45話 苦悩
夜――伏魔殿に戻った牧緒の報告に、オルガノは開いた口が塞がらなかった。
「1万人? 今日1日で……、か?」
「あはは、つい勢いで……」
「貴様は段階と限度という言葉を知らないのか?」
オルガノは頭を抱えたままドシンと腰を下ろす。
椅子の脚が軋み、内一本は折れて吹き飛んだ。
それでも、オルガノがひっくり返ることは無い。
強靭な下半身が、重力に逆らって巨躯を支えている。
「そうか、忘れておったわ。貴様は異世界人だったな。常識を知らずとも仕方あるまい。まずは貴様の教育係を探す必要があったようだ」
「悪かったって……」
「まぁ、よい……。攫った獣人たちは今どこだ?」
「えぇっと、リデューシャが用意したコテージに入れるだけ入ってもらって……溢れた人たちは野営をしてもらってる。一応、天幕も用意した」
「無暗にコテージを増やさなかったことは英断だ。しかし、全員に野営を強いるべきだ。無意味な格差を作ってどうする!」
吊り下げられたランプがカタカタと揺れる程の大きな溜息をついてから、オルガノは杖の先を床に強く擦り付けた。
「そもそも、1万もの獣人たちをどうやって統率する?」
「ニャ、ニャプチが単身がんばってくれてます……」
「ぐっ……、暴力による抑制も致し方なしか」
牧緒は、ばつが悪そうにモジモジしながら天井の模様を視線でなぞる。
悲しいかな、そこに盟主たる威厳は微塵も感じられなかった。
「それで、オルガノの方はどうだった?」
「なんだ、自身の失敗を棚上げにして他人の心配か?」
「そ、そんなつもりじゃあ……」
「優秀な人間を引き入れることができた。金と、儂の持つ裏社会の情報があれば、恒久的に雇うことも可能だろう」
世界中からせっせと奴隷を解放していた最中、オルガノは方々を回って信頼に値する人間を勧誘していた。
「食料問題については……魔女に頼るしかあるまい。明日の朝、貴様が演説をしろ」
「何を言えばいいかな?」
「それぐらい自分で考えろ。この際、反感を買わなければ何でもいい。何より、貴様が盟主であることを示せ」
「わ、分かった……!」
牧緒は背筋を伸ばして、頬を叩いて気合を入れる。
「問題はまだある」
オルガノは、深刻そうに呟いてから立ち上がる。
椅子がガランと倒れた後、別の椅子に腰掛けた。
今度は慎重に、ミシリと椅子の軋む音を深く長く味わってから息を吸う。
「目立ち過ぎだ。異端審問官の目を引くには有効かもしれぬが、他も黙ってはいないだろう」
一度に1万の奴隷を強奪したとなれば、各国もその真意を探るために動かざるを得ない。
まさか、魔境で暮らすだけの住民を集めているとは誰も思わない。
傍から見れば戦力の増強。
殆どの者が開戦を連想するだろう。
「勇者の動きが早くなるはずだ……!」
ウオラ王国の一件で、勇者が動き辛くなっていることは想像に難くない。
だが、誰もが勇者に頼らざるを得ない状況に陥れば、その前提は簡単に覆る。
牧緒の軽率な行動は、仲間を危険に晒す結果となった――はずなのだが。
「大丈夫。きっと、俺たちは世界を仲間にできる。その上、勇者も牽制できるはずだ」
先ほどまで顔を青くしていた牧緒は、打って変わって余裕の表情を見せる。
(また……この顔か)
オルガノは、その表情を何度も見てきた。
ただの可能性を、まるで確定した未来かのように語るその顔を。
そして、それが期待を裏切ったことは、一度も無かった。
「……何をどうしたら、そんな都合の良い結末を迎えられると思うのだ」
「何もしなくていいんだ。ジッと魔境で構えていればいい」
「馬鹿を言うな。それで儂が納得すると思っているのか?」
「詳しくはみんなが集まってから話すよ」
「いや、今ここで話せ」
「……仕方ないなぁ。分かったよ」
二度手間を面倒に思いながらも、牧緒は自身の考えを語る。
「『惡の特異点』という脅威に対する絶望を、俺たちが希望に変えてやればいいんだ――」
それは、大胆不敵にして荒唐無稽。それでいて、あり得なくはない話。
長く話しを聞いたオルガノは、眉の端を指で撫でてから口にする。
「どうせ確実な対策は無いのだ。ならば、貴様の想像する未来に乗ってやろう」
