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7話 【唯一竜】

 その竜は、生を自覚した時から完成されていた。

 

 全身を覆う鱗は、万物を寄せ付けぬ鎧。

 威風たる両翼は、風を自在に操り空を支配する。

 その爪は触れる物を容易く切り裂き、牙は望んだ物を噛み砕く。

 灼熱の息吹は、地平の果てまで焼き尽くす。


 不足があるとすれば、それは記憶。

 空と大地の色も、大海から流れる風の感触と塩の匂いも、全て憶えている。

 しかし、自身の名と存在の変遷が思い出せない。


「ここはどこだ?」


 答えを得られる物は無い。

 だから、竜は飛んだ。指針も無く、ひたすら。


「これが私か」


 山麓の湖に、翼を広げた姿が映る。

 美しく、洗練された風貌。

 だから、竜は歌った。

 その喉笛から奏でられる歌を、どこで知ったのかも思い出せずに。


「同胞は……どこだ?」


 いくつ大陸を過ぎようとも、何度声を掛けてみても、同じ姿は現れない。

 だから、竜は吠えた。

 孤独は恐れていない。だが、自身の存在を証明する何かを求めていた。


 どれほどの時が過ぎただろうか――。

 ある日、竜は気まぐれに弱き者を魔物の牙から救ってやった。

 それは、大地に蔓延る魔物には敵うべくもない小さき種。


「その顔の形、枝のような体、人間か?」


 竜には見覚えがあった。


「何故、何も纏っていない? それでは猿と同じではないか」


 人間は両手足を大きく使って跳ねながら踊る。

 それが感謝なのか、威嚇なのかすら分からない。

 

「答えられないのか? いや、私の言葉が分からないのか」


 人間は言葉を話す。

 それが竜の認識であった。

 なのに目の前のそれは、身振り手振りで呻くばかりである。


「そういえば、私の話す言葉は……どこの何という国のものだったか」


 記憶は曖昧なれど、”国”という概念は思い出せた。


「そうだ、私は一度も見ていない。人間たちが造り上げた摩天楼を……!」


 脳裏に浮かぶのは、夜の空から見下ろす輝き。


「地上の星と、天の星に挟まれて空を飛ぶのが、私は好きだった……」


 徐々に記憶が蘇る。

 だが、肝心なことは靄に隠れたままだ。


「この世界は……私の故郷(せかい)ではない……?」


 数億の年を経て、ようやく辿り着いた答え。

 人間という存在が、切っ掛けが、竜の目頭を濡らす。


「感謝する、人間。私の存在意義を知ることができた」


 この世界に、恐らく同胞はいない。

 それでも、人間は見つけ出すことができた。

 最初からいたのではなく、いつかから生まれ出でたのだ。

 ならば、竜に課せられた使命は一つ。

 この世界にいずれ誕生するであろう、”竜”という種を探し出し、繫栄させること。


 そしてもう一つ――想定外の定めも課せられた。

 人間との共存だ。


 気まぐれに助けられた人間の始祖は、更に数千年をかけて進化した。

 気が付けば、竜は神と崇められ、竜と同じ言葉で対話を望まれる。

 竜もそれを望んだ。

 魔法という技術を手に入れた人間が、竜の繁栄には不可欠だと考えたからだ。


 魔物の群れを焼き払うだけで、人間たちは泣いて喜んだ。

 炸裂する火の玉を空へ噴き上げてみせただけで、人間たちは笑って喜んだ。

 儀式とやらに参列してやるだけで、人間たちは穏やかに喜んだ。

 竜は、そんな小さな人間が好きだった。


「我が同胞を探せ。そうすれば、私は人間を慈しもう」


 多くの国が生まれては滅びる。

 止まぬ争いが続いても、人間たちは竜の言葉を天命とし、世界中を探索した。

 その者たちは冒険者と呼ばれ、最上の聖職者として扱われる。

 しかし、成果を得られることはなかった。


「ねぇ、竜の好きなものはなぁに?」

「葡萄だ。しかし、なかなかに食べづらい。畑ごと食っても、ほとんど土の味しかせんからな」

「じゃあ、ワインも好き? お父ちゃんがよく飲んでるんだ!」

「あんなものは葡萄ではない。泥水と変わらん」


 竜は、緩やかな丘の上で子供たちと戯れる。

 喉から放たれる音が、鼻を通る風が、子供たちを薙ぎ倒さないように静かに。

 ピクリとも爪や翼を動かさず、長い尾はその先を地面に刺して固定する。

 

