39話 切り札
勇者と唯一竜の戦地より遥か彼方。
古戦場の崩れかけた物見台の上。
万が一に備えて、勇者の腹心たちは爪を研いで来たるべき時を待っていた。
一人は勇者の右腕にして、表裏を司る賢者ミリオン・ハス・フェルミノス。
幼い少女とは思えないほど、毅然とした態度で戦地の空を見据えている。
大地が纏う微かな魔力すら、その小さな体が引き寄せて凝縮する。
一人は勇者に敗れし≪終末級≫の暗黒騎士ゴーヴァン・アストレイ。
彼がその身に背負う呪詛は、余りにも多すぎた。
絡まり合った糸のように不規則で、雑然としている。
呪詛を戦闘へ転用するために、黒き甲冑の内側で精神を統一する。
二人の間に殺気は無く、呼吸以外の音も無い。
しかし、徐々に甲冑が擦れるギリギリという音が耳に付き始めた。
忍耐強そうに見えるゴーヴァンが、堪らず先に口を開く。
「……お前は、何なんだ?」
目の前の幼女が戦えるとは思えない。
ましてや勇者の右腕などと、何かの間違いであろう。
「ミリオンです! 是非、ミリーとは呼ばないでください」
「名は知っている」
ミリオンのことは、レトロから聞いていた。
しかし、今日初めて顔を合わせた時から、ゴーヴァンはずっと気になっている。
歳が二桁にも満たないであろう子供が、まともな魔法を行使できるはずもない。
「まさか……、レトロの娘なのか?」
そう勘ぐるのも仕方ない。
レトロも若いが、年齢的にはありえない話ではなかった。
「そうです。ミリーは勇者様の娘です! なので大事に扱わないでください」
ゴーヴァンは、その話を信じきって頭を抱える。
踏み込んではならない一線であったかもしれないと、自戒した。
だが、自ら振った話を一方的に切り上げてしまうのも心苦しい。
悩んだ末に、その先の真相を確認する。
「家名はフェルミノスだったな。何があった?」
「うーん、まだ設定を練れていないので、聞かないでください」
「……設定」
ミリオンは嘘をついていた。必要のない、とてもくだらない嘘。
悪気があるわけでもなく、無意識に行われる不合理なコミュニケーション。
ゴーヴァンは遊ばれているのだと思ったが、鼻で笑って許してやった。
≪終末級≫の大罪人にしては、大らかな心を持っている。
もちろん優しさではない。
いつでも殺せる相手だと思っているからこそ、穏やかでいられるだけだ。
「……っ、きましたきました! 出番です!」
ミリオンが足踏みして、声を上げた。
彼女はレトロが身に着けている魔法具の耳飾りから聞こえる音で、状況を把握して行動に移す。
「気儘の招集:裏!」
ミリオンが唱えたのは、転送魔法の一種。
巨大な球体が二人を包み込み、キュルキュルと回転する。
それは物見台を粉砕し、残像を残しながらレトロの元へ飛んだ。
ミリオンたちの目的は、勇者が唯一竜に敗北した時、現地へ赴くこと。
唯一竜が満身創痍であれば、討伐を引き継ぐ。
そうでなければ、勇者の遺体を回収する。
結果は勇者の勝利。
それでも、ミリオンは勇者の下へ向かうと決めた。
本来の役目は、想定していなかったものへと変わる。
満身創痍の勇者を『惡の特異点』から救うためのものに――。
***
牧緒とレトロは対峙する。
レトロは僅かに後ずさり、目線だけを空に移した。
警戒するのは強欲の魔女リデューシャ。
レトロは右目と右腕を失い、戦う魔力すら残っていない。
原型魔法【綺羅星】が理不尽な勝利をもたらしてくれるのは、魔力あってのこと。
今戦えば、敗北は必至。
(僕の魔力が尽きていることは、感覚でバレているはず……)
そうだとしても、魔剣ロンドなら5メートル離れた場所からでも、瞬時に牧緒の首を刈ることができる。
(魔女はマキオが傷つくことを警戒しているはず。なら、なんでマキオはわざわざ僕の前に……)
レトロは、血と酸素が不足した脳で状況を整理する。
(僕を殺す気が……無い、のか……?)
