34話 選択
牧緒は、何も言わずにじっとしている。
そして、仲間の言葉に耳を傾けた。
「心苦しいですが……ここから出る方法がそれしかないのなら、是非もありません」
日々熱心に住民たちと関わったユレナは、簡単に言う。
たとえ情報を引き出すための打算があったとしても、そこに心はあったはずだ。
町の子供たちと戯れ、町の大人に寵愛された彼女は、思考を停止して彼らの命を奪うことを受け入れた。
本当に悪役を演じているだけなのか、甚だ疑問だ。
ユレナが浮かべる悲しそうな表情こそ、下手な演技のようではないか。
「うむ、それが揺るぎのない答えかは定かでないが……試してみる価値はあるだろうな」
常に場をかき乱し、牧緒の前に向かい風を吹かせるオルガノが、無関心に舵を切る。
自らが父であることを隠しながらも、娘が同じ非道を辿っていることを嘆きもしない。
今の彼には、子を導く資格は無い。
ならば、娘と共に過ごしたいという渇望は過ぎた願いだ。
「うにゃ~、気は進まないにゃいけど、仕方ないにゃ」
たった一言で済ませて、ニャプチは猫のように手の甲で顔を擦る。
思い返せば、いつも飄々とした態度。
ヴァーリア監獄では、牧緒の家族に対する想いを微塵も想像できていなかった。
命に対する価値観が狂っている。
無責任に本能に従う、ただの獣に過ぎないのではないだろうか。
「さぁ、マキオ。さぁ、さぁ! 其方の口から妾に命じろ!」
人の心を捨てた魔女の両手が、牧緒の背後から蛇のように肩に絡みつき、虫のように耳元で鳴く。
リデューシャの望んでいた好機が、想像していたより早く訪れた。
牧緒は、虐殺を受け入れる他ない。
それを本人の口から命じさせることで、その心は邪悪に堕ちる。
それを以って、牧緒とリデューシャの価値観は釣り合う。
牧緒が罪に苛まれるのであれば、それを払拭するようにリデューシャが殺し続ければいい。
そこに生じる愛が、どんなに歪なものだったとしても。
牧緒は、リデューシャの言葉を無視して、キュラハに目線を移す。
彼女は杖をぎゅっと握り、額に汗を滲ませている。
このままでは、勇者から課せられた役目を果たせないからだろう。
だが、その表情は後悔や焦りではなく、決意に満ちたものだった。
森の住民を皆殺しにした後は、自身が命を絶つことで魂を伴う肉体の数を減らし、条件未達の状態を維持しようと考えている。
「本当に……それでいいのか?」
ようやく、牧緒は口を開いた。
「分かってたさ。俺たちは善人じゃない。自分のためなら、誰かを犠牲にするのは仕方ない……」
その言葉は、虐殺を容認するものではない。
悪辣な思想に反逆するための助走に過ぎなかった。
「だとしても、考えもしないのか? 他に方法があるかもしれないと、足掻くことすらしないのか?」
感情的に訴えかける。
「しかし、わたくしたちには時間が無いのですよね?」
「俺は、その理由をユレナに話したか?」
「え、えぇっと……」
キュラハが勇者の妹であること。
バルバラの身に危険が迫っていること。
それらを、牧緒はユレナには話していない。
ただ、急ぐ必要があることだけ口にした。
元々、1ヶ月程は見込んでいた森での生活。
1週間程度で焦りを見せたその理由を知りもせずに、ユレナは虐殺を良しとした。
「ユレナ嬢の言うことは、何も間違っておらん。貴様は甘すぎるのだ。考えてどうなる? 他に手はない。反転を利用した方法は、実現できぬのだからな」
オルガノが大きく溜息をついて叱咤した。
「誰がそんなこと言った? 反転も反復も……森の住民では実践できないって言ったんだ」
牧緒は振り向きもせず、艶めかしく体に纏わりつく魔女に問い質す。
「リデューシャ、なんで黙ってるんだ?」
「妾はマキオの命令を待っているのだ」
