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6話 命乞い

「唯一竜……あんたは、人間の言葉が分かるんだろ?」


 牧緒の声は震えている。

 全身に鳥肌が立ち、指先が強張る。

 暗闇の中で煌々と光る赤は、眼球とは思えない程に巨大であった。


「も、もし言葉が分かるなら、俺の命乞いを聞いてくれ……」


 唯一竜は何も答えない。

 舌の上で転がす炎が、牙の隙間から漏れ出す。

 その炎は魔法などではなく、竜に備わった生物としての性質。


「五分でいい。その間に俺は、あんたの知る常識と世界を一変させてみせる……!」


 これは命懸けの作戦。

 唯一竜に言葉が通じなければ、この命乞いは意味を成さない。

 牧緒は目を強く瞑り、息を呑む。


 唯一竜は地面に付けた顎を上げた。

 体中に巻きつけられた太い鎖が、ガラガラと火花を散らす。

 炎の明かりが、その全容を微かに照らし出した。

 牧緒の体は、唯一竜が纏う鱗の一枚にも及ばない程小さい。


「……こ、この世界の言語には、ずっと違和感を感じてたんだ」


 世界中で共通した言葉であるのに、大陸によって文字は異なる。

 それは、王城で過ごした2年間で得た知識の一つ。


「色々な神話を読んだが、唯一竜は世界中で神と崇められてた」


 その魔物は、世界で一頭しか確認されていない唯一の竜という種。

 ならば太古より語られる竜と眼前の竜は、同一であろう。


「俺は……あんたが人間に言葉を伝えたんだと考えてる」


 それは、逆転の発想だった。


「あんたは世界中を飛び回って、全ての大陸の全ての人間に語った……そうだろ?」


 人類が繁栄する遥か昔を生きた竜であれば、人間の言語の基礎を培ったのは、唯一竜本人ではなかろうか。

 神と称える者から発せられる音を、積極的に取り入れようとする人間たちの姿が目に浮かぶ。

 それが牧緒の立てた仮説。

 音だけを頼りに言葉の意味が先行したとすれば、後付けの文字が大陸によって異なるのも合点がいく。


「お前の至った答えは、異端審問官たちが消し去った歴史だ」


 遂に、唯一竜は言葉を放った。

 その唇は触れず、喉を震わせて発声している。

 それ故か、その声は二重三重に重なって聞こえた。


「異端審問官?」


 牧緒は臆さずに聞き返した。

 唯一竜と会話が成立するのなら、予定通り関係を深めることができはず。

 言葉を交わし続けることで、ただの餌として食いつかれるまでの時間を延ばす。


「奴らには敵が多い。歴史を疑う者たちの多くは、その仮説に至ったはずだ」


 唯一竜は少しずつ首を低くし、再び牧緒に頭を近づける。

 

「お前は異端審問官の遣いか、あるいはその対抗勢力か」

「ご、誤解だ! 俺はそんなんじゃない!」

「いずれにしても、私を利用しようとしているのには違いあるまい」


 炎の熱が、牧緒の鼻先を赤くする。

 それが、沸き上がる怒りによるものだと牧緒は理解した。


「俺は利用なんてしない! 協力してほしいだけだ!」


 牧緒は引きつった喉から、必死に声を振り絞る。


「こことは違う、別の世界に戻るために!」


 唯一竜はガチャガチャと鎖を揺らし、顔を上げた。

 