意味不明な見解。
だが、それ以外に理屈が通らない。
レトロが僅かにふらついたその時、光の線が流れ星のようにレトロの背後に落下した。
舞い上がった土煙から姿を現したのは、ゴーヴァンとミリオン。
援軍は二人。それを確認して、牧緒は右手を振ってマントを翻した。
「姿を見せてやれ。魔王ロキアズル」
牧緒の背後で、地面が割れて隆起する。
その頂には、一人の影。
「弱り切った勇者になど興味はない。それよりも、我はそこの黒い鎧と闘らせてもらうぞ」
そこには、啖呵を切るユレナの姿があった。
黒き双角が光りを反射し、尾の影がレトロたちを撫でる。
(あれは……魔王じゃない)
レトロは、その演技をいとも容易く見破った。
ユレナが持つ日傘の魔法具は、蜃気楼のように錯覚をもたらす魔法を成す。
適性が高ければ、望む幻想を見せることも可能。
レトロの中に残る記憶を元に、魔王の姿を再現した。
あとは、それらしい言葉遣いと態度で臨むだけ。
その幻想は看破された――ここまでは、牧緒の計算通り。
(こんな稚拙な幻を僕が見抜けないと思っているのか……? いや、そんな楽観的な認識になるわけがない)
レトロは魔法においても卓越した強者。
だから深読みし、無視できるはずの違和感に意味を見出だしてしまう。
(魔王顕現の方法をマキオは既に特定している……!)
偽物の魔王で油断させておいて、戦力差に誤認を与える。
有利だと勇めば、本物の魔王が顕現して不利に転じる。
それが牧緒の策略だと、レトロは考えた。
実際には、その逆。
牧緒は魔王顕現の方法を特定しているが、仲間にすることができていない。
不用意に顕現させれば、仲間に牙をむく可能性も大きい。
ある意味で、魔王ロキアズルは戦力にならない。
だが、勇者ならその思惑を深読みし、違う結論に辿り着くと信じていた。
全ては、勇者を引かせるための作戦である。
(僕は戦えない。ゴーヴァン一人では≪終末級≫二人を相手にするのは難しい。ここは引くか? いや、ミリーがいれば勝機は……)
長いようで短い時間。
構えて指示を待つ、ゴーヴァンとミリオンに背を向けたまま剣を強く握る。
「君が望んでいるのは……対話だな?」
一つの疑念が、レトロに決断させた。
牧緒が、レトロの間合いに易々と踏み込んだ理由。
戦うことが目的なら、そうはしない。
だからレトロは気付いた。
勝負に誘い、負け戦に乗らせるつもりなのではない。
勝負から降りさせることが目的だと。
そして、この間合いは……対話の間合いだと。
ならば、それに乗るわけにはいかない。
「ゴーヴァン!」
その名を呼ぶのと同時に、レトロは一気に後方へ跳んだ。
ゴーヴァンは手のひらを前面にかざす。
「確実なる死よ――走れ!」
夜空よりも黒い黒煙が噴き出す。
それは牧緒はもちろん、上空から見下ろすリデューシャの視界すら遮る。
しかし、その実態は煙幕に留まらない。
触れれば問答無用に命を奪う、即死魔法であった。
「マキオ!」
リデューシャは黒煙の危険性を理解し、警告の声を上げた。
即死魔法の分類は闇の魔法。
相反魔法である光の魔法で簡単に相殺できる。
しかし、ミリオンがそうはさせない。
下剋上を実現し得る番狂わせの魔法を行使する。
「気儘な拘束:表!」
途端、リデューシャの体は硬直し、宙に浮いたままその身の自由と魔力の操作を封じられる。
「これは……!」
辛うじて動かせる舌を上下させ、リデューシャは驚きを吐き出した。