「僕、弟が生まれたんだぁ」

「ほう。名は何という?」

「まだ決まってない! あははは」


 新しい生命の誕生は、竜にとっても喜ばしいことだった。


「竜には何で名前がないの?」

「私にも、名はある。きっとな」


 しかし、答えられない。


「私たちが新しい名前、考えてあげよっか?」

 

 子供たちは無邪気に提案する。

 人間たちは、生ける神に名を与えることを躊躇っていた。

 本人が名乗らぬのなら、それを尊重し、ただ”竜”とだけ呼称する。

 でも、子供たちにとっては関係ない。


「ううむ、そうだな……。気に入る名があれば、受け取ってやらんこともないぞ」

「えぇぇ、何がいいかなぁ」


 そよ風が止んだ頃、一人の子供が声を上げる。


「バルバラなんてどうかな?」

「ほう、由来はなんだ?」

「え? テキトーだよ!」


 子供たちはケラケラ笑いながら草原を転げまわる。


「ガハハハ! そうか、適当か! なかなか小気味の良い語感だ」

「じゃあ、決まり!」


 竜は背筋を震わせながら笑った。

 ちょこまかと動き回る子供たちが、それで怪我をしないか気にしながら。


 長い関係も、深い情があるわけでもない。

 たまたま立ち寄った場所で出会った、人間の子供たち。

 竜にとっては、そんな者たちとの繋がりも、掛け替えのないものだ。

 その感情は、竜を駆り立てる。

 番い、子を成し、血の繋がりを尊ぶ人間を見ている内に、竜もそれが欲しくなった。

 ふと見上げれば満天の星空。

 まだ見ぬその光の先に、何かがいるように錯覚する。


 竜は飛んだ。雲を越えたその先へ。

 徐々に意識は薄れて、肺から全ての空気が抜けていく。

 だが、竜の生命力はそれを凌駕した。

 魔力を肺に送り込むことで、生命を維持する。

 その神業は無意識に行われていた。


 竜は途端に軽くなった体に驚愕する。

 翼で風を捉えずとも、下へ落ちない。

 逆に捉える風を見失い、思った方へ進めない。

 だから魔力を翼で叩くことで、推進力を生んだ。


 青い大地を離れ、同胞を探す。

 しかし、満ちた希望はあっという間に枯れてしまう。

 漆黒の空間を進めど、眼前に見えるはずの光は一向に近づく様子がない。

 それでいて、振り返ると青い大地は見る見る小さくなっていく。


 孤独はより強く、より深くなっていった。

 それに耐え兼ね、青い大地へ戻る頃には、知る人間は誰一人残っていない。

 冒険者という資格も、ただ魔物を狩るだけの稼業へと成れ果てた。

 竜の存在は歴史から葬られ、神話でのみ語り継がれる偶像へと堕ちる。


 人間にとっては、突如として空から舞い降りた厄災。

 神の降臨は、人類の終焉と捉える者も少なくなかった。


 厄災たる竜を討滅するため、一人の男が隊を連ねてやってきた。

 その男こそが人間の英雄。

 現代から語るのであれば、三代前に当たる勇者だ。

 

「唯一竜、私は君を斬らなければならない」

「唯一竜?」

「君のことだろ?」

「そうか、この世界に竜は……。お前は、何故私に立ち向かう?」


 竜にとって、人間は弱き者。敵対者でもないはずだ。

 何故、命を捨ててまで向かってくるのか理解できない。


「人々が恐れているから。それ以外の理由はないよ」


 勇者はゆっくりと剣を抜く。

 魔剣グラム――硬度と空間を無視して刃を通す魔道具。

 それは百を越える賢者たちの血と、百を越える鍛冶師たちの生涯を費やして打たれたもの。

 そして僅かな奇跡が折り重なって誕生した、偶然の産物でもあった。

 その偶然は、竜の鱗すら貫く必然を実現する――。

 

