46話 魔法
壁一面に鏡の施された、伏魔殿の一室。
牧緒はマントを脱いで、カギヅメのように鋭い悪趣味なポールハンガーへ掛けた。
「そろそろ俺も強くならないといけないと思ってさ」
「マキオが何をやっても勇者には勝てないぞ?」
リデューシャは躊躇なくその決心を切り捨てた。
「わ、分かってるよ。バルバラを倒せるような化け物と戦うつもりは無い。ただ、少しでも自分の身を守れるようになりたいんだ」
『惡の特異点』の立場が明確になったことで、その盟主たる牧緒は命を狙われ続けることになる。
真正面からぶつかってくる強者はともかく、暗殺を目論むような輩ぐらいは対処したい。
牧緒はそう考えて、リデューシャに師事を願い出た。
「魔力も無いのに妾から何を教わろうというのだ?」
悪気の無い素直な疑問が、牧緒の心に突き刺さる。
「もしかすると……、俺は魔法が使えるかもしれない」
その顔は、真剣そのものだ。
「”迷いの森”で、俺たちは深淵の魔法とやらに囚われた。あの時、リデューシャは本当に何もしてないんだよな?」
「あぁ、妾は何もしていない。まぁ、アレは精神的な縛りに重きを置いた魔法だ。捕らわれた者の心境次第では――」
「深淵の中で、俺は魂の形を知った。俺の原型魔法が、脱出を実現したのかもしれない」
神妙な声を掻き消すように、リデューシャは吹き出した。
「あはははは! それは無い、絶対に無い!」
目尻に涙を溜めて笑う。
「絶対に?」
「絶対だ。はははは」
鏡に手を突いて、牧緒は項垂れる。
映った顔の眉が、あまりにキレイに八の字になっているものだから、牧緒も笑いそうになった。
「確かに、副次的効果で魂の形を知覚できたのかもしれぬ。しかし、原型魔法を使うにも当然魔力が必要だ」
体外に出力された魔力の多寡は、優れた目を持っていれば正確に測ることができる。
しかし、体内に埋もれた魔力までは見通せない。
「それだと、俺が深淵の魔法から抜け出せた理由が説明できなくないか?」
「ははは……いいだろう。そこまで言うなら詳らかに調べてやろう」
そう言ってリデューシャは、両手を牧緒の腰に当てた。
それはゆっくりと体を撫でて、脇の下まで到達する。
そのまま肩を経て腕を沿い、手を軽く握る。
「ち、ちょっとくすぐったいな……」
牧緒は思わず顔を逸らして、耳を赤くする。
「ううむ、分かり辛いな。ちょっと服を脱いでみろ」
「え? いや、そ、それはちょっと……」
協力してもらっている立場ではあるが、流石の牧緒もこれは即座に断った。
リデューシャは、軽く右頬を膨らませる。
やり過ぎたと思ったのか、牧緒から離れて部屋の隅の椅子に腰かけた。
「やはり、其方に魔力は無い」
実際には、先の調査に意味は無かった。
少し牧緒をからかったに過ぎない。
「流石の妾でも、他人の致命傷を痕も残さず癒すのは難しい」
牧緒は、度々リデューシャに死の縁から救われてきた。
それこそが、牧緒が魔力を持たない確固たる証左。
「生成され続ける魔力は、自然と体外に漏れ出すものだ。だが、其方にはそれが無い」
「うぐぐ……じゃあ、リデューシャの魔力を分けて貰ったりとかは……」
諦めきれない牧緒は、何とか魔法を使う方法を模索する。
この世界に召喚されてからの苦しい二年間が脳裏を駆け巡った。
「……無理だ」
「あ! 今、ちょっとだけ間があったぞ!」
「深読みするな。本当に無理なのだ」
その間は、ただの憐れみだったのか。
リデューシャは額に指を当てて、困ったように小さく溜息をついた。
「俺が魔法具を持って、それにリデューシャが魔力を注ぐ方法なら?」
「可能だ。しかし、魔力の無い者が魔法具を持つのは、赤熱した鉄を素手で掴むようなものだ」
その上、魔法の発動は魔力を注いだものの意思に依存する。
ほとんどリデューシャが戦っているようなものだ。
ハッタリが必要な場面でもなければ、意味は無い。
「バルバラの炎みたいにはいかないんだな……」
かつて、牧緒はバルバラの炎を拳に纏って戦ったことがある。
「あれは、炎そのものに命と意識が宿っていたからだ」
燃やすべき対象すら選別することのできる万能の炎だからできたこと。
バルバラが亜空間で眠りについている今、利用できるものが有るとすれば――。
「その温い炎を使えばいい」
「これを?」
リデューシャは、牧緒のうなじにピタリとくっ付いて揺れる炎を指差した。
それは、バルバラの残滓。
「別に熱くないし、もはやペットみたいなもんだからなぁ」
炎は、差し出された牧緒の手の平に火先を伸ばす。
それを優しく撫でると、震えるように火の粉を撒いた。
「色の変化は? 大きさは変えられないのか? 生きているのなら、調教できるかもしれないぞ」
