくねぇ!」と、さらに須津城は怒りゲージを上げる。

 サエラは須津城と弟達の間に割って入るようにして、片膝を地面につけ、困ったような顔をしながら、少し強い口調で言った。

「何しに来たの。」

「ね、姉ちゃんの見送り・・。」長男と次男は、うつむきながら口々に言った。

「また、会えなくなっちゃうし・・・。」次女は、泣き出さんばかりに肩を震わせていた。

 末っ子だけが、指を口に加えながら、

「ネエちゃ。また、サンドイッチ食いたい。」

 と、旺盛な食欲を満たさんとして、直球の欲求をぶつけてくる。サエラは、学校では絶対に見せないような優しい微笑みを浮かべながら、四人に言った。

「すぐに帰って来るから、そんな顔しない。(つるぎ)嵯峨留(さがる)。ちゃんと二人の面倒見るんだよ。巳奈緒(みなお)駆卦留(かける)も、いい子にしてるのよ。」

 末っ子が、きょとんとした顔で言った。

「ネェちゃ。お土産はサンドイッチがいい。」

「はは。火星にサンドイッチはないけど、また持ってくからさ。ほら。」

 サエラが両手を広げると、四人はその腕の中にぎゅっ、と収まって、兄妹五人の抱擁(ほうよう)が完結した。

 見ていたエリオは、

「へぇ。蓑出にああいうところ、あるんだ。兄妹思いだね・・・。」

 と、誰へともなしに言った。

 サエラの兄妹四人は、姉に会うという目的も果たせたものだから、まだ名残惜しそうに何度も振り返りながら、その場を去って行った。

 兄妹達の後ろ姿をじっと見つめるサエラへ、須津城は茶化すように言った。

「心残りみてぇだな、お、か、あ、さ、ん。」

「誰がお母さんよ。」

「どう見たって、母親と子供達、みてぇな絵だったぜ。」

「父さんと母さんが留守がちだから、私が面倒みてただけよ。母親代わりにすらなれないんだから・・・。」

「あ、ああ、そうかよ・・・・。」

 からかわれたサエラが激しく反撃してくるものと構えていたのに、サエラが寂しそうにうつむいてしまうものだから、拍子抜けした須津城はそれ以上、何も言えなかった。

 ぽん、とサエラの肩に手を置きながら、響が言った。

「火星なんてすぐそばよ。二週間くらい、あっと言う間だわ。」

「・・・分かってる。」

 サエラは、皆から顔をそむけるようにして袖でこっそり目のあたりを拭うと、わざと明るい声を出して言った。

「ほら、行くわよ。遅れると、教官に怒られるわ。」

 OCMが次々と船体の中へ収まり、出航の準備が整いつつあった。響は、自機が格納庫内に固定されたのを確認してから、船尾楼甲板に上がってみた。周囲はもう既に暗くなりつつあり、宇宙港の天井はわずかに群青色の光を残すのみとなっている。アスピディスケの隣に鎮座するデルタベローラムが、ドックからの照明を受けて輝くその上の方で、人影が動いた。

 ブリッジの側面に張り出す物見台に立つその姿には、見覚えがあった。響のかけるEVでは、細部が分からないものの、それが「誰」なのか、響はすぐに分かった。無意識の内に大きく振りかけた手を思い留まって止めると、響は直立不動の姿勢をとり、その人影に向かって敬礼をする。

 人影は、響が甲板に上がってきたときからその姿に気づいていたのか、上からじっと響を見下ろしているが、返礼を返そうとはしなかった。やがて、そのままブリッジの中へ姿を消した。

 甲板へとつながる階段から頭だけのぞかせ、エリオは響に言った。

「尾野倉。ここに居たんだ。出航だよ。・・・誰かいたの?」

 エリオは、響がデルタベローラムのブリッジ部分をじっと見つめているものだから、不思議に思って訊いた。

「ええ。母が・・・。」階段に向かいながら、響が言った。

「母、って、尾野倉少将?」

「そう。」

「へぇぇ。乗ってたんだ。」

「L4方面軍の旗艦だもの。母が乗ってても不思議じゃないわ。ここにいるってことは、今、初めて知ったのだけれど。」

「ふぅん・・。挨拶、できた?」

「私が一方的に敬礼しただけよ。下りましょ。」

「あ、うん・・。」

 どことなく寂しそうな空気を醸す響に促されるまま、エリオは階段を下りた。

 船体各所の気密ハッチが閉められ、ドックとアスピディスケを固定する係留アンカーが、鉄の軋む音をたてながら外れる。

 アスピディスケの艦橋(ブリッジ)では、発進に伴う指示や復唱が飛び交っていた。

「ガロイス管制、こちらアスピディスケ。発進許可を求む。・・・・了解。艦長、発進許可、出ました。」

「離岸。前進微速適宜。」

「了解。アスピディスケ、離岸します。全アンカー解除。・・・前進微速。」

 アスピディスケは、夕闇に染まったガロイス宇宙港のドックを後にし、気密区画へゆっくりと、その船体を押し進めた。

「・・・気密壁、閉鎖を確認。船外気圧低下。・・・外壁、開きます。」

「進路、オールグリーン。」

 気密区画外壁の外は、既に茫漠たる宇宙だ。暗黒の空間の中で輝く星々のみが、かろうじて、暗然とした虚無ではなく、そこが星へとつながる海原であることを示していた。

「・・・・クリアード、ライトハウス。」

「目標、L2ラエルテス。X軸マイナス12・527度。Y軸プラス43・332度。アジマススラスター、稼働始めます。・・・・船軸、目標方向に固定しました。ラエルテスを経由後、火星へと進路変更します。」

「前進全速。」

「了解。重力子調整開始。慣性制御、入ります。総員、加速に備えてください。」

「・・・8、7、6、5、4、3、2、1、加速。」

 加速に備えろ、という艦内放送に、須津城達は緊張した面持ちで身構える。響以外、星間連絡船のような遠距離航行を行う船に乗ったことがなかったのだ。

 船尾方向に働く加速ベクトルが、艦尾から艦首方向へ向く人工重力によって相殺される。ただ、相殺までに若干のタイムラグはあるものだから、身体が軽く艦尾方向へ押し付けられる感覚があった。

 後方に広がっていたクレーターだらけの月の裏側が、見る間に小さくなって、拳大から砂粒くらいのサイズとなり、やがて、見えなくなった。

 生活のすべてがあった月が、あんなにも小さく光すら発しない冷たい衛星のひとつにすぎないことが、なんだか響には信じられなかった。アスピディスケの舷側にある窓から星々を見つめていると、そのひとつひとつは結局、お互いにとって意味のない輝きでしかなく。自らが身を置く星以外の存在が、意味のないものにすら思えてくる。星と星との間に広がる虚空は、あまりにも深く、広大だからだ。

