53話 幻想
迫る屍たちはピタリと動きを止めた。
「捕縄呪縛――」
ジュガが行使した魔法は、広範囲にわたって動きを強制的に静止させるものだった。
更に、名を知る者ならば対象外とすることも可能。
当然、家族は魔法の影響を受けない。
「気を付けろ、魔法までは止められん。燃やす男の視界に入らぬように仕留めるんじゃ」
他の者は、ジュガの指示に従って動く。
アンデッドであれば素直に首を刈れば仕留めることができる。
しかし、『死者への冒涜』によって動かされる屍たちは、何をどうしても動き続ける。
対応策があるとすれば、魔力の供給を断つか、体をバラバラにすることぐらいだろう。
それを知らない彼らは、屍たちの首を断とうとする。
ジュガが魔法を解いたとき、尚動き続ける屍に驚くことだろう。
だが、少なくとも彼らが負けるとは考えられない。
『死者への冒涜』は強力だが、50人程度の屍ではS級冒険者たちを抑え込むには物足りない。
一時苦しい表情を見せた『這い寄る静寂』であったが、結果的には勝利を収めた――かに思えた。
「く……がはっ……」
ジュガの首は裂かれ、そこから夥しい量の血が流れ落ちる。
「じいちゃん!」
キプロスは叫びながら直ぐにでも駆け寄りたかった。
だが、膝から崩れ落ちたジュガは手印を保っていられない。
屍たちは再び動き出すだろう。
それに、ジュガを襲った者の正体も掴めていない。
まずは状況を把握することが生き残るための最優先。
ぐっと下唇を噛んで、キプロスは気持ちを押し殺した。
「何故動ける……何者だ?」
カルスは、陰に隠れた何者かに問いながら目を凝らす。
「何者と言われましても……。それはこちらのセリフではないかしら」
現れたのは、黒いローブを纏った白髪の女性。
白い肌は、日差しで燃えてしまいそうなほど透き通っていた。
「兄貴、気を付けろ。風の魔法による遠距離攻撃かもしれな……」
「カルス?」
キプロスは、急に言葉を詰まらせた弟の方へ視線を向ける。
そこに弟の顔は無く、ふらふらと揺れる体だけが残されていた。
「おのれえぇ!」
息子を失ったアルサは、剣を抜いて跳びかかる。
振り抜かれる前の鋼の剣は、根元から切り落とされた。
同時に、アルサの胴も二つになる。
「母さん……」
キプロスは動けない。
あまりに圧倒的な実力差。
これほど何の前兆も気配も無く、確実に死に至らしめる攻撃を見たことが無い。
「降参するよ」
ムランが両手を挙げた。
「やめろ、ムラン」
「だって、もう無理でしょ。みんな死んじゃったし……」
父の言葉は届かない。
ムランの心はもう折れていた。
「それは助かります。きた道を戻って、帰ってください」
白い女はあっさりと降参を受け入れた。
「馬鹿者! これは幻想じゃ!」
地下の冷たい空気が、その一言で熱される。
死んだはずのジュガが、確かにそこに立っていた。
「屍共が動いておらぬのは、儂の魔法が死んでおらぬからじゃろう! そんなことにも気付けぬとは……!」
ジュガは、家族を叱咤しながら必死に魔法を維持している。
広範囲に行動を制限する魔法の魔力消費量は膨大。
しわくちゃの額には、大量の汗が流れていた。
「うぅ、私はいったい……」
「い、生きてる……?」
アルサとカルスが目を覚ます。
「あらあら、気付かれてしまいましたか」
そう言って、白い女は眉の端を下げてから手の平を頬に当てた。
「幻想ならばっ!」
キプロスはすぐさま距離を詰めて、白い女の胸を手刀で貫く。
「何だ、これは……?」
しかし、はためいたローブの感触が指先に残る以外、全く手応えが無い。
胸を貫いたはずの腕を、白い女が両手で掴んで離さない。
「躊躇いなくレディの体に触れるなんて、紳士ではありませんね」
キプロスはそれを間近にして、ようやく正体に気が付いた。
そこに白い肌も艶やかな白い髪の毛も存在しない。
あるのは白い骨格だけ。
今までキプロスたちが見ていたものは、フォリパスが幻想魔法で生み出した、偽りの姿だった。
右腕は、フォリパスの肋骨の隙間に挟まっている。
「昔、何本か失ってしまって……。隙間が広いんです」
フォリパスは、まるで乙女の秘め事を知られたかのように、照れ臭そうに俯いた。
「アンデッドの次は……、スケルトンかっ!」
「あら、私はスケルトンではありませんよ」
キプロスは右手で背骨を掴み、左手で頸椎を掴んだ。
「父さん、今だ! こいつを粉々に砕くんだ!」
