58話 裁判
「裁……判……?」
「そうだ」
オルガノは頷き、一通の封書をデスクに滑らせた。
それは、牧緒への召喚状。
突然の知らせに、牧緒の体は硬直して瞬きだけが何度も繰り返される。
異世界へ渡る方法については音沙汰が無い。
しかし、聞くところによると想定通り各国はその方法を探しているらしい。
魔境の開拓も進み、『バルバラの町』は他国の首都と比べても遜色ない程に賑わっている。
その噂を聞きつけて、何らかの理由で棲家を追われた巨人や海人までもが流れ着いた。
今では、魔境の南側は海人たちのための巨大な湖となっている。
どうやら彼らは、淡水でも満足しているようだ。
全ては順調だった。
そんな何の不自由の無い生活の中に落とされた爆弾。
牧緒は、封書の口を破いて中身に目を通す。
「プフトゥール王国?」
「ユレナの母国だ」
その一言で、牧緒は手紙の内容を理解した。
ユレナの生まれた国が、ユレナの中にある魔王の魂を欲している。
「魔王を欲しがるなんて……」
「十中八九、『惡の特異点』の戦力を削ぐためだろう」
「召喚を断れば、”安楽椅子作戦”が台無しになるかもしれないな」
法に則った対話を拒絶すれば、『惡の特異点』は武力に物を言わせる組織だと判断される。
そうなれば、魔境の立場も危うくなるだろう。
「いっそ、全て壊してしまうか?」
「オルガノが自棄になるなんて珍しいな」
冗談だと分かっていても、牧緒は目を丸くした。
そう言わせてしまう程、この裁判が厄介なものだということだ。
「”安楽椅子作戦”は、勇者の動きを抑制するためのものでもある。平和的な立ち位置は変えたくない」
魔境が世界に馴染むことができれば、勇者が派遣されることも無い。
滅ぼすべき敵であると認識されなければ、バルバラやウオラ王国のような被害を出さずに済む。
「裁判は受け入れるしかない……だが、下手をすれば死ぬぞ?」
「ん? 死ぬ? 誰が?」
「貴様に決まっているだろう」
牧緒は顎を撫でながら、唇を尖らせた。
頭の上には、見えない「?」が浮かんでいる。
「これって、魔王の魂の返還を求める裁判だよな? それで何で死ぬなんてことになるんだ?」
「……そうか、異世界人の貴様が知らぬのも仕方のないことか」
オルガノは、国際裁判において選ばれた『三段天秤方式』について語る。
裁判で決する段階は三つ。
1段階目、【初列】――陳述と供述。
口頭弁論を原告と被告の代表者によって行う。
裁判中、弁護士等の代理人を立てることは認められない。
証人、参考人、鑑定人の召喚は可能。
被告が訴えを認めるか、原告が訴えを取り下げることで決着となる。
2段階目、【次列】――審議。
初列で決着がつかなかった場合、その結果を受けて6名の裁判官による審議が行われる。
これには数日を要する場合がある。
原告、被告共に裁判官が下した判定を覆すことはできない。
要求の棄却、認容が3票ずつで割れた場合、次の段階へ進む。
3段階目、【締列】――決闘。
原告と被告の代表者による一対一の決闘を行う。
文字通り、戦闘の結果による決議である。
制限内の魔法と武器の使用は可能。
ただし、召喚獣など一対一の構成が失われる手段は許可されない。
「多分、聞き間違いだと思うんだけど、決闘って言ったか?」
「あぁ、聞き間違いではない」
「裁判なのに?」
「そうだ」
『三段天秤方式』は、貴族間や国家間において採用される裁判方式である。
主に泥沼化した紛争や冷戦に決着を付けるために執り行われる場合が多い。
故に、命を懸けた決闘という形で締めくくられる。
「これって、俺じゃなくて魔境が訴えられてるんだよな? じゃあ、代表者はリデューシャになってもらおう」
「それは不可能だ。良く読め。魔女と唯一竜、そしてニャプチの同行は許されていない」
裁判に臨むのであれば、提示された条件は飲まざるを得ない。
無視するのであれば、そもそも裁判への参加を辞退すればいいのだから。
「じゃあ、オルガノ頼む」
「それも無理だ。原告側は、ユレナをヴァーリア監獄から連れ出した、魔境の王を訴えている」
「……俺?」
つまり、必ず【次列】までに決着を付ける必要がある。
そうでなければ、牧緒は命を落とすかもしれない。
「決闘中、降参ってアリかな?」
「無論。しかし、魔王の魂を渡すということは、ユレナを渡すということだ。負けは許されない」