 砂遠が、ほっ、と安心したように言った。

「管制制御つっても、大したことなかったな。加速の最初だけ、ちょっと身体が押しつけられる感じだったけどよ。これでもう、すげぇスピードで進んでんだろ。」

 響が窓から離れ、砂遠へ振り向いて言った。

「ええ、そうね。火星まで、五日、というところかしら。」

「便利なものよね。昔は、何百日もかかってたんでしょ。火星行き、なんていったらさ。」

 と、サエラが感慨深げに言った。

 須津城が、大きなあくびをしてから、砂遠とエリオに向かって誘いかける。

「なぁ。艦内、探検してみようぜ。どうせ、火星に到着するまで暇なんだろうしよ。」

「う、うん。」

「おぉ、いいな。行ってみようぜ。」

 と、三人が艦内探索に出かけようとした矢先、伝声管(```)から、艦内スピーカーではない、金属管の振動を通して声を伝達するというあの伝声管から、踝のくぐもった声が聞こえてきた。

「訓練生はブリーフィングルームに集合しろ。急げよ!」

 響達は顔を見合わせると、廊下を小走りに駆けた。

 響達がブリーフィングルームに入ると、ものすごい大声でもって出迎えられた。踝の声ではない。

「遅いぞ! 急げと言ったら死ぬ気で急げ、このこわっぱどもがっ!」

 叫んでいるのは老人だった。顔にきざまれた深いしわと、細身の身体は蓄積された年齢を如実に物語っていたが、ただ、目の鋭さと声の張りが尋常ではない。人間の贅肉やら欲望やらを削ぎ落とせるだけ削ぎ落とし、最後に残った魂的気迫、そのものみたいな老人は、着ている服からして、機関士のようだ。

 (わし)のような瞳で踝をぎろりとにらみながら、気合いの入ったその老人は言った。

「踝、貴様、訓練生達を甘やかしておるだろう。」

「いや、甘やかしてはいないが、源二(げんじ)にはかなわんな。どれだけ鍛えあげても、手ぬるいと言って聞かんだろう、どうせな。」

「ふん。この艦に乗ったからには、わしの基準に従ってもらうぞ。」

「分かっている。あんたの物好きは今に始まったわけじゃない。好きにすればいい。」

 こほん、と軽く咳払いをしてから、踝は集まった訓練生達に言った。

「今日から、諸君らには一時的に笹樫(ささがし)機関長の指揮下に入ってもらう。この艦のすべてに精通した方だ。OCMに乗れない間、しっかりと学ばせてもらえ。」

 学ぶって、何を? と疑問に思ったエリオの隣で、サエラが、ぴっ、と手を挙げた。

「なんだ、蓑出。」

「質問してよろしいでしょうか。」

「よし。」

「学ばせてもらえ、と教官はおっしゃいましたが、機関長殿から我々OCM訓練生は、何を学べばよろしいのでしょうか。」

 口を開きかけた踝の横から、遮るようにして笹樫が言った。

「すべてだ。気力、体力、精神力。戦場においてどんなに兵器が進歩しようとも、これらを欠いては戦に勝てん。この艦にいる間、お前達にはそれを学んでもらう。いや、学んでもらう、というのは語弊がある。嫌でも学ばざるをえないだろう。」

 笹樫は、にやり、と鳥類が獲物を前にくちばしを歪めて笑ったみたいな、凄絶な笑みを浮かべると、不安気な表情を浮かべる訓練生達の顔を、端から端まで見回すのだった。

 響達がアスピディスケの乗って三日。

 シャワーを浴びるサエラがうめき声を上げた。

「ぁぁあ。腕がぁー、上がんないんですけどぉ。」

 頭を洗おうと上げた腕が、ぷるぷると震えていた。連日の訓練、というか、整備なんだが、清掃なんだかよく分からないような、資材を運ぶだの、床を磨くだの、艦内船首から船尾までひたすら駆けずり回るだの、といったことを散々やらされ、その後ようやく入る機会を得た入浴だ。

 気持ちがいいのは確かだが、頭を洗う力さえ残っていなかった。サエラがシャンプーのついた頭を洗おうと格闘していると、突然、シャワーからの湯が止まった。

「え、嘘? なんで勝手に止まんの?」

 伝声管から笹樫の声が響いた。

「風呂はそこまでだ! 十分後までに食事を済ませろ。それを過ぎたらすべて片付けさせる。」

 響とサエラは顔を見合わせ、サエラは、どうすんの、これ、という顔をして泡だらけの自分の頭を指差した。響は、残念だけど、という風に首を振った。幸い、響の方は、髪と身体を洗った直後にシャワーが止まったものだからよかった。

 サエラは半泣きになりながら、シャンプーの泡ごと、タオルで頭を拭く。のんびりとはしていられない。笹樫は十分後までに、食事を済ませろと言うのだ。着替えて食堂に行くだけで、どんなに急いでも五分はかかる。残りの五分で、食事を終わらせなければならないのだ。

 響とサエラが食堂に駆け込むと、他の訓練生達は既に食べ始めていた。須津城、エリオ、砂遠の三人も、飢えた野獣が十日ぶりの餌にありついたかのごとく、皿の上の肉やら野菜やらを貪っている。

「急ぐわよ、響。」

「分かってるわ。」

 サエラと響も食事を始めた、というより栄養摂取大会に参戦したというべきか、かき込むようにして食べる。どうにか一皿分を食べ切ったところで、笹樫がやって来た。

「時間だ。就寝!」

 笹樫の号令の下、訓練生達は慌ただしく、部屋に戻って行く。二段ベッドが二つ並ぶ狭い部屋に帰るなり、須津城達はすぐにベッドへ潜り込んだ。だが、十分な睡眠を取れないのは、すでにこれまでの訓練で思い知らされている。夜間緊急呼集の演習だとして、何度もたたき起こされるのだ。

