54話 蛹
伏魔殿、食堂――。
いつまで経っても戻ってこないニャプチに痺れを切らし、無詠唱のドーラは立ち上がった。
「私たちは魔女の心臓を探しに行きましょう。ここは頼みましたよ、レアラ」
「わ、私一人でですか?」
「あの獣人とは仲が良かったのでしょう? 見知らぬ者がいるよりも、あなた一人の方が心を開きやすいでしょう」
「しかし……」
「ここは敵地の中枢。私たちは数の力で身を守りながら探索を進めなければなりません。理解してください」
「……はい」
無詠唱のドーラは、他18名の仲間を引き連れて食堂を後にする。
「レアラ様だけで本当に大丈夫なのでしょうか?」
一人が不安をこぼした。
「えぇ、彼女もS級冒険者。生き残るための立ち回りは心得ているでしょう」
冒険者に必要なのは強さ。
しかし、最も重要なのは生存能力。
S級冒険者ならば、当然備えている能力だ。
「惑わす魔法や罠らしき物もありませんね。正式に招かれたことが功を奏したのでしょうか」
無詠唱のドーラは、あまりに単純な作りの伏魔殿に拍子抜けした。
構造は、複雑というより乱雑。
しっかり見極めれば、迷うことも無い。
「さぁ、こっちです」
「ドーラ様、一体どちらへ?」
「忘れたのですか。私たちは魔女の心臓を探しにきたのですよ? 魔女の部屋へ向かっているに決まっているではありませんか」
「場所が分かるのですか?」
「もちろんです。私ほどになれば、魔力の痕跡を追うことも容易いのです。特に、魔女の魔力は特殊……点々と続く痕跡の先に、必ず魔女の部屋はあります」
無詠唱のドーラは、誇らしげに顎を上げて語った。
横幅の広い緩やかな階段を上り、角ばった細い廊下を進むと、その先に両開きの扉が見える。
「間違いありません。あの部屋です」
金色に輝く南京錠が、全員の視線を釘付けにした。
自然と歩幅も広がり、靴底が床を叩く音も遠慮を忘れていく。
「ついに、魔女の心臓が……あ、あぁ……お、おぉ?」
無詠唱のドーラは、妙な声を上げながら立ち止まった。
全身の筋肉が強張り、糸に引かれるように節々を尖らせている。
明らかに異常事態。
「どうされましたか!?」
一人が警戒しながら声を掛ける。
すると、無詠唱のドーラは一転して手足をだらんと脱力させた。
「まじょにょぉ、へあらぁ」
だらしなく口をあんぐりさせて、声を吐き出す。
同時に、服の隙間から何かが垂れた。
「ド、ドーラ様……。これは一体!?」
体中の皮膚がドロドロに溶けて流れ出す。
それが徐々に赤色に染まる頃、無詠唱のドーラの中から別の何かが形を現した。
「ふぅ……ようやく自由になれたか」
深く息を吐いた男は、白い修道服を身に纏っている。
ドロドロの粘液を弾き、一切の染みも許さない。
「なんだ貴様は! ドーラ様をどこへやった!?」
全員が男を囲み、杖を向けて凄んだ。
「私は異端審問官が第一席……いや、名乗る意味は無いな」
正体は、オーギュオン・ベヘル。
だが、決して無詠唱のドーラの姿を真似て成り代わっていたわけではない。
紛れも無い本人の体を蛹と化し、羽化したのだ。
無詠唱のドーラの乗っ取りは、冒険者パーティーが集結するよりも前に行われていた。
『霊長教会』最高司祭が保有する天記の書の原本にて、迅速に情報を収集して状況を把握。
誰にも悟られることなく、事前準備を整えた。
「異端審問官が、何故っ……!」
その疑問に返答はない。
あるのは、無慈悲な魔法のみ。
オーギュオンは人差し指と中指を束ね、無造作に振った。
詠唱も無く、防ぐ隙も与えず、結晶魔法は10人以上の人間を瞬時に石英へと変えた。
「ひ、ひぃぃぃ!」
生き残った者は、悲鳴を上げて杖を放り出し、背中を向けて走り出す。
当然、最速の魔法から逃れることなどできはしない。
全員の肉体は固まり、そして鋭利な石英に貫かれた。
「……貴様、何故ドーラ様の……魔法……を……」
