48話 裏工作
「本日は、ベイラン殿下とお会いできると思っていたのですがね……」
貴賓室の扉を開いた摂政は、眼前の大男に苦言を呈した。
しかし、無下にすることはできない。
その男が『惡の特異点』の一人なのだから。
「ベイラン殿下は多忙であります。代わりに私でお許しいただきたい」
オルガノは、立ち上がることなく摂政を見据えて言った。
牧緒の指示により、ベイランは数か国に謁見を申し込んだ。
それに応えた国の一つが、シェルタ公国。
事前の知らせも無く代行が立てられるなど、無礼千万。
だが、そんなことは関係ない。
これは外交などではないのだから。
「我々を七ヶ国同盟に加えていただきたい」
突然の申し出。
シェルタ公国は領土こそ小規模であるが、七ヶ国同盟の加盟国であった。
「……御冗談を」
摂政は言葉を詰まらせる。
何を言われようとも、受け入れることはできない。
だが、一つ間違えれば国が滅びる。
「我らは国ではない。魔境という土地を管理する組織に過ぎませぬ。故に、同盟の八ヶ国目に名を連ねるには不相応」
「ご理解いただけているようで安心しました。私共だけで決定できることではありませんから」
机の下で、摂政の足は震えている。
まさか、一国を滅ぼして七ヶ国目の座に挿げ替わろうというのだろうか。
そんな最悪のケースが摂政の脳裏を過る。
「そこで、魔境を貴国の顧問としてみてはいかがだろう」
「それは……『惡の特異点』が諮問機関となるという理解でよろしいか?」
「まさか。それ以上ですよ」
政治の全権を握る――オルガノの提案は、あまりに不条理であった。
「この国を力で支配するおつもりか……。しかし、他の加盟国全てを敵に回すことになりますぞ」
「それは今までと変わりますまい。この提案を飲んで頂けるのであれば、この国の繁栄はお約束しましょう」
摂政の表情は、血の気が引いてむしろ落ち着いた雰囲気を纏っている。
逆に、その隣に立つ側近の眉間には深い影が刻まれていた。
「我々も苦しい状況なのです。唯一竜は勇者に敗れ、瀕死の重傷を負って療養中です。当面はピクリとも動けないでしょう」
同情でも誘うつもりなのか、オルガノは魔境の隙をさらけ出した。
「それに、魔王は曲者。我らの敵になりかねぬ故、暫くは封印を解けませぬ」
弱点の露呈は止まらない。
一見、『惡の特異点』への裏切りとも思える愚行。
摂政は、そこに内部崩壊の匂いを嗅ぎ取り、傷を広げようと言葉を発する。
「オルガノ殿にも思うところが――」
しかし、それは遮られた。
「しかし、我らにはまだ魔女がいる。そう――今、ここに」
途端、摂政の全身から脂汗が噴き出した。
体の震えを誤魔化すこともできず、首筋がつったようにビキビキと痛む。
側近が吐く息の音が止まらない。
吸い込むことすら忘れているに違いない。
摂政の背後から、魔女の声がぬらりと顔を出す。
「其方らは、妾の欲するものを差し出せるか?」
返答できるはずもない。
空気は凍り、風も無いのにカーテンの端が揺れる。
「簡単に答えは出せないでしょう。良き返答を頂けるまで、我らはいつまでもこの町に滞在します。いつでも声を掛けていただきたい」
そう言って、オルガノは立ち上がった。
巨大な膝が机の端に掛かり、大きく跳ね上げる。
ガシャンと音が鳴る頃には、貴賓室には摂政と側近の姿しかなかった。
「……勇者に、助けを求めますか?」
若さ故か、側近の精神的回復は早かった。
「何を考えている……。ウオラ王国のようにここを戦場にするつもりか!?」
「しかし……」
「それに、勇者の派遣は通るまい。七ヶ国会議の決議を覆したのは我々なのだから」
「だからといって、手をこまねいていては同じ結末を迎えてしまいます!」
側近は声を荒らげた。
「いや、これは僥倖かもしれぬぞ」
緊張の糸が切れたことで箍が外れたのか、摂政は笑いながら奇妙なことを言いだした。
「な、何を仰って……」
「上手く事を運べば、魔境の力をこの国の力にできる……!」
「そ、そんな……。セントファム帝国をお忘れですか!? 奴らを御することなどできません! 手を噛まれてからでは遅いのです!」
もはや、政治の枠を超えている。
圧倒的な力を前に、成す術はない。
だが、側近は諦めていなかった。
その後、独断にて『惡の特異点』の現状を各国に通達する。
唯一竜と魔王は無力化されており、魔女はシェルタ公国に留まっていると。
それにより、各国は急ぎ先遣隊を募り、魔境から情報を得るために動き始めることとなる。
***
異端審問官たちの本拠である魔法大国シオンレウベ。その都の神殿。
ある男が、荘厳で煌びやかな廊下を進む。
見上げなければ頂が見えないほどの階段を前に、男は跪いた。
「異端審問官が第一席、オーギュオン・ベヘル。最高司祭様の召喚に応じ、参じました」
「よくきてくれました。楽にしてください」
遥か上段から、声が降った。
「天記の書に天啓が記されました」
それは、世界のあらゆる動向を記す。
目視されたものでもなければ、噂話ですらない。
望まずして、真実が記される。
『惡の特異点』の現状も、七ヶ国同盟の焦りすらも。
「魔境から魔女が消えました。脅しのためでしょうが、暫くは公国に留まるでしょう」
今、魔境に残っている≪終末級≫は魔王一人。
「いくつかの国が、魔境へ冒険者たちを派遣したようですね」
その事実から、何らかの理由により魔王が活動を停止していると最高司祭は判断した。
「冒険者ですか。軍隊ではないのですね」
オーギュオンは、その事実を不可解に思った。
しかし、それほど複雑なことではない。
魔境を討ち滅ぼすためではなく、魔境から有益な情報を得るための先遣隊であるからだ。
それに、国の名の下に動く兵士では、『惡の特異点』の怒りの矛先が真っ先に向いてしまう。
冒険者――それは未到を踏破し、生きて帰還する者たちのこと。
未知を知り、未知を持ち帰るのが冒険者の使命である。
時には未知を破壊することも厭わない。
魔境という迷宮の攻略。
冒険者たちに与えられた依頼は、最大難易度に指定された。
向かう冒険者たちは、S級を冠する精鋭のパーティーである。
剣士のみで構成されたパーティー『秩序の剣』は、滅びの巨人を討滅した実績を持つ。
サイサーナ帝国の元近衛十二兵が独立して立ち上げた『真槍累々隊』は、迷宮の魔物を根絶やしにすることで名高い。
400年の歴史を持つ暗殺一家『這い寄る静寂』は、数多の戦争を終結に導いた立役者ではないかと噂されている。
叡智を以って新しい魔法具を創生し続ける組織『知恵と石塊の円環』は、冒険者ギルド最大級の人材を有する。
少数精鋭の超新星『渡り鳥の賛歌』は、6体にも及ぶ≪亡国級≫の魔物を倒して多くの国を救った。
「オーギュオン。冒険者の陰に隠れ、魔境より魔女の心臓を持ち帰ることはできるか?」
神の代弁者を自称する最高司祭の言葉には、重さがあった。
精神的な圧力ではなく、まるで本当に質量を有しているかのように錯覚する。
「もちろんでございます。私に……いえ、我々に失敗はありません」
不穏分子が、魔境に迫る。
しかし、同時に牧緒の画策する”安楽椅子作戦”も進行していた。