 その日も、就寝後数時間も待たず、呼集がかかる。部屋を出た須津城がげんなりとして走りながら、隣を行くエリオに言った。

「お前の知り合いが、火星行きの話をあまりしたがらなかった理由、分かる気がするぜ。」

「そ、そうだね・・。これだけきついと、話す気もなくなる、というか、思い出したくもないんだろうね。」

「ぐぁぁ! もっと、こう、修学旅行的なものを想像してたのに、この辛さだ。早く火星に着いてくんねぇかな。」

「もう少しの辛抱だよ。あと二日頑張れば・・・。」

「・・あと二日か。でも、帰りもあるんだろうな、これ・・。」渋い顔をして砂遠がうなずいた。

「だろうな。俺達、無事に月まで帰れんのか。」

 訓練生達と同じく、たいして寝ていないであろうはずの笹樫が、機関室へと続くハッチから顔を出して叫んでいる。

「お前らぁ! 遅いぞ。さっさと来んか!」

 笹樫の気迫にうんざりしながら、須津城がつぶやくように言った。

「笹樫の爺ぃ。あの元気はどこからくるんだよ。てか、本当に人間か? ロボットなんじゃねぇの。」

 砂遠が返す。

「知らねぇよ。あいつがロボットだろうが何だろうが、この艦にいる限り、逃げ場はねぇってことだけは、確かだがな。」

「そうだね・・。」おぼつかない足取りのエリオが、前途に横たわる苦難にめげそうになるのを、必死になって押さえながら言うのであった。


 火星。地球に住むことができなくなるという、人類未曾有の事態に際し、人は火星を第二の故郷とするべく、火星環境改造(テラフォーミング)を進めつつあった。希薄な大気の原因となっている惑星質量の軽さという問題、合わせて、液体の水の不足、この二点を解決すべく、大量の岩石や氷塊を火星に向けて射出。人工的な隕石群を降らせることによって、火星を「太らせ」つつ、海をも創り出してしまおうというこの遠大な計画の第一段階は、既に大詰めを迎えていた。

 低濃度酸素中においても育成可能な植物相を造り出せば、やがて、人類に適した大気も生まれる。火星表面の至る所に大型の隕石が落ちるものだから、現在、火星上に人が定住することはできないが、そう遠くない将来、入植者の第一陣が、地域を限定して住むことになるだろう。この入植者の第一陣を誰にするか、で地球と月はもめていた。

 拭いても落としきれない積年の汚れによってくもってしまった窓越しに、エンキドは火星を見ていた。時々、肉眼でも確認できるほどの爆発が火星上で起こっている。直径十メートルクラスの岩塊が落ち続けているのだ。

「あんなところに、人間が住めるのでしょうか・・・。」

 エンキドは、隣に立つ踝をちらちらと意識しながら、控えめな声で言った。

「住めるようにしているのだ。住むつもりがあれば住める。水と大気、最低限の物資さえあればな。お前は火星に住みたいか、エンキド。」

「私は・・。月が生まれ故郷ですし、月以外の惑星上に住みたいという願望は、あまりありません。踝教官・・は・・?」

「俺か。そうだな。地球に対する郷愁がないと言えば嘘になる。たとえ、このテラフォーミングが人類の泥臭い生存欲求の帰結にすぎないとしても、海と大地を再び目にすることができるならば、愉快であろうな。」

「海と大地ですか・・・。」

 エンキドには想像のつかない世界であったが、しかし、踝の見据える遠い先には想像上の波涛(はとう)や、赤茶けた大地が広がっていた。踝の横顔を見ているだけで、エンキドにも何となく、大地、海、という言葉に現実味を感じることができた。

「月生まれでは想像に難いだろう。手前勝手な郷愁に浸った。」

「い、いえ、そんな・・! わ、私も是非、見てみたいです、本物の海。」

「そうか。」

 踝は笑うが、その顔には深い陰が落ちている。

「誰もが見られれば、それがいい。だが、誰が火星に立つかで地球と月が争うなど、愚かなこととは思わんか。火星進出への足がかり、橋頭堡(きょうとうほ)として造り出した月都市の住民が、優先的に火星への移住権を得んとする気持ち、分からないではない。さりとて、地球に残っている人々が、このまま置き去りにされるのではないかと不安がるのも、無理からぬことだ。しかし、なぜそこで戦争か。結果、同じ人類が、住んでいる場所、生まれた場所が異なるという、ただそれだけの理由で、互いに争うこととなるのだ。愚かしいとは思わんか、エンキド。第二の故郷(ほし)を自分達の手で造りあげるという、全人類が追ったあの一つの夢、一体感は、いったいどこに行ってしまったのだ。俺は時々、軍に身を置く自らの存在意義を、疑問に思うのだ。俺はいったい、誰のために戦っているのか、とな。」

「教官・・・。」

「ふん。すまんな、エンキド。弱音を吐いた。」

 普段、鋼のように揺るぎない踝にも、そんな悩みがあったのかと、エンキドは驚いた。いや、踝がそんな悩みを自分に吐露してくれたこと自体が、エンキドにはたまらなく嬉しかった。

「弱音なんて・・・。生きている限り、誰だって言いたくなることがあります。それが・・・。」

 人間というもの、という言葉が、喉元まで出掛かった。だが、エンキドはそれを最後まで口にすることが、どうしてもできなかった。

 ぐ、と唇を噛み、エンキドはいきなり姿勢を正すと、仕事モードの口調に戻って言った。

「OCMの整備はすべて完了しています。訓練機、教官機共に、いつでも出られます。」

「よし。出るぞ。」

 OCM各機が、アスピディスケ後部ハッチより、次々と発進する。さながらそれは、久々に野へ放たれた犬達のように、空間へ向けて全速力で展開した。

 須津城が、泣き出さんばかりの声で、

「うぉぉ! ようやくOCM訓練だ! 笹樫の奴も、さすがにここまでは追って来れねぇだろ。」

 と、笹樫地獄のしごきから逃れた解放感にひたっている。

 ミノリ、棚花(たなか)三野裏の機体が、各OCMの最後尾から、そろりと艦外に出る。ミノリはこの宇宙空間というやつがどうにも好きになれない。ひとたびそこへ出れば、上下という概念が存在せず、その身がどこまでも落ちて行きそうな錯覚に囚われるのだ。

 ミノリ機のそばから、もう一機のOCMが通信をかけてきた。

「棚花さん、大丈夫?」

「大丈夫よ美代(みよ)。集中してるんだから、邪魔しないで。それより、あれ。うまくいった?」

「ええ。頼まれたこと、やっといたわ。でも、あれってどういう・・・?」

「あなたは知らなくていいのよ。せいぜい、楽しみにしておきなさい。面白いことが起こるから。」

「面白いこと・・・?」

「そうよ。面白いこと。」

 ミノリは、どこまでも落ちる虚空への恐怖を飲み込まんとして、ヘルメットの中で、強ばった笑みを浮かべていた。

 火星の周回軌道上、合流地点に集合したOCM訓練機を前に、踝の教官機が泰然(たいぜん)と、星の海のど真ん中で静止している。全機への通信チャネルを通して、踝の張りのある声が聞こえてきた。

