37話 王都崩壊
牧緒たちが旅立ってどれほどの時間が経ったのか、バルバラはハッキリと思い出せないでいる。
魔女とも比較にならないほど長い時を生きてきたバルバラにとって、ほんの数日間の出来事など無いに等しい。
酷い退屈はいつまでも纏わりつくのに、慈しむべき記憶はすぐに色褪せていく。
なのに、牧緒という存在は強く脳裏に焼き付いて離れない。
人間との付き合いは長い。長すぎる程だ。
牧緒は、その中でどの人間にも見られなかった特別な何かを持っている。
日本語は、まだまだ学んでいる最中。ほとんど会話は成り立たない。
それでも、牧緒にそれを教わるのが楽しかった。
異世界があるという確信。いつか同胞に出会えるという希望。
日本語は、バルバラの辿る未来を明るくしてくれる。
「退屈という言葉は、『日本語』で何と言うのだったか……」
退屈と言いながらも、ジッと牧緒の帰りを待つ。
”迷いの森”だろうとなんだろうと、必ず帰ってくると確信している。
だからこそ、過行く時間の多寡に気を揉むことは無い。
陽気な午後。
その日は何故か血が滾り、眠気も吹き飛んだ。
バルバラ本人にも理解できない胸のざわつき。
魔物特有の危機察知能力がそうさせたのかもしれない。
バルバラは王城の頂で首を東に伸ばし、感覚を研ぎ澄ませて鋭く集中する。
彼方から、届くはずもない詠唱が聞こえた気がした。
「薙ぎ払う者――飆」
常軌を逸した突風が、膨大な魔力を帯びて迫る。
それは東より吹き荒れて大地を抉り、人を、家を、城を粉々にして去って行く。
あらゆる物が塵に等しく、風に乗って空へ舞い上がる。
唯一、残されたのはバルバラの肉体。
破壊の突風に逆らいながら、翼を広げる。
そして、東へ向けて一度だけ羽ばたいた。
突風は相殺され、遥か宙に浮いた町の残骸が降り注ぐ。
「そうか……謀られたな、マキオ。仕方ない、私が何とかしてやろう」
これが自然現象でないことは明らかだった。
風の魔法による攻撃。
それは王都の半分を消し飛ばす程の威力。
バルバラは、勇者が放ったものであると断定した。
同時に、牧緒たちが”迷いの森”へ向かったこと自体が、勇者の謀略であると推察する。
飛躍した発想ではあるが、それが当たっているか外れているかなど関係ない。
やるべきことは、目の前の脅威を排除するだけ。
牧緒が戻ってきた時に、全てが上手くいくように。
バルバラは空を飛び、左右上下に揺れながら、風に乗って泳ぐように東へ向かった。
地平線に重なる丘の上。
花の咲く場所に勇者レトロは佇んでいた。
花びらを一枚残らず散らしながら、バルバラは大地に降り立つ。
「あれは私ではなく、王都を狙ったものだな?」
人間にとっては壊滅的な攻撃でも、バルバラにとってはそよ風も同じ。
≪終末級≫たる唯一竜に対して、その結果は火を見るよりも明らかだ。
不意打ちの体すら成せていない。
だとすれば、目的は王都の破壊その物にあるのだろう。
「本当に言葉を話せるんだね。その上、頭も切れるようだ」
レトロは、眼前で自身を見下ろす竜を恐れない。
「君の言う通りだよ。ヴァルキア皇帝の後ろ盾が無くなったことを分かりやすく伝えたくてね」
レトロにとって、ウオラ王国が被った損壊は許容範囲内であるということ。
そこまでの暴挙に出たということは、それを世界が認めたということ。
もはや交渉のテーブルなど存在せず、力でねじ伏せることだけが求められているということ。
あの一撃で、バルバラが戦闘を拒絶する理由は無くなった。
「私に敵うと思っているのか?」
バルバラは低く唸った。
「そっくりそのまま、その言葉を返そう。あの時、背を向けて逃げに徹した君が、僕に敵うと思っているのか?」
レトロは切り返した。
ヴァーリア監獄から脱獄した日、バルバラが戦闘を避けたのは、背に乗る弱き人間を傷つけないため。
