『いつ婚約破棄したって構わないんだ』それ、わたしのセリフですよね?
いいか悪いかって、自分が実際にその立場になってみないとわからないと知りました。
いい経験になったとは思います。
何がって、婚約なのですけれどもね。
シーン男爵家の娘であります私リネットは、トゥイガー子爵家の嫡男マーカス様と婚約いたしました。
格上の子爵家から話をいただくなんていいことだと、最初は両親も私も喜んでいたのですよ。
わざわざ格下に縁談を持ってくるのは、本人に問題のあるケースもあると気付かず。
マーカス様とは貴族学校で同年なのですけれど、ほぼ接点がなかったものですから。
バカでした。
学校の成績はほとんど私のほうが上なんですよ。
するとこうです。
『ハハッ、リネットはバカだな。貴族学校で必要なのは人脈の構築だぞ。勉強ばかりしてどうする』
人脈の構築と言いながら、女生徒ばかりと遊び回っているのはいかがなものかと思いますが。
私達婚約してるのですよね?
一度だけ小テストでケアレスミスがあり、マーカス様より点数が悪かったことがありました。
『やーいバーカバーカ! 勉強してないオレより点を取れないなんて、価値がないわ!』
……実にムカつきます。
経過より結果が重要というのは一面の真実と理解できるだけにです。
もう絶対にマーカス様には負けないと決めたのはその時でした。
『勧められた本見たけどね。最初の一ページで眠くなったわ。どこがいいのかわからんわ』
『ええ? リネットの推す舞台俳優ってあれかよ? 趣味悪くね?』
『お気に入りのアクセサリーってそれかあ。子供っぽいわ。センスないわ』
ムカムカムカムカッ!
それ人気作家の本ですごく面白いですからね?
個性派俳優として評価の高い方なのですからね?
アクセサリーなんて婚約者が贈ってくれればいいじゃないですか!
本当に頭にきます。
先日のお茶会ではこうですからね?
『今日の料理? リネットが作ったの? ああ、そういえば趣味だという話だったか。道理で一味足りない気がしたんだ。才能がないからやめたほうがいいんじゃないの?』
美味い美味いってガツガツ食べてたじゃないですか!
趣味なのですから才能どうこうの問題じゃありませんよ!
何という嫌味王。
で、文句を言おうとするたびにお決まりのセリフです。
『オレはいつ婚約破棄したって構わないんだ』
ニヤニヤしながらですよ。
婚約が解消されると女側のダメージが大きいのです。
傷物って言われてしまいますから。
ましてや貴族家嫡男に嫁ぐ側が一方的に婚約を破棄されたとなると、スキャンダラスな印象がついてしまいます。
それがわかってるから、いつも上から目線で。
もしこの婚約がなくなったら、格上貴族の嫡男との縁談なんか来るわけありませんし。
しかしもう私は我慢できないのです。
婚約破棄されるくらいならするほうがまだマシ。
お父様に訴えました。
『……確かにトゥイガー子爵家は家格差を笠に着て横柄な振る舞いが多いのだ』
『お父様もそう思いますか?』
『うむ、リネットのためを思い、辛抱してきたが……』
『辛抱なんかいりません! マーカス様との婚約を解消したいです!』
『何と、リネットもそういう気持ちだったとは』
お父様も気に入らなかったけれど、傷物と呼ばれる私の将来を心配していらっしゃったみたい。
富裕なうちシーン男爵家でありますので、トゥイガー子爵家も口では何を言っていても、流してさえいれば婚約が破綻することはないと考えていたみたいで。
私は逆に格上との婚約がなくなると家に悪影響があるかと懸念していたのですが、平気なようです。
ならば婚約を解消して欲しいというのが私の希望です。
あんな嫌味王と生涯添い遂げるなんてムリですから!
『よし、婚約解消に向けて動くことにする。しかし二ヶ月待て』
『二ヶ月ですか?』
『シーン男爵家とリネットを甘く見た罰だ。しっかり取り立ててやらねばならんだろう?』
わあ、お父様悪い顔ですね。
頼りになります。
元々うちシーン男爵家は商家上がりですので、金勘定にはうるさいところがあるのですよ。
トゥイガー子爵家は収支に強いシーン男爵家を買ってくれていたのだと思っていたのですけれどもね。
『お父様、どうするつもりなのです? 私にも聞かせてくださいませ』
『こうして……』
ははあ、それで二ヶ月が必要なのですね?