「来たか。チームは既に伝えてある通りだ。α(アルファ)、β(ベータ)チームは各々、相手チームの殲滅(せんめつ)を目的として戦闘行動を行う。相手チーム機の撃墜はプラス10ポイント、味方機の被撃墜はマイナス20ポイントとする。つまり、味方が撃墜される方が、損失は大きいということだ。両チームとも、戦闘終了後、30ポイントに到達していない場合は負けとする。互いをフォローしろ。突出はするな。単機で戦況は変えられないと思え。最小の損害で、最大の戦果をあげろ。以上だ。・・・始め!」

 踝の合図と共に、各機が散開した。両チームとも、まずは距離を取る。味方がやられた時のマイナス20ポイントは大きい。相手を二機墜として、ようやく相殺される損失なのだ。ここは、いかに相手を倒すか、よりも、いかに味方がやられないようフォローしあうか、に重点を置かなければならない。αには、サエラ・エリオ、砂遠と、須津城がチーム内に属し、βチームには響がいる。

 タンデム式に改造されたコックピット内で、サエラは背後、斜め上に位置するエリオに言った。

「どう戦うのよ、エリオ。」

「うん。まずは様子見だよ。相手を撃墜するより、味方が墜とされる方が痛い。ここは、消極的でも・・・。」

 そこまで言いかけたとき、エリオはぎくりと前方を凝視した。βチームが動いている。それも、速い! βチームの一機が、他の二機を連れて鋒矢(ほうし)型の陣形(フォーメーション)を形成しつつ、α最右翼の一機を狙っている。他のβチーム機は猛然と援護射撃を始めていた。OCM用のライフルから発射されているのは、炸薬の減らされた軟頭弾だ。当たっても機体へのダメージはないが、五十発当たるとシステム上、撃墜フラグが立ち、戦闘宙域から離脱しなければならない。

 βの響は、戦闘が開始されるなり、有無を言わさぬ口調で他機に指示を飛ばしていた。

「β1からβ2、β3へ。ついて来て。残りは援護射撃。まずは速攻でαの左端を(ほふ)る。」

 同じくβ側のミノリが、即座に反論した。

「ちょっと、なぜ私達があなたの指示に従わなければならないの。あなた、いつからこのチームのリーダーに・・・。」

 だが、ミノリの反論は、指示を受けた二機からの声でかき消された。

「β2、了解。」

「β3、了解だ!」

 それらの声と同時に、響を先頭とした三機が、文字通り矢のように飛び出した。βチームの他の機は、三機への攻撃が集中しないよう、一斉に援護射撃を始めた。

「わ、私の言うことを・・・!」

 ぎり、と唇を噛むミノリだが、誰一人、ミノリの言葉に耳を傾けようとしない。美代がミノリに言った。

「だめみたいですね・・。後ろから尾野倉の背中、狙います?」

「・・・いや、やめておきなさい。ここはチームの勝利が優先よ。負けたらどんなペナルティを課せられるか・・・。」

 さすがのミノリも、笹樫によるこれまでのしごきには辟易(へきえき)としていた。ここで負けて、どんなペナルティが課せられるのか知らないが、これ以上しごかれたら、生きて月まで帰られるのか、怪しいとすら思っていた。ミノリと美代も、しぶしぶ援護射撃を開始する。

 α最右翼付近に位置する機体二機は、緊張感を欠いた様子で空間を漂っていた。

「おい、須津城。俺達のチームリーダーって、誰だ?」と、砂遠が少し離れた場所にいる須津城に言った。

「さぁ、知らね。決めてねぇんじゃなかったっけ。なんにせよ、この紅白戦、やられればやられるほど損てことは確かだ。」

「ってことは?」

「ってことは、やられねぇよう遠巻きにちくちくやりあって、βの奴らが隙を見せたら一機ずつ削る、が正解だな。」

「なるほどな・・・、って、須津城! 来るぞ!」

 砂遠が叫んだ時にはもう遅かった。

 響を先頭にした攻撃チームが、猛然とこちらに向かって突っ込んで来る。実際には、なりふり構わず加速する響へ、他の二機が遅れまいと必死になってついてきているといった方がよかったが、須津城や砂遠にしてみれば、そんなことはもはや、どうだってよかった。

「・・・やべぇ。」

 一瞬だった。迫り来る三機と須津城の機体が交錯しかかる瞬間、響のライフルから吐き出された弾丸が、須津城機の腹部を中心として命中する。発射した弾丸が全弾命中するという凄まじい正確さでもって、須津城は機体を撃たれまくった。速攻で撃墜フラグが立ち、けたたましいアラートと共に、お前は死んだ、的な赤文字のメッセージが、須津城の眼前でコンソール上に表示される。

 砂遠が応射しようと身構えたときには既に、βチームの三機ははるか彼方へ離脱していた。

「くっそ! 速すぎんだよ!」

 がん、とコンソールを叩きながら、須津城は悔しさをむき出しにして言った。

「今の先頭にいた奴、尾野倉か? 一発も外さなかった気が・・・。」

 あっけにとられて砂遠が言った。一撃離脱とは、まさにこのことだ。

 サエラは周囲の状況を映すレーダーを確認しながら、エリオに言った。

「ちょ・・! いきなり一機やられたわよ。」

「誰?」

「須津城の奴! あんの馬鹿・・・! どうせ、お互い遠距離からちくちくやりあって、隙を見て何機か墜とせばいいとか、そんなのほほんとしたこと考えてたんでしょ。」

「突っ込んで来た相手はどっちに行った?」

「ちょっと待ってよ・・・。来る。こっちに来るわ、エリオ!」

「どっち!」

「三時下方向! 回避!」

 サエラが叫び終わらない内に、エリオは機体を仰け反らせるようにして加速、後方へ宙返りするような機体運動を起こした。激烈な加速に伴う強力な慣性力が、簡易式の重力制御システムによって緩和されるが、それでも、息のつまるようなGにサエラは耐えた。

 直前までエリオ機のあった辺りを、弾丸が通過して行く。宇宙空間で発射された弾丸は、大気中での発射と異なり空気との摩擦による弾速減衰や、重力に引かれる下降といったものを起こさない。弾丸は、どこまでも直線に進んで行くのだ。

