36話 軍事戦略
時は遡り、『惡の特異点』が”迷いの森”へ向かう少し前の出来事――。
ベイラン王子は、隊を率いて魔術師デルバの捜索中。
そんな中、ビシャブ王は忠臣を介し、王は心労がたたって床に臥したと息子に伝えた。
ビシャブ王とベイラン王子は、『惡の特異点』を受け入れるかどうかで対立していた。
それは解決を見せることなく、二人の距離を物理的にも精神的にも広げる。
だからこそ、ベイラン王子は知る由も無い。
ビシャブ王が臥してなどおらず、『惡の特異点』を裏切ろうとしていることに。
深い夜、ビシャブ王は城の地下道を通って城郭の外に出た。
予め用意させていた馬車に乗り込み、唯一竜が背にする方角へ走る。
大きく遠回りして向かう先は、オルニケア王国。
必要とするのは勇者の力。
魔法により電報を送ることもできるが、傍受される可能性を考えた。
もしも、城を出たことに気付かれたとしても、実際に国境を越えるまではいくらでも言い訳が効くだろう。
なにより、直接バラン国王に謁見することが、助力を求める者の誠意である。
「王都ペルティアまで、どれぐらいかかる?」
「フーリン島条約のお陰で、港の魔法陣が使えます。渡航記録を確認した限りでは、今年はあと二度。丁度帰りの分までございます」
「今年中に戻れれば良いがな……」
ウオラ王国とオルニケア王国は、同じレディン大陸に位置しており、地続きの関係であった。
しかし、間に二つの国を隔てている。
距離も遠く、必要な手続きも少なくない。
普通に馬車を走らせただけでは、数十日を要するだろう。
そこで、フーリン島条約が役に立つ。
レディン海域における、両国の領海を定義するものの一つ。
ウオラ王国の領土であるフーリン島を、緊急時の避難港としてオルニケア王国に共有したのが始まり。
そこから、フーリン島を中心に互いの領海への侵入を許可するものとなる。
最終的には、オルニケア王国側が魔力の供給を実施する転送魔法の魔法陣が、互いの港に設置された。
公認の漁師ギルドのみが使用を許可され、その用途も厳格化されている。
だが、今は緊急時。ビシャブ王は、そんなルールを守るつもりは無い。
「港までは、日が昇る頃には到着します。転送後は、王都ペルティアまで約半日ほどでしょうか」
「そうか。七ヶ国会議に間に合えばよいのだが……」
緊急時――主に≪終末級≫が動いた場合だが、七ヶ国同盟の加盟国が集結し、世界の方針を決める。
過去300年の間に、七ヶ国会議が発足したのは二度。
ヴァーリア監獄の囚人脱獄は、三度目の発足に足る大事件だ。
ビシャブ王は、馬車の窓から星空を見上げて指先を震わせた。
それは底知れぬ不安と、勇者に賭ける希望がせめぎ合うことで生じた武者震いだろう。
***
「レトロ様、ウオラ王国の国王陛下がお見えになっております」
ビシャブ王の来訪は、真っ先に勇者レトロへ知らされた。
彼らは、応接室で対面する。
「勇者殿。我々が置かれた状況を説明させていただきたく、バラン国王陛下に拝謁賜りたい所存」
ビシャブ王は王冠をはじめとする装飾を取り払い、同じ国王としての立場ではなく、一人の人間として願う。
「残念ながら、バラン陛下はお忙しい。代わりに僕が承りましょう。これは、バラン陛下のご意思と捉えていただいて構いません」
確かに、必要とするのはあくまで勇者の力。
決して、オルニケア王国の軍隊に期待などしていない。
だが、公的な手続きであれば、バラン国王を通すのが筋である。
ビシャブ王は躊躇ったが、暫くすると覚悟を決めて事の顛末を話し始めた。
かつて、牧緒という男を異世界から呼び出したこと。
そして今、元の世界へ戻る方法を探していること。
ベイラン王子が、魔術師デルバの捜索に当たっていること。
それらは、諜報員たちでも得られなかった情報。