捨身の覚悟で叫ぶ。
しかし、返ってくるのは静寂のみ。
「父さん!? カルス! ムランでもいい!」
「さっきから、誰を呼んでいるんですか?」
「ぐっ……、どうしたんだ皆!」
キプロスが振り向くと、そこに家族はいなかった。
静寂が満たす暗闇の中で、ふらふらと揺れる屍が眼球を光らせている。
「あなたは、最初から一人でしたよ?」
「は……? そ、そんなわけ……」
動く屍が、キプロスを取り囲む。
ゆっくりと伸びる腕が、四肢に纏わりついた。
大量の指が、肉を掴んで引き裂いて行く。
首筋に歪な歯が群がる。
じゅぶじゅぶと血液を吸い上げながら、屍たちはキプロスの全身を平らげた。
――鳥の囀りが、朝日と共に呆けた体を覚醒させる。
「はっ!」
キプロスは勢いよく上体を起こして、汗を吸って重くなった寝具に触れた。
「くそっ……、何て夢を……」
「何? 悪夢見ておねしょでもしたわけ?」
天井の梁に足をかけてぶら下がるムランが、クスクス笑いながらからかう。
「うるさい……。でも、夢で良かった」
過ごし慣れた、いつものギルド宿舎。
微かに鼻先に触れた香の匂いが、キプロスの胸を撫で下ろした。
――冷たい床に身を預けたキプロスが、白目をむいたまま寝言を繰り返す。
「……夢で……良かった……」
他の家族たちも全員、同じように倒れ込んでいる。
「なるほど。敢えて侵入者を受け入れるために、魔女様が細工をされたのですね」
フォリパスは、何故簡単に地下への道を繋げられたのか考える。
”安楽椅子作戦”のことは聞いていた。
段階的に侵入者を自然に通し、最終的には一人または一組の侵入者を牧緒まで到達させる。
それが作戦の概要。
「ここで無力化してしまったのは……まぁ、大丈夫でしょう。他にも伏魔殿に侵入した者はいるようですし」
ニャプチが招いた者たちのことを、フォリパスは把握していた。
伏魔殿は、元々彼女の拠点。
至る所に”目”が仕込まれている。
牧緒やリデューシャの部屋の”目”は潰されてしまったようだが、それ以外は全て機能していた。
「でも、この人たちをどうやって外まで運びましょうか……」
細腕を撫でながら、フォリパスは途方に暮れた。
***
時は僅かに遡り――。
「司令官、あれは……」
『秩序の剣』の一人が、雲の陰に紛れた一閃を見上げて言った。
鳥ではない。ましてや、ワイバーンの類でもない。
カタパルトで射出された岩と見紛う程の速度と丸みだ。
それを見たのは二度目。
一度目は、ミシェルとの攻防を終えて直ぐ、反対の方へ飛んで行った。
二度目のそれは、元きた方角へ向かって行く。
「……あれとは闘りたくねぇな」
ターダは、空を一瞥して舌打ちした。
周囲には、整地された歩道と木製の建物が並んでいる。
そのほとんどは未完成に見えるが、家としての低限の機能は担保されていた。
「獣人たちの町でしょうか?」
奴隷強奪事件を鑑みれば、ここに獣人が住んでいると思われる。
しかし、人の気配はしない。
家に立てこもっているわけでもなさそうだ。
「これは……嵌められたな」
ターダは、そよ風に転がる歩道の砂粒を見て確信した。
慌てて逃げ出した様子がない。
大勢が駆ければ、地面は削られ色も変わる。
隅に重ねられた材木も、一片たりとも転がり落ちていない。
露店と思しき場所に配置された籠の中には、萎れた葉が数枚残るばかり。
明らかに、事前に避難が完了している。
報告に挙がっている1万の獣人が、統率を保ったまま移動するには数日を要するだろう。
「獣人共は退避させたのに、門番は残したのか……。チッ、きな臭ぇな」
牧緒の”安楽椅子作戦”では、自然に侵入者を受け入れる必要があった。
そのために門番は必要不可欠。
だが、万が一にも獣人たちが犠牲になる可能性を残せなかった。
それが、牧緒の精神的な弱さによる失策。
結果的に、ターダは状況を訝しんだ。
「やめだ、やめ。戻るぞ、お前ら」
「良いのですか?」
「陽動って意味では、十分仕事はしただろう」
ターダの判断は早かった。
全身に満ちていた慢心は見る影も無く干上がり、警鐘が頭の中で響く。
「あぁ、ちょっと待ってください。それは困りますわ」
屋根の取り付けられていない、未完成の物見台の上から少女の声がした。
広げた日傘が、後光に照らされて黒く禍々しくターダたちを見下ろしている。
「悪いな。あんたが誰だか知らねぇが、俺たちは降りる」