 後方宙返りをしたエリオ機のほぼ正面を、鳥の翼のように展開した三機のβチーム機が、高速度で通過して行った。

「・・くっ!」

 過ぎ去る三機目がけて、エリオがトリガーを引く。何発かが左翼に位置する敵機に命中したようだが、撃墜するには至らない。

「何なのよ、あいつら! あんな突撃するなんて、無茶苦茶じゃない!」

 サエラが勢い込んで言うが、エリオは冷静だった。

「・・いや、他のチームメンバーが、あの三機を分厚くフォローしてる。しかもあのスピードで飛び回られたら、照準も合わせにくいよ。剣と盾に役割を分担したんだ。あの三機は剣で、他は盾・・。こっちの態勢が整う前に、あんな攻撃しかけてくるなんて、さすがだよ。」

「感心してる場合じゃないでしょ、エリオ! あんなのに翻弄されたら、チームがずたずたよ! 既に一機やられてるわ。これ以上の損失は避けないと。」

 サエラは、αチーム各機宛に通信チャネルを開いた。

「α1から各機。βの三機が蹂躙(じゅうりん)しにかかってるわ。密集して弾幕を張る。ハリネズミ状態となって、近づけさせないようにするのよ。」

 エリオが、驚いたように前のサエラへ言った。

「α1って、いつから僕達が・・?」

「今からよ。それと。」

 窮屈なシートで首を仰け反らせるようにしてエリオの方を向き、サエラは言った。

「私達、じゃないわ。私が、α1よ。」

「え・・?」

「あんたと私が両方α1じゃ、指示系統が混乱するでしょ。私の言うことに従いなさいよ、エリオ。」

「わ、分かったよ。」

 サエラの迫力に気押されながら、エリオがうなずいた。

 通信機越しに、砂遠の大声が入ってくる。

「おい! 須津城がやられちまったぞ。そんで、α1って、お前、蓑出か? 勝手にリーダー気取ってんじゃねぇよ!」

「うるさいわね、砂遠! 誰かが指示しなきゃ、私達、烏合(うごう)のままよ。フォーメーション組んで動かないと負けるわ。勝ちたいのなら、文句言わないで!」

「うぬ・・! わあったよ!」

 砂遠も、そこは認めざるを得なかった。指示系統を持たない集団は脆いのだ。

 αチームはエリオ機を中心として球状に密集すると、響達三機に向かって盛んに応射を始める。

「動きに意志を感じる。誰かが指示を出したわね。」響は、集まったαチームを見ながらつぶやいた。

「β2、β3。一旦引くわ。」

「了解。」

「了解!」

 初動の突撃と同じく、響は鮮やかに引き始める。防御陣形を取った敵チームに対し、力押しは得策ではない。一機は既に墜としたのだ。目的は達成している。

 援護射撃を行っていたミノリにも、αチームの動きが見えた。お互いがボールみたいにくっついて、近づこうとする響達を斉射で追い払っている。

「防御に専念したわね。あれじゃあ、尾野倉も手は出せない。」

 美代は、そうつぶやくミノリへ迎合するように言った。

「ざまぁ見ろってやつですね。尾野倉、何もできてないじゃないですか。」

「でも、一機墜としたわ。これで私達はプラス10、相手はマイナス20ポイントよ。・・・。」

 ミノリには、この状況が面白くない。リーダー風を吹かせて突出し、何もできないままか、あわよくば一、二機墜とされてくれば、響の面目は丸つぶれだ。存分に笑ってやろうと思っていたのだが、首尾よく戦果を上げている。このまま戦闘が終了するようなことにでもなれば、βチームの勝利はほぼ、響一人の功績によることとなってしまう。

「あ、戻って来ましたよ。」

 美代の言うように、響達三機がこちらに引き上げてくる。相手が防御に専念したものだから、無理に押すことを避けたのだ。

「冷静ね・・・。」

 あの冷静さも、ミノリの気に食わない。調子に乗って、深追いしたりはしないところへますます腹が立った。

 βチーム援護班とも呼べるミノリ達のところへ戻った響は、チーム各機に状況を伝えた。

「αは防御陣形を取って固まったわ。一機は墜としたから、アドバンテージは私達にあるけれど、まだ目標ポイントには到達していない。」

 ミノリが、響に対してつっかかるように言った。

「それで、どうするのかしら、尾野倉さん。たった一機墜としたくらいで、いい気にならないでほしいわね。私達の援護がなかったら、あなた達三機ともやられていたかも知れないのよ。あんな突出、無茶よ。」

「いい気にはなっていないわ。先制で相手の出端(でばな)をくじくのに、一定の効果はあったと思っているわ。」

「・・くっ。でも、あんな奇襲、もう通用しないわ。しっかり防御を固められてしまった。」

「ええ、そうね。でも密集陣形を取ったということは、目標が一点に集中したとも言えるわ。これより、三班に別れて三次元十字砲火を()く。βレッド、βブルー、βグリーンと各班を呼称し、レッドは私が率いるわ。」

 まただ。またこいつはリーダーぶる、とミノリが眉間にしわを寄せたところへ、響が間髪を入れずに言った。

「ブルーのリーダーは棚花さん、あなたにお願いするわ。」

「え?」

 唐突に指名されたものだから、ミノリは驚いた。ミノリは尾野倉のことを嫌っていたし、嫌っていることを隠すこともなく、その嫌悪感をぶつけてきた。だから、当然尾野倉も、自分のことが嫌いだろうと思っていたのに、分けたチームの一班を自分に任せると言い出すのだ。ミノリはとっさに、響の思惑の裏を読もうとしたが、どうにも理解ができない。ミノリは思わず、口に出して訊いてしまった。

