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55話 安楽椅子作戦

「あの、仲間を追わなくても大丈夫なんですか?」


 食堂に残されたレアラは、呑気に椅子に腰掛けた『渡り鳥の賛歌』の二人に声を掛けた。


「あぁ、俺たちは足手纏いだからな」


 ゾノンが歯を見せて言い切った。


「ラランは迷宮(ダンジョン)の探索兼マッピング役だし、俺に至ってはただの料理人だ」

「冒険者パーティーに料理人?」

「リジンはグルメなのさ。保存食なんかじゃ満足できないらしくてな。現地調達現地調理にこだわってんのさ」


 ゾノンとラランは、同時に溜息をついた。

 口先を尖らせながらも、その目尻は緩んでいる。


「『渡り鳥の賛歌』は少数精鋭なんて言われてるが、本当は単騎精鋭ってところだ。俺たちは、ただリジンを信じるだけでいい」


 不満や不安は存在せず、信頼と希望で満ち満ちている。


(ニャプチ君……)


 レアラは、立場も忘れてニャプチの身を案じた。


 ***


「うにゃあ!」

 

 ニャプチの拳がリジンに迫る。

 空中では、回避行動はとれない。

 精々、苦し紛れに体をよじる程度のことだけ。

 あるいは、正々堂々受けて立つか――。


 リジンは、ロープの魔法具を両手でビンと張ってから拳を受ける。

 衝撃を逃すために弛ませ、最終的に絡め取る算段だった。

 しかし、ニャプチは瞬時に拳を開いて、ロープを掴んだ。


「もっかいぶっ飛ぶにゃ!」


 体を大きく回転させてから手を離す。

 リジンは更に速度を増して、鋭角に地面へ向かって落下する。


(魔力で肉体を強化しても、この速度では……ただじゃ済まない!)


 咄嗟にロープを伸ばして、杉の木の(こずえ)に巻き付けた。

 杉の木は大きく撓り、落下の勢いを緩やかに殺す。

 そのまま、リジンは無事に着地を成功させた。

 一息つく間もなく、眼前にニャプチが落下する。

 土煙に溶け込んだ殺気が、リジンを掠めた。

 震える空気の感覚だけを頼りに、リジンは攻撃を避けて大きく跳んで後退する。


「今度こそ捕らえたよ」


 ロープは真っすぐ二人を繋ぐ。

 ニャプチすら反応しきれない手捌きで、その両手は後ろ手に縛られていた。


「足も縛らないと意味ないにゃ」


 拘束など物ともせずに、地面を蹴って構わず突撃する。

 それは蛮勇などではなく、拘束から抜け出したことを意味していた。

 リジンがロープを振り抜いても、ニャプチの軌道は変わらない。

 ロープの先が、虚しく空を舞う。


「また抜け出し――」


 ロープは切れていない。確実に拘束した。どうやって抜け出したのか見当もつかない。

 先の拘束を抜け出せたのは、華道のレアラが裏切ったのだとリジンは思っていた。

 彼女は、真っ先にニャプチを心配する声を上げていた。

 元々仲間だったのか、それとも奴隷だと勘違いして同情したのか。

 華道のレアラが拘束を解いてしまった理由は、いくつか考えられた。


(まさか、本当に自力で抜け出せるとは……)