プフトゥール王国は、ユレナに極刑を下している。
『惡の特異点』の戦力を削ぐ目的であれば、ユレナの命の保証は無い。
魔王の魂を分離させるために、酷い人体実験が行われる可能性も否定できない。
「この6名の裁判官って、本当に中立なのか?」
「そんなわけなかろう。結局は買収合戦だ。しかし、こちらは圧倒的に不利」
表立っては、当然裁判官は中立。
だが実際には、賄賂による引き込みが横行しており、実質的なマネーゲームの様相を呈する。
第三者機関を『霊長教会』が担当するのであれば、より一層不利なゲームになるだろう。
「こっちには黄金がある」
「儂の伝手も使えるかもしれぬ」
「絶対に決闘は無しだ」
「うむ、貴様では骨も残らぬからな」
二人は真剣な面持ちで結論を出した。
その空気に亀裂を入れる勢いで、部屋の扉は開かれる。
「話は聞かせてもらいましたわ!」
当事者であるユレナが、凛々しい顔つきで叫んだ。
「わたくし、原告のことは知り尽くしております! この裁判、わたくしが必ず勝利に導いて見せます!」
彼女に後ろめたさは無い。
むしろ、ようやく自分の活躍できる場が整ったと言わんばかりに胸を張っている。
「あぁ、ユレナの知る情報があれば、きっと勝てる。それに、ユレナの存在を争点にすれば【初列】で決着がつくかもしれない」
牧緒は、祈るように拳を胸元で握った。
裁判は3日後。一方的な通達であるため、異議申し立てもできる。
だが、余裕を見せるためにも大人しくそれに従うことにした。
まずは、同行者と証人を集める必要がある。
牧緒のブレインとして、オルガノは外せない。
魔王の魂を持つユレナも当然同行する。
そして、魔境の存在をありのまま法廷で伝えてもらうため、ある男の下を訪れた。
「で、何たって俺なんだよ……」
狼人のゲルンは、咀嚼中だった肉を牙の隙間から垂らしたまま、呆気にとられる。
「だって、魔境のために働いてもらってる数少ない獣人の代表だし」
丁度、魔境に戻ってきていたところを、牧緒は捕まえた。
二人は地べたに腰を下ろしたまま、向かい合っている。
ゲルンは魔境の開拓が始まった頃、牧緒に立てついてニャプチに懲らしめられた獣人だ。
ウオラ王国が復興するまでの間、国土内の治安を維持する仕事をしている。
「それに、ちょっと話したいとも思ってたしな」
「な、何だよ……」
「どうやら、町村を襲う輩を容赦なく殺して回ってるらしいじゃないか」
「お前がやらせた仕事だろ」
「俺は、殺せとは言ってない」
「あぁ? めんどくせぇこと言ってんじゃねぇぞ!」
魔境の王を前にしても、ゲルンは相変わらず臆さない。
「そういうところを直していかないとな。ということで、一緒にシオンレウベに行ってもらうからな」
「……お前、性格が変わってねぇか?」
「これが素だよ。身内に対しても偉そうに振る舞うの疲れるんだよな」
牧緒は、王として尊大な態度を取ることに辟易していた。
せめて、魔境の中では普段通りでいたいと思っている。
「誰が身内だ! 俺はいつでもお前を殺――」
「駄犬風情が吠えるでない」
魔女は腰を曲げて、逆さにゲルンを覗き込む。
「……んぐ」
ゲルンは喉を小さく鳴らして大人しく俯いた。
殺気などという生易しい物ではない。
魔女の全身から溢れる禍々しい魔力が、死すら凌駕する恐怖で体を押さえつける。
「じゃあ、決まりだ。暫くは魔境に留まってくれ。また呼びにくるから」
牧緒は立ち上がり、マントの土を払って大股でゆっくりその場を後にする。
「裁判を有利に運ぶのであれば、アレが必要になるな」
リデューシャは、牧緒の隣を占有しながら言った。
「アレって?」
「異端審問官だ」
「まさか、キュラハのことか?」
「『霊長教会』が第三者機関となるのならば、こちらの味方として異端審問官が法廷に立てば、場は荒れるだろう……良い方にな」
「キュラハは味方になってくれない気がするけどな……。それに、まだ”迷いの森”からキュラハの魂だけ取り戻す方法は思いついてない」
「まぁ、何も言わずについてこい」
指が弾ける音と共に、一本の木が輪になるように独りでにねじ曲がる。
その間をリデューシャが抜けると、ふわりと煙のとなって消えた。
「転送魔法の種類が豊富だな……」
牧緒は感嘆のツッコミを入れながら、その後を追った。
転送先は、伏魔殿の一室。