「どういうつもり・・・?」

「どういうも何も、棚花さんが適任だと思ったから。よろしくお願いするわ。」

「あ・・ええ。」

 裏も何もない。適任だと言い切られて、ミノリはそれ以上言葉を返せなかった。

「グリーンは瀬利(せり)君、お願い。」

「おう。任せてくれ。」

 β3として最初の突撃について行った瀬利(せり)久那原(くなはら)が、体育会系らしい爽やかな声でもって、返事を返した。

 響は三班の配置を素早く指示すると、先陣を切って展開を開始した。

 戦闘宙域から少し離れた場所で、戦況を見守る踝の機体へ、アスピディスケから通信が入った。

「踝教官、状況はどうですか。見た所、βチームが優勢なようですが・・・。」

「エンキドか。ああ。βの運びは悪くない。リードして戦況を推移させている。」

「尾野倉、ですか?」

「そうだ。あいつが率先してチームを率いている。戦術の組み立ても悪くない。ふふふ。無理を言って引いた甲斐があるというものだ。」

「戦術のセンスは、尾野倉少将譲り、ということですか・・・。」

「センスということもあろうが、本人もだいぶ努力はしているようだ。親の七光りなどと呼ばれたくはない、という反骨の表れかも知れんな。」

「そうかも知れませんね。αの方でやられたのは、須津城、ですか。」

「そうだ。迂闊(うかつ)な奴よ。よもや自分が襲撃されることはないだろうという油断、慢心があのような結果を招くのだ。たっぷり絞ってやる必要があるな。」

 踝はそう言って、再び戦況に見入った。レーダー上では、密集防御陣形を取るαチームに対し、βチームが三グループに別れて、挟撃をしかけようとしている。

 これは、一方的な展開になるか。踝は腕を組みながらそう思った。

 初撃でやられた須津城は、のろのろと戦闘宙域から離脱しつつあった。

「くっそー・・。尾野倉の奴、いきなりかよ。もう少し手加減してくれたっていいのによぉ・・。って、それはねぇか。あの尾野倉が、こういう勝負ごとで手加減なんか、するわけねぇもんな。」

 ぼやきながら須津城が操縦していると、一瞬、表示されているコンソールにノイズが入った。「? 太陽風・・か? こんなところでも影響がでるのか・・?」

 火星は、地球や月よりも外側の公転軌道上を回っている。こんなところにまで、電子と陽子からなるプラズマ、属にいう太陽風が影響を及ぼすのかと不思議に思ったが、たいしたことはなさそうだった。機体コンディションは正常を示している。

 遥か彼方に輝く太陽を須津城が見つめていると、黒い点のようなものが二つ、浮かび上がっていることに気づいた。太陽の黒点・・・? でもなさそうだ。物体の接近を示す、レーダー上の反応もない。

「何だ、ありゃ?」

 須津城が光学レンズでズームアップしたとき、突然、システムがダウンしたことを示すけたたましいアラートがコックピット内に響き渡った。

「何!」

 ECMだ。それも対艦用の強力なタイプだ。OCMの簡易な対ECM防護ではひとたまりもなかった。機体制御系、火器管制系、索敵系システムが次々とダウンして行く。

「くそっ・・! 敵かっ!」

 ズームアップした二つの点は今や、はっきりとその輪郭を見せていた。全体的に鋭角なラインで構成された、騎士を思わせるデザインは、ニンギルスだ。肉眼で視認できるほど接近しているのにレーダーで補足できなかったことが、ステルス性の高さを物語っている。

 ニンギルスのパイロットが僚機に有線通信を入れる。

「月の野郎を確認しました。大尉、私にやらせてください。」

 若い女の声だった。敵を狩らんとする、たぎるような高ぶりが、声からにじみ出ている。

「ああ。好きにしろ。ただし、前回のように(もてあそ)ぶなよ。」

「は・・・。」

「分かったな、針谷(はりたに)。」

「は、はい。分かっております。」

 針谷、と呼ばれたパイロットは、もう一人のパイロットの、冷たい威圧感をもった声にうろたえながら、返答を返した。

 須津城は焦った。敵は二機。こちらは訓練用の軟頭弾が入ったライフルしか装備していない。このまま戦闘になっても、勝ち目がないのは明らかだった。

「訓練用のライフルじゃどうしようもねぇな。となれば・・・。」

 機体コントロールをマニュアルに切り替えた須津城の機体は、ゆらゆらとおぼつかないながらも姿勢を整えると、フルスロットルでその場を離脱しにかかった。

「逃げる!」

 どっ、とメインロケットを吹かし、猛然と加速を始める須津城機へ、しかし、針谷のニンギルスが高出力レーザーを放った。

「逃がすか、ぼけぇ!」

 最高出力で放たれたレーザーは、須津城のミンネジンガを斜めに貫いた。

「うあっ!」

 かろうじてコックピットへの直撃は免れたが、背部のエンジンをやられている。被弾の衝撃で進路が変わったまま、それ以上の加速ができない。

 針谷が、身体の芯から湧き立つような快感に身をしびらせながら、須津城機へとどめを刺さんと急速に接近してくる。

「ぁはっ! はははっ! ははははは! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、死んでしまぇぇっ!」

 踝は、自機のコンソールや各モニター上に一瞬ノイズが入ったのを見逃さなかった。太陽に近い側となる重力拮抗点、L1ハリテルセスの宇宙気象台から、太陽風の警戒警報は出ていない。特定の機器ではなく、全機器で同時にノイズが走るのは、ECM展開時の特徴だった。

 嫌な予感がする。踝は緊張した声でアスピディスケに通信を入れた。

「こちら踝だ。嫌な予感がする。パック射出の許可を。」

 間髪を入れず、低いが澄んだ声が返る。副長、藤倉(ふじくら)美佐乃(みさの)だ。

「先ほどのノイズですね。こちらでも確認しました。ウェポンパック射出の許可は既に出してあります。」

「仕事が早いな。エンキド、聞こえているか。」

「はい! 聞こえてます。いつでもいけます!」

「よし。出せ。」

「了解!」

 アスピディスケの後部から、細長い直方体の箱が勢いよく射出される。スラスターで自律制御されながら、一直線に踝機へと向かった。その直後だった。ECMによる強力な電磁妨害が展開され、踝のコックピット内にアラートが響く。既にフルマニュアルモードへと切り替えていた踝は、光学式のモールス信号を各訓練機に送った。もはや無線での交信はできない。

 βチームに三方を囲まれ、明らかな劣勢に置かれていたサエラとエリオだが、突然のシステムダウンに動揺していた。

「ちょっと、どういうことよ!」

「ECMだ!」

「ECって・・、αの奴らが使ったの?」

「いや、ここまで強力なのは、対艦用のECMだよ。僕達同様、彼らだってそんなもの装備してない。」

「じゃ、じゃあ、誰が・・。もしかして、敵?」

 サエラの脳裏を、学校の訓練場で襲撃された時の緊張と恐怖がよぎる。

「うん。そうかも知れない。」

「ど、どうするのよ・・!」

 泣き出しそうなほどうろたえているサエラに、エリオは冷静なまま言った。

「落ち着いて、蓑出。今回はアスピディスケも、教官もいる。そう簡単には・・。」

 エリオとて、心臓の鼓動が早まり、緊張のあまり手は汗でべっとりとしていたが、無理矢理平静を装ったのだ。そうでもしないと、この機体ごと、恐怖に飲み込まれてしまいそうだった。

