33話 反転と反復
ひたすら”道”を進むと、巨大な湖が見えてきた。
「ニャプチ―!」
牧緒が叫ぶと、バシャバシャと水飛沫が近づいてくる。
「ひっさしぶりだにゃぁ」
30センチ以上はあろう魚を咥えたまま、器用に喋る。
「急いでこの森を出る。検証に協力してくれ」
「しょうがないにゃぁ」
陸に上がったニャプチは、体をブルブルと震わせた。
それでも、びしょびしょの衣服は簡単には脱水されない。
「なんで脱いで泳がないんだよ……」
「だってこれ、うにゃ、う、う、どうやって外せばいいか分かんないにゃ」
革の防具を弄りながら嘆く。
(無理やり外して壊さなかっただけマシか)
ニャプチに対して、牧緒はポジティブに考えるようになった。
「それより、これを”森林”の中に思いっきり投げてくれないか」
手のひらサイズの石を拾い上げ、ニャプチへと放り投げる。
「おっけーにゃ」
ニャプチは、ぐるぐると腕を回して、風を切る音がするほどの速度で投擲した。
狙ったのか、偶然なのか、それは巨木にぶつかることなく”森林”の奥へ消える。
「ん? ぶにゃっがっ!」
石は速度を保ったまま、”森林”の中から跳ね返るように飛んできた。
ニャプチは顔面でそれを受け止めた。
石は砕けたが、ニャプチに怪我はない。
「じゃあ、次は自分で投げた石を追いかけてくれ」
「いたた……何の意味があるにゃ?」
「”迷いの森”の特性をみんなに知って欲しいんだ」
これは、デモンストレーション。
初日にニャプチと検証して分かった事実を、改めて確認する。
ニャプチは同じように石を投げ、四足歩行の全力でそれを追った。
数秒後、”道”を隔てた逆側の”森林”からニャプチが走って出てくる。
「あ、戻ってきたにゃぶっぎゃ!」
再びニャプチの顔面に石がぶつかる。
「にゃああああ……」
鼻血すら出ない顔面強度。それでも痛いものは痛いらしい。
「石は投げた方から戻ってきたけど、猫ちゃんは反対側から出てきたね」
キュラハは、目にした光景をそのまま口にした。
「これが”迷いの森”に掛けられた魔法だ」
牧緒が検証した結果、判明した現象は二つ。
一つ、道標を決めずに”森林”を進むと、反転する。
石が反転して戻ってきたのは、この条件に合致したため。
これは生物にも適用される。
初日にも、ニャプチから逃げようと森林へ入ったハグボッグが、反転して戻ってきた。
気が付くと、いつの間にか逆の方向に進んでしまう。
一つ、道標に向かって”森林”を進むと、反復する。
投げた石を道標として辿ったニャプチが真反対から出てきたのは、この条件に合致するため。
まるで球体の上を歩くように、一方向に向かって同じ場所を無限に進むことになる。
「これ以外の現象は、今のところ発見できてない。ちなみに、この現象は上下に関しても同じように作用した」
条件を満たしてしまうと、必ず”道”に戻ってしまう。
異なるのは、反転して戻るか、反復して戻るかだけだ。
「いずれの条件も満たさずに、”森林”を前進する必要がある――ということか。道標を決めず、道標に向かって進む……うぅむ」
リデューシャが、顎に手をやって考える。
だが、矛盾を成立させる方法など、そう思いつくはずもない。
「初日に色々試しはした。例えば、ニャプチが適当な大木を目指して、俺はその背に乗って目を瞑って進んだ。でも、結果は反復。ニャプチ側の条件に引っ張られた」
「投げた石のように物質単体ならともかく、誰かがそれを身に着けていた場合は、その者が満たした条件が適用される――と言うことですね」
ユレナが状況を整理して、必死にそれを飲み込もうとする。
「あぁ、背負われた俺は、ニャプチの服なんかと同様に扱われたわけだ。手をつないで自分の足で歩いても、目を瞑っていれば同じだった」
「この”道”を伸ばしてみたらいかがでしょうか? 反転や反復の現象は、”森林”に入ったら発生するのですよね? でしたら、魔女様の魔法で木々を一気に伐採し、真っすぐ進んでみては」
「山が見えないんだ」
ユレナは、牧緒が何を言いたいのか理解できない。
そんな中、ニャプチはうんうんと頷きながら得意げな様子だ。
「ボクが見た限り、地平線の向こうまでずううううっと森にゃ。不気味なぐらい同じ高さの木で埋め尽くされてて、山なんかも全然見えなかったにゃ」
ニャプチは木々より高く跳んで、その光景を目にした。
