38話 決着
「召喚器――魔剣エルドラド」
レトロは一本の魔剣を召喚した。
金色に光る刀身が斬った物は、黄金へと変わる。
遥か昔の錬金術師たちに封印された至宝であった。
「出し惜しみはしない!」
息巻いたレトロは、真っすぐバルバラへ跳んだ。
視界を覆うのは、果ての山すら塵にする炎。
レトロは赤い熱を下から斬り上げるように魔剣を振る。
魔剣エルドラドは、それが個体であろうと、液体であろうと、気体であろうと黄金にする。
魔剣を握る者が、斬ったと知覚さえすれば奇跡は実現する。
大地を埋め尽くすほどの炎が、全て黄金のマグマとなった。
透かさずレトロは、それに向かって二本の指を向ける。
無詠唱による風の魔法。
黄金のマグマは、まるで巨大な手の平のようにバルバラを覆った。
(熱によるダメージは期待できないが……、視界は奪った!)
レトロは一気に距離を詰める。
刃が通らないと分かっているのに、バルバラの脇腹を斬る。
当然、ダメージは無い。
人間で例えるならば、草で撫でられた程度の感覚しか与えられない。
バルバラは、長い舌をデロリとうねらせて顔面に付いた黄金を舐め取った。
翼にこべりついた黄金の重さを感じながら、無邪気に笑う。
「がはは、楽しいな」
いつか見た、人間の子供たちが泥だらけになって遊んでいる光景。
手の平で掬えば、土地と豪邸を手に入れられる価値を持つ黄金は、バルバラにとっては泥土も同じ。
子供たちと同じように、それを巻き散らしながら楽しく遊んでみたいと思っていた。
レトロが翼の付け根を斬りつけたと同時に、バルバラは空中で全身を回転させた。
一度、二度……ゆっくりと巨体の巻き起こす風が大地を削る。
三度目からは、雲が吸い込まれる程の竜巻が天に届く。
体を覆った黄金は、隕石にも等しい速度で周囲に散った。
地面には、底の見えない大穴ができる。
山肌は轟音を上げながら砂山さながらに崩れていく。
迫りくるそれは、避けられない程に多くて速い。
レトロは最速の剣撃で、黄金の礫を両断し続けた。
「ふぅ、目が回りそうだ」
回転を止めたバルバラに向けて、無意味な剣が振り下ろされる。
その体には傷はつかない。
故に、当然細胞ごと黄金に変えてしまうこともできなかった。
「どうした、楽しいんだろ!? 蝿一匹叩き潰すのが惜しくなったか!?」
レトロにできることは、安い挑発を放つことだけ。
「あぁ、楽しい。だから、私も手を抜くつもりは無い……!」
全力で戦う者に対して、唯一竜はようやく敬意を見せた。
途端、大地に張り付いた炎が渦を巻いて火柱となる。
それはまるで蛇のようにうねり、レトロを追った。
(唯一竜の意思を離れたはずの炎が……何故?)
本来は魔法を以って炎を成すが、バルバラは違う。
体内で炎を生成できる竜という生物は、吐き出した炎に魔力を込めることで火力を上げるだけでいい。
だからこそ、レトロは炎に魔法は使用されていないと思い込んでいた。
(そうか、最初から……)
レトロはようやく、バルバラの魔法を理解した。
無数の火柱は細く、槍のようになって迫りくる。
それを避けつつ、バルバラの猛攻も受けきらなければならない。
レトロには、手数も威力も足りていない。
無情にも、一本の火柱がレトロの脇腹を貫いた。
「がっ……はっ……」
それは実体を持ち、内側から肉体を焼く。
「拒絶する者――壁!」
地面から無数の壁が高く伸びる。
そのまま壁は、周囲の火柱を切断した。
その隙に、バルバラは炎を天に向けて放つ。
それはバルバラと同じ大きさ、同じ形を成した。
「二対一か……悪くない!」
その炎はバルバラと同じ力を持ち、同じ速さを持つ。
その首を落としても、再び炎は結合して構わず牙を振るう。
炎の体を黄金にしても、それを燃料にして更に炎は燃え上がる。
レトロの攻撃はどちらにも通用しない。
再びバルバラの爪が、尾が、牙がレトロを襲った。
もはや、避けることすら不可能。
「抱擁の加護――糸……」
治癒魔法で、受けた傷は瞬時に回復する。
しかし、脳が痛みによって悲鳴を上げていた。
その痛みは、魔力を成形する処理に遅れを生じさせる。
このまま戦闘が長引けば、いずれ引導を渡される時がくるだろう。
(僕は、何度剣を振った……? あと……何回……)
レトロは来たる時に向けて、バルバラ本体の首に魔剣エルドラドの斬撃を浴びせ続けた。
