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35話 脱出

 迷いの森の中でも一際大きな屋敷のバルコニーで、ポグロは煙管(キセル)をふかしながら、雲一つない空を仰ぐ。

 その背後で、仰々しいマントを羽織った牧緒が、神妙な面持ちで佇む。

 牧緒は全てを話した。

 森から出る二つの方法と、そのどちらも実現できる事実を。


「まさか、これほど早くお気付きになられるとは。あの御婦人が、魔物たちを瞬く間に制圧するのを見たときは、内心震え上がっておりました」


 ポグロは軽く咳き込みながら、優しい口調で語る。

 やはり、彼は初めから”迷いの森”から出る方法を知っていた。


「もしもの時、我々では太刀打ちできませんから……」


 この町の住民は、新たな訪問者に寛容である。

 それは、真実から遠ざけるため。

 そして、優しさと愛情を以って、真実に至った者を丸め込むためだ。


 ポグロが牧緒たちに対して最初に抱いた印象は、畏怖。

 ()で立ちからして、いつもの冒険者とは明らかに異なっていた。

 それでも、牧緒の柔らかい物腰を見て、不安は払拭される。

 仮に良くない者たちだったとしても、抑え込める自信があった。

 この町には冒険者や戦士たち、鍛え上げられたその子孫たちが多くいる。

 日頃、森の奥からやってくる魔物たちと戦って街を守ってきた彼らなら、制圧は可能だと判断していた。

 しかしその幻想は、リデューシャが魔物たちを瞬時に凍結させたあの日に壊された。


「もしも、あなたのお考えが間違っていたとしたら……どうなさるおつもりですか?」


 そもそも、反転を利用した脱出方法は理論上可能というだけ。

 実績が無いのだから、全くの見当違いで脱出できない……という可能性もゼロではない。

 

「その時は……悪いが死んでもらいます。俺もできる限り、他の選択肢を探すつもりですが、あまり時間がない」


 反復――つまり、虐殺の方法を取るしかない。

 もちろん、これについても実績は無い。

 それでも、試さざるを得ない。


「そう、ですか……。分かりました、協力しましょう。あなた方の肉体が稼働しない場合、私たちが責任を持って、それを森の奥へ運びます」


 魂の抜けた肉体は無防備になる。

 ”森林”に投げ入れた石のように、ポグロとその仲間たちが肉体に直接触れずに”森林”の奥へ運ぶ。

 方法はいくらでもある。

 直接体を放り投げる。

 荷車に乗せ、転がして投げ入れる。

 棒か何かで奥へ突き入れる。

 どうするかは、ポグロに任された。


「私が声を掛ければ数分で人を用意できますので、モニュメントの前でお待ちください」

「ありがとう。もし、脱出が成功したら、必要な物を外から持ってくることもできる」

「……お気持ちだけ受け取っておきます。多くを望めば、災いが生まれますから」


 牧緒の提案は、迷いの森を今後も利用するため。

 脱出の方法が分かっているのなら、これ程利便性と機密性の高い空間はない。

 ポグロには断られたが、寄り添う意思を見せることが肝要。

 再び相まみえた時、互いを敵視するような関係でなければ問題ない。


 暫くして、全員がモニュメントの前に集まる。

 脱出の対象人物はキュラハを含む6名。

 ポグロが招集した、10人の住民が協力する。


 まず、オルガノが自身を含めた6人に魔法をかける。

 闇の魔法『死者への冒涜』。

 生者に施した上で、魂を抜いた後の体が死体と判定されれば、魔法は効果を発揮する。

 事前に魔力に命じた「”森林”の奥へ」という動きが実行される。


「順序が逆だからな……成功する保証はない」


 本来であれば、死体に施す魔法。

 生者から死者への移行を経ても、魔法が効果を失わない保証が無かった。


「問題ない。そのためのポグロたちだ」


 牧緒に不安は無かった。


「魂を抜いて、死体を動かす……そんなことが本当にできるんでしょうか?」

「分かりません。彼らが只者ではないことだけは確かです」

 

