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4話 【無能の転移者】②

 牧緒が異世界に召喚されてから、2年が経過した。

 その日はウオラ王国の建国記念日でもある。

 夕刻、牧緒にとっては7度目のパーティーが催された。


「マキオ様、タイが曲がっていますよ」

「こういう場所は、いつまで経っても慣れないなぁ」


 アンリアに窮屈な蝶ネクタイを直されながら、牧緒は小さく息を吐いた。

 勇者教育の一環である社交界への参加。

 牧緒は手元の分厚いファイルをめくり、直前まで参列者の情報を頭に叩き込んでいた。


「えぇっと、今日の参加者が……」


 牧緒はリストの一点に目を留めた。


「このヴァルキア皇帝って人、どのパーティーにも参加してるな」

「皇帝陛下は、とても顔が広いことで有名です。近隣諸国だけでなく、海の向こうの国にもよく訪れるとか」

「へぇ。承認欲求が強いんだな」

「どうでしょう」


 そんな軽口を叩きながら、牧緒はアンリアを傍に会場へ向かう。

 数百人の来客で犇めく絢爛豪華な会場に、主催であるビシャブ王の姿はない。

 代わりに壇上に立っていたのは、実質的な政務を取り仕切るベイラン王子であった。

 

「皆々様! 我が国の建国を記念し、良き知らせをお伝えしたい!」


 グラスを叩く音が静寂を呼ぶ。


「長きに渡るザース山脈での魔物との戦い。それに終止符を打つ時が来た!」


 ベイラン王子は芝居がかった動作で拳を握り、腕を大きく振って指を差す。

 その指先は、間違いなく牧緒を捉えていた。


「彼こそが、異世界よりの使者! 現代における二人目の勇者!」

「え?」


 突き刺さる数百の視線。

 値踏みするような、好奇と期待の混じった重圧が牧緒を押し潰す。


「北方戦線を戦うリンドラー家の一部隊を、彼に任せるつもりだ!」


 王子はマントを翻して歩み寄り、牧緒の肩を鷲掴みにした。

 逃がさないと言わんばかりの、万力のような力強さで。


「君の名は?」

「あ、え、ま、牧緒です」

「勇者マキオ! 君の勇気に感謝する! 明日に向けて、今日は楽しんでくれ給え!」

「明日? お、俺は明日、戦場に……!?」


 反論する間もなく、王子は牧緒に背を向け、喝采を浴びながら壇上へ戻っていった。

 楽団がクラシックを奏で始め、会場は再び喧騒に包まれる。


「あれが本当に勇者なのか?」


 ベイラン王子は、側近に耳打ちした。


「えぇ、そのように聞いております」

「父上もおかしなことをするものだ。しかし、異世界から召喚したという話は眉唾物だな」


 勇者育成計画は、ビシャブ王の独断における施策であった。

 政治に勤しんでいたベイラン王子がそれを知ったのは、つい最近のこと。


「彼を戦線へ送ること、陛下には……」

「私の判断だ。父上は知らん」

「よ、よろしかったのでしょうか? 彼の存在も公にしてしまいましたが」

「よい。彼が死ぬようなら、父上の計画は無意味だったということだ」


 ベイラン王子は僅かに口角を上げて続けた。


「それに、本当に勇者足り得る者であれば、その手柄は私のもの……少なくとも、ここにいる者たちはそう思うだろう?」

「えぇ、仰る通りでございます」


 彼らが笑う一方で、牧緒は震えていた。


「俺が……魔物と戦う?」


 格好だけのつもりで手に取ったグラスのワインが、小刻みに揺れる。


「マキオ様、ここは一旦お部屋に戻りましょう」


 アンリアは牧緒の手を取って、強引に会場を後にした。


「ど、どうすればいい!? 俺は結局、魔法を使えない……いや、魔力だって生成できないままだ!」


 巨大な窓から月明りが差し込む廊下で、牧緒は動くつま先に視線を落として嘆いた。


「大丈夫、落ち着いてください」

「大丈夫じゃない! 魔物と戦った経験なんてないんだ! くそっ、くそっ……!」

「マキオ様!」


 アンリアが憚らずに大声を上げた。


「ご自身の家族のことだけを考えてください。戦わなくていい。生き残るんです。たとえ何と言われようとも……!」

「俺は……」


 何もできないまま、無情にも夜は明ける――。


 ***


 北方戦線――リンドラー迎撃第4部隊。

 その日は、部隊長の他に”勇者”を加えた特殊作戦形態をとる。

 本来の迎撃任務の範疇を越え、戦線を広げるため、魔物顕現区域の中腹へと部隊を進めた。


 林の脇を抜けた瞬間、空気が変わった。


「敵襲っ!」

 