「ガハハハ、そうきたか! 別の世界から来たと! その様な嘘をつく理由は、そうだな……すぐには考え及ばぬ。さぁ、騙ってみせろ!」


 牧緒の作戦は、唯一竜に異世界の存在を信じさせることだった。

 ただ単純に異世界のことを語ったとしても、唯一竜にとっては騙ったとしか思われない。

 この世界へ来た時に所持していたスマートフォンやプラスチック製品など、現代科学の粋は全て王城に置いてきた。

 物がなければ、科学の知識を言葉で説明する他ない。

 だが、それが事実であると、この場で証明する必要がある。


「神話には、唯一竜はあらゆる環境に適応し、死すら克服したとある。そんな生き物が、世界に一頭しかいないなんて、ありえない!」


 牧緒は、もう一つの仮説を立てていた。


「あんた以外の竜は、絶滅したわけじゃない。この世界には、()()()()あんたしかいなかったんだ」


 それは唯一竜の出自についての仮説。


「世界中を探したはずだ。山の峰から谷の下まで。海の底から雲の上まで」


 しかし、世界に唯一竜以外の竜は存在しなかった。


「空の向こう側を、俺の世界では『宇宙』と呼んでいる」


 牧緒は敢えて、日本語でその単語を発声した。


 この世界の人間は、魔法の原理に基づいて森羅万象の事象を捉えている。

 故に、高度な科学技術に匹敵する現象を実現しながらも、科学的な見地が劣っている。

 ”真空”という事象を認識しながらも、空気が大気圏を超えるかの判断はない。


 魔法では、雲より僅かに高い位置を飛行する程度が限界。

 故に人々は、魔法で宇宙へは至れない。

 そこがどんな場所なのか 、実証する術がない。


 あらゆる環境に適応できる唯一竜は、同族を探すために恐れも抱かず宇宙へ向かったのではないか……。

 その可能性に牧緒は賭けた。


「この星は丸く、月は巨大な岩で、自ら発光しているわけじゃない。太陽は届かないほど遠い場所にある」


 この世界の言葉に翻訳できる範囲で、説明を試みる。

 それは現代人なら幼い子供でも知っている科学。


「俺の世界では、魔法を越えた技術が存在する。だから俺は『宇宙』を知っている」


 唯一竜は静かに耳を傾けている。興味はあるようだ。

 牧緒は更に畳みかける。


「『宇宙』では血液が沸騰する。そんな風に感じなかったか?」

 

 真空状態で気圧の無い宇宙空間では沸点が下がり、血液が沸騰する。

 だが――。


「見当違いだ。内から沸き立つものなど何もなかった」


 唯一竜は鼻を鳴らしながら嗤って返した。

 体内で高温の炎を生成する生き物に、同じ現象が起こるとは限らない。

 

 的は外れたが、これで唯一竜が宇宙を経験したことが確定した。

 牧緒は気を取り直し、自身の持ち得る別の知識を展開する。


「宇宙の温度は極端だ。日が当たれば灼熱、そうでなければ極寒。肌で感じるものはあっただろ?」


 牧緒の言う通り、宇宙の環境としてはそうなのだろう。

 だが――。


「それも見当違いだ。感じるものなど何もなかった」


 空気が無ければ、温度を感じることはない。

 その上、唯一竜はどんな温度にも適応できてしまう。

 本人が熱いも寒いも感じていないのに、温度の話をしても疑念を抱かせてしまうだけだった。


「宇宙では呼吸が――」

「空気には重さがある。それに気付けば、空の向こう側は呼吸のできない空間であると想像することは容易い」


 唯一竜は言葉を遮って論破した。

 鼻息一つで、牧緒が必死に考えた現代科学の結晶が吹き飛ばされる。

 牧緒は愕然と膝をついた。


(これが≪終末級≫……。言葉では理解してたけど、規格外すぎる……!)