そして、魔女が素直に協力するのか、あの時点ではバルバラには判断できなかったからだ。
もちろん、今となってはレトロもそれを知っている。
知った上で、敢えてバルバラを煽った。
「さぁ、始めようか」
そう言ってレトロが握ったのは、魔剣シェルピア。
対唯一竜用に宝物庫より取り出した風の魔剣。
一方が剣を抜き、一方が再び翼を広げた時、戦いの火蓋は切られる。
バルバラは炎を噴いた。
ただの一息で、大地は火の海と化す。
レトロは空中遊歩の魔法で空を駆けてそれを避けた。
剣が振り下ろされるよりも速く、バルバラは体を回転させ、その太い尾でレトロを打つ。
レトロはその攻撃を剣で受けることを躊躇った。
魔剣シェルピアの砕け散る光景が、容易に想像できたからだ。
炎と相性の良い風の魔法を、ただの物理攻撃を受けるだけのことで失いたくはない。
それ故に選択したのは、己の右腕で受けること。
結果的に右腕は疎か、肋骨と背骨すら砕けて、風に煽られた羽虫のように宙を転がった。
それはレトロの生涯で、一度も受けたことのない規模の損傷。
だが、その一撃を生きて耐えたというだけで、彼が人外であることの証明と言えるだろう。
尾の一振りによって発生した衝撃は、地表を沸騰させたかの如くボコボコと盛り上がらせる。
なだらかな高原は、殺風景な平原へと様変わりした。
レトロが行使した風の魔法『飆』を上回る破壊を、魔力を込めた肉体の力のみで実現したのだ。
「くっ、魔女と違って……手加減も無しか……!」
全身の痛みを愛でるように堪能しながら、恍惚に歪む口元を大きく開いて悪態をつく。
今、レトロはかつてない程の生を実感している。
遂に、命を賭けた戦いに身を投じることができた。
それも、七ヶ国同盟が……世界がそれを許している。
全力を憚る必要など、どこにも無い。
「抱擁の加護――糸!」
赤い唾液をまき散らしながら、呪文を唱える。
それは、光の魔法による治癒。
金色の糸が損傷個所を縫い合わせて補強し、失われた細胞を補完する。
リデューシャも行使したことのある、最上級に位置する治癒魔法の一つ。
自身の魔力を使った治癒であれば、拒絶反応も発生しない。
レトロの魔法適性ならば、呪文を詠唱さえすれば致命傷すら瞬時に完治する。
だが、完治を待たずにバルバラの炎がレトロを包み込む。
嵐すら燃やし尽くすはずの業火は、あっという間に搔き消えて熱を分散した。
レトロの振るう魔剣シェルピアは、斬った物の内に暴風を生じさせる。
魔剣の刃が炎に触れるだけで、業火はその先に近寄れない。
「……魔剣」
バルバラは一瞬身構えた。
しかし、即座に魔剣シェルピアの効果を把握し、バルバラは強靭な肉体を利用した攻撃に転じる。
レトロが魔剣で攻撃を受けられない様子を見せてしまったのは、失敗であった。
バルバラが喰めば、牙のぶつかる音が空気を揺らす。
開かれた大口に飲み込まれる瞬間、レトロは光の魔法を放つ。
「抱擁の受難――針」
発生した光の針ごと、バルバラは噛み砕いた。
四方に広がって伸びる針の一本に、自らの肩を突き刺して移動し、レトロは脱出に成功する。
「口内もダメか。光の魔法が魚の小骨みたいに無視されるとはね……」
バルバラが爪を走らせれば、数十キロ先まで大地が割れる。
掠っただけで、胴は簡単に二分されるだろう。
バルバラが羽ばたけば、何者もその場に留まることはできない。
翼が巻き上げた突風によって、距離は更に開いて行く。
(全く近寄れない……!)
レトロの次の狙いは眼球。
だが、避け続けるだけでは進展が無い。
(仕方ない。負傷は受け入れるとしよう)
魔剣の刃の届く範囲まで近寄るには、攻撃を受けた上で突き進むしかない。
その覚悟を以ってしても、激しく動くバルバラの頭部……延いては眼球を狙うのは難しい。
(なら、その長い首を貰う!)
