5話 奈落
「――これが、俺の罪だ」
牧緒はオルガノを睨みつけた。
「俺は生きるために命を懸ける――勝算なんて無くても、俺は前に進む……!」
魔力も無く、知恵も無い。
脱獄など憚られるほどの、稚拙な発想と穴だらけのロジック。
それでも、牧緒は信じている。
諦めなければ、いつか必ず逢えるのだと――。
「くはははは! 良いだろう、協力してやる」
オルガノは杖の先を地面に叩きつけながら、大声で笑った。
「ず、随分簡単に手の平を返すじゃないか……」
不気味な悪寒が、牧緒の背を撫でる。
「ただし、条件がある」
「なんだよ……?」
「奈落には、とある貴族令嬢が収容されている」
一度深く呼吸してから、オルガノは続けた。
「ユレナ・フォス・マルジルク――儂の実の娘だ。本人はそれを知らぬがな……」
オルガノの低い声が、まるで牧緒の首を絞めつけるように纏わりつく。
「ユレナって……あの死刑囚の?」
「知っていたか。その通りだ」
その貴族令嬢は、20日後に処刑が決まっている。
そして、脱獄計画に元々組み込まれている人物でもあった。
偶然その名が出たことで、牧緒は僅かに動揺する。
「まさか……」
「ユレナをここから出せ。それができなければ、貴様は一生をここで過ごすことになる」
娘の存在こそが、オルガノの核。
「あんた、娘を助けるためにここへ来たのか?」
「……ただの偶然だ」
ユレナがヴァーリア監獄に投獄された頃には、オルガノは既にここにいた。
しかし、看守から仕入れていた囚人たちの情報で、娘の所在を知ることになる。
「できると言え」
「……あぁ、できるさ」
牧緒は、全てを察した。
娘と脱獄するつもりで掘った、制御室への横穴。
しかし、逃亡手段を用意できず、娘の処刑の日が迫る。
故に、オルガノは全てを諦めた。自らの命すらどうでもいいと。
「俺の罪を聞いたのも、娘に相応しい人間かどうかを確認するためか」
「貴様は情けない男だが、悪人ではない。そんな者は、このヴァーリアには他におるまい」
娘に近づくのが殺人鬼や強姦魔では、オルガノのお眼鏡にはかなわなかっただろう。
結果的に、牧緒が無能であったお陰で、協力関係は結ばれた。
「さぁ、計画を話せ」
この時、牧緒の計画は狂いつつあった。
ユレナが死刑となること――それ自体が脱獄に肝要であったからだ。
だが、それをオルガノに語ることは許されない。
「その前に聞かせてくれ。ユレナは何で奈落に?」
ただの貴族令嬢が、奈落に収容されるのは考えづらい。
魔女に並ぶ魔法の天才でもなければ、一般房にいるはずだ。
「儂の血を引くこと以外、ユレナはごく普通の人間だ。だが、そんなことはどうでもよい」
話題をそらし、計画を組みなおす時間を稼ぐ作戦は失敗した。
「……じゃあ、まずは唯一竜を仲間にする方法について話そう――」
牧緒は、逃走ルートの確保と、その後の潜伏先について話す。
その際、二つの事実を伏せた。
一つは、先述したユレナの件。
一つは、勇者の存在。
歴代最強と謳われる現代の勇者。
牧緒は元々、それに追随して二人目の勇者となるべく、この世界へ召喚された。
だからこそ、勇者の役割には詳しい。
ヴァーリア監獄はオルニケア王国の領土内。
そしてオルニケア王国は、現代勇者の祖国。
問題が発生した場合、即座に勇者はヴァーリア監獄に転送される。
過去に勇者は、≪終末級≫を倒している。
脱獄した瞬間から、そんな化け物に追われることになるのだ。
その対策こそが、ユレナの死刑に関係していた。
「――うむ、貴様の考えは分かった。確実性に欠けるが……儂に代案はない……」
一通り話を聞いて、オルガノは深く頷いた。
荒唐無稽の狂気の計画。
それでも、オルガノは牧緒に頼らざるを得なかった。