ミリオンの掲げる杖は重さを増し、彼女の体を押しつぶそうとする。
腕をプルプル振るわせ、額に汗を流しながら杖を支え続ける。
「5分だけ……、やっぱり1分だけ魔女を足止めします! 後はよろしくお願いしまあああす!」
ミリオンの拘束魔法が無防備にしたのは、リデューシャだけではない。
その助けを必要とする、無能の牧緒もだ。
死の黒煙が、命を飲み込む――その瞬間。
「うにゃにゃああああん!」
本人にとっては気合の叫び。
しかし、周囲からすれば何と間抜けな伸びた声だろう。
黒煙の中から現れた靴の底。
それはニャプチの両足だ。
ミサイルの如き勢いが、黒煙を左右に散らした。
「ごっ、ぶがああああああ!」
ゴーヴァンの顔面に、ドロップキックが決まる。
目にも留まらぬ勢いで、ゴーヴァンは吹き飛んで遥か遠方の台地に衝突する。
水飛沫ならぬ土飛沫が、雲に触れるのではと錯覚するほど、高く噴き上がり道を作った。
「は?」
レトロは眼前の出来事を受け入れらずに声を漏らした。
30トンにも及ぶゴーヴァンが吹き飛ぶなど、想像もしていなかった。
「その獣人……只者じゃないとは思ってたけど、ここまでとはね」
「あぁ、本当の切り札は魔王なんかじゃない。ニャプチだ」
牧緒は間を置かずに答える。
本当は、何が起こっているのか全く理解できていない。
しかし、自分たちにとって優位な状況が展開されたことだけは分かり、見栄を張った。
「にゃにゃにゃにゃああ~! ばっちこいにゃあ!」
久々に体を思い切り動かしたニャプチは、喜々とした表情で片足を上げ、猫手にした両腕を掲げる。
それは体を大きく見せようとする動物の威嚇のようでもあり、この世界には存在しない中国拳法の構えのようでもあった。
「ふ、流石犬ころ。役に立つ」
高らかに雄叫びを上げるニャプチを見下ろしながら、リデューシャはほくそ笑んだ。
即死魔法に触れながら、その効果を完全に無視した蹴りの一撃。
無策にその身を投じたようにしか見えなかったが、事実ニャプチはピンピンしている。
「うにゃ?」
ニャプチの視界に黒い光が映った。
光の先には、ゴーヴァンの肉体がある。
魔法による超高速移動。
その速度を保ったまま、剣は振り下ろされた。
「確実なる断罪よ――処せ!」
その斬撃の軌跡は、大地を分かつ黒き壁として目視できた。
永遠に標的を追い、永遠に切り刻み続ける終焉を告げる魔法。
一度放たれれば、自身には確実な勝利を。相手には確実な死を与える。
しかし、世界の理をも崩しかねないその魔法は、役割を見失った。
「にゃおおおんんん!」
ゴーヴァンが目にしたのは、できるはずもない真剣白刃取り。
魔法によって生み出された斬撃は、物理的には衝撃波に過ぎない。
しかし、確かにそれを掴んでいる。
黒き斬撃はニャプチの小さな両手に挟まれ、その体を二分するに至らない。
ニャプチは踏ん張るも、大地を走る斬撃に押され続ける。
「んにゃにゃにゃにゃにゃにゃああああ!」
手首、腕、肩、腰の順に体を捻る。
それに合わせて、両手に挟まれた黒き斬撃も形と軌道を変える。
まるで熱いままに練られる、飴細工の如く。
そのまま体を一回転させ、掴んだ斬撃を放ち返す。
「私は……、何を見せられているんだ」
ゴーヴァンは、生涯感じたことのない「あり得ない」を飲み込めずにいる。
かつて破れた勇者レトロとの戦いは、至極真っ当な物であった。