それを以って、牧緒が結論付ける。
「最初から予想はしていたが、ここは異空間だ。真っすぐ道を作っても、果てに辿り着くことはないだろう」
「その通りだろう。この森に掛けられているのは絶対効果魔法だ。力技は通用せん」
牧緒の仮定をリデューシャが肯定する。
「では、どうやって出れば良いのでしょうか?」
ユレナは落胆した。
「俺もまだ分からない。だから、みんなの知恵を貸してほしい。何でもいい、思いついたらユレナみたいに言ってくれ」
時間は無い。外では今、どうなっているのか見当もつかない。
既に、バルバラと勇者は戦った後かもしれない。
(バルバラが負けるなんて思ってないけど……早くここから出ないと)
牧緒は焦るも、考えがまとまらない。
600年間、誰も出ることができなかった”迷いの森”の謎を、付け焼き刃な検証と知識で解き明かそうなど、無理難題も甚だしい。
それは当然、他の者たちも同じ。
みんなで集まって考えよう! なんて子供じみたお遊戯と同じレベルでは、脱出は成せない。
(何か方法があるはずなんだ。この森で発生する不思議な現象は、反転と反復の2パターンしかないんだから……)
提示された謎は単純明快。一見すれば、容易なものに思える。
(600年……誰も……?)
他者と協力して謎を解く。そんな状況に至って初めて、牧緒は”迷いの森”の違和感に気が付く。
「誰か、町の住民が何人いるか分からないか?」
「2397人にゃ」
見た範囲で想像できる程度の確認のつもりだったが、ニャプチは正確な人数を即答した。
それは、優れた嗅覚と聴覚から導き出したもの。
「結構いるんだな。確かに大きな町だったけど」
牧緒はブツブツと言葉にしながら考える。
「この森で生まれ育った人も少なくないよな。森で生涯を終えた人間の数も合わせたら……」
それだけの人数で長い年月を経ても尚、誰も謎を解き明かせなかった。
牧緒は、その現実すら疑ってかかる。
森を受け入れ、ここで一生を過ごすことを良しとする者たちも多い。
そういった人間は、謎に挑むことすらないだろう。
では、外からやってきた人間はどうか。
最初こそ、そういった者しかいなかったはずだ。
(そうだ、俺はみんなの知恵を借りたかった。俺一人じゃ答えに辿り着けそうになかったから……みんなの……)
その時、牧緒は理解した。既に答えに至っていたことを。
「もう、謎は解けている。そのはずだ」
牧緒の声には自信が感じられない。
だが、その瞳は徐々に確信めいた輝きを見せ始めた。
「それはどういう意味だ?」
リデューシャが尋ねると、他の者の視線も牧緒に向く。
「俺は馬鹿だ。この森の法則は単純。先人たちが、600年もかけて脱出する方法を見つけ出せないはずがないんだ」
「誰かが答えを知っている、と言いたいのか?」
リデューシャの問いに、牧緒は深く頷いた。
「でも、町の人たちは誰も秘密を隠しているようには見えませんでした。とても良い人たちばかりで、とても協力的な方たちです」
ユレナは、誰よりも住民と接した。
だからこそ、ここから出る方法を知っているのなら、それを教えないわけがないと思っている。
「知ってても、教えるわけにはいかないのさ。犠牲になるのは、自分たちだから……」
牧緒は顔を伏せ、悲しそうに言う。
「要領を得ないな。さっさと核心を話せ」
今まで沈黙を貫いていたオルガノが、杖を二度地面に突き立てて催促する。
彼にとってこの森から出ることは、さほど望ましいことではない。
生活基盤が整った森の町なら、誰に追われることもなく、逃亡生活から解放される。
娘と二人、幸せに過ごせる唯一の可能性と言ってもいいほどだ。
だが、その想いとは矛盾して、”迷いの森”の謎に心躍っているのも事実。
正確には、謎に挑戦すること自体ではなく、牧緒が如何にして窮地を脱するのかに興味があった。
「方法が分かっているのに、森から出られない理由は一つ。森の住民には、実践できない方法だからだ」
「結局、ここからは出られないということですか?」
ユレナは、訝し気に牧緒の目を見つめる。
「待て、本当に理由は一つか? 例えば、奴らがこの森そのものを神格化していたらどうだ。出られないのではなく、出ないという選択をした可能性もあるだろう」
リデューシャが物申す。
千年以上を生きた魔女もまた、多くの人間から神のように扱われ、崇められた日々があった。