「わ、分かってる・・。」

 そう口ごもったサエラが、突然、息を吞んだ。

「どうしたの?」とエリオが訊く。

「教官機からモールス!」

 サエラに言われて見ると、確かに、踝の機体腹部あたりが明滅している。

「テキ、シュウゲキ。ゼンキ、タイヒセヨ。」

 サエラが、明滅するモールス信号を読み上げた。

「退避だって、エリオ!」

「了解。アスピディスケまで後退する。」

 エリオ、サエラを含むチームメンバーは、アスピディスケへ各自後退を始めた。

 レーザーの直撃を受けた須津城は、アラートの嵐の中、きりきりと回転する機体の中で恐ろしいほどに冷たい冷や汗を感じていた。呼吸が浅い、と自分のことなのに、まるで他人事のように思う。まだ機体は墜ちていない。だが、次の瞬間にはOCMごと木っ端微塵に破壊されるという強烈な予感が、須津城の意識を薄れさせて行くようだった。

「くそっ!」

 須津城は、自分を励ますように悪態をついた。こんなところで死んでたまるか。自分の人生は、まだ何も始まっていないという思いが、須津城をこの宇宙につなぎとめている。

「死んでたまるか・・・!」

 須津城はつぶやいた。

 機体のパランスを失い、それでも逃げようとする須津城の機体を見ながら、針谷は押し寄せる快感に身悶えする思いだった。逃げようと必死にあがく相手にとどめの一撃を刺す。生殺与奪の権利を握った者だけが感じる、圧倒的な征服感。相手の命を自らの手の内に収めているという実感は、僚機のパイロットが持った懸念を現実のものとした。

 須津城機へのとどめを、針谷は遅らせたのだ。もう少し、少しだけ、この愉悦(ゆえつ)に浸っていたいという熱い欲望が、トリガーを絞る指の動きをほんの数秒、鈍らせた。

 次の瞬間、針谷のニンギルスを一群の弾丸が襲った。軟頭弾ではない、実戦用の弾丸だ。激しい衝撃が針谷機を揺さぶる。

「何っ!」

 (たの)しい狩りの時間を邪魔された針谷は、いらだたしげに弾丸の放たれたと思しき宙域に目をやった。見ると、重武装のミンネジンガが猛然と突っ込んで来ている。背後に背負う噴射光の大きさが、機体性能上の限界出力を出していることを物語っていた。

「邪魔をするなっ!」

 追い払うかのように針谷はレーザーを発射するが、当たらない。

「!」

 重装のミンネジンガは、連続して放ったレーザーを次々とよけている。

 当たらないわけがないのだ。銃口を発した強力なレーザー光は、文字通り光速で目標に到達する。ロックオン状態でレーザーが「発射されてから」よけることは不可能だ。重装ミンネジンガのやっていることは、レーザーが発射される直前に、軸線上から逃れているのだ。簡単にやっているように見えるが、よほどの経験と勘の良さがなければ、実践することはできない芸当だった。

 次々とレーザーをよけながら、重装ミンネジンガの踝は、にやり、と相好を崩した。

「そんなものが当たるか、このひよっこがぁ!」

 この緊張。この高揚。踝が軍を離れないのは、いや、離れられないのは、これらの感覚を骨の髄まで味わってしまったからだ。これほどまでに生きているという実感を、残念ながら踝は戦場以外に見出すことができなかった。

 ガトリング砲の猛射を浴びせながら、鬼のごとく突進してくる踝機に、針谷はひるんだ。踝機の挙動には、一点の迷いもない。自分を粉砕しようと、猛烈に接近してくる冷たい無機質の機体から、激しい殺気すら感じた。

「ちっ。」

 と、針谷僚機のパイロット、四國(よつくに)は舌打ちした。さっさととどめを刺せと釘をさしておいたのに、これだ。

 四國は、針谷からの攻撃をよけた瞬間の踝機へ、狙い澄ました一撃を浴びせる。かろうじて射線から逃れる踝だが、わずかにレーザーが肩のあたりをかすり、突進の勢いが弱まった。通信用の有線ラインを針谷機に飛ばし、四國は言った。

「針谷。」

「は、はい、四國大尉。」

「貴様、とどめを刺さなかったな。」

「・・・は・・い。しかし・・、もう一瞬早ければ・・!」

「黙れ。」

「う・・・。」

「貴様には落胆した。俺の命令を聞かないつもりなら、隊から外す。」

「そ、そんな・・! 大尉、それだけは、どうか・・!」

「嫌なら行動で示せ。次はないぞ。」

「も、申し訳ありません、大尉・・。」

 須津城を狙っていた時の獰猛な威勢は影をひそめ、意気を落とした声で針谷は返した。

 狙いを定めていた機体とは別のニンギルスから攻撃を受けた踝は、機体軸をずらして直撃を避けたものの、自機の肩のあたりにダメージを負ったことを、機体の振動から感じた。

「ふん。もう一機はやるようだな。」

 二機を同時に相手とすることは、踝にとっても容易ではない。だが、訓練生達の武装を交換して、指揮下に入れる時間的余裕はなかった。敵の目的が威力偵察なのか、それとも単なる不期遭遇なのか分からないが、ここで食い止めなければならない。

「上等だ。相手をしてやろう!」

 この程度の状況でひるむ踝ではなかった。ランチャーからのロケット弾で牽制しつつ、ガトリング砲を撃ちまくる。ひらひらと、まるで蝶みたいに攻撃をよけながら、四國と針谷は連携し、踝への攻撃の手を緩めなかった。

 βチームはαチームと同様、一旦アスピディスケまで後退を開始していたが、踝機が二機のニンギルスと戦闘状態になったのを見て、響は突然、戦闘宙域へと引き返し始めた。

 ミノリは、通信が途絶している状態なのも忘れて響へ呼びかけた。

「ちょっと、どこに行くつもり? 撤退の命令が出ているのよ。あなたの機体は・・・。」

 響からの応答があるわけもなく、ミノリは、呆気にとられながら、響の機体の後ろ姿を見ているしかなかった。ミノリの手に、じわりと冷や汗が浮かぶ。

「何を考えているのかしら、あいつは。武装もないのに、どうするつもりなのよ・・。」

 この先に起こりうる事態を思うと、さすがにミノリも焦った。せいぜい、訓練中に痛い目を見せて、恥でもかかせようと思っていたにすぎないのだ。実戦が始まってしまうなど、完全にミノリの予想外だった。