試せることはいくらでもある。
必要の無い強さを求めるよりも、思考力を伸ばすべきだと、リデューシャは暗に提言した。
「名前でも付けてやったらどうだ?」
「うーん……じゃあ、パッチにしよう」
「なんだそれは」
「パチパチ音が鳴るから、パッチだ」
それを聞いて、リデューシャは怪訝な表情を浮かべる。
絶望的なセンスの無さに幻滅したわけではない。
「何故、音が鳴る?」
「何故って、そりゃ燃えてるから……あっ、確かに変だな」
焚火がパチパチと音を立てるのは、薪の中の水分が熱されることによる現象。
人間の皮膚すら焼くこともできない小さな炎からは、発せられるはずの無い音だ。
「話している……のか?」
リデューシャは、 幾何魔法【心眼】によって、まるで傍で耳を澄ませているかのようにパッチを凝視する。
確かに、パチパチと何かが弾けるような音が聞こえた。
「どうせ暇なら、その音を解析でもしてみてはどうだ? もしかすると、唯一竜復活の活路になるやもしれんぞ」
「な、なるほど……!」
牧緒はパッチを両の手の平に乗せて、ブツブツと呟きながら会話を試みる。
反応を窺いながら、パチパチと鳴る音の規則性を耳で感じ取る。
本当にパッチが何かを伝えようとしていたとしても、それを理解するには途方もない時間がかかるはずだ。
それでも、愚直に小さな炎に話しかける牧緒の姿は、リデューシャには少し眩しく見えた。
(マキオに魔力を与える方法は……ある)
リデューシャは、椅子の肘掛けに傾いて頬杖をついて考える。
他人に魔力を分け与えることは無理だと伝えた。それは嘘ではない。
だが、魔女の原型魔法ならば例外的に可能。
しかし、それは最終手段である。
(妾の魂の形は、忌むべき魔法。生涯使うことはないと思っていたが……)
魂の形は生まれ持ったものではない。
早くて幼少期、遅くとも成人するまでの意識に伴い成形される。
魔女の魂の形は、奴隷としての生活で完成されたものだった。
それは、何があっても牧緒には知られたくない過去。
許しがたく、受け入れられない効果の魔法。
自身が牧緒を守ることができない状態に陥ったのなら、リデューシャは迷わずそれを使うだろう。
しかし、それは今ではない。
「妾がいる限り、其方に魔法は必要ないさ」
牧緒に聞こえない程小さく、そしてどこか寂しそうに呟いた。
***
その日の夜。
ユレナはずっと気がかりだった、あることに着手すると決めた。
「ニャプちゃん、お風呂に入りましょう」
「ヤだにゃ」
ニャプチは顔をしかめて嫌がる。
監獄を出てからは、清潔を保つのに十分な環境で過ごしてきた。
しかし、ニャプチが風呂に入った姿を見たことがない。
ユレナはそんな状態を放っておくことができなかった。
「ベトベトすると気持ち悪いでしょ?」
「ボクは全然ベトベトしてないから大丈夫にゃ」
「ちょっと臭うし……」
「お日様の匂いだから大丈夫にゃ」
「ちょっと焦げた様な臭いが……」
「マキオは臭いって言ってないし、問題ないにゃ」
「マキオ様は、そういうことは面と向かって言わない人ですから……」
「結構ずけずけ物を言う奴な気がするけどにゃ~」
説得は上手くいかない。
それでもユレナは諦められなかった。
「ニャプちゃんは、魔境の獣人たちの上司にあたるのですよ」
「上司……」
「つまり、お手本にならなければならない立場。お風呂に入ることが当たり前であると示さなければなりません」
ユレナは、ニャプチの自尊心に訴えかけた。
「……興味ないにゃ~」
しかし効果はなかった。
「じゃあ、今後のご飯は一生人参です」
「お風呂入るにゃ」
ニャプチが食事の際に人参だけを避けていることを、ユレナは見逃さなかった。
現状、伏魔殿の面々の食事は、唯一料理の腕の立つユレナが世話をしている。
献立の全権限を握られているのだ。
ニャプチの楽しみは、食べて動いて寝ること。
ユレナには逆らえないと悟った――。
伏魔殿には大浴場が完備されている。
牧緒たちがここへくるまでは、一度も使われることなくカラカラに干上がった状態であった。
しかし、今では湯が溢れ出し、湯気が踊っている。
それは、地下から湧いているわけではない。
リデューシャの魔法によって生み出された温泉だ。
一度浸かるだけで、裂傷の痛みを忘れさせるほどの効能がある。
「ほら、服を脱いでください」
「うにゃ~」
やる気のないニャプチを、何から何までサポートする。
立ち込める蒸気は脱衣所にまで届き、視界が悪い。
とめどなく流れ続ける湯で、浴槽は満たされている。
元貴族のユレナですら、息を呑むほど立派な作りだ。
「わぁ、でっかいにゃ! これなら泳げるにゃあ!」
一転してテンションが上がり、迷わず駆けだそうとするニャプチを制止する。