了解です。
なるべくマーカス様の悪い部分を引き出してみせます。
楽しくなってきました。
◇
――――――――――二ヶ月後。
「オレはいつ婚約破棄したって構わないんだ」
マーカス様お得意のセリフです。
下卑たニヤニヤ笑いを浮かべながら。
でもそんなものがいつまでも通用すると思っているのは大間違いですからねっ!
もう準備は万端なのです。
即座に返答します。
「では、婚約は解消といたしましょうか」
「は?」
ポカンとしたマーカス様の間抜け面。
ああ、これを見ただけで婚約解消の価値がありましたね。
「……聞き違いかな? もう一度言ってみてくれるか」
「ゆっくり言いますよ? こ、ん、や、く、は、か、い、しょ、う、と、い、た、し、ま、しょ、う、か」
「……ふん、僕の耳は正常のようだ。リネット、お前は大変なことを口走っているが、自分で理解しているのか?」
「重々承知しております」
「そもそも婚約は家と家との取り決めだ。リネットの一存で決まることはない」
ああ、それでマーカス様はいつも婚約破棄したって『構わない』という言い方だったのですか。
マーカス様の割には考えていたのですね。
気付きませんでした。
「両親も賛成してくれております。私の言うことはシーン男爵家の総意と考えてもらってよろしいです」
「な、何だと!」
相当驚いたのですかね?
私、婚約者の扱いをされてなかったと思うのですけれど。
「どうしてだ!」
「と、言われましても。マーカス様は私に不満があるようですし」
私はマーカス様に尋常でないくらい不満がありますし?
お父様もまたトゥイガー子爵家の態度に大いに不満があるようですよ。
婚約の継続は不可能ではないですかね?
「リネット、お前傷物令嬢になりたいのか!」
「望んでなりたいわけではございませんが」
「だろう? それにオレのような家格が上の嫡男に求められるなんて、この先ないぞ!」
「でしょうね」
「ほら見ろ。じゃあオレに謝ってこの場を収めたほうが得だろう? オレだってわからず屋じゃないんだ。お前が頭を下げるなら許してやってもいい」
どこまでも上から来ますね。
本当に腹が立ちます。
そしてマーカス様が私を引きとめようとするのは何故でしょう?
きっと性格が悪いから、次の婚約の当てがないんじゃないでしょうか?
あるいは金づるを逃がすなと子爵様に言われているんでしょうかね?
「先ほど私、シーン男爵家の総意と考えてもらってよろしいと申しました。マーカス様はお聞きでなかったですか?」
「き、聞いていた」
「では、あとは親同士に任せればよいのではないでしょうか?」
「お前が婚約を破棄したがる理由を聞かせろ!」
破棄ではなくて、穏やかに解消できればと思っているのですがね。
しかしやはりマーカス様は素直に納得しませんか。
捻くれ者ですからね。
切り札に控えてもらっていてよかったです。
侍女に目で合図しますと、心得たように一旦下がり、一人の殿方を伴って再び入室してきました。
胡散臭そうな目で見るマーカス様。
「何だこの男は。まさかリネット。浮気していたのではないだろうな?」
「違いますよ」
自分が浮気していたからそういう考えになるのではないですかね?
……ちょっとドキッとする指摘でしたけれど、私の淑女の仮面は厚いので内心を悟られることはないでしょう。
特に問題はないです。
「こちらは認定興信所の方です」
「認定興信所……えっ?」
「クレヴァリー認定興信所のノーマン・クレヴァリーと申します。お見知りおきを」
「クレヴァリー? クレヴァリー伯爵家とは関係が?」
「ハハッ、まあ分家ですよ。僕自身は平民に過ぎません」
認定興信所は国のお墨付きのある調査機関で、その報告が裁判の有力な証拠となり得ます。
信用があるのです。
その分依頼料は高価ですし、調査に偏りがなく依頼主にも忖度しない旨、契約時に同意させられますけれどね。
「マーカス様とトゥイガー子爵家について調査させてもらいました」
「知っているぞ! 認定興信所って依頼料がべらぼうに高いんだろう!」
「よく御存じですね」
「くだらんムダ遣いをしやがって!」
あらあら、ムダ遣いには厳しいですのね?