「……魂を操る術があるのに、なんで提案しないのかって聞いてるんだよ」
遺跡に入った時、リデューシャは確かに言った。
死んだ人間の魂を迷宮の外へ誘ったと。
「うむ、確かに妾にならそれができる」
リデューシャは、悪びれもせずに認めた。
「反転の条件なら、【魂を伴わない6つの肉体】と【肉体を伴わない6つの魂】で脱出できる」
牧緒が欲しているのは、魂を抜き取って操る術と、抜け殻の肉体を操る術だ。
それらが実現できるのなら、道標を決めずに”森林”を進めば森を抜けられる。
「妾自身も魂となる必要があるな。それでは、使える魔法は限られる。妾はその間、肉体を操れぬということだ」
一瞬、リデューシャの視線が泳いだ。
ある人物を一瞥してしまい、それを誤魔化そうとしたのだ。
しかし、牧緒には通用しなかった。
「オルガノ……、抜け殻の肉体を操ることができるんだな?」
牧緒はリデューシャの視線を追ったわけではない。
オルガノの視線が、不自然にリデューシャへ向いたのを見逃さなかったのだ。
(魔女め……儂がドルーガン共に何をしたのか知っていたのか……)
リデューシャの幾何魔法【心眼】は、千里眼をもたらす。
あの日、拉致された牧緒を助けた後、オルガノが何をしていたのか全て把握していた。
故に、肉体操作の話になって、リデューシャはついオルガノに視線を向けた。
それに気が付いたオルガノが、目を合わせてしまったのだ。
追い詰められた時の牧緒は、僅かな機微すら見逃さない。
あらゆる感情を掬い上げ、隠された真実を露わにする。
「確かに、儂ならできる。死体を動かす魔法でな」
「死体を動かせるのか……。色々やれただろうな」
牧緒は意味深にオルガノに迫る。
その声は暗く、まるで挑発するように鋭かった。
ドルーガンが匂わせていた協力者がオルガノであることに、牧緒は薄々感づいていた。
それが確信に変わり、オルガノの謀略を想像する。
「儂が何をしようと、貴様の知るところではない」
「あんた、やっぱり悪人だな」
「……何を今更」
険悪な空気の中、ユレナが控えめに挙手した。
「あのぉ、魂の状態になっても、オルガノ様は魔法を維持できるのでしょうか?」
その疑問は、至極真っ当なものだった。
あの魔女ですら、魂の状態では制限がかかると言ったのだから。
「それは儂にも分からぬ。魂だけの状態になった経験などないからな」
牧緒が提唱した案を嘲笑うかのように、オルガノはわざとらしく自信なさげに言った。
「関係ない。たとえ魔法が使えなくても、町の人たちに体を”森林”へ放り投げて貰えばいい」
「……無防備な状態を晒す馬鹿がどこにいる」
「恐れる必要なんて無いだろ。町の人たちが俺たちを殺す理由なんて無いんだから」
「だから貴様は甘いと言っているのだ!」
オルガノは、我慢できずに巨躯を振りかざして怒鳴り散らした。
「町の人間に敵意は無いと思うにゃ」
恐る恐る、ニャプチが牧緒に同調した。
その優れた五感なら、他者の敵意を嗅ぎ取ることなど容易い。
「そう……ですよね。あの方たちが、わたくしたちに何かするとは思えませんわ」
ユレナがそう言うと、オルガノは口ごもった。
「それは、妾たちが大人しく森で生きていれば……という前提だろう」
不安の種が蒔かれる。
「外に出たくても出られない人間がいたらどうする? 妬み嫉みは、時に命すら奪う暴挙となるぞ」
リデューシャは、それらしい理由を付けて牧緒に虐殺を良しとさせたい。
少しでも不安要素が残れば、牧緒は無責任な決断はしないはず。
「そんな事態が起きないために、責任者に統括してもらう」
「責任者?」
「ポグロが良いだろう。きっと、彼は”迷いの森”の脱出方法を知ってる一人だ」
ポグロが遺跡の探索に期待したのは、脱出の手掛かりではなく、生活を豊かにするための資源だった。