「そうですか。状況は把握しました。僕がビシャブ国王陛下を……ウオラ王国を救いましょう」
レトロは二つ返事で約束した。
これは千載一遇のチャンス。
元の世界に戻りたい牧緒の目的を利用すれば、≪終末級≫を孤立させることができると瞬時に閃いた。
「ビシャブ国王陛下は、しばらく我々の下で保護させていただきます」
その名目で、実質的にビシャブ王を軟禁状態とする。
レトロにとって、彼は既に用済み。
だが、思いもよらぬ形で使い道ができるかもしれないと考え、仕方なく生かしておくことにした。
値千金の情報をレトロが掴んだ、その翌日。
丁度、七ヶ国会議が予定されていた日。
ビシャブ王の名を伏せたまま、ウオラ王国からの信頼できる亡命者として出汁にする。
勇者の肩書は、それを他国の高官へ信じさせるのに十分なものだった。
レトロが発案した軍事戦略は、『惡の特異点』を”迷いの森”へ隔離し、残った唯一竜を打ち取ること。
それは同時に、ウオラ王国への武力侵略ともなってしまう。
何故ならば、肝心の唯一竜が王城の上に据わっているのだから。
王都は必然的に崩壊することになるだろう。
唯一竜に悟られず奇襲をかけるために、王都の民たちを避難させるわけにもいかない。
甚大な被害が想定される。
それでも、七ヶ国同盟の加盟国はその軍事戦略を承認した。
ただし、条件付きで。
条件は、ヴァルキア皇帝の許可を得ること。
各国の認識では、『惡の特異点』を動かせるのはヴァルキア皇帝のみ。
これが、セントファム帝国への攻撃ではないことを明確にしなければならない。
さもなくば、残る二人の≪終末級≫――魔女と魔王を嗾けてくるかもしれないからだ。
「その条件……承りました」
レトロは、簡単にそれを受け入れた。
たかが一人の皇帝を言いくるめるのは、レトロにとってそれほど難しいことではない。
だが、問題が一つ残っていた。
どうやって『惡の特異点』を”迷いの森”へ隔離するのか。
異端審問官を利用し、それを実行することを考えていたが、七ヶ国会議ではそれが否決された。
『霊長教会』の最高司祭は、≪終末級≫の一人でもある。
同じ≪終末級≫を討つための作戦に関わらせるには、リスクが高すぎると判断されたのだ。
だから、レトロは『霊長教会』を通さずに、非正規に一人の異端審問官と接触した。
「……急に呼び出して、何の用なわけ?」
妹にして、異端審問官の第九席。キュラハ・ウォーハートだ。
「選んで欲しいんだ。僕に刃向かうか、僕に従って人生を棒に振るか」
「……は?」
それは、どちらを選んでも同じ。
キュラハには、最初から拒否権など存在しなかった。
「”迷いの森”へ入って欲しいんだ。世界平和のために」
異端審問官は、魔術師デルバを探している。
だからこそ、キュラハなら牧緒を騙して”迷いの森”へ誘えるはず。
意図せず偶然に、その材料は揃っていた。
ヴァーリア監獄から囚人が脱獄して4日後、天記の書にデルバの足跡が記された。
しかも、その場所は願っても無い”迷いの森”。
この事実があれば、事は簡単に成就するだろう。
「そうか。魔術師デルバも、マキオを誘っているのか……」
レトロは、あまりに都合の良い展開に対して理屈をつけた。
だが、デルバの真意までは分からない。
分からないが、牧緒が何か特別な存在であることを察する。
「はは、面白くなってきたじゃないか」
ただ、楽しそうに笑う。
それを見て、キュラハは背筋を凍らせた。
***
場所はセントファム帝国。
数日かけて、レトロはようやくヴァルキア皇帝との謁見を取り付けた。
「私には奴らを扱いきれぬと、そう言いたいのか?」
ヴァルキア皇帝は、ゆっくりと息を吸ってから静かに問うた。
彼の矜持こそが、最も厄介な隔たり。
「滅相もありません。ただ、奴らが皇帝陛下を裏切ったのは確か。奴らの悪逆のツケを、皇帝陛下が払う必要はありません」