 叫び声と共に、悪夢が具現化する。

 鎌のような脚を持つ巨大な蜘蛛。酸を滴らせる大蛇。鋼の翼を持つ怪鳥。

 異形の群れが、兵士たちを肉塊へと変えていく。


「くっそおおおおおお!」


 牧緒は恐怖を振り払うように、目の前の蜘蛛へ剣を振り下ろした。

 ガキン、と硬質な音が響き、手首に痺れが走る。

 刃は蜘蛛の甲殻に傷一つつけられず、無惨に弾かれた。


「そん、な……」


 魔力で身体を強化できない牧緒は、魔物に対して歯が立たない。

 生物としての格が、絶望的に違う。


「勇者様!」


 呆然とする牧緒を庇い、一人の兵士が割って入った。

 その剣は蜘蛛の足先を切り裂いた。


「がぁ、はう……」


 死角から迫っていた別の魔物が、兵士の胴を食い千切った。


「逃げ……て……くだ……」


 兵士は牧緒に手を伸ばし、絶命した。

 足元に、温かい血が広がる。


「い、嫌だ……死にたくない……、俺はっ……!」


 カタカタと震えながら、剣を構え直す。

 だが、足がすくんで動かない。

 魔物たちは、無力な獲物を品定めするように牧緒を取り囲む。


 その時、空が赤く光った。

 まるで花火のような音を立てて、巨大な十字の光が回転する。

 すると、魔物たちは後ずさり、悲鳴を上げながら去って行く。


「仲間の魔法だ……。しかし、奴らはすぐに戻って来るぞ……」


 血だらけの右腕をだらんとさせて、部隊長は状況を部下に伝えた。

 遥か後方、戦線より放たれた光と炎の魔法援護。

 その効果は、ただの威嚇に過ぎない。


「何が勇者だ! お、お前がいなければ、俺たちは死地に送られることはなかったんだ!」


 ベイラン王子より派遣された勇者の力を盲目的に信じ、部隊は作戦を受け入れた。

 しかし、牧緒が碌に戦えない無能であると分かって、現場の怒りは爆発する。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 牧緒はうずくまり、ひたすら謝罪の言葉を繰り返した。

 現状に流され、抗おうとしなかったのは、兵士も牧緒も同じだった。


「お前のせいで……!」


 兵士は感情的に剣を振り上げた。

 その手を、部隊長が止める。


「やめろ! 俺たちは、ここで退く!」

「しかし、上からそんな命令は……」

「構わん! これ以上犠牲が増えれば、戦線を維持することも危ぶまれる!」


 部隊長は、独断で部隊を撤退させることを決めた。


「責任は俺が取る! 生きて帰れ! それが俺の命令だ!」


 その声は、兵士たちの脚を動かした。


「確か、マキオと言ったな?」


 うずくまったままの牧緒は、少しだけ顔を上げた。


「お前は、ここにくるべき人間じゃなかった」


 そう言って、部隊長は牧緒を一瞥して歩き出す。

 偽りの勇者の初舞台は、惨劇だけを残して幕を閉じた――。


 ***


 城郭内に設置された法廷。

 傍聴席の貴族たちは、誰一人として言葉を発しない。

 重苦しい沈黙の中、手足を鎖で拘束された牧緒が引きずり出された。


「私は酷く失望している」


 玉座のビシャブ王は、事務処理をするように淡々と言った。


「魔力すらなく、忠誠心もない。いずれ開花すると信じた私の何と滑稽なことか」


 牧緒を縛る鎖が、カチャカチャと音を立てる。

 牧緒は奥歯を噛み締めながら、次に飛び出す言葉に怯えていた。

 どれほどに痛めつけられるのか。それとも、死刑となってしまうのか。


「貴様は我が国の資産を食いつぶし、私を裏切った。到底許される行いではない」


 ビシャブ王の言葉を受け、牧緒は喉の奥で燻る熱を、吐き出さずにはいられなかった。

 