悪人ではなく、更に自ら奈落に落ちると言う牧緒は、ユレナを救うのに不可欠な存在だ。
「では、貴様に”呪詛”を施す」
「じゅ、呪詛?」
「貴様がユレナを救い出す保証がない。死の契約を結ばせてもらうぞ」
「は、ははは、ここでは魔法は使えないのに?」
「呪詛に魔力は関係ない――必要なのは、無念だけだ」
古く葬られたはずの技術。
闇の魔法に傾倒したオルガノが、独自の手法により現代に蘇らせた悪徳。
「死刑までの期日……契約を違えたのなら、儂も貴様も……命を落とす!」
オルガノは牧緒の肩をガッシリと掴み、杖の先を胸に当てる。
興味津々にその様子を覗き込むニャプチを、牧緒は一瞥した。
しかし、助けを求めるわけにはいかない。
覚悟が揺らげば、不信を与える。
「……分かった。受けよう、その契約!」
途端、黒い渦が立ち込める。
得も言われぬ不快感が、牧緒の体内に吸い込まれた。
「ぐっ、はぁ、これで終わりか?」
「あぁ、呪詛は成された」
オルガノは満足そうに杖を突く。
「決行は死刑執行の前日、19日後の刑務作業が始まってからすぐだ」
こうして、牧緒たちの脱獄計画は本格的に始まった。
***
『逢魔時、逢魔時――』
刑務作業中の逢魔時。
作戦会議から2日。牧緒たちはこの時を待っていた。
「さぁ、さぁ、おいでにゃ~」
砂煙を上げながら鉱山の穴を滑るリーパーを、ニャプチが真正面から受け止めた。
片手片足で、迫る大口を固定する。鋭い牙は、ニャプチの手足には食い込む様子がない。
「ニャプチ、これを!」
牧緒は革袋を投げて手渡す。
「にゃ~にゃにゃ」
ニャプチは鼻歌混じりに、それをリーパーの喉の奥へ突っ込んだ。
「グギュッ、ギルルル……」
リーパーは体を波打たせ、嗚咽する。
「ここかにゃ? もっと奥かにゃ?」
革袋が胃袋まで到達したと判断すると、ニャプチは「ていっ」とリーパーを蹴って転がす。
逃げ惑う者、戦う者。入り乱れる鉱山で、牧緒たちの奇行を注視する者はいなかった。
「一旦こんなもんでいいか」
計6体のリーパーの体内に、物資を詰め込んで解放した。
革袋の中には、金属の松明や食料などが入っている。
更には、鉱山で死んだ囚人からツルハシを奪い、それを直接突っ込んだ個体もいる。
「俺が奈落に落ちてからも、同じように続けてくれ」
「分かったにゃ」
奈落への物資を、リーパーに運ばせる作戦。
しかし、狙って送り出すことはできない。
だからこそ、数で勝負する。
「後は、奈落の底がどうなってるか次第だな」
勇者になるべく教育を受けた牧緒でも、そこまでは知らない。
看守が底にやってくることはあるのか。明かりはあるのか。隠れる場所はあるのか。
全てを知ることは不可能。運否天賦は切り離せない。
『リーパーは退いた――』
逢魔時の終わりを告げた。
「ここを出たらどうするにゃ?」
「説明しただろ? 潜伏先も考えてある」
牧緒はツルハシで壁を削りながら答えた。
「そうじゃないにゃ。どうやってマキオが元の世界へ帰るのか、ってことにゃ」
「……分からない」
その方法だけは、全く見当がついていなかった。
「今更帰っても、家族は死んでるかもしれないにゃ」
ニャプチは悪気なく、思ったままを口にした。
家族とはどういうものなのか。その認識すら曖昧なのだ。
「まぁ、それは心配してない。俺の世界……というより国は、そんなところじゃないんだ」
少なくとも、中学生の妹がいて、何もできずに餓死してしまうような国ではない。
「俺が怖いのは……俺があいつらにとって、必要じゃなくなることかもしれないな」
「ふーん」
興味なさそうに、ニャプチはツルハシを適当に振り回す。
「ニャプチに家族はいないのか?」
「いたようにゃ、いなかったようにゃ……」