ウオラ王国で、『惡の特異点』を監視する者たちが一斉に消えた。
魔女の攻撃を受け、今も死線を彷徨っている。
その責任問題を、全て『惡の特異点』に擦り付けることで、ヴァルキア皇帝に手を引かせる算段だ。
しかし、ヴァルキア皇帝はなかなか説得に応じない。
諜報員たちの犠牲は、表立った問題ではないからだ。
むしろ、自国の使者を許可なく監視する行為こそ無礼極まりないと、ヴァルキア皇帝は考えている。
「私の与り知らぬこと。帝国の民に、要らぬ不安を抱かせるつもりは無い」
ヴァルキア皇帝は、強気な態度を変えない。
「……奴らは始めから、ビシャブの手の者なのです。我々はビシャブを捕え、魔法により真実を吐かせました」
レトロは嘘をついた。
ビシャブ王は、ベイラン王子とその手の者に気付かれないよう、最小限の御付だけで秘密裏に行動した。
彼の行方と目的を知る者がいない以上、レトロはビシャブ王を好きに扱うことができる。
魔法で洗脳して、本人の口から嘘を語らせることすらも。
レトロにとってビシャブ王はもはや捨て駒でしかなく、ウオラ王国が弾劾され崩壊したとしても構わない。
「これは全て、ビシャブが目論む世界征服計画の一つ。ビシャブは≪終末級≫の力を得るため、マキオという男をヴァーリアに送り、魔女と唯一竜……そして魔王を脱獄させたのです」
そして脱獄後は、セントファム帝国を利用した。
ウオラ王国は被害国であるかのように振る舞い、陰から世界を支配しようとしている。
――これが、レトロの考えたシナリオだ。
「奴は……、ビシャブは今どこにいる……?」
ヴァルキア皇帝はこぶしを握り、怒りに震えながら聞いた。
まさか勇者が、一国を陥れるような嘘をついているとは微塵も考えていない。
「今は我が国に。ご所望とあらば、直ちに連れてまいります。しかし、こうなった以上は先に対処しなければならない者がいます」
「それは何者だ?」
「奴らの中で、唯一姿を消していない者。ウオラ王国を守るように王城に据わる、唯一竜です」
「……分かった。『惡の特異点』を罷免とし、我が帝国の牢より脱獄した罪人として、勇者にその討滅を依頼する……!」
ついに、ヴァルキア皇帝は首を縦に振った。
レトロはすぐにでも唯一竜の元へ飛び、命のやり取りを楽しみたい。
だが、まだ早い。
ヴァルキア皇帝の言を書面にし、七ヶ国同盟に共有する。
その後、全ての代表から承認を得て、初めて事に及ぶことができる。
勇者がオルニケア王国代表であり、バラン国王の臣下という建前がある以上、この手続きを無視できない。
レトロは依頼書を受け取り、その場を後にする。
「上手くやったか? 私は唯一竜と闘れるのか?」
部屋の外で待機していたゴーヴァンは、出てきたレトロと共に歩き出して確認する。
≪終末級≫である彼は、同じく≪終末級≫の唯一竜と戦うことを望んでいた。
しかし、そう思っているのは彼だけではない。
「唯一竜と戦うのは僕だよ。君は万が一の場合の保険に過ぎない」
「勇者が敗れなければ、私は騎士としての契約を果たせないというわけか」
ゴーヴァンは騎士として、主を先に戦場へ送るわけにはいかない。
騎士は主の剣であり、盾なのだから。
だが、彼に許されたのは敵討ちのみ。
これでは騎士道に反する。
しかし、主に逆らうこともまた許されない。
ゴーヴァンは、行き場のない思いを募らせる。
「どの国の代表も恐れている。どんなに早くとも、承認が下りるまで数日はかかる」
レトロの歩幅はだんだんと広がり、速度を増していく。
牧緒たちが迷いの森へ入った事実は把握している。
故に、本来なら焦る必要はない。
だが、この焦りは強者と戦えることに高揚し、はやる気持ちからくるものだけではなかった。
それとは別に、レトロは僅かな可能性を危惧している。
600年間、誰一人脱出できなかった”迷いの森”が攻略される可能性を――。