だから負けを認め、彼の騎士となることを選んだ。
今、目の前で起こっているコレは、不条理としか言いようがない。
こんな敗北は許されない。
黒き斬撃はゴーヴァンの胴を真っ二つにした。
一緒に斬られた両腕と共に、上半身が地面に落下する。
「ボクの勝ちにゃー!」
ニャプチはぴょんぴょん飛び跳ねながら勝利に酔う。
「全く、ふざけた獣人だ……」
兜から発せられたくぐもった声が、ニャプチの耳に届いた。
ゴーヴァンの体と腕は、紫色の炎を纏い宙に浮く。
彼が身に纏う呪われた鎧は、彼を死から遠ざける。
「まさか唯一竜でも魔女でもなく、お前のような者に全力を出すことになるとはな」
復活したゴーヴァンの態度に、ニャプチはニヤリと笑う。
「そこまでだ――」
ここまで、僅か1分にも満たず。
ここまで、誰一人の死も無く。
ここまで、誰も本当の脅威に触れていない。
リデューシャの拘束が、解かれた。
「そんな……、まだ全然1分経ってないです! うううう!」
ミリオンが膝を付いて息を荒げる。
リデューシャは内から膨大な魔力を放出し、自由を縛る不可視の拘束具を膨張させて強引に破壊した。
完全にノーマークだった一人の獣人に、レトロたちは翻弄された。
牧緒の首は落とせず、動けないリデューシャを仕留める予定だったゴーヴァンは近づくことすら叶わず。
結果、魔女の反撃を許してしまう。
「紫電霹靂――」
空間を照らす紫色の光。
走る雷の音が轟く前に、幾度となく生命を維持するための器官を焼く。
それは魔力を伝う雷電。
魔力を持つ者ならば、物質の電気抵抗を無視して実質的に超伝導体と化す魔法。
それ一撃では強者は打ち倒せないだろう。
しかし、永遠に流れ続ける電撃からは逃れられない。
幾度となく、体中を巡る電撃が内臓を焦がす。
ゴーヴァンはその場に膝を付き、ミリオンは穴という穴から血を噴き出して倒れた。
「強きを自負する者に、慈悲は不要。今なら勇者も殺せるぞ?」
宙を舞うリデューシャが、ゆっくりと降り立って言う。
牧緒はすぐには答えない。
そんな僅かな沈黙を、レトロが破る。
焦げた匂いを漂わせながらも、まだ自分の力で立っている。
「君たちが乱入してくる可能性は考えていたが、あり得ないと思っていた……」
迷いの森の謎は、もっと牧緒を苦しめるものだとレトロは考えていた。
少なくとも、唯一竜を倒して体制を整えるまでは持つはずだと。
「だが、僕も切り札を残している。それに、まだ全滅したわけじゃない」
レトロがそう言うと、ガチャガチャと音を立てながらゴーヴァンが立ち上がる。
既にその体から電流は抜けていた。
一度死ななければ逃れられないはずの魔法は、既に効果を失っている。
そして同時に、ミリオンも息を吹き返した。
「ぷはっ! わわわ、死ぬ前に死んでてよかったぁ!」
その言葉の意味は誰にも伝わらないが、彼女が蘇生するための手段を持っているのは確か。
恐らく、魔女ですら持ち得ない禁忌の法。
「さぁ、どうする?」
レトロは、牧緒に問う。
状況は変わらず牧緒が有利。
ニャプチが≪終末級≫と互角にやり合えることが分かった以上、勇者側の戦力が劣る。
それでも牧緒は、手が出せない。
勝敗が明らかであるからこそ、戦闘の継続を良しとするレトロの考えに引っかかる。
レトロには勝算があった。
確実ではないが、自身の原型魔法に由来する切り札が残されている。
二人は沈黙を以って、互いの腹を探り合う。