「まずは体を洗ってから!」
ユレナはニャプチを木の小椅子に座らせて、桶に汲んだ湯を頭からかける。
脇には、髪や体を洗うための薬液が瓶に詰められ、並んでいる。
「こういうのも含めて、全部魔法で作られてるんですよね……? やっぱり魔女様は凄いなぁ」
感心しながら、薬液を手に取ってニャプチの頭を無造作に捏ねる。
「うにゃ、にゃ、ふにゃ、ぴゃ」
されるがままのニャプチが、時折目や口に入った泡を擦ったり吐き出したりする。
「さぁ、次は体ですよ」
何度か湯をかけて髪の毛の泡を洗い流した後、今度は別の薬液を手に塗り広げ、ニャプチの体を撫で始める。
「うににに……にゃあああ」
嫌がるニャプチを押さえつけつつ、構わず体を洗っていく。
その時、ユレナはある違和感に気が付いた。
「あれ? ん? んん?」
最初はニャプチが尻尾を内側に丸めているのかと思った。
だが、何度か撫でまわす内に、その正体を知る。
「ニャプちゃん……もしかして男の子?」
「ボクは雄とか雌とか、そういうのはないにゃ」
「んんん……ん、んんんんんん?」
ユレナは混乱する。状況は理解できるが飲み込むことができない。
思考が硬直するも、手は動かし続ける。
しっかりニャプチの体を綺麗にして、再び湯をかけて洗い流す。
「もう泳いでいいにゃ?」
「……いい、ですよ」
「にゃあ~」
ニャプチは勢いよくジャンプして湯船に飛び込んだ。
「胸も腰つきも女の子としか思えないのに……うーん、まぁ、問題ないですよね!」
ニャプチがあまりにもあっけらかんとしているので、ユレナは考えるのをやめた。
彼女はどちらかといえば、雌に傾倒した体の構造をしている。
その実態は、あらゆる生物の性質を併せ持つ合成獣人である。
故に、雌雄同体としてこの世に生を受けた。
といっても、身体に現れる特徴は狼の耳と尻尾を含めてその程度。
合成獣人としての真価は、肉体的構造を無視して機能的な結果を得られるところにある。
例えば、エラがなくとも水中で呼吸を可能とし、翼がなくとも空を飛べる。
それは、ニャプチが高度な魔法生物であることを物語っていた。
しかし、本人は自分にどのようなことができるか、どんな生き物なのか、それを理解していない。
「ニャプちゃん、他所のお風呂では泳いじゃダメですよ」
そう諭しながら、ユレナも湯船に浸かる。
ヴァーリア監獄から脱獄して、今日まで目まぐるしい日々だった。
その中で、自分はいったいどれだけ役に立てただろうかと、ユレナは考える。
本当だったら処刑され、既に失っているはずの命。
できることなら、牧緒の力になりたい。
しかし、実の父を探すために牧緒が異世界へ行くことは阻止したい。
牧緒にとっての理想の仲間を演じるつもりはないが、牧緒を尊敬しているのも事実。
だが、何かを成そうにも『惡の特異点』の中では突出したものを持たないことを自覚している。
フォリパスから、一段階レベルの高い幻想魔法を学んでいるが、成果はすぐに得られるものではない。
「魔王を利用する方法があれば……」
唯一無二のそれは、制御不能の脅威。
魔王に意識を奪われずにその力だけを使えれば、魔女や唯一竜と並ぶ戦力となれるだろう。
しかし、その方法は皆目見当もつかない。
「その方法、妾が教えてやろう」
リデューシャが、仁王立ちでユレナを見下ろしていた。
「魔女様!」
驚くユレナを他所に、リデューシャも湯船に浸かる。
「信用できないか?」
「いえ、そんなことありません! 私は魔女様を尊敬していますし、信用しています!」
リデューシャは「フフ」と笑い、しばらく湯の中で体を休めてから続けた。
「お前と魔王の魂は別々の物だ。だから一方が体を支配すれば、一方は抑え込まれる」
ユレナは大げさに頷きながら謹聴する。
「ならば、魂を一つに融合してしまえば良い。傍若無人な魔王と、大人しいお前が一つになれば、丁度良くもなるだろう」
それは一見すると妙案のように聞こえる。
しかし、ユレナも魔王も自意識を失い、第三の精神を宿すこととなる非道な方法。
ユレナは、暖かい湯船に浸かりながら身震いした。
”迷いの森”で感じた、魔女の不和。それを今も強く感じる。
「魂の扱い方は教えてやる。だから、お前は妾に“かわいい”を教えろ」
「“かわいい”を……ですか?」
リデューシャは牧緒の心を掴むための、新たな方法を模索していた――。
浴場の入口で、牧緒が呆然としている。
オルガノがどっしりと構え、行く手を阻んでくるからだ。
「ちょっとさぁ! 風呂に入りたいだけなんだけど!」
「駄目だ。お前には勿体無い」
「そんなぁ……」
説明を省くオルガノの手によって、お約束の展開は阻止されたのであった。