トゥイガー子爵家って思ったよりも経営が厳しいようです。
言葉の端々から情報が漏れてきますよ。
「損にはならないからよいのですよ」
「どういう意味だ?」
「では詳しい報告は僕のほうからさせていただきます」
ノーマン様が流れるように引き取って説明を始めます。
マーカス様と私ですと感情的になって話が長引きそうです。
ノーマン様がスマートに間に入ってくださったのでお任せしましょう。
私も間違いなく婚約は解消になる、相当な慰謝料が入ると聞いただけで、実は詳しい調査内容は知りません。
ふんふんと聞いておりますと……。
えっ? マーカス様には私を除いて三人の恋人が?
『リネットなんていつでも婚約を破棄できるんだ』って、魔道具に随分鮮明に録音されていますね?
三人の恋人令嬢とその周辺の聞き取り調査まで?
そしてやっぱりトゥイガー子爵家って金銭的に苦しいのね。
違法な取り引きもしているのですか?
大変よろしくないのでは?
マーカス様ったら報告書を持つ手がブルブルしています。
「ウソだ、こんな……」
「マーカス様御自身も御存じでないことはあったかと思います。特にトゥイガー子爵家の不正については。しかしクレヴァリー認定興信所の威信にかけて、全て事実でございます」
「何が目的だ! オレとトゥイガー子爵家を脅すつもりなのか!」
思わずノーマン様と顔を見合わせます。
そんなならず者みたいなことはいたしませんってば。
……しかしノーマン様の涼やかなお顔と態度は洗練されていますね。
マーカス様と比べてしまいますと特にですが。
ノーマン様が極めて冷静に言います。
「僕のすることは依頼に従って調査報告書をシーン男爵家に届けるだけです。憲兵でも司法官でもありませんので、逮捕するの裁判にかけるのといった権限はもちろんありません」
「シーン男爵家も同じですよ。速やかに婚約を解消し、慰謝料を払っていただければそれで結構です」
「慰謝料って、この業突く張りが! だから商人上がりの男爵家なんてロクでもないんだ!」
ええ? この期に及んで慰謝料を払いしぶるつもりでしょうか?
倫理的に許されないことと法律に反していることをしているのは、そちらですから。
裁判になったら大変なことは、いくらマーカス様のおつむが残念でも理解していますよね?
「マーカス様。これは僕からの提言ですけれども」
「何だ!」
「裁判などということになると、トゥイガー子爵家が致命的なダメージを負うだけの調査報告内容です。これは僕の経験上断言できます」
「む……」
「リネット嬢及びシーン男爵家は、慌てず騒がず金を出し婚約をなかったことにすれば、それ以上の追及はしないと言っているのです」
「ふむ?」
「リネット嬢にスキャンダラスなイメージがつくのはマイナスですし、またシーン男爵家が格上貴族に噛みついたなどという噂もよろしくないから、という理由かと思います」
「……なるほどな。ではどうすれば?」
「素直にシーン男爵家の言うことを聞いておくのがベストです。四股令息などと噂されるのはマーカス様も不本意でしょうし、不正が明るみに出るとトゥイガー家の降爵まであり得ます」
「そ、そうだな」
「報告書は一部差し上げますので、御当主様とよくよく御相談ください」
「わかった。今日はこれで失礼する」
マーカス様ったら、風のように去っていきましたよ。
これですっぱり縁が切れた格好ですかね?