 彼らは一晩中戦った。

 勇者の傷を癒して命を繋ぐための魔法使いたちは、入れ替わり立ち替わりに役目を果たすと、使い捨てのように命を落としていった。

 勇者を補助する多くの戦士たちが、竜の巻き起こす風に吹き飛ばされ、無残にも散っていった。

 勇者を守る多くの守護者たちが、巨大な盾とその身を焼いて、竜の息吹によって灰と化した。

 勇者は亡き者たちの意思を継ぎ、魔剣グラムを振り続ける。


「君は強すぎる。あの魔王よりも強い……」


 勇者は膝をついて弱音を吐く。その手に剣を握る力は残っていなかった。

 竜も地に伏せ、息を荒げて体を起こせずにいる。

 魔剣グラムが刻んだ傷は、確実に竜を追い詰めていた。


「でも、自信が持てたよ。今の私なら、きっと魔王を倒せると思う」


 この戦いで竜の強さを知り、それを魔王と比較して、客観的に己の強さを理解する。

 勇者が倒すべき者は多い。

 人間を滅ぼさんと躍進する魔王も、その対象である。


「……まるで次を見据えたような言い方だな。ここで終わるとは……微塵も思っていない……よう、だ」


 竜は久々に言葉を発した。

 傷を癒す時間を稼ぐためでもあり、強き勇者への敬意でもある。


「まぁ、勇者が道半ばで死ぬわけにはいかないからね」


 唯一竜の討伐隊は、勇者を残して皆死んだ。

 勇者にも、もはや剣を振る力は残っていない。

 それでも、勝利を確信したかのような口ぶりは変わらなかった。


「最初から君を殺すつもりはないよ。神を殺すなんて……正直自信なかったし」

 

 そう言うと、勇者は後ろに倒れて天を仰いだ。


「ほら、ワイバーンの騎士たちがやってきた」


 空には、騎士が跨る複数匹のワイバーンたちが旋回している。

 竜に似たその魔物は、この世界においては空飛ぶ大トカゲに過ぎない。

 火も吹かず、馬より多少大きい程度。だが力は強い。

 群れれば、竜ほどの巨体を吊り上げられるほどに。

 

 ワイバーンから鎖が下ろされる。

 魔法によって、蛇のように独りでに竜の体へ巻き付いた。


「君をヴァーリア監獄に移送する」


 勇者は息を大きく吐きながら言った。


「気が付いていないようだけど、魔剣グラムには毒がある。あと数日は動けないはずだ」


 竜の時間稼ぎには、意味がなかった。

 魔力を毒とする魔剣グラムの魔法によって、体の自由は完全に奪われていたのだ。

 本来であれば死に至らしめる即効性の毒だが、竜に対しては神経毒程度にしか効果がなかった。


「何のためだ? お前が癒えてから私を殺せばよい。何故そうしない?」

「≪終末級≫の存在は、他国へ向けた脅しになる。その気になれば、いつでも脅威を放てるぞ、ってね」

 

 殺してしまえば、脅威は消え去る。

 生かしておけば、訪れるのは一時の平穏に過ぎない。

 その平穏を崩壊させる権利を、勇者は握ろうとしているのだ。

 それはあくまで、愚かな人間たちの小さな戦争を抑止するための手段として。


「そうか……」


 竜は力なく呟き、現状を受け入れた。

 いまや戯れる者もいなければ、同胞もいない。

 その事実は、竜の生気を奪った。


「誇って良いよ、唯一竜()()()()。君の名は、英雄譚に刻まれるだろう」


 それを聞いて、竜は奮い立った。

 全身を巡る毒すら忘れ、翼を広げ、手足で図体を支える。


「その名は……恐怖の象徴などではない!」


 子供たちによる、無垢な命名。

 まさかそれが広まり、自身の名として定着しているとは、思いもしていなかった。


「残念だけど、そうなるんだ。世界中が、その名を恐れる」

「ぐおおおおおお! 許すわけにはいかん! それだけは、決して!」


 ガタガタと鎖が揺れる。

 しかし、段々と竜の力は抜け、地面が眼前に迫る。


「その名を刻むことは……許、さん……」


 ついに、竜は意識を失った。

 ワイバーンたちに吊られた竜は、沈む夕日に照らされながら彼方へと消えて行く。

 その影を目で追いながら、勇者は静かに呼吸を整えた。


「君がヴァーリアを出る時はこない。僕はそう祈っているよ」


 誰もいない空に向かって吐き出されたその言葉には、世界の平和を祈る勇者の想いが込められていた。

 だが、そこには人類の礎を築いた、竜への情は含まれていない。


 今はもう、竜を想う者はいない。

 今はもう、竜に手を差し伸べる者はいない。

 今はもう、竜の愛を知る者はいない。


 今はもう――。

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