「そうはいきませんわ。余計な疑念を持ち帰ってもらっては困るのです」
適当にあしらって背を向けたターダの前に、先ほどまで物見台にいたはずの少女が立っている。
「幻想魔法か。厄介だな」
立ち塞がったのは、ユレナだった。
「あんたが『惡の特異点』の令嬢か。魔王は封印されてるんだろ? 痛い目に遭いたくなかったら、そこをどきな」
ターダは終始強気に出る。
「少しぐらい役に立っておかないと、何だか居心地が悪くって……。きっとわたくし、料理ができてセンスが良いだけの、か弱い美少女だと思われているんですよね」
ユレナは、溜息をついて日傘を回しながら愚痴をこぼした。
「お前ら、魔法を行使することを許可する。全力で叩け!」
「「はいっ!」」
一歩も引かないユレナに対して、ターダは一切の手心を捨てた。
同士討ちの危険性があったとしても、相手は『惡の特異点』の一人。
ミシェルの時とは、わけが違う。
「閃光剣――!」
光輝いた剣が、五つに分裂して同時に別の軌道を描いて振り抜かれる。
全て回避された時のために、左右を囲んで次弾の魔法が準備された。
ユレナは日傘をたたみ、スカートを大きく広げながら一回転した。
「おごっ!」
分裂した光の剣は全て何かに薙ぎ払われ、戦士も同時に吹き飛んだ。
鞭のようにしなった後、ゆっくりと回るのは魔王ロキアズルの太き尾だった。
「フォリパス卿のご指導で、幻想魔法をより磨き上げることができました。そこに、魔女様に提示いただいた”魂の融合”の発想を加えてみましたの」
幼さの残る笑顔を浮かべて、ユレナは新たに手に入れた力を得意げに話す。
「しっ!」
ターダは、仲間ごと斬るつもりで不可視の斬撃を飛ばした。
ユレナの両脇の仲間たちは、それを覚悟で引かずに炎の魔法を放つ。
ヒュヒュヒュヒュヒュ――。
警戒に風を切る音が炎をかき混ぜて、不可視の斬撃ごと空へ散らす。
「自分自身を幻想魔法で騙して、疑似的な”魂の融合”を実現しました。わたくしは今、魔王の尾とそれが成す魔法を得ています」
魂は二つ。しかし、それは一つの脳を共有する。
肉体に接続された魂を誤認させ、魔王の力の一部を一時的に借り入れた。
「不落の動――。わたくしに差し迫る全ての脅威は、問答無用に弾かれますわ」
ユレナは唇に人差し指を当てて、不敵に詠唱した。
そして、尾の先を地面に突き刺して弾くように跳んだ。
ターダに跳びかかるまでに、幾度も不可視の斬撃が振り抜かれる。
それらはすべて、魔王の尾が自動的に弾き飛ばす。
(尾の反応速度と可動域が魔法によるものなら……相反魔法で撃ち落とす!)
『不落の動』は、必中の要素を持つ魔法。
それに相反する魔法は、絶対回避の魔法。
または、物理的な接触を否定する魔法。
「剣よ! 斬れぬモノを否定しろ!」
跳び上がったユレナが眼前に迫った瞬間、ターダは詠唱しながら剣で魔王の尾を弾いた。
剣が帯びた魔法は、刀身に何者も触れることを許さない。
本来は、水や炎といった決まった形を持たない物を疑似的に斬るために使われる。
それは必中の魔法と衝突し、互いの魔法は一時的に消滅した。
その隙間に、ターダの最後の一振りが差し込まれる。
「あっ」
ユレナは小さく断末魔を上げて、腰から肩に掛けて切り裂かれた。
しかし、噴き出したのは血液ではなく、薄桃色の花びらだった。
「……忘れてた……ぜ。くそが……」
ターダは、後頭部に走った痛みと衝撃に膝を付く。
魔王という力を象徴する脅威に対して、警戒すべき魔法の一つを不覚にも失念していた。
跳びかかったユレナ自体が幻想。
演出された攻防は、全てユレナが相手の手を予測して事前に組み込んだ映像に過ぎなかった。
「ふぅ、もう一発!」
いつの間にかターダの背後に回っていたユレナは、再びターダの後頭部を日傘で殴った。
喉を詰まらせた声を出して、ターダはパタリと倒れる。
「し、司令官……」
魔法がターダに当たることを危惧した仲間たちは、誰も先の攻防に割り込めなかった。
そして、誰もターダが負けるとは思っていなかった。
「残りの方々をボコボコにするまで、何とか魔力は持ちそうですわ」
そう言って、ユレナは日傘をポンポンと手の平で叩きながら微笑んだ。
「あ、ご心配なさらず。フォリパス卿の幻想魔法で記憶を弄ってから、ちゃんと帰してあげますので」
魔境へ意図的に誘い込んだという証跡は、消さなければならない――。