僅かに石英から半身を逃れた者が、傷ついた肺から精一杯の空気を送り出して問う。
結晶魔法は、先端に水晶をあしらった杖の魔法具が成す魔法。
しかし、オーギュオンは床に転がった杖を手にしていない。
それどころか、無詠唱のドーラの技術によって実現されるはずの”最速”すらも行使している。
「蛹の業は、何であろうと全て私に受け継がれる」
そう言って、右袖を摘まんで手の甲の刺青を見せる。
オーギュオンは、結晶魔法を魔法陣に落とし込んでいた。
「そんなこと……できるわけが……」
「だが、これが現実だ」
言い切ってから、生き残った一人に指を差す。
結晶魔法が、その者の体を完全に包み込んだ。
「素晴らしい魔法と技術だ。暫くは上書きせずに使わせてもらおう」
オーギュオンは、何らかの魔法を以って他者に潜り込み、蛹とする。
蛹となった者は、否応なしに命と業を盗まれる運命にある。
手に入れた魔法は、適性を無視して完璧に使いこなすことができる。
彼は、異端審問官の中で最も残酷に仕事を遂行する。
未だかつて、ただの一度も失敗したことは無い――。
***
食堂を後にした無詠唱のドーラたちとすれ違う形で、ニャプチが戻ってきた。
足で扉を蹴り開けて、両手に持った何かをテーブルに滑らせる。
それはトレイの上に乗ったポットとカップ。
そしてもう一つは、紙切れのように薄い炭の入った大皿。
「真っ黒になっちゃったにゃ☆」
舌を出して誤魔化す。
恐らくそれは、薄切りにしたジャガイモの成れの果てだ。
「やっぱりユレナがいないと上手くいかないにゃ」
ニャプチ自ら、牧緒の提案したポテトチップスを作り上げた。
「わ、わぁ、おいしそう……」
レアラは、眉間に一筋の汗を滲ませながら言った。
「ホントにゃ? じゃあ、ボクも食べてみるにゃ」
苦しいお世辞を真に受けて、ニャプチは炭を数枚摘まんで口に運んだ。
「…………」
終始無言のまま、もちゃもちゃといつまでも口を動かし続ける。
目はどんどん細くなり、フワフワの耳と尻尾は徐々に垂れ下がって行く。
食べ物を吐き出したくないという意地と、脳が拒絶するほどの苦みがぶつかり合って、最終的にそれは頬袋の中に仕舞われた。
「これは食べない方がいいにゃ」
「そ、そっか……」
一瞬、気まずい空気が流れる。
ニャプチにとっては、その空気が話を切り出す良い切っ掛けとなった。
「”先生”って呼んでた人がどこにいるか知ってるかにゃ?」
頭の中はずっとそれだけだった。
だから、レアラ以外の人間がどこかへ消えたことなど眼中にない。
「ごめんね。私も分からないの」
二人は同時に悄然とした。
「もしかして……ニャプチ君も先生の名前を知らないの?」
「聞いたこと無かったにゃ」
「そう、なんだ。研究員として雇われた私たちにも、先生は名乗らなかった。変わった人だとは思ってたけど、まさかニャプチ君にも教えてないなんて……」
異質。誰もニャプチの生みの親の素性を知らない。
「ま、人生のついでのついでのついでぐらいの気持ちで探してるだけだから、別にいいけどにゃぁ」
椅子にもたれ掛かって口をひん曲げたその態度は、本当に気にしていないように見えた。
それがただの強がりであることに、レアラは気付いている。
「研究所の地下……、赤い鉄扉の先に入ったことはある?」
「そんな扉あったかにゃ?」
「そこに、先生の研究の成果が残ってる。きっと誰も持ち出してないはずだよ」
残された研究結果は、全て解読不能な未知の言語で記されていた。
だから”先生”が去った後も、誰もそれを盗み出そうとはしなかった。
時間をかけて解読するほど、価値のある物とも思えなかったのだろう。
「もしかしたら、そこに手掛かりがあるかもしれない。先生が独自に考えた言語をニャプチ君なら解読できるんじゃないかな?」
「うーん、全然無理だと思うにゃ」