清々いたしました。
さてと……。
「ここからはノーマン様とのお茶会になりますね」
「よろしくお願いいたします」
マーカス様とトゥイガー子爵をぎゅっと言わせるためにお父様が考えたのが、認定興信所を使うことでした。
信頼できる認定興信所として紹介されたのが、クレヴァリー認定興信所で。
「これが運命の出会いというものなのでしょうか?」
ノーマン様が苦笑していますよ。
だってノーマン様、クール系の美男子なんですもの。
初めて会った時、見た瞬間にビビッと来て。
話していても整理された頭脳をお持ちであることが察せられて、いいなあと感じました。
決して比較対象の嫌味王がひど過ぎるからではなく。
「そう言っていただけるのは嬉しいですね」
「ノーマン様ったらビジネス口調なのですから」
「リネット嬢はまだマーカス・トゥイガー子爵令息の婚約者だということをお忘れなく」
そうでした。
もう縁が切れた気でいましたが、私浮かれ過ぎでしたね。
ノーマン様は私より六歳上なのです。
信用を得るためガムシャラかつ細やかに仕事をこなしていたようですけれども、商売上の信用は結婚していることも必要なようで。
相手をお探しだったのですって。
婚約者を失う私とはちょうどタイミングがよかったです。
確かにノーマン様は平民ではありますけれど、そんなのは全然問題なく。
お父様もこれからは情報が重要と考えているようですし、ノーマン様はクレヴァリー伯爵家の分家筋ですから、そちらの繋がりも期待できると大喜びです。
というかマーカス様を見ているだけに、ちゃんとした青年であるとお父様が安心したみたいで。
一方でノーマン様も貴族の娘ならば信用という面で万々歳ですって。
とんとん拍子に婚約内定となりました。
ただあとからマーカス様に、お前らデキてたんだろうなんて言われると心外です。
私は来春にも貴族学校を卒業ですので、正式な婚約という期間を経ずに来年身内だけを呼んで結婚式を挙げるということになりそう。
「もう少し慎ましくしていますね」
「はい、そんなリネット嬢も可愛らしいですよ」
可愛いだなんて。
婚約していても言われ慣れていない言葉だものですから、ちょっと恥ずかしいです。
……今私が恋愛的な幸せを感じるのは、マーカス様がロクでもなかったからという前提がある気がしますね。
感謝はしないですけれども。
「マーカス様が『認定興信所って依頼料がべらぼうに高いんだろう! くだらんムダ遣いをしやがって!』と言っていたではないですか」
「ハハッ、言ってましたね」
「嫁ぎ先に投資してるのも一緒ですから、全然ムダ遣いなんかじゃないというのが滑稽ですね」
「トゥイガー子爵家から慰謝料を毟り取るための調査料というのが、さらに滑稽ですね」
アハハウフフと笑い合います。
いいか悪いかって、実際にその立場になってみないとわからないものですね。
子爵家の嫡男から平民に婚約者が変更しますというだけだと、悪いことのように思えますもの。
私にとっては最高のハッピーエンドが見えているわけですけれども。
本当に、いい経験になりました。
……もちろんいい経験というのは、マーカス様との婚約の過程だけではありません。
最低の婚約者をぺしょんと叩き潰して素敵なパートナーを手に入れた、そしてこれから先のことを含めてですけれどね。
◇
――――――――――後日談。
「今だから言ってもいいと思うけど」
結婚三ヶ月が過ぎて少し落ち着いた頃、ノーマンがどうしたのでしょう?
「シーン男爵家の依頼を受けた時だね」
「私と初めて会った時ですか」
「大体ああいう婚約に関するゴタゴタって、双方に問題があるものなんだ。程度の差はあるけれどもね」
「そうなのですか?」
「ああ。でもリネットはちゃんとしたお嬢さんで、問題を抱えているように見えなくて。僕の目も曇ったかなと思ってたんだ。ところが調査してみると、シーン男爵家の主張がほぼほぼその通りだったろう?」
「我慢できなかったのです」
「いやあ、トゥイガー子爵家とその嫡男に看過しきれない点が多過ぎた。よくあんなの辛抱してたなと驚いたくらい。もうリネットが可哀そうで可哀そうで」
わかっていますとも。
ノーマンがずっと私のことを優しい目で見てくださっていたことくらい。
最初は依頼人と請負人の関係でしたから、自重していたのでしょうけれどもね。
「リネットが妻になってくれて嬉しいんだ」
「うふふ、今になってそんな話をするのはどうしてなのです?」
「新聞を見てたら、トゥイガー子爵家が処分を食らったとあるからね」
「えっ?」
本当です。
例の違法取引がバレてやはり降爵処分ですか。
マーカス様と結婚していたら、今頃肩身の狭い思いをせねばならなかったのでしょうね。
助かりました。
ノーマンには感謝です。
「ところでベーコンとお野菜のクリーム煮ができましたよ」
「待ってました。僕は料理上手の妻を持って幸せだよ」
いえいえ、私のほうがずっと幸せなのですからね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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よろしくお願いいたします。




