31話 王道
リデューシャの左手には、首根っこを掴まれたキュラハがいた。
気を失ったまま、だらんとしている。
「マキオ。こいつを連れて、遺跡の外へ出ろ。派手な戦いになるだろうからな」
「あぁ、分かった」
放り投げられたキュラハを、牧緒は全身で受け止めた。
「……魔法が使えなくても、勝てるのか?」
「案ずるな。二度は負けぬ」
その言葉を聞いて、牧緒は迷わず背を向けて走った。
「あははははは! 随分と大きく出たな、リデューシャ!」
「ふふ、魔法など所詮は邪道。それが使えぬというのなら、王道を行かせてもらおう」
簡易的な”聖域”は不完全である。
それはヒュリューカにとって、むしろ都合が良かった。
不完全であるからこそ、全員を対象としない。いや、できない。
”聖域”を構築するために必要な魔力を供給するヒュリューカ本人は、その影響を受けなかった。
しかし、不完全だからこそ、体外に放出された魔力しか奪えない。
故に、内に巡る魔力は健在。
リデューシャは、魔力による純粋な身体強化で挑もうとしている。
「君は、私に触れることすらできはしない」
ヒュリューカが両手を挙げると、ヒュゥゥン――と音を立てながら、数千本の矢が吹き抜けから降り注いだ。
綺麗にリデューシャを避けて、地面を埋め尽くす。
「様々な魔法を成せる魔法具だ。それが3349本。捌き切れるかな?」
掲げた両手がパン、と叩かれる。
すると、地面に突き刺さった矢がビンッ、と縦に回転しながら宙に浮く。
そして、一斉にリデューシャへ向かった。
幾つかの矢は地面に突き刺さったまま、土の魔法を成す。
大地が盛り上がり、太い棘となってリデューシャの足元から突き出す。
上下左右、四方八方。回避不能の攻撃が襲う。
バキバキと鈍い音が響き続け、巻き上がった土煙が徐々に晴れる。
そこには、散らばった矢と、折られた土の棘、そして無傷のリデューシャの姿があった。
その両手には数本の矢が握られて、まるでウニのよう。
「自動追尾と絶対命中の魔法……、”命中”の定義が甘いな。やり直せ」
全ての矢に、直接触れたうえで弾く。
肉に刺さらずとも”命中”したと判定され、同時に自動追尾の役目も終えた。
「まさか……全て弾くとはな……」
「全て弾く? その目は節穴か?」
煽りながら、リデューシャは両手を揉んで矢をガチャガチャと鳴らす。
そして、目にも留まらぬ速さでそれを投げた。
「ふぐっ……、がはっ!」
内、四本の矢が風穴を開け、一本の矢が腰を貫いて留まった。
「た、たかが投擲された矢が……何故これほどまでの威力を……」
困惑するヒュリューカの眼前に、拳が迫る。
「あ――」
それは、簡単に鳩尾を破壊し、ヒュリューカの体を吹き飛ばした。
ドゴンッ、と轟音を立てて瓦礫に埋もれたヒュリューカは、即座に立ち上がって息を吐き出した。
腰に刺さった矢を中心に、全身の傷が癒える。
「やはり、エルフの治癒魔法は格別だな」
からかうように、リデューシャが感嘆した。
それに構わず、ヒュリューカは呪文を唱える。
「深淵の海に――っごぼっ、あがあぁ!」
言いかけたところで、再びリデューシャが距離を詰めて喉を裂く。
「あれほどの効力を発揮する魔法だ。其方の程度では、呪文は必須であろう」
魔法の発動自体に呪文は不要。
呪文はあくまでも、魔法の効力や威力を底上げするためにある。
深淵の魔法は、呪文無しでは十分な効果を発揮できない。
精々、視界を奪う程度の影を生み出すだけだ。
「が、ごほっ……」
血を吐き出しながら、ヒュリューカはよたよたと距離を取る。
哀れな視線を向けるリデューシャの前で、何事も無かったかの如く傷を消した。
「最初から、私のことを制圧できたのか……」
「もちろんだ」
リデューシャは、首を曲げ、顔を上げて見下すように吐き出した。
「何故わざわざ深淵に沈んだ!? あのマキオとかいう人間がいなければ、一生私に囚われることになったんだぞ!?」
「その仮定は無意味だ。何故なら、マキオはいたのだから」
「あの男が何者なのか……既に知っていたのか」
「むぅ? 何のことを言っているのかは分からぬが、妾が惚れた男には違いない」
リデューシャは、顎先を撫でながらほくそ笑む。
「惚れた男を試すのは、女の義務だ。見誤れば、この身が滅びるとしてもな」
だたそれだけの理由で、リデューシャは相手の攻撃を受け入れた。
確固たる確証も無く、通る理屈も存在しない。
深淵の魔法がどのような効果であるかを瞬時に見抜き、牧緒なら抜け出せると信じただけ。
「狂ってる……!」
そう言って、ヒュリューカは一本の矢に片足を乗せて、空へ舞い上がる。
(尋常ではない身体能力……魔法が使えない魔女は、無能も同然のはず……なのにっ!)
