3話 【無能の転移者】①
排気ガスの臭いに、夜を照らし続けるネオン。
それらが不意に掻き消え、カビと埃の混じった冷たい空気が肺を満たす。
摩天楼は煙のように姿を消し、古臭い石造りの神殿へと変わっていた。
ステンドグラスから差し込む光が、牧緒の呆けた顔を照らす。
「うむ、かの召喚術は本物であったか」
赤いローブを纏い、くすんだ冠を被った男が、牧緒を見下ろしながら静かに言った。
彼はウオラ王国の16代目国王、ビシャブ王。
「なんだ……これ? ここ、どこだ?」
鉢木 牧緒、二十歳の冬。
彼は現代日本より、異世界へ召喚された。
「立てっ!」
数人の兵士たちが、甲冑を鳴らしながら牧緒を囲い込んで叫ぶ。
「な、何だ、あんたら!? 意味わかんねぇよ!」
この世界の言葉は、牧緒には伝わらない。
飛び交う言葉は、雑音のように耳を滑るだけで意味を成さない。
牧緒の心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
「本当にこの男が勇者足り得るのか……?」
誰に唆されたのか、異世界の人間は比類なき能力を持っていると、ビシャブ王は信じていた。
「連れて行け。手筈通り城へ幽閉するのだ。早急に言葉を学ばせろ」
命を受け、一人の兵士が牧緒へ手を伸ばす。
その瞬間、牧緒はポケットからスマートフォンを抜き、ライトを兵士へ向けた。
「うっ!」
兵士が短く声を上げて怯み、腕で顔を覆う。
その隙を突き、牧緒は兵士の脇をすり抜けて駆け出した。
「お、俺の顔はどうなってる!?」
「大丈夫だ、何とも無い!」
「未知の魔法具だ! 警戒しろ!」
この世界でも、強い光を発生させる技術はある。
しかし、手のひらに収まるほどの薄く小さな板から放たれた鋭い光は、彼らにとって未知の脅威に映ったようだ。
「何なんだよ……! 何なんだよこれは……!」
牧緒は神殿を飛び出て、林の中を走った。
ぬらぬらと蠢く角を持った鹿が、それを目で追う。
尾の先に青い炎を纏った、太ったコウモリが木々の間を縫うように飛ぶ。
複眼のつぼみがケラケラと笑い、木の根が踊る。
(誘拐? でも、何で俺なんかを……)
林を抜けると、そこには地平まで続く草原が広がっていた。
(外国? いや、意外と北海道とか……)
一度足を止めて、回らない頭を抱える。
「明日は美織が修学旅行から帰って来るんだ……迎えに行かなくちゃいけないのに……」
中学生2年生の妹のことが、頭に浮かぶ。
しかし、それは背後から迫る蹄の音が掻き消した。
「くそっ……!」
恐怖が牧緒の背を押した。考えなしに、草原を走る。
「和樹と翔太を……遊園地に連れて行くって約束したのにっ……!」
小学生の弟たちの顔が、牧緒の足を動かす燃料となる。
「あいつらにはっ……、俺が必要なんだっ!」
早くに両親を失った牧緒は、弟妹の親代わりであった。
「なのに俺は……何、やってんだよ……」
あっという間に、牧緒は騎馬兵に囲まれた。
向けられた剣は、鈍い光を反射している。
それが本物であると、素人の牧緒にも判断できた。
膝を付き、これが夢ではないと悟った牧緒は、ただ感情的に叫ぶ。
「ここは、どこなんだよおおおおおお!」
その声は、異世界の空へ虚しく消えた。
***
牧緒が異世界に召喚されて早3ヶ月。
王城の訓練場には、汗と血と鉄の臭いが染みついていた。
「腰を引くなっ! 小指に力を入れろ! 死ぬ気で振れ!」
剣術の教官が、木刀で牧緒の肉を叩きながら凄む。
「ぐあ、くそっ……ぐぅ……」
ひたすら痛みに耐えながら、牧緒は言われた通りに剣を振った。
まだ言葉は分からない。
痛みと恐怖が、体を反応させているだけだった。
――立て続けに、言語の授業。
「なんて発音なのかしら!? 本当に意味を理解しているの!? 言葉も話せないなんて、家畜と同じよ!」
理解できない言語で罵倒され、鞭が牧緒の背中を打つ。
――休む暇も無く、武術の稽古。
「その程度では、ゴブリンにすら殺されるぞ!」
「うぉおおお!」
雄叫びを上げながら、牧緒は教官に組みかかる。
しかし、簡単に持ち上げられ、地面に叩きつけられた。
何百回、何千回と、それは繰り返される。
これらの厳しい指導は、全てビシャブ王の教育方針であった。
意思疎通さえ可能になれば、この理不尽な暴力の理由が分かるかもしれない。
そう考えた牧緒は、生き残るための武器として、特に言語の習得に没頭した。
「ワタシハ、マキオ。ユウシャニ、ナル」
1日16時間の稽古と授業を終え、牧緒は寝室で独自に言葉を学んでいた。
「素晴らしい。完璧です、マキオ様」
そう言って笑顔を見せるのは、メイドのアンリア。
牧緒の御付を任されている。
「キミハ、ヤサシイ。ワタシハ、ウレシイ」
「ふふ、ありがとうございます。そう言っていただけて、私も嬉しいです」
この世界で、唯一人間らしい扱いをしてくれる存在。
牧緒はアンリアと話すのが楽しくて、疲れを忘れて夜を過ごす。
「温かいミルクを用意します。今夜はもう、お休みください」
アンリアの支えが無ければ、牧緒の心はとうに折れていただろう。
彼女になら、何でも話したい。何でも話せる。その想いが、明日を生きる力になる。
牧緒は遠い世界の家族を想いながら、ベッドへ横になった。
***
更に1年の時が過ぎた。
牧緒は、日常会話と十分な識字を習得していた。
この世界の言語は、不思議な特性を持っている。
人間の国は、全部で29ヶ国。
全ての国で同じ文法と読みが使用され、共通語と言ってよいほど僅かな差異しかない。
それでいて、大陸によって使用される文字は大きく異なっている。
「どうした、良く見ろ! 相手の動きを読め! 息遣いや、視線の動きを感じ取れ!」
短剣――ナイフの稽古に励みつつ、教官の言葉を理解する。
(相手の動きを……読む!)