「なんだよそれ」
「家族って、そんなに大切なのかにゃ?」
牧緒は手を止めて、立てたツルハシに体重を乗せた。
「同じ別れでも、探すのを諦めたら”二度と逢えない”。でも、諦めなければ”いつか逢える”。これって全然違うだろ?」
「うにゃぁ?」
回りくどい答えは、ニャプチを混乱させた。
「家族かどうかとか、関係ないんだ。諦めたくないと思ったら、それは大切だってことだ」
牧緒がそう言うと、ニャプチは耳を垂らして視線を外した。
返事はない。ニャプチは静かに目を閉じて思いにふける。
そうしている内に、撤収の時がやってきた。
「ニャプチ、後は頼んだぞ」
牧緒はそう言い残し、一人足早に上へ向かった。
そして地下1階。
かつて牧緒を警棒で殴った看守が、囚人たちを誘導している。
「うん、やっぱりお前にしよう」
牧緒はその看守に近づいて、不穏に呟いた。
「おいっ! さっさ進……ぶぼがっ!」
憎たらしいその顔面を、全力で殴った。
「何をしている!」
即座に別の看守が警棒を振る。
その先からは、光る鞭が伸びて牧緒の体に巻き付いた。
看守専用に構築された、魔石を燃料とする拘束の魔法だ。
「が、ぐ……、この……馬鹿がっ!」
殴られた看守は牧緒に唾を吐いた。
意外にも、暴力は加えられない。
看守に手を出した囚人には、それ以上の末路が待ち受けているからだ。
牧緒は、それを知っている。
ここでは、囚人は”餌”。
それは決して、リーパーに与えるものではない。
囚人を食べて太るリーパーすら、”餌”なのだ。
「奈落へ連れていけ!」
生きたまま奈落へ落とされ、唯一竜の”餌”となる。
それこそがヴァーリア監獄の、本来の役割。
「喜べよ。なかなか味わえない、極上の恐怖を体験できるんだから」
牧緒を連行する看守はからかった。
地上1階へ戻り、監房棟への通路を素通りする。
やたらと大きな鉄の扉を越え、真っすぐ長いトンネルを進む。
等間隔に並べられた松明の明かりが、死神の手の平のように牧緒の頬を撫でる。
10分ほど歩いた先に、深淵は現れた。
「ここが……奈落か」
牧緒は上を見上げる。
噴火口の穴から空が覗く。
まるで井の中の蛙になったように牧緒は感じた。
「入れ」
火口の中央へ続く鉄の橋。
その先には、吊り下げられた檻。
言われるがまま足を踏み入れると、拘束の魔法は解かれた。
ガチャリと扉は閉められる。
キリキリという音が火口中に響く。
鎖を巻いた車輪が動き、檻が徐々に降りる。
火口は少しずつ狭くなり、棘のように突き出した巨大な岩々が、無骨に闇を纏う。
いずれ上から差し込む光は失われ、蒸した熱気と強烈な硫黄の臭いが立ち込める。
ポツポツと、淡く青い光が周囲を照らし始めた。
それは植物の発光。こんな過酷な場所に自生するそれを、牧緒は不思議そうに眺める。
明かりのお陰で、太い鎖で空中に固定された、幾つかの監房が目に入った。
鉄で作られた監房には、小さな小窓のついた扉が一つ。
そこから、2メートルほどの橋が伸びている。
「この中のどれかに、ユレナがいるのか」
どれぐらい経ったのか……遂にキリキリという鎖の音が止まった。
同時に、檻の扉が独りでに開錠する。
徐に外へ出ると、檻は素早く引き上げられていく。
「ここに、唯一竜が……」
奈落の底。
息苦しくはあるが、酸素はある。
幸い、悶えるような熱は無い。
しかし、沈殿した悲鳴がどこからか聞こえてくる。
幻聴か、それとも風が岩肌を走る音か。
それとも――。
グルグルと喉を鳴らす音と、息を吸う低い音が耳に届く。
反射する光など無いはずなのに、開かれた両目は燃えるように赤いことが分かる。
そしてそれが、ゆっくりとこちらに近づいてくるのを牧緒は感じとった。