レトロは新たな狙いを定め、空を蹴った。
迫る爪が、はらわたを吹き飛ばす。
翼の先のカギヅメが、脚を抉る。
しなる尾が顔面を掠め、鼻と前頭葉を剥いだ。
その度、治癒魔法で完璧な肉体を取り戻す。
危惧すべきは消費魔力。一度の治癒にかける魔力量は膨大であった。
これ以上、致命傷を受け続けるわけにはいかない。
防戦一方のレトロであったが、歴代最強の勇者は確実に距離を詰める。
そして、あらゆる魔物を一撃で屠る一閃をその首に刻む。
「存在を賭す者――崩!」
武具の能力を数百倍に引き上げる魔法。
その代償として、対象となった武具は存在自体が消滅する。
バルバラの攻撃によって魔剣シェルピアが破壊されることを避けたのは、この一撃のためでもあった。
引き上げた能力は、その手に握る剣の“切れ味”と”魔法効果”。
それは世界最硬と謳われるアダマントすら切り裂くほどに達する。
仮に首を両断することができなくても、少しでも刃が通れば暴風を発生させられる。
つまり、その肉体は破裂する。
しかし、結果は想定外。
レトロの剣は、先から砕けて消滅した。
それは、魔法の代償によるものではない。
僅かに傷ついた鱗が、暴風でバチンと弾けてレトロの眼前に散る。
その斬撃は、肉にすら届かなかった。
『崩』の代償を払うよりも早く、剣は砕けてしまったのだ。
「はは、ははははは! 同じ≪終末級≫でも、これ程までに差があるのか……」
レトロが誰と比べたのかは分からない。
暗黒騎士ゴーヴァンか、はたまた一戦交えた強欲の魔女か。
驚愕するレトロに、バルバラの顔面が迫る。
「滅びろ――」
そう言って吐き出された炎は、それに触れていない彼方の空気すら灼熱に包んだ。
「召喚獣――スプマ・スライム!」
炎が到達するより僅かに早く、レトロは召喚獣の体内に内包される。
スプマ・スライムは、魔力を纏う炎を無条件で無効化することのできる絶対効果魔法を行使する。
魔物の体内で一時的に空中遊歩の効果を失ったレトロは、そのまま地面に落下した。
だが、スライムの弾性が衝撃を全て吸収する。
とぷん、と水音を立てながらスプマ・スライムの体が割れた。
「ぷはっ、ふぅ……」
レトロの濡れた髪を、空気を伝う熱が瞬時に乾かした。
バルバラの炎は広範囲であるが故に視界を狭める。
標的であるレトロが落下して、既に炎から抜け出していることに気付いていない。
(これ程の硬さを持ち得て尚、慎重に立ち回るのは何故だ……?)
この隙に攻撃しても意味は無い。
『崩』を以ってしてもダメージは無かったのだから。
だから、レトロは考える。
バルバラの一挙一動は、相手を懐に入れないよう注意を払っているように見えた。
だが、会心の一撃すら通用しないのならば、もっと大胆に攻め手を増やせるはずだ。
風の魔法を成す魔剣シェルピアは砕けた。
柄だけでは、魔力を成形できずに魔法を行使できない。
レトロはそれを放り投げ、再び空を蹴った。
「君は……、魔剣グラムを恐れているな?」
かつて、勇者ソルナスが使用した魔剣。
無条件でバルバラの鱗を貫ける唯一の手段である。
「恐れる……? ふむ、確かに私は恐れているのかもしれないな。魔剣グラムか、それとも勇者そのものか……」
バルバラは翼を巻くように羽ばたかせ、考え込むようなそぶりを見せた。
「いや……私が恐れているのは、そのいずれでもない」
恐怖は認め、消沈は否定した。
バルバラが真に恐れるのは、いつか戻る牧緒を出迎えられないこと。
敗北を恐れているわけではない。
勇者との決着がつかないことを恐れている。
ここで、牧緒の障壁は取り払っておくべきだ。
バルバラの瞳は、より一層赤く燃え上がる。
「なんだ、要らない心配だったか。でも、一応伝えておくよ。魔剣グラムは、もうこの世に存在しない」
魔剣グラムは、勇者ソルナスが魔王との戦闘でも使用した。
その際、破壊されたとされている。
レトロは敢えて、最大の脅威が存在しないことを教えた。
仮に魔剣グラムが現存していても、それを使うつもりはない。
殺すことに万能な剣など、興を失うだけだ。
「もう、君が恐れる物は無い。だから、思い切りやろう……!」
レトロの狂気が、バルバラを飲み込む。