「俺はあんたの勝手でこの世界に呼び出されただけだ! 甘んじたのは……言葉が通じなかったからで……」

「では何故、意思の疎通が可能となってからも、我が城に留まったのだ?」

「……ッ、どうすればよかったんだ!? 知らない世界で、当ても無く彷徨えって言うのか!?」

「そうだ」


 ピシャリと、表情もなく言い放つ。

 傍聴席の空気が凍りついた。


「俺が……俺が何をしたって言うんだよ……!」


 牧緒は手の平に爪を食い込ませながら、言い返した。


「貴様の罪は何だ?」


 自分は悪くないと宣う牧緒へ、その言葉は送られた。


「罪? 俺に? ふざけるなっ! そんなもん――」

「貴様の罪は、無能であることだ」

「は?」


 期待通り、勇者足り得れば良かっただけのこと。それがビシャブ王の答え。

 そこに、倫理は無かった。


「貴様を国家反逆の罪に問う」


 国に奉仕できない者は、皆反逆者。

 まるでそう言わんばかりの理不尽な罪状。


「そうだな……。貴様はヴァーリア監獄に入れてやろう。その方が、罪の重さが世界に知れるだろう」


 ヴァーリア監獄は、オルニケア王国の領土に存在する。

 自国の法で罰した罪人を、関係のない他国の監獄に入れる処置は、基本的にはあり得ない。

 しかし、ヴァーリア監獄だけは別だった。

 脅威とみなされたり、国外追放を必須とする罪人たちの掃き溜めとして、受け入れられている。


「そして、アンリアの処遇だが――」

「なッ!? アンリアは関係ないだろ!」

「斬首刑に処す」


 その言葉と同時に、後ろ手に縛られたアンリアが兵士に連れられてくる。

 牧緒の目の前までくると、アンリアは無理やり両膝を付かされた。


「そ、そんな……やめてくれ……。俺が悪かった! 悪かったから! 殺すなら俺を殺してくれ!」


 牧緒は微塵も想像していなかった。

 御付の役目を担っているからといって、アンリアが責を問われるなんて。


「やれ」

「こ、ここでですか?」


 その冷酷な命は、兵士すら動揺させた。

 周囲の貴族たちも息を呑み、目を伏せる。


「2年もの時と金を無駄にしたのだ。せめて、見世物として楽しませてもらわなければ損だろう」

「……ご命令とあらば……」


 彼は死刑執行人ですらない、ただの兵士。

 しかし、自身の未来を天秤にかけて、王の理不尽で非道な命に従うことを選んだ。


「ダメだ……、こんなの間違ってる。何でこんなこと……」


 牧緒はその場にへたり込み、高い天井を仰いだ。


「心配はいりません、マキオ様」


 こんな状況下でも、アンリアはまだ牧緒のことを敬意を込めて呼ぶ。


「マキオ様は、ご自身の思うままに進んでください。それを邪魔する権利は、誰にもないのですから」

「なん、で、そんなこと……、そこまで俺のことを……」

「マキオ様の心中は、誰よりも理解しています。ご家族の下へ戻れますよう、祈っています」


 2年を共に過ごしたが、牧緒は彼女のことを何も知らない。

 その夢も、家族のことも、好きな食べ物のことすら――何も。


「また、逢いましょう」


 アンリアは最後に微笑んでから、首を垂れてうなじを見せる。

 兵士の振り上げた剣が、慈悲なくそれを両断した。

 牧緒はその瞬間、目を逸らして俯いた。

 だが、容赦なく現実は突きつけられる。


 ドン、という音の後、生気の無いそれは牧緒の膝の先まで転がった。


「ああ、あああ……うわああああああああああああ!」


 喉が潰れるまで、牧緒は叫び続けた。

 ビシャブ王はそれを止めることも無く、満足げに笑った。


「あ……が、はああ……」


 声と涙が枯れた頃、ビシャブ王は口を開いた。


「懲役400年だ! 苦悶しながら生涯を終えろ」

 

 そのふざけた求刑は、遠い彼方の出来事のように思えた。

 牧緒の瞳から、光が消える。

 代わりに宿ったのは、底の無い暗黒。


(いつか必ず、俺がお前を……この国を裁いてやる……!)


 こうして一人の”勇者”が死に、一人の”囚人”が生まれた。

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