手の平をパタパタと振ってから、椅子を傾ける。
「でも、ありがとにゃ。気が向いたら家に戻ってみるにゃ」
ニャプチ一人では、恐らく解読は不可能。
だが、今は仲間がいる。
ごたごたが落ち着いたら、帰省してみるのも悪くない。
そんな風にニャプチが考えていると、ギイィィと食堂の大扉が開いた。
視線を合わせた先に、三人の冒険者たちが立っている。
「あなたたちは、『渡り鳥の賛歌』……」
「えっと、あなたは確か……華道のレアラさんでしたっけ?」
リジンはこめかみに指を当てながら絞り出した。
「あぁ、そうだにゃ! レアラだにゃ!」
急に声を上げたニャプチに、レアラは少しだけ腰を浮かせて驚く。
「名前、憶えてくれてなかったんだ……ははは」
レアラは、軽く俯いてから落ち込んだ気持ちを小さく吐き出した。
「そっちの方は?」
「ボクはニャプチだにゃ」
「あぁ、魔境に連れてこられた獣人……じゃあ、なさそうだね」
リジンは、静かにその正体を見破った。
もちろん、合成獣人などとは思いもしない。
ただ、その内に眠る強さが、元奴隷とは思えない程に燃え上がって見えただけだ。
「うにゃぁ……」
ニャプチは”安楽椅子作戦”において、牧緒の所まで到達させる冒険者をレアラに決めていた。
知り合いであることは、侵入者を自然に先へ通す条件として違和感が無い。
だから、目の前の新たな侵入者をどうするか考えた。
「やっちゃうにゃ」
心に決めてからは早かった。そして、速かった。
即座にリジンへ跳びかかる。
「うわっ!」
リジンは一歩下がってから、手の甲でニャプチの鳩尾を軽く押し上げた。
たったそれだけの動作で、跳びかかったニャプチの体は簡単に受け流される。
「にゃにゃにゃにゃにゃあ!」
まるでシーツをはためかすかの如く、リジンは神速の反応速度で避け続けた。
徐々に速度は上がって行き、巨大なヌンチャクを振り回しているかのように、リジンの周囲に残像が走る。
「ほっ」
小さく息を吐く声と同時に、リジンは何かをポイッと放り投げた。
「ふにゃっ」
玉のように体を丸めたニャプチが、ぽむりと床を跳ねる。
いつの間にかロープで絡めとられた姿は、さながら縛られたボンレスハム。
「ニャプチ君!」
「それは魔法具のロープだ。力では絶対に切れないよ」
リジンは、荒くなった息を整えながら説明した。
「さて、ララン。もう一度頼むよ」
「えぇ、待ってて」
ラランと呼ばれた魔法使いは、30センチほどの杖を編まれた髪に差し込んだ。
「風よ、望む者の行方を指し示せ――」
切るように杖を振ると、髪の毛はふわりと解けて逆立った。
髪の毛は一人でにうねり出し、再び編まれていく。
三つ編みの毛先が、鏃のように鋭く固まる。
それは、ビンと上を指した状態で静止した。
「まだ上か」
「この調子だと、きっと最上階だね」
ラランは、経験則から自らの髪の毛が指し示した先を具体的に予測した。
「お、何だこれ」
「ゾノン、変な物食べちゃダメでしょ」
「うっ、これは酷い……」
ゾノンと呼ばれた背丈の高い男は、机の上に置かれた炭をつまんで、すぐに後悔した。
「じゃあ、階段を探そうか」
「階段の場所も私の魔法で探そうか?」
「いいよ。迷うのも楽しいし」
リジンは余裕を見せながら、食堂を突っ切ろうとする。
その時、背後から投げられたロープの先が、リジンの両腕ごと胴に巻き付く。
「逃がさないにゃあ」
「どうやって抜け出し――」
驚きを声にしきる前に、ニャプチはロープを振ってリジンを伏魔殿の外へ放り投げた。
窓を突き破って、拘束されたままリジンは宙を舞う。
幸い、ニャプチはロープごと手放した。
体に巻き付いたロープは結ばれているわけではない。
リジンはそれを直ちに巻き取り、体勢を整える。
「思った以上に厄介な相手だったってわけか」
迷わず後を追って跳びかかるニャプチの姿を見て、リジンは唾を飲み込んだ。