 ポグロとその協力者が言葉を交わす。

 死に干渉する魔法は全て闇の魔法と定義される。

 適性者は非常に少ない。

 魔法具や魔法陣を入手しても、発動できる者は一握りだ。

 だからこそ、ポグロの仲間たちは今から起きる奇跡が信じられない。


「マキオ君。森から出られたら、君を必ずデルバの下に案内しよう。天記の書の原書なら、彼の居場所を知ることができるんだ」


 この土壇場で、キュラハが餌をちらつかせた。

 天記の書は、あくまでランダムで世界の動きを記す物。

 狙ってデルバの居場所を知ることはできない。

 それは、原書であっても同じ。

 しかし、キュラハの言っていることはあながち嘘でもない。

 異端審問官に手渡される天記の書の複製は、ごく一部の情報しか記されない。

 原書とは情報量が格段に異なる。

 だからこそ、原書にデルバの本当の居場所が記されている可能性はある。


 キュラハは漠然と不安を感じていた。

 何の話し合いもなく、自身が当然のように脱出組の6人に含まれているからだ。

 外に出た後、拷問の限りを尽くしてあらゆる情報を吐き出させるつもりかもしれない……そんなことを想像してしまう。

 だからこそ、必要な情報を提供する準備があり、今度こそ本当に協力するという意思を伝えた。

 『惡の特異点』の封印が成功したのなら、命すら捨て置く覚悟があった。

 しかし、それは失敗した。

 すると途端に、生への執着が込み上がってくる。

 キュラハは、心底恐怖していた。


「そうか、分かった」


 牧緒は素っ気なく返事をした。

 そして、リデューシャに歩み寄って耳元で囁く。


「もしも魂の数が合わなければ、異端審問官のそれを置いて行け」


 リデューシャは、その意味を理解した。

 目配せだけで、それを承知する。


「では、今度は魂を抜く。次に目にするのは、森の外の光景だ」


 魂と肉体の乖離と、森を抜けた後の定着を行う。

 リデューシャは両手を開き、5本の指を合わせて言った。


神無廻天(かみなかいてん)――」


 詠唱と共に、牧緒たちは意識を失った。


 どれぐらいの時間がたったのか、彼らはそれを感覚で掴めない。

 ただ、一瞬の出来事として認識せざるを得なかった。

 最初に目にしたのは、広がる草原。

 それは迷いの森に入る前に見た、アーチの下から望むことのできる風景。

 振り返ると石板と魔法陣、そして樹木に覆われた行き止まり。


「戻ってきたんだな……本当に」


 牧緒は唇を噛み締める。トラブルもなく、無事に脱出は完遂された。


「其方の魔法は生きていたぞ。デカブツ」


 風にスカートの端をはためかせながら、リデューシャが言った。


「そうか……、良い実験になった」


 オルガノは顔を伏せて、歯を見せる。

 殺した後に魔法をかけるのではなく、殺す前に魔法をかけても効果は表れる。

 そして、それは心臓が動いていても、魂が抜けている者も対象となる。

 『死者への冒涜』は、その汎用性を大きく広げる結果となった。


「あの……キュラハさんの意識が戻らないんですが……」


 ユレナが、横たわったキュラハの頭を膝に乗せている。


「そうか、やっぱりユレナの魂と魔王の魂は別物だったか」


 牧緒に動揺は無い。

 何度か頷きながら、この結果に納得した。

 ユレナの中の魔王を含めると、魂の数は7つ。

 ”迷いの森”へ入る時は肉体の数が指定されたが、その逆では魂の数も指定される。

 つまり、脱出の条件に合致しない。

 だから牧緒は、キュラハの魂だけを迷いの森に置いてくるよう、リデューシャに指示した。


「嫌な風だ……マキオ、急いだ方がいい。事は既に佳境に入っているやもしれん」


 リデューシャは、彼方から鬼気迫る何かを感じ取って牧緒を促した。

 パチンと指を鳴らすと5枚の黒い壁が出現する。

 それと同時に、キュラハの肉体は地面を覆った影に飲み込まれていった。


「各々の出現場所は、少しだけ距離をとってある。出た瞬間に一網打尽とされるのは御免だからな」

「ありがとうリデューシャ」


 牧緒はマントを靡かせて早速黒い壁の中へ手を伸ばす。


「待ってください、マキオ様!」


 それをユレナが止めた。

 握りしめた日傘を胸に当て、牧緒に近づく。


「わたくしにできることをお伝えしておきます!」


 牧緒は、隠し事を嫌っている。