レトロの攻撃が効かないことは、バルバラも理解している。
だから、防ぐことも避けることもしない。
ひたすらレトロの命を削ることに注力する。
(あの分身……炎の竜が僕の邪魔だ……)
魔物が使用する魔法は、そのほとんどが原型魔法である。
人間と違い、魔物は種族によって魂の形が決まっている。
故にどの魔物がどのような魔法を使うか事前に把握でき、対策を講じることができる。
一方、バルバラは世界で唯一の竜という種。
その魔法の真価は、人類にとっては未知数。
それは勇者ソルナスにすら暴けなかった炎の秘密。
しかし、戦いの中でレトロは確かに竜の魂の形を感じ取った。
原型魔法【革新の炎】。
あらゆる炎に命を吹き込み、生命として誕生させる魔法。
個性を持った炎は、ただの炎にあらず。
熱や形だけに留まらず、炎たる性質すら自身の意思で変化させ、自立する。
炎が森羅万象に与える影響、その摂理すら変えてしまう魔法。
炎という名を冠した万能であり、全能である。
バルバラは、長い年月をかけて全ての炎を支配下に置く方法を編み出した。
その炎に焼かれながら、再びレトロの剣はバルバラの首に届いた。
「次だ……次で終わらせる……」
やはり、その刃は鱗を傷つけることすらできない。
それでもレトロは、不敵に笑う。
バルバラは体を縦に回転させ、尾の一撃でレトロを空に突きあげた。
そのままバルバラは、地に足を付き、天を仰ぐ。
(距離を取らされたっ……! 何をするつもりだ?)
一瞬、レトロの思考が止まる。
遥か上空から見下ろした世界に炎が映らない。
炎の塊でできた唯一竜の複製すらも、いつの間にか姿を消している。
バルバラの眼前にオレンジ色の光が集まる。
魔力を一点に集中させ、新たな炎を生み出そうとしている。
それは、高熱を伴った光線。
光の速度で放たれるそれは、回避不能。
それが放たれたと認識したときには、既に目標を貫いているだろう。
レトロは、体を動かすことなくノーモーションで唱える。
「召喚器――魔盾アルマト!」
握られた魔盾は、スプマ・スライムの上位互換と言える。
炎に限らず、あらゆる属性の魔法を一度だけ無効化する絶対効果魔法を持つ。
更に、物理的な衝撃の可能性に備え、『崩』を施して万全を期する。
強化された魔盾アルマトは、星を貫く攻撃にも耐えられる。
そして、世界を分かつかのように一閃が空を穿つ。
音も無く、無慈悲にレトロの半身は魔盾アルマトごと消滅した。
放たれた熱線は決して、即死の性質を持ち合わせていない。
ただ、純粋な破壊を以って、盾など構わず、魔法など構わず、善悪など構わず貫いた。
胴が消し飛び、細い小枝のように僅かに残った肉が、首と下半身を辛うじて繋いでいる。
絶対効果魔法とは、人類が定義した指標に過ぎない。
海を飲み干すことは不可能。
それほどに当たり前であるからして、絶対であると定義される。
それは、あの魔女ですら受け入れる程に隙の無い魔法理論。
しかし、それを可能にする例外が現れれば、絶対の壁はいとも容易く崩壊する。
この日、唯一竜バルバラは最強の矛にて、最強の盾を降した。
(これが……死か……)
常人で無いが故に意識を失えない。
常人で無いが故に死を感じ続ける。
その脳が働きを失うまで、彼の魔法は足掻くのを止めない。
うなじに刻まれた魔法陣は、彼を死地から救いだせる物だった。
光の魔法『抱擁の息吹―― 匡』。
何かを失うことで、何かを補う魔法。
正しくあるためには、犠牲を伴う必要がある。
レトロの右目は強い光を感じたあと、深い闇に沈んだ。
その代わり、失った体が元に戻っていく。
魔力のほとんどを消費し、命を繋ぎとめた。
「まさか……、奥の手を全て使うことになるなんてね……」
レトロの感情は、怒りと困惑に満ちていた。
魔剣グラムがあったとはいえ、どうやってこんな化け物をかつての勇者は打ち倒したのか。
多少苦戦することはあれど、一対一ならば余力を残して勝利する自信があった。
だが、現実は甘くない。
強すぎる……次元が違う。
唯一竜は≪終末級≫の中でも間違いなく最強だ。
レトロの内に蠢く感情は、次第に喜びに変わっていった。
最強と交えることができた喜び。
最強の首をここで断つことができる喜び。
レトロは、元に戻った右手を何度か握り、わき腹に手を当てて命に感謝する。