心の中で悪態をつきながら、飛べない魔女を見下ろす。
千年以上、リデューシャが思い込ませてきた魔女のイメージ。
それは、魔法の権化故に近接戦闘を苦手とする――そんなイメージ。
だが、事実は全く異なる。
魔力による身体強化は、万全なものではない。
人は筋肉を伸縮させ、関節を駆動させることはできても、血液の流れを意識的に操作することはできない。
それは、魔力も同じ。
生成はできても、操作できない。
魔力を全身の神経に纏わせることなど不可能。
歴代最強の勇者レトロですら、身体強化の魔力効率は50%程度。
しかし、世界で唯一、魔力を自在に操作できる魔女であれば、魔力効率100%を実現できる。
いや、溢れる膨大な魔力量を以てすれば、200%にも及ぶだろう。
むしろ、魔女の真骨頂は近接戦闘にこそあった。
あの日、あの時――ヴァーリア監獄からの逃亡劇にて。
その気になれば、勇者とステゴロで互角以上に戦うこともできた。
だが、それは魔女の奥の手。容易に晒すわけにはいかない。
しかし、今は違う。
ここは”迷いの森”。
不本意な目撃者はいない。
正確には、いても問題ない。
森から出られない者たちは、それを口外することができないのだから。
「それで、妾を倒す算段はついたか?」
魔女は飛べずとも、跳べる。
ヒュリューカの耳元で囁かれた問いは、答えを待たない。
「くそがぁああはっあああああ!」
拳が腹部に叩き込まれ、彗星の如くヒュリューカは地面に落下した。
遅れて、リデューシャも着地する。
「召喚獣――ヘル・ゴーレム!」
既に傷は回復している。
そのまま、肺から空気を全て吐き出して、魔物を召喚した。
地面に刺さる矢の数だけ、土の化身であるヘル・ゴーレムは現れる。
「今更だな」
そう呟いて、リデューシャは姿を消す。
時速600km。それが初速にして、最高速。
周囲を一周し、ヘル・ゴーレムの体に突撃する。
それだけで、それは一瞬にして土屑に戻った。
「……こ、こんなのふざけて――」
茫然と立ち尽くすヒュリューカの体を、最高速の拳が貫く。
肉と骨が砕けて散った。
「ぶっ、ほあぁぁ!」
血飛沫の中で、リデューシャは徐々に速度を落としていく。
一番楽しめる、丁度良い速さを模索している。
「おごっ、がっ、げぇぇあ!」
膝、肘、踵――ありとあらゆる部位を叩き込み、敵の身体を破壊する。
「ふふふ、ふははは! 久しぶりに汗をかいたぞ」
満足したのか、リデューシャは乱れた髪をかきあげて、束ね直す。
「まだだ……私はまだ負けてないいいい!」
「≪亡国級≫にしては、よくやった方だ。誇ると良い」
「そんなものっ……、人間の尺度で測られた強さなど……意味は無い!」
≪終末級≫は、単独で世界を滅ぼし得る手段を用いる者を指す。
故に、戦闘において最強とは限らない。
それこそ、≪亡国級≫でも≪壊滅級≫でも、なんなら無名の戦士ですら、≪終末級≫を討てる可能性はあるのだ。
だからこそ、ヒュリューカは諦めていなかった。
「ぐっ、はあぁぁ!」
複数の矢が、ヒュリューカの背を貫く。
途端、メキメキと肉体が変化する。
筋肉が肥大化し、骨格は太く強靭に。
更に、血液を凝固させて身に纏い、鎧とする。
「今までの私は死んだと思え。これからは、一方的な蹂躙が始まっ……る?」
ヒュリューカの右足が消えた。
体が傾いて、どちゃりと地面に手を突く。
「まずは一本」
振り返ると、右手に太い足を持ったリデューシャが立っている。
「なっ、か、返せえええ!」
伸ばした左手が、ヒュリューカの視界から消えた。
「二本」
余裕の表情で、リデューシャは引きちぎった腕を掲げる。
その傷口から、血液が噴き出してリデューシャの体を縛り上げた。
「捕らえたぞっ!」
即座にヒュリューカは跳びかかる。
「三本……!」
鋼の鎖と同等の強度。それでも、魔女を拘束するには至れなかった。
今度は、右手をもぎ取られる。
額を強く地面に叩きつけて、ヒュリューカは泣き叫ぶ。
「どうやってそんな強さをっ……! どうやって……! たかが、たかが千年程度でええ!」
エルフの平均寿命は三千年とも言われる。
不老となった魔女よりも、長く研鑽を重ねた者も少なくない。
斯く言うヒュリューカ自身も、二千年近く生きてきた。