牧緒とオルガノは、ガッシリと握手を交わした。
「これを”安楽椅子作戦”と名付けよう!」
それは、推理小説における”安楽椅子探偵”になぞらえた命名。
自らは動かず、自然と集まってくる情報を元に異世界を渡る方法を特定する。
牧緒の打ち立てた作戦は、そんな受動的な結果をもたらすものだった。
「よく分からんが、好きにしろ」
オルガノはそれを受け入れた。
その後、”安楽椅子作戦”の詳細は『惡の特異点』全員に共有されることとなる。
そして翌朝――。
コテージの庭に作られた、石造りの舞台の中央に牧緒は立っていた。
その背後には、バルバラを除いた面々が並んでいる。
広場に犇めく獣人たち。
入りきらない者たちは、隙間の多い林の中から様子を窺っている。
何が始まるのかも分からず、ざわめきが尽きない。
幸い暴れる者はいないが、どうやら参加を辞退した者は少なくないようだ。
既に魔境から出て行ったのか、あるいは魔境内を探索しているのか。
「予想していたより大人しいな……」
「にゃはは、ちゃんとボクが躾けておいたからにゃ」
オルガノが感心すると、即座にニャプチが反応して、手柄をアピールした。
「さぁ、マキオ様。感動的なスピーチをお願いします!」
「……いや、涙も無いし笑いも無いよ?」
ユレナは、無駄に牧緒を緊張させる。
「いつでもよいぞ。マキオの声は魔境中に響き渡る」
リデューシャは、風の魔法による広範囲の拡声を実現した。
牧緒が一言発すれば、全員の耳に刻み込まれるだろう。
「んん……」
わざとらしく喉を鳴らしてから、牧緒は一歩前に出た。
「私が、魔境の王だ。奴隷だった君たちを攫い、ここへ連れてきた」
自分の立場を宣言するも、名乗ることはしなかった。
必要なのは、あくまで王という記号だからだ。
不自然に響き渡る声を聞いて、獣人たちは静まり返った。
「君たちには、今日からここに住んでもらう。そして、魔境を開拓して欲しい。もちろん、報酬も与える。自由という報酬だ」
自由と言っても、魔境の中に限定した自由。
しかし、牧緒は縛るつもりはない。
「魔境を出て行きたい者は、好きにしてくれ。壁の門は開いている。いや、この付近は魔物が多くて危険だ。必要なら行きたい場所に連れて行こう」
獣人たちの意思に任せることを強調する。
だが、長く奴隷をやっていた者たちに行き場などあるはずもない。
それが分かっているから、牧緒は大胆な提案を提示することができるのだ。
「不便があれば遠慮なく言ってくれ。できる限り配慮しよう。私が望むのは、君たちがこの魔境で平和に生きること。ただそれだけだ。最低限の統治はあるが、税を取るつもりもなければ、徴兵も求めない」
念のため、魔境に留めておけるような甘い言葉も残しておく。
「以上だ。あとは腕章を付けた人間の案内に頼ってくれ」
牧緒は言い切ってから、マントを翻して舞台から降りた。
「はぁ……緊張したぁ。あ、今の声は風の魔法に乗ってないよな?」
「ふふ、案ずるな。既に魔法は解除してある」
牧緒は安堵して、口の端を垂らした。
「じゃ、ボクはみんなを躾けてくるにゃ!」
そう言って、飛び跳ねながら颯爽とニャプチは去って行った。
同族に囲まれて、気持ちが高ぶっているに違いない。
「お初にお目にかかります、マキオ様」
再び激しくなった獣人たちのざわめきを掻き分けるように、静かに通る声が牧緒に届く。
体のラインが強調されたスーツを着た女性が立っていた。
「私はミシェル・ヒルバレンダ。直接はオルガノ様に雇われた傭兵です」
髪は丁寧に結い上げられ、細い眼鏡を指先で上げる仕草は、彼女の几帳面さや自信を窺わせる。
「そして、私は彼らのリーダーを務めております」
ミシェルが視線を移した先には、数十人の屈強な男女たちが獣人たちを誘導していた。
目に見えない範囲も含めれば、数百人に及ぶ助っ人だ。
彼らの右腕には、紫色の腕章が付けられている。
「あぁ、話は聞いているよ。細かいことは、オルガノの指示に従って動いてくれ」
多くの人間を動かすことに自信のない牧緒は、面倒なあれこれを全てオルガノに託した。
ミシェルはそれを了承して軽く会釈すると、他の者たちと共に林の奥へ消えて行った。