それは、”迷いの森”から出られないことを知っていたからだと、牧緒は結論付けた。
6人を残した全員の殺害。
あのポグロが、それを良しとするはずも無いのだから。
「恩を売るんだ。町の住民を殺さない代わりに、協力しろと。リデューシャの強さは知ってるはずだからな」
リデューシャが退治した魔物たち。
あれは悲惨な最後だった。
町の人間を総動員しても、勝ち目はないと理解しているはずだ。
「……そうか。マキオは不確実な方法を選ぶのか」
リデューシャは、少し拗ねたように唇を尖らせる。
これで、森の住民を虐殺する必要はなくなった。
リデューシャが6人から魂を抜き、”森林”の向こうへ誘う。
オルガノが抜け殻の肉体を操作して”森林”の向こうへ歩かせる。
もし、それが叶わなければ、ポグロを含めた町の住民に体を”森林”へ投げ入れてもらう。
これで反復の条件ではなく、反転の条件を満たすことができる。
喜ぶべきこの状況で、リデューシャは冷ややかな視線を牧緒に向けていた。
背を向けている牧緒は、それに気付かない。
リデューシャは肩に絡めた両手を、ゆっくりとその首に沿わせる。
魔女は失望していた。
牧緒は光。それは分かっている。
だからこそ、魔女という悪を照らして影を落とすと信じていた。
自らは手を下さずとも、仲間のために他者を虐殺し蹂躙するだけの残虐性を、牧緒も持っていると信じていた。
そうであっての盟主。
そうでなければ、悪逆を行く者たちを束ねる立場には不相応。
そうでなければ、リデューシャは牧緒に必要とされていると実感できない。
必要とされないのなら、いっそ殺すしかない。
「はぁ……」
牧緒の大きな溜息に、リデューシャの手が止まる。
「魂と肉体の操作が可能なら、最初からそう言えばいいんだ」
牧緒の呆れたような言葉は、リデューシャとオルガノだけに向けられたものではない。
「俺には何の力もない。だから、みんなが俺のことを盟主と呼んでも、それを気取るつもりなんてなかった。俺はみんなが、最善の選択肢を選んで進んでいると……そう思ってたからだ」
僅かに震えた声から、皆それぞれが違う感情を汲み取る。
「でも、違ったんだな。そもそも選択肢すらなかったんだ。何も考えずに、ただ目の前にぶら下がる餌に食らいついているだけじゃないか」
だが、その根底にある感情は、間違いなく怒り。
「俺にとって、最優先は仲間だ。選択肢が虐殺だけなら、俺も迷わずそれを選ぶ。でも、選択肢は他にもあった。みんな、それを見ようともしなかった」
声は次第に大きく、強くなっていく。
「今、ハッキリと分かった。お前たちは力不足だ……。俺が導く。俺に従え。俺を信じろ……!」
牧緒は、自身が盟主として彼らを制御しなければ、生き残れないと悟る。
「二度と……! 俺を操ろうとするな!」
誰もが虐殺という選択を当たり前のものと受け入れた。
誰もが虐殺という選択を牧緒に課そうとした。
牧緒は、それが許せなかった。
ユレナは恐怖した。
牧緒の怒りが伝わったからではない。
自身の残虐さに気付かされたからだ。
オルガノは感嘆した。
牧緒の尊大な態度が、いつもの外面だけの物ではないと分かったからだ。
ニャプチは安堵した。
森の住民の安否など関係ない。
牧緒に付いてきて良かったと確信できたからだ。
キュラハは落胆した。
自身の命を犠牲にしたとしても、『惡の特異点』が世界に解放されることを阻止できないからだ。
「ふ、ふふふふふ。そうでなくてはな。妾はマキオに従おう」
リデューシャは、そっと牧緒の首筋から手を引いた。
結局のところ、彼女が求めた盟主たる資格はそこにあったのだ。
必要とされるのではなく、必要とすればいい。
それが、リデューシャの新しい選択だった。