 響の機体を引き止めようと手を伸ばすが、それも遅い。響は急激に加速すると、踝のもとへと向かい始めていた。

 踝機と二機のニンギルスの戦闘は、激しさを増していた。ニンギルスのレーザーとミンネジンガの質量弾では、弾速に天と地ほどの差があった。しかし、踝は敵の動きを予測しながら、あらかじめ弾幕を張っていた。針谷と四國にとって、敵弾をかわしたと思った先に弾幕が待ち構えているのだ。やりにくいこと、この上ない。ことに、針谷は徐々に被弾しつつあった。

「くそっ! 小賢しい奴!」

 そう悪態をつく間にも、ががん、という鈍い振動と共に、脚部スラスターの一部が破損したことを示すアラートが上がった。ガトリング砲からの弾が命中したのだ。

「このくされ&%#がっ! お前なんか、$%##を&$%$し#$#%$%&%##%$&%$やがれっ!」

 放送禁止用語連発の口汚い罵りを浴びせながら旋回と射撃を繰り返す針谷だが、視界の端にふらふらと移動するミンネジンガを捉えた。最初に致命的なダメージを与えた奴だ。

 にぃい、と針谷の口角が押し広がる。踝との戦闘の鬱憤を晴らすかのように、突如機体を反転させると、針谷は一気に増速しながら須津城の機体に照準を合わせる。

 二機のニンギルスからの攻撃をさばきつつ、相手を牽制する踝だが。いきなり、あらぬ方向へ移動を開始した一機を不審に思い、その不審はすぐさま、嫌な焦燥となって踝の中に湧き起こった。

 最初に致命傷を負った須津城をやるつもりか・・・!

「ちっ。」

 舌打ちしながら須津城のフォローに回ろうとする踝だが、眼前のニンギルスがそれを邪魔する。須津城を追った奴とは違い、目の前の奴には隙がない。こちらの一挙手一頭足を、揺るぎなく監視されているようなプレッシャーを感じるのだ。迂闊に動けば、こちらが危うい。

 針谷は、目前に迫る須津城のミンネジンガに対し、振動ブレードで斬り掛かろうとしている。

「はぁぁぁあ! 今度こそ死ね!」

 ()った! 勝った! 奴は死ぬ。私は生き残る。生き残る者と死に行く者。この両者の間にある圧倒的断絶と、生き残る者の側に立つ凄まじい優越感に、針谷は頭の芯がしびれるほどの、激しい快感を感じていた。

 振り下ろした振動ブレードが、須津城機を両断するはずだった。両断された敵機のイメージが、残像のように脳裏をよぎったほどだ。だが、いつまでたっても眼前の機体は真っ二つに割れない。

「!」

 見れば、くるくると回転しながら、右後方の空間の、深い闇へと落ち込んで行くものがあった。とっさにそれが何か、針谷には分からなかったが、よくよく見れば、それはどうあっても見間違えようのないものだ。自分の機体の右腕だった。振動ブレードを握りしめながら、それはどこまでも遠ざかって行く。

「こ・・・のぉぉ!」

 後退したと思っていたミンネジンガの内の一機が、唯一の実戦武器たる研ぎすまされたブレードで、針谷機の右腕を斬り飛ばしていたのだ。響だ。

 やられるとばかり思っていた須津城は、横から入ったミンネジンガを穴が開く程見つめていた。

「お、尾野倉・・か?」

 響の機体は、針谷機の腕部を斬ったブレードを燕のように返し、次の一撃を加えようとしている。全身のスラスターを細かく吹かしながら動くその機体動作は、流れるように美しかった。

「ぐっ・・・!」

 針谷は急激に後退するが、胸部装甲を浅く切り裂かれる。もう一瞬、後退が遅れれば、コックピットまで逝っていた。それほどまでに鋭い斬撃だった。振動ブレードを腕ごと失った以上、相手のブレードをブレードで受けるということができない。響と距離を開けにかかる針谷だが、どう逃れようとしても、紐で結んだようにくっついてくる。

「しつこいっ!」

 響は、相手の機体の動かし方に見覚えがあった。学校を襲撃した二機のニンギルス、その片方のような気がしてならない。

「決める・・!」

 ここで決めたかった。相手は腕部を失い、押されに押されている。実戦用の実弾を持たない響にとって、近接格闘に持ち込めたメリットは大きい。というより、近接格闘以外に戦う方法がない。響はどこまでも、相手のニンギルスに追いすがってはブレードを振るう。

 踝と対峙する四國は、針谷が腕部を失い、押し込まれているのを視界の端に捉えた。

「あいつ・・。」

 四國の眉間に深いしわが寄る。このままでは針谷が墜ちる。直感的にそう判断した四國は、踝をミサイルで牽制した後、突如反転し、響の機体へ突進した。

 もう一機のニンギルスが(せま)って来る。響は、あと少しで仕留められそうな眼前のニンギルスより、迫り来る一機を脅威と感じた。この状態で横槍を入れられるのはまずい。即座に目標を転じた響は、針谷機を置いて、迫る四國の方へ自ら機体を寄せた。四國と響、二体のOCMがお互いに向き合って対向する相対速度は凄まじかった。一瞬で二機の間の距離が詰まる。四國と響が交錯する直前、聞き慣れないアラートが響のコックピット内で鳴った。

「何・・?」

 被弾によるダメージではない。背部ロケットエンジンの温度が異常に高い。戦闘による急激な加減速を繰り返したにしても、高すぎだった。その温度は性能上の許容範囲を遥かに越えていた。ここまで急速に発熱するとは・・。

「冷却システムが・・。」

 死んでいるとしか思えない。ロケットを構成する素材を伝導した高熱が、一瞬で燃料の発火点に達する。響の機体背部に位置する燃料槽(ねんりょうそう)が、大爆発を起こした。

 前方へ吹き飛ぶ響のミンネジンガは、対向していた四國の機体を巻き込みながら、火星大気圏内へと突っ込んで行く。

 響がいないことに気づいたサエラとエリオは、戦闘宙域で発生した爆発に顔色が変わった。

「響がいないわ、エリオ!」

「分かってる。あの爆発は・・!」

 ズームアップすると、ニンギルス、ミンネジンガの二機が、絡まるようにして火星へと落下して行くのが見える。ミンネジンガの方は、重装した踝機ではない。最初に離脱した、須津城の機体でもなさそうだった。ということは・・・。

「落ちてる・・!」

 エリオが茫然とつぶやいた。

「響!」

 サエラが悲痛な叫びを上げるが、二機のOCMは空中で力尽きた鳥のように、ぐったりと動かないまま、火星大地へと向かってどこまでも落ちて行った。

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