人間は苦しくなればなんにでも縋る。
それを分かっているからこそ、森という空間を神聖視している可能性を探る。
「それもあるかもな。でも、100年前は? 200年前は? 最初からそうじゃなかったはずだ。この森に入る人間のほとんどは、冒険者だったんだから」
初めは誰もが、脱出を試みたはずだ。
そして、その意思は何人かには脈々と引き継がれただろう。
「森に入る前、石板に書いてあったエルフ語だが、あの【条件】って部分はリデューシャが言った通り【手掛かり】とも読める」
「……はんっ、そういうことか」
牧緒の言葉を聞いて、リデューシャは合点がいったようだ。
「どちらの意味でも正解だったんだ。あれは森に入る条件で、森から出る手掛かりでもある。この森の法則を当てはめると、答えが分かる」
牧緒は考えを披露する。
森から出ようとすると、反転と反復の法則が適用される。
森に入る条件に、森から出るための法則を当てはめると――。
石板に刻まれた言葉【魂を伴う6つの肉体――これが、道を抜ける条件なり】。
道標が無ければ、反転して【魂を伴わない6つの肉体】または【肉体を伴わない6つの魂】となる。
死ねば魂なき肉体ができ上がる。
死ねば魂は肉体を離れる。
だが、いずれも実践はできない。
死んでしまえば、この森から出る意味も失うのだから。
「ただし、道標があれば反復。”迷いの森”へ入ったのと同じ条件を繰り返せば、ここから出られる」
「それでは、実践できないという理屈に当てはまらんではないか」
答えを急かすのは、やはりオルガノ。
それでも牧緒は、順を追って話し続ける。
「”迷いの森”から出るための道標は、明確に用意された出口のことを指す」
「この森のどこかに出口があると? ならばユレナ嬢の言った通り、魔女の力で木々を全て薙ぎ払い、見つけ出せばいい」
オルガノは、牧緒に近づき捲し立てた。
「出口はもう見つかってる。恐らく、街の中央にあったモニュメントだ」
牧緒たちが光に包まれ、森に入った時のこと。
最初に目にしたのは、金属のモニュメントであった。
入口と出口は当然繋がっている。
そうなれば、あのモニュメントこそが”迷いの森”の出口となる。
「街の建造物はほぼすべて木材だけで作られていた。金属は貴重なはずだ。冒険者が外から持ち込んだ武具や硬貨に含まれる、ほんの僅かな量だけ。それを溶かしてまで、わざわざ意味のないモニュメントは作らない」
そう、あのモニュメントは、森の中で作られたものではない。
外から持ち込まれたものだった。
では、何故そんなものを持ち込んだのか。
それはこの森から出るつもりのなかった人物。
そして、初めからそれを出口として据えようと考えた人物。
迷いの森を魔法で生み出した、最初の6人である。
「モニュメントという象徴があれば、そこに人が集まる。そこを中心に開拓が始まり、町ができる」
「入口は魔法陣で、出口は魔法具ということですね。なら、あのモニュメントに6人で触れれば……、あっ……」
実践できない、という牧緒の言葉をユレナは思い出し、口を噤んだ。
モニュメントは道標でしかなく、森の外に出る対象が森に存在する全ての人間であるとしたら。
そんな可能性を脳裏に浮かばせる。
「条件の反復……【魂を伴った6つの肉体】……、まさか……」
ユレナの顔から血の気が引いて行く。
それが意味するところは何か、その場にいた全員が理解した。
「ふふふ、ふははははは! 簡単で助かった! マキオ、妾に命じろ。今すぐここから出してやる。ただ一言、妾たちを除く全員を皆殺しにしろ、と!」
リデューシャは高らかに笑い、牧緒に迫る。
住民は誰も、この方法を実践できない。
600年前、最初の頃は違ったかもしれない。
だがその頃はまだ、この方法に気が付きもしていなかっただろう。
人が増え、絆が芽生え、町ができる。
そうなれば、もう誰も良き隣人を間引けない。
一人、二人、謎を解き、この方法を実践しようとした者が現れたこともあるかもしれない。
だが、そんな不届き物は悪として、その他大多数に潰される。
こうして誰も、この森からは出られない。
しかし、牧緒たちは違う。
6人の力だけで……いや、たった一人の魔女だけで数千の命を瞬時に奪うことができる。
その強大な力は、冒険者のそれに比類しない。
牧緒は、選択を迫られる。