 ニャプチの右腕が、風を切る。

 それはリジンの横腹に打ち付けられてから、貼り付くように背中を強打した。


「だっあぁ、がああああああ!」


 肉も骨も貫く痛みは、最速で脳に刺さる。

 まるで鞭の一撃。

 腕の太さの鞭が、目視できない速度で振り抜かれた。


「やり過ぎちゃったかにゃぁ。確か、痛いだけでも人は死んじゃう……ショック死とかいうやつだったかにゃ?」


 ニャプチは口先をひん曲げて、少し不安そうに身を屈めた。

 今までは、有無も言わさず意識を飛ばしてきた。

 雲が掻き消えるのではないかと思わせる程の叫びを聞いたのは初めてだ。


「う……ぐっ……」


 リジンはうずくまり、身動きが取れない。

 気を失えなかったのは、思考を止めなかったからだろう。


「なるほど……軟体……か」


 意識を万全な状態に覚醒させるため、自分に言い聞かせるように喉を詰まらせながら声を絞り出す。


「脊椎動物のつもりで結んだんだ……抜け出せるはずだ」


 限度はあるが、ニャプチの骨は硬度を自在に変化させることができる。

 いつでも部分的に軟体動物と化す荒業を実現する。

 鞭の如き一撃も、これによる所業であった。


「はぁ……はぁ、それに……魔法も効いてないときた……」


 リジンのロープは、安寧の魔法を成す魔法具。

 縛られた者は攻撃性を失い、心健やかに束縛を受け入れる。

 その上、魔力の込められたロープは強く引く程に強度が増す。

 力では簡単に抜け出せず、力で抜け出そうとも思わせないロープだ。


「君は、一体何者なんだ?」

「ニャプチだにゃ」

「はは……そうか、ニャプチか」


 本人も答えを持ち併せていない。

 そう悟ったリジンは、諦めたように笑った。


「んにゃ?」


 ニャプチの耳がピンと立ちあがり、鼻をひくつかせる。


「良くない感じがするにゃ」


 伏魔殿の方を見上げて、眉を顰める。

 丁度その頃、魔女の部屋の前でオーギュオンが冒険者たちを一掃していた。

 それを野生の勘が嗅ぎ付けたのだ。


「戻るにゃ!」


 そう言って、地面を削り取る程の跳躍で伏魔殿へ向かう。


「んにゃ!?」


 足首の違和感に目を向けると、そこにはロープを巻き付けたリジンがぶら下がっていた。


「置いて行くなんて酷いな……。俺は、魔境の王と話したいだけなんだ……」


 二人は大きく弧を描いて、伏魔殿の窓をぶち破った。

 そこは、紫色のカーペットが敷かれた広く長い廊下。

 天井は高く、装飾のための梁が幾本も交差して異質さを醸し出す。

 連なる歪な形の窓と両端の黒い扉は、得も言われぬ圧迫感を生み出していた。

 

「……王様と話がしたいなら、そっちに進むといいにゃ」

「え?」

「ボクは他にしないといけないことがあるから、もう行くにゃ」


 ニャプチは足首のロープを解いてから、てこてこと走り去って行った。


「見逃された……?」


 未だに痛みで膝が笑う。

 それでもリジンは、示された方へ歩みを進めた。

 

「ここは最上階か。ということは、この扉の先に魔境の王が……」


 黒い扉に手を当てて、リジンは苦しくなるまで息を吸い込んだ。


「さて、死んでくるか」


 陽気に覚悟を決めて、扉を押した。

 そこに玉座など存在せず、荘厳なあしらいも見当たらない。

 書斎兼寝室といったところか。

 扉の前に設置されたデスクの奥に、黒革の椅子の背がシワを光らせている。

 

「やぁ、よくきたね。紅茶、いる?」


 椅子がくるりと回り、魔境の王――牧緒が剽軽な顔を見せた。


「い、頂きます」


 呆気にとられながらも、リジンは返答した。

 マナー的に断るべきだったかと後悔して舌が乾く。


 牧緒は立ち上がって、無防備に背を向けた。

 ガラスの戸棚を開けて、カチャカチャとカップを鳴らす。


「好きなところに座っていいよ」


 ポットを傾けながら、牧緒は促した。


「では、失礼して……」


 リジンは、デスクの正面に設置されたソファへ腰を下ろす。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 ソファの前の低い机にカップが置かれた。

 拍子抜けして、持ち上げたカップが手から滑り落ちそうになる。

 魔境の王からは、全く覇気が感じられない。

 それどころか、肉体の完成度も一般的な農夫と同じか僅かに劣る。

 ニャプチの強さを一目で感じ取ったリジンの感覚は、牧緒を弱者だと認識させた。


(魔境の王が弱いっていうのは……本当だったのか)

 