にもかかわらず、実力の差は絶望的なまでに大きい。
どう足掻いても、勝ち目が見えない。
「才能しかないだろう。努力で妾に追いつけると思っていたのか?」
リデューシャは、あっけらかんと言い放った。
「もう、私は逃げない……! 必ずお前を殺して見せる!」
ヒュリューカは、元の姿に戻る。
同時に、失った手足を復元した。
度重なる致命傷の治癒。
木の矢に込められた複数の魔法の同時発動。
彼の魔力は、底を突きかけていた。
「最後の足掻きか。いいだろう、付き合ってやる」
構えたリデューシャへ、真っすぐ無数の矢が向かう。
それを追うように、ヒュリューカは駆けた。
「防ぐのも面倒だ」
矢を弾こうともせず、全身で受け止める。
僅かにかすり傷を負わせるも、鏃が肉に刺さることはない。
ガガガガガ、ヒュヒュヒュゥ――鳴り続ける雑音の中で、ヒュリューカは魔力による身体強化で対峙した。
「ぐぼあっ」
簡単に一撃を顔面に受ける。
それでも、ヒュリューカは絶えず拳を振り続けた。
空間を埋め尽くす矢が二人の足場となって、拳を交わしながら徐々に戦場は空中へと移る。
(もう一度、深淵の魔法を放つ! 影に飲み込んでしまいさえすれば、勝利は確定する!)
ヒュリューカは決意した。
明らかに手加減されている現状――魔女の慢心を最大限利用する。
「深淵の海に――」
呪文は、当然中断された。
リデューシャが振り抜いた拳が、下顎を吹き飛ばしたのだ。
「――沈め!」
その声は、ヒュリューカの手の平から発せられた。
「肉体の変形か!」
リデューシャは、目を見開いた。
手の平に造られた口が、舌を出して馬鹿にする。
肉体変形の魔法は、先程目にした。
それなのに、リデューシャはこの事態を予想できなかった。
予想する必要が無かったからだ。
「これは、なぁんだ?」
リデューシャの指には、金でできた簪が挟まれていた。
「そ、それは……!」
髪の内側に隠していたはずの、深淵の魔法を成すための魔法具。
魔法戦闘において、魔法具や魔法陣の損傷、紛失は命取りとなる。
基礎の基礎ではあるが、実際に戦いが始まれば、最も意識が向きにくい要素の一つ。
「其方をボコボコにしている間に抜き取ったのだ」
ヒュリューカの魔法具は主に、数千本の木の矢。
木の矢自体が魔法の効果を纏う。
同時に、鏃が刺さった場所に更に別の魔法を施す。
例外は、たった一度。
深淵の魔法を行使した時だった。
故に、リデューシャは他の魔法具を探っていた。
そして、不自然に隠された簪を見つけ、それが魔法具であると判断した。
所謂、無刀取り。
魔法を排した、近接戦法における”技あり”であった。
「はんっ、私程度では……勝てない、か」
「当然だ」
リデューシャは右足を高く上げて、踵を脳天に振り下ろした。
その体は地面に落下し、グチャリと潰れた頭が花束のように広がった。
力なく落下する矢の一本が、その体に突き刺さる。
すると、潰れた頭が少しずつ盛り上がって、元に戻っていく。
「ここまでしても復活するか。大した奴だ」
その賛辞は、脳を失ったヒュリューカには届かない。
回復しきった後であれば、彼にとっては感涙ものの言葉であっただろう。
「……待っていたのか。私の傷が癒えるのを」
「そうだ。さぁ、ついてこい。盟主様の問いに答えてもらうぞ」
「盟主……だと?」
負けを認めたヒュリューカは、素直に背中を追う。
遺跡を出た所で、牧緒が待っていた。
「そこに跪け」
リデューシャに言われるがままに、牧緒の眼前で膝を付いた。
「お前に聞きたいことがある」
牧緒はリデューシャへ真っ先に声をかけたかったが、空気を読んで順序を変えざるを得なかった。
「どうやって魔法を封じた?」
「それは、魔女が知っているだろう」
牧緒は、チラリとリデューシャを見た。
「この森だ。街の人間たちが必死になって作っている”道”は、魔法陣の”線”だ」
この森は巨大な魔法陣。
それは、人工的に”聖域”を生み出す魔法。
未完成であるがゆえに、その効果は不完全。
ヒュリューカは、それを利用していた。
「どうやって解く?」
「もう解けている。森の魔法陣に注ぎ込めるだけの魔力は……私には残っていない」
その言葉をフォローするように、リデューシャは指先に光を灯して証明した。