 森での問答を経て、ユレナはそう考えた。

 そして、自分も役に立てるのだとアピールする好機でもある。


「小娘、それどころではないぞ?」


 リデューシャが額に指先を当てて呆れた。


「いや、教えてくれ。手短にな」


 この遅れが吉と出るか凶と出るか。

 それは誰にも分からない。


 向かうはバルバラの下へ――。


 ***


 意識を失った肉体が独りでに動き、森の中へ消えて行く。

 そんな様子を見送ったポグロたちは、牧緒たちのいなくなった”迷いの森”で生涯を過ごす。


「やっと出て行ったか」


 突然、聞き覚えの無い声がポグロたちの間を抜ける。


「エ、エルフ……!」

「そう身構えるな。傷つけはしない」


 ヒュリューカは、初めて森の住民たちの前に姿を現した。


「聞きたいことがある。君たちは何故、魔法陣を作る?」


 5年前に森に入ったデルバは、簡易的な”聖域”を成す魔法陣の作成を急いだ。

 そして、ヒュリューカがこの森に入ったのは400年ほど前。

 その頃から、森の住民たちは”道”を広げ続けていた。

 魔法陣の作成を指示したのはデルバではない。

 デルバは、それを利用しようとした一人に過ぎないのだ。


「それを聞いて、どうするおつもりですか?」

「言っただろう、敵意は無い。むしろ、協力したいんだ」


 ポグロは目を丸くした。

 そして、知る限りのことを話す。


「魔法陣は、先人が残した物です。この森から出るための、三つ目の方法として……」


 最初に”迷いの森”を生み出した6人。

 彼らが残した記録に、魔力を失わせて魔法を解除する”聖域”の作り方があった。

 魔法陣が完成し、この森が”聖域”と成れば、絶対効果魔法すら解除される。

 だが、ヒュリューカは綻びを指摘する。


「完全な”聖域”は、魔力を完全に奪う。しかし、”聖域”を成すために魔法陣に魔力を流し込まなければならない。この矛盾は、どうなる?」


 ヒュリューカは、不完全な魔法陣を使用して、簡易的な”聖域”を成した。

 だからこそ、自身は魔力を失わず、魔女たちの魔法だけを抑え込むことができた。


「それは……分かりません。試してみなければ……何も」

 

 ポグロは少しだけ項垂れる。

 しかし、上げられた表情には、打って変わった希望の光が満ちていた。


「私たちは見ました。今まで机上の空論でしかなかった脱出を、たった今成功させた人たちを!」


 それは、彼らの希望となった。

 魔法陣の作成は、より一層加速されることだろう。


「そうだな。試すしかない。私が協力しよう。人間の手だけでは、伐採は追いつかないだろう」


 巨大な魔法陣は、600年を経ても完成していない。

 だが、≪亡国級≫たるヒュリューカの魔法があれば、残りの工数は相当に圧縮されるだろう。


「し、しかし、何故突然そんなことを……?」


 ポグロには理解できない。

 今まで姿すら現さなかったエルフが、突然魔法陣の作成に打って出る理由が。


「私には、完全な”聖域”が必要なんだ……。メリアナ火山のように、既にある”聖域”ではなく、望む場所に、望むまま展開できる”聖域”がな」


 リデューシャに敗北した理由は、体の内に巡る魔力までは奪えなかったから。

 だが、完全な”聖域”であれば、それも可能。

 不意を突いて魔女を”聖域”に閉じ込め、自身は魔石を利用した魔法を使う。

 それだけが、魔女に勝てる唯一の方法。


「まずはここから出る必要がある。そのための協力は惜しまない」

 

 空間そのものに干渉し、特殊な領域とする魔法は、その範囲に魔法陣を描く必要がある。

 そのため、”迷いの森”では木々を伐採して”道”とし、それを利用して魔法陣を描いている。

 より巨大であれば、その範囲と効果は増す。

 だからこそ、羊皮紙の上に描くだけでは不十分なのだ。


 だが、その魔法を別の方法で再現する幾何魔法であれば話は別。

 ヒュリューカは”迷いの森”から抜け出すため魔法陣を描くと同時に、その形を把握する。

 幾何魔法が完成すれば、いつでもどこでも、コンパクトに”聖域”を展開する魔法となろうだろう。


「待っていろ、強欲の魔女よ。次は、君が膝を付く番だ……!」


 ”迷いの森”は、鼓動を続ける。

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