牧緒すら初めて入室した、存在すら認識していなかった部屋。
中央には、祭壇のような石造りの台。
その上に、裸のキュラハが仰向けで横になっていた。
「ちょ、服は?」
「心配するな。アレの魔法具も保管してある」
リデューシャが手をかざすと、奥からキュラハの持っていた長い杖が手の平に飛んでくる。
「いや、だから服は!?」
「あれは魔法具でも何でもない、ただの布だ」
「服はぁ!?」
まるで人の扱いをしていない。
魔法具かどうかだけが、要不要の判断基準となっていた。
「全く、仕方ないな。アレが”迷いの森”で身に着けていた物は思い出せぬから……異端審問官の白装束を見繕おう」
リデューシャが薬指で円を描くと、キュラハの全身から皮膚を突き破って枝が幾本も突出する。
わさわさと葉が茂り、それは変質して修道服となった。
「これで良いか?」
「あ、あぁ。これでようやく直視できるよ」
リデューシャは祭壇に近づき、キュラハの額に手を当てる。
「今、これには魂が存在しない。空の器だ。そこに、妾の魂を入れる」
「憑依ってやつか?」
「少し違うな。妾の魂が、この器の動力となるだけだ」
肉体と魂が揃って、初めて人は成る。
肉体は物質に過ぎず、魂は動力に過ぎない。
キュラハの肉体に損傷はない。心臓も脳も無事だ。
生命を維持するための処置は、リデューシャが魔法で施している。
魂さえあれば、キュラハは再び動き出す。
「その間、妾の体は眠りにつく。もしも、魔境に危機が迫ったのなら、強引に魂を引き戻す。それで良いな?」
「あぁ、大丈夫だ」
その手筈には、何の問題も無い。
しかし、牧緒には気になる点があった。
「憑依じゃないなら、やっぱりキュラハを味方に付けるのは難しいかもしれないな」
キュラハが”迷いの森”まで同行したのは、命を懸けていたからに他ならない。
ならば、同じ異端審問官を裏切るとは思えない。
「案ずるな。思考を乗っ取ることはできないが、感情を上書きすることはできる」
牧緒は首をかしげて、次の言葉を待った。
「妾はマキオの味方だ。それは揺るがない。それが、これの感情に深く刻まれる。たとえ敵であった者でも、たちまち仲間というわけだ」
「それって、リデューシャの魂が入ってる間だけなんだよな?」
「まぁ、そうなるな」
一時的なものであれば、キュアラハが全くの別人に変わってしまう心配は無い。
裁判の間だけ利用すること自体には、牧緒は何の罪悪感も抱かなかった。
キュラハに騙されたことを、未だに根に持っているからかもしれない。
「これに状況を理解させるのに時間も必要だろう。早速取り掛かるぞ」
そう言って、リデューシャは目を瞑る。
「我が人生の帰着――示す道を辿れ」
安寧の魔法が、魂を操作する。
途端、リデューシャは力なく後ろに倒れた。
床は水のように跳ね上がり、波紋を広げる。
その体は、どこにも見当たらない。
それを見ても、牧緒に動揺は無かった。
きっと、どこか安全な場所に身を隠しているのだろう。
説明されずとも、今となっては慣れたものだ。
「ん、んん……」
キュラハが目を覚ます。
そして、ゆっくりと上体を起こした。
「あれ……眼鏡が……」
顔をペチペチと手の平で叩きながら呟いた。
辺りを見回すうちに、ぼんやりとした視界がハッキリとし始める。
パチリと、牧緒と目が合った。
「よぉ、久しぶりだな」
素っ気ない言い方だが、その目は旧友を見守るかのようだ。
「……好き」
何の脈略も無く、キュラハの口からそれは零れた。
「あ、いや、はぁ!?」
言った本人が、真っ先に動揺する。
「す、隙だらけだねぇ! マキオ君は!」
「何言ってんだ? 大丈夫か?」
「大丈夫ですけど!? てか、ここどこ!?」
キュラハは体を勢いよく捩じらせて、祭壇から転げ落ちる。
「落ち着けよ」
「あでで……アタシは落ち着いてますけど?」
最後の記憶は、恐らく”迷いの森”。
混乱するのも無理はない。
しかし、頭をぐちゃぐちゃにした原因は、覚えのない強い感情だった。
(か、かっこいいぃぃぃ! なんで!? なにこれ!? こ、恋なんてしたことないのに……)
キュラハは両手で顔を覆い隠して、溌剌に赤く染まった感情をしまい込もうとする。
リデューシャの魂が感情に与えた影響は、惚れ薬に等しい効果をもたらしてしまった。
次の土日に更新します。