 そもそも何故、牧緒は異世界の存在を証明する必要があるのか――。


「俺は、あんたも同じように異世界から来たと思ってるんだ」


 それが、牧緒と唯一竜の共通点。


「俺の世界の言葉を教える! あんたがそうしたように!」


 それは最後の命乞い。

 偽りの言語を1から完璧に生み出すのは難しい。

 特に日本語は複雑怪奇。

 もしかすると、それが異世界の言語であると認めさせることができるかもしれない。


「こんな所に長い間閉じ込められて……暇、だろ?」


 気の抜けた声で、牧緒は肩をすくめた。

 唯一竜は、顔を反らして鼻息を噴く。

 岩壁にぶつかった風は、渦を巻いて広がり、牧緒の体を一瞬浮かび上がらせた。


「あぁ、暇だ。退屈すぎて、死にそうだ」


 唯一竜から、威圧感が消える。

 まるで愚痴をこぼすかの如く、舌を上下に揺らし始める。


「お前のような人間が送られてくる度、私は話をした。しかし、皆つまらん」


 陽気に体をよじる度、衝撃が牧緒の骨まで届く。

 地面を滑る鎖に触れてしまえば、四肢は千切れ、肉片になってしまうだろう。


「その人たちはどうなったんだ?」

「案ずるな。よく噛んで飲み込んだ」

「か、噛むんですね……」

「腹の中で焼け死ぬよりはマシだろう」


 餌にさえ慈悲をかける品行方正な理念。

 だが、牧緒にはそれが優しさとは認識できなかった。


「お前はなかなか見どころがある。まるで、初めから私と話すためにここへきたかのようだ」


 唯一竜は、確信を突く。


「あ、あぁ。実はそうなんだ」

「……ほう。何を望んでのことだ?」

「ここから脱獄する。魔法防御を解除する手筈も整ってる。後は奈落の底で、≪終末級≫の力を借りられれば完璧だ」

「……ク、ククク」


 唯一竜の喉が震え、低い笑い声が漏れ出した。


「面白い。実に滑稽で……そして、懐かしい必死さだ」


 その巨大な瞳が、値踏みするように細められる。


「誰にも理解されない言葉で、誰も知らない故郷(せかい)の話を叫ぶ。その孤独の味を、私は知っているぞ」


 浅い科学の知識が、一度は牧緒に死を覚悟させた。

 しかし、むしろその滑稽な命乞いが、唯一竜の退屈を融解させる。


「お前の世界の名は?」

「世界というか……、俺の故郷の名前は『日本』だ」

「ニホン、か。お前の名は?」

「牧緒だ」

「マキオ、か。お前の――」

「俺にも聞かせてくれ。あんたは結局、異世界からきたのか?」


 牧緒は咄嗟に割り込んだ。

 向けられた好奇心に、底が無いように感じたからだ。


「覚えてはいない。数千万……いや、数億年も昔の話だからな」

「……そうか」


 牧緒は項垂れる。

 あわよくば、異世界を渡る手掛かりを得られると考えていたからだ。


「さぁ、もういいだろう。問うのは私だ。教えてくれるのだろう? 異世界の言葉とやらを」

「あぁ、もちろん! 何でも教える!」


 唯一竜は「ククク」と笑いながら、牧緒を囲むように首を地面に付けて回した。


「脱獄のことも聞かねばな……。さて、どのようなハッタリが飛び出すか楽しみだ」

「い、いや、異世界のことも脱獄のことも本当だって!」


 想像以上に気の良い唯一竜の態度に、牧緒の声は上擦る。

 多くの神話で恐れられてきた唯一竜であるが、人類が脅かされた話は一つとして残っていない。

 だからこそ、言葉さえ交わすことができれば、友にすらなれると牧緒は信じていた。

 

 しかし――唯一竜が脅かされた歴史は存在する。


「そう言えば、俺はあんたのことをなんて呼べばいい?」


 言葉を話すのであれば、当然名前も存在する。

 それは唯一の存在証明。誇るべき自己。

 だが、唯一竜の態度は一変した。


「……それを聞いてどうする!?」


 雄叫びが、牧緒の脳を揺らす。

 直後、爆発的な殺気が奈落の底を満たした。

 唯一竜は力任せに翼を広げようとするも、幾本もの鎖がピンと張るだけだ。


「ぐっ……、俺は……ただ……」


 逆鱗に触れたことを察した牧緒は、計略も無く思いの丈をぶつける。


「俺はただ、一緒に帰りたいだけだ! 家族の下へ!」


 望郷の叫びが、岩盤に反響する。

 その言葉は数億年の時を超えて、唯一竜の古傷を抉った。

 最強の生物に欠落している唯一の弱点を、牧緒は知っている。

 それは、宇宙にまで飛び立った孤独。


 口元に溜まっていた業火が、ふいに霧散した。

 唯一竜は、ちっぽけな人間の言葉を飲み込み、自己を追憶する――。

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