握られた魔剣エルドラドで最後の一撃を入れるべく、レトロは空を蹴って急降下した。
「大地に放てば世界を終わらせられるほどの魔法……二度は撃てないだろう!」
しかし、彼の考えは間違っていた。
再びバルバラは光を生成し、それを放つ。
初見でなくとも、避けることはできない……はずだった。
レトロは空中を蹴りながら熱線の周りを回った。
その飛行速度は、反応速度も含めて常軌を逸している。
先ほどまでのレトロとは、何かが大きく異なっていた。
バルバラは首を振って標的を追う。
一度放たれた熱線は途絶える様子を見せない。
「いつになったらっ……魔力が尽きるんだっ!」
レトロは熱線が止む時を、必死に飛び回りながら待つ。
触れれば間違いなく死に至る魔法を前に、距離を詰めることができない。
残りの魔力は、空中遊歩の魔法と最後の一撃に懸けている。
もう、治癒魔法は使えない。
だからレトロは、魔剣エルドラドを犠牲にすると決めた。
命中しなければ止まらない。
ならば、当たってしまえばいい。
太陽を背にする位置につくと、レトロは一直線にバルバラへ向かった。
放出され続ける熱線が横から迫る。
魔剣の切っ先を熱線に突き出し、タイミングを計った。
魔剣は触れた先から赤く溶けて消滅していく。
刹那の反応が可能であれば、犠牲になったのは魔剣だけだっただろう。
しかし、迫る熱線はレトロの右腕も飲み込む。
だが、思惑通り体が熱線へ触れる直前に、体を縦に翻し逃れることができた。
熱線と同一射線に入った物体は、目視で確認できない。
バルバラは熱線が目標に衝突した感覚を以って、魔力供給を止めた。
仮にレトロを仕留めきれていなかったとしても、次の手を考えるだけ。
強靭な鱗に攻撃は通用しないのだから、隙が生まれようとも関係は無い。
その考えが、バルバラに終わりをもたらした。
「これが最後だ……」
レトロはバルバラの眼前に迫っていた。
左手に握られているのは、魔剣ロンド。
刀身の長さを変化させる一太刀にて、バルバラの首を断った。
決して傷をつけることのできなかったその首をアッサリと。
力任せの斬撃ではなく、細胞の隙間を縫うように放たれた一撃。
鱗の下で隆起する筋肉の動きすら見抜き、生物の綻びを看破する。
常軌を逸した集中力が、規格外の武技に昇華された。
最初に、巨大な頭が地面に落ちた。
轟音の後に続いて、土煙が波紋を描く。
次に落下した体が、大地を揺らした。
薄く開いた瞼の奥に光る眼球は、まだ僅かに炎を灯している。
「諦めなければ、いつかは上手くいく……。それが、勇者の原型魔法さ」
原型魔法【綺羅星】。
それは綺麗事を実現させる魔法。
無数の星のように無限の成長を確約する。
相対する者が強ければ強いほど、必ずそれに追いついて突き放す。
そこに法則は存在せず、ただ際限なく強くなる。
レトロは、バルバラの頭に近づいて囁く。
「バルバラ……、僕は知っている。君の本当の願いを――」
薄れ行く意識の中で、バルバラはその言葉を反芻する。
同時に、牧緒が手を差し伸べる姿が脳裏に浮かんだ。
長い首に残った空気と血液が、バルバラの口から吐き出される。
レトロはそれを浴びながら、バルバラに声をかけ続けた。
「最高の気分だった。君のことは忘れない。だから君も、僕のことを忘れないで欲しい」
その傲慢な態度をバルバラは嘲笑いたかったが、垂れ下がった舌が動かない。
そして、ゆっくりと瞼を閉じ――。
「今際の際の獣よ、冀望せし者の下へ集え――」
パン、と手を鳴らす音と共に詠唱が響いた。
途端、バルバラは黒い液体となり、空に吸い上げられていく。
それは空に浮いたリデューシャの手の平に集約し、黒い玉になったかと思えば、そのまま圧縮され消えた。
「これで唯一竜は、妾の召喚獣となった。亜空間では生物の時間は止まる。たとえ首と胴が離れていようと、生きているのなら死ぬことはない」
リデューシャはそう言って笑う。
脳が完全に活動を終えてしまう前に。
心臓が鼓動を停止してしまう前に。
召喚獣の契約は結ばれた。
「ふ、ふはははははは! 最悪の……いや、最高のタイミングだ! 戻ってきたのか、マキオ!」
揺らめく炎の先に、『惡の特異点』が盟主の姿があった。
「できれば、もう二度と会いたくはなかったよ」
未だ熱を失っていない大地を踏み抜き、牧緒はレトロと対峙する。