既に何をするべきかはオルガノから聞いて把握しているようだ。
「奴らが獣人たちに教育を施す。治安維持も任せて良いだろう」
舞台からゆっくりと降りてきたオルガノが補足した。
「昔の仕事仲間だったりするのか?」
「あぁ。だが、互いに情は無い。だからこそ信頼できる」
純粋な雇用関係。
必要な利益を与え続けることができれば、裏切りは無い。
「これから大変になるな」
「……貴様はやることも無いだろう。”安楽椅子作戦”は、そういう作戦なのだろう?」
「いやいや、俺にもやるべきことはあるさ。な、リデューシャ」
「ん、何かあるのか?」
牧緒は慌てたように口ごもりながら、リデューシャを手招きして伏魔殿へ戻った――。
***
場所は変わり、ウオラ王国王都。
魔境の獣人たちと同じように、住民たちは天幕を張って崩れた瓦礫に囲まれて野営していた。
それは、貴族や王族も同じ。
場所こそ区切られているが、同じ苦境の中で過ごしていた。
「あぁ、どうしてこんなことに……」
ベイラン王子は、青空の下に似つかわしくない荘厳な椅子へ体重を乗せて苦悩していた。
あの日、あの時――初めて牧緒と出会った社交パーティー。
第二の勇者などという不確実な存在……牧緒のことをぞんざいに扱った。
結果的に、それが原因でビシャブ王は牧緒を切り捨て、ヴァーリア監獄へ投獄。
それがまさか、≪終末級≫を伴って戻ってくるとは思いもしない。
あの日、あの時――もしも、牧緒に寄り添えていれば。
あわよくば父の立場を早々に乗っ取ろうなどと、奢った考えを捨てていれば。
今もウオラ王国は栄華の下にあたったかもしれない。
そんな後悔が、ベイラン王子の頭の中を駆け巡り続けて頭痛を引き起こす。
「殿下……お気を確かに」
側近が甲斐甲斐しく声を掛けた。
「父を……ビシャブ王を探さなければ……」
世間では、ビシャブ王が『惡の特異点』と結託して世界征服を目論んだとされている。
本人の自供すらあると、七ヶ国同盟は発表した。
しかし、事実は異なる。
「操られているのなら……まだ生かされているはずだ。いや、死んでいても構わない。死体さえあれば、私がシナリオを書き換えてやる……!」
遺体の場所や死因。それによっては、七ヶ国同盟延いては勇者に利用され殺された、哀れな王の印象を生み出せる。
「嘘には嘘をぶつける。陰謀論で染めるしかない」
もはや、『惡の特異点』との関係は切っても切れない。
それは七ヶ国同盟の嘘を真実と認めているようなもの。
そこから逆転するには、陰謀をでっち上げるしかない。
「殿下、謁見の申し入れがあります」
瓦礫の陰から、一人の兵士が声を掛けた。
「一般の者ですが、お会いになるべきかと……」
「不敬であろう! 何の権限があってそのようなことを――」
「よい。通せ」
側近の言葉を遮って、ベイラン王子は謁見を許した。
疲弊した脳が、気分を転換できる切っ掛けを求めていたからだろう。
ただの兵が立場を弁えずに提言するほどの人物が誰なのか、少し気になったというのもある。
「拝謁の機会をいただき、感謝いたします」
兵に案内されて姿を現したのは、一人の少女。
少女を目にしただけで、ベイラン王子の全身から冷や汗が噴き出した。
「私はメロリアと申します。かつて王城に務めておりました双子の姉の意思を継ぎ、マキオ様の下で働きたく参じました」
ビシャブ王が処刑した、アンリアと瓜二つの姿。
誰も知る由の無い、クォーツ王子にて魔境への潜入を命じられた複製体。
考えあぐねた結果、双子の妹という設定で爆誕した。
それは、牧緒の信頼を得られやすいと考えた故。
しかし、ベイラン王子にとっては、苦悩の種。
(ど、どどど、どうする!? マキオ……様を双子の姉の復讐に使うつもりか!?)
ベイラン王子の視点で見れば、ウオラ王国はメロリアの仇。
牧緒に口添えして、仇を成すつもりだと深読みする。
かといって、ここで口封じに始末するわけにもいかない。
そんなことが牧緒に知られれば、それこそ王国は滅ぼされてしまう。
アンリアという存在が、牧緒にとって特別であることは間違いないのだから。
(私は……どうすれば……)
ベイラン王子の目は、血走って真っ赤に染まる。