 そう思った途端、紅茶を口に運ぶのが怖くなった。

 弱き者が敵を排除するには、小細工が必要だ。

 ならば、これには毒が入っているかもしれない。

 不安を表に出さないように、静かにカップを置いて即座に言葉を紡ぐ。


「俺は『渡り鳥の賛歌』のリーダー、リジン・カリアムと言います。あなたが、魔境の王……なんですよね?」

「あぁ、そうだよ。信じられないかな?」

「いえ、そういうわけでは……。ただ、想像と随分違ったもので」

「まぁ、普段はもっとこう、尊大に振る舞ってるけどね」


 暫くの沈黙の後、再び牧緒が口を開く。


「君は俺を殺しにきたのか?」

「滅相も無い! 俺は話をしにきたんです。戦いにきたんじゃない」

「玄関の鐘は鳴ってないようだけど」

「それは……」


 話がしたいのなら、事前に謁見を申し込むべきであるのは間違いない。

 だが、門戸を開いていない魔境へは、不法侵入という手段を取らざるを得なかった。


「それに……お前たちは俺の仲間を殺したな?」


 正しくは、魔境の住民をサポートするために雇った傭兵たちのこと。

 最初に侵入した『秩序の剣』が、複数人の命を奪っている。

 それは、電報でミシェルから聞き及んでいた。


「言い訳はしません。しかし、どこかで話し合いのテーブルにつかなければなりません」


 傭兵殺害に、リジンは関与していない。

 だが、認めた上で対話を望んだ。


「恐怖で押さえつけ、力を振りかざすばかりでは、『惡の特異点』は永遠に世界の敵のままです」


 リジンが提示できる、和平への案などありはしない。

 目的は、あくまで『惡の特異点』の今後の目的を探ること。

 それらしく会話を重ねながら、それを引き出そうと必死なのだ。

 魔境の王への提言ともとれる発言は、一歩間違えれば死に直結するだろう。

 リジンは、それを覚悟で魔境の王から本音を語らせようと目論む。


「悪い、もう少しゆっくり話してくれないか? 俺はまだ、この世界の言語に不慣れなんだ」


 そう言って、牧緒は肘をついたまま指を立てた。

 専門的な用語でなければ、牧緒が聴取を誤ることは無い。

 これは、虚言による論旨の誘導である。

 

「この世界……?」

「ん、もう勇者から伝わってると思ったんだけど、違ったか」


 牧緒はわざとらしく嘯いた。


「俺は、異世界から召喚された転移者なんだ」


 リジンはごくりと喉を鳴らす。


「何故、この世界へ?」

「ははは、望んだわけじゃない。俺は無理やり連れてこられただけだ。みんなを連れて、元の世界へ戻りたいんだけどね……。如何せん、方法が分からない」

「じゃあ、何で魔境なんてものを……。色んな国が、戦争のための兵を集めているんだと考えています」

「魔女や唯一竜がいるのに、兵士なんて必要ないだろ。今のままだと、悪の組織みたいで怖がられると思ってさ。だから、魔境を作って信頼を得ようと思ったんだ」


 牧緒は気さくに話し続ける。

 故に、リジンの緊張は緩み、魔境の王を相手にずけずけと言葉を紡ぎ出すことができた。


 ”安楽椅子作戦”は、完遂されつつあった。

 敢えて魔境から魔女を遠ざけ、唯一竜や魔王が活動不能であることをオルガノの口から他国に流す。

 それにより、≪終末級≫の脅威が不在となった魔境への侵入を促した。

 目論見通り、七ヶ国同盟の加盟国は結託して、S級冒険者を送り付けることとなる。

 侵入者にはそれなりに苦労してもらい、一人か二人、または一組のパーティーが辛うじて牧緒の下まで辿り着いたと演出する。

 そこで牧緒は、異世界へ渡りたい旨と、魔境を作った目的を話す――。


 命懸けで持ち帰った情報は、世界の希望となるだろう。

 そこから期待される、『惡の特異点』への特典は二つ。

 一つは、魔境と他国の関係不和の緩和。

 魔境の王が話の通じる相手であると認識されれば、魔境への関わり辛さの払拭が期待できる。

 一つは、『惡の特異点』を排斥する動きの強化。

 異世界へ渡る方法さえ見つかれば、『惡の特異点』を互恵的にこの世界から追放できる。

 聞こえは悪いが、理想的な着地点。

 牧緒たちは何もせずに魔境へ居座っているだけで、世界各国がこぞって異世界へ渡る方法を探し出す。


 自ら率先して目的を明かしてしまえば、嫌でも何か裏があると邪推されるだろう。

 魔境――延いては『惡の特異点』を出し抜いて、情報を手に入れたと思わせることが肝要だった。

 これこそが、”安楽椅子作戦”の全容である。

 

「俺は『惡の特異点』を誤解していました。魔境の王、あなたは――」

「そんなことより、話を戻そう」


 対話の中でリジンが希望を見出だした時、牧緒はそれを打ち砕くかのように遮った。


「俺の仲間を殺した罪は、どう償ってくれるんだ?」


 それは、到底弱き者から発せられる殺気ではなかった。

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