牧緒は目まぐるしく黒目を動かして、一挙手一投足を見逃さない。
正面からの突き――胸を反らせて直前に躱す。
相手の股に左足を差し込み、動きを牽制する。
脇腹への一撃――左足を軸に、反対側へ体を回す。
そのまま牧緒は、相手の背中へナイフを突き立てた。
「がはっ!」
しかし、教官の肘打ちが顔面にめり込み、体は大きく反れた。
透かさず教官のナイフは牧緒の腰を斬りつけ、反したナイフは太腿も裂いた。
そのまま地面に倒れ込んだ牧緒の肩へ向けて、教官は容赦なくナイフを突き刺す。
「があああっ……あああ!」
「まだ甘い。恐れが動きを鈍らせている」
「はぁ、はぁ、恐れ?」
「痛みに慣れろ。でなければ、戦場で死ぬぞ」
「……俺は、戦場になんて行きたくない」
「勇者の役目を放棄するつもりか?」
「俺は勇者になんて、なれないさ……」
牧緒はナイフが刺さったままの肩を抑えて、ふらつきながら立ち上がった。
「治してやれ」
教官が手を振ると、白い服を着た者たちが牧緒へ駆け寄る。
「不退転の憐れみよ。この者を癒し給え」
短い杖の先を、牧緒の傷に当てて唱える。
すると、腰と太腿から流れた血が乾燥し、塵になって消えていく。
ぱっくりと開いた傷口は閉じ、痕を残しつつも接合された。
「次は肩を。抜きますよ」
牧緒は叫び声をあげながら、それに耐えた――。
傷は癒えても、痛みは引かない。
溜まった疲れを忘れるために、更なる知識を頭に叩き込む。
「今日は、勇者としての役割を学んでもらいます」
勇者学――初めての授業だ。
「まず、現代勇者における最も重要な役割……それは、ヴァーリア監獄の死守です」
「ヴァーリア監獄?」
「万が一にも、内部からの脱獄はありえませんが、外部からの襲撃は後を絶ちません」
勇者は襲撃者を排除し、監獄を守る。
「ヴァーリア監獄の歴史と、その構造。併せて、勇者の変遷を説明します」
「俺が……勇者として、か」
牧緒は、勇者になれる自信が無かった。
それは、決定的な欠陥を抱えていたからである。
授業の合間、僅かな休憩の間に牧緒は本を読んだ。
この世界の歴史や地理、魔物や亜人たちの生態。
それらを知り尽くすため、休まず目を通し続ける。
しかし、そこに元の世界へ戻る手がかりはなかった。
「お疲れ様です、マキオ様。紅茶をどうぞ」
「ありがとう、アンリア」
「段々と、戦士の風格が出てきましたね」
「そ、そうかなぁ」
牧緒は視線を泳がせながら頭を掻いた。
「魔法の方はいかがですか?」
「……それが、からっきしだ。何をどうやっても、魔力ってやつが生成できない」
この世界において、魔力は誰にでも生成できるエネルギー。
しかし、魔力の存在しない世界から来た牧緒には、当然それが無かった。
「一応、魔法の原理だけは勉強してるけどさ」
「教えてください。私は魔法が使えないので」
アンリアは微笑みながら肩を寄せた。
「魔力の形によって、魔法の効果は変わる。でも、魔力は目に見えない……そうだな、空気みたいなもので、固形じゃない」
「確かに、魔力を生成すると、体の中で熱が動いているのが分かりますが、実際に目で見たことはないですね」
「じゃあ、どうやって魔力に形を与えるかというと――」
「あぁ、それが魔法陣や魔法具というわけですね」
形あるものに魔力を流し込む。そうすることで、魔法は成される。
「アンリア、知ってただろ」
「ふふ、バレてしまいましたか」
二人は、木漏れ日の中で笑った。
「魔法が使えなくても、せめて魔力が生成できれば……」
牧緒はボロボロの手の平を眺めながら項垂れた。
魔力は五感や筋力、体の耐久力を強化する。
故に、純粋な殴り合いであれば、牧緒は子供にも勝てはしない。
それを欠陥と言わずして何と言おう。
「何とかなります。自分を信じてください。家族の下へ、帰るんですよね?」
アンリアは、そのボロボロの手を優しく握って言った。
「あぁ……もう、1年以上経っちまった。あいつら、俺に裏切られたと思ってるかな……」
「そんなことはありません」
握る手の力は、より強くなる。
「私にも、世界中に家族がいます。たった一人で、望まぬ土地で生きる気持ちは……少しだけわかります」
「世界中?」
「え、えぇ。大家族なんです」
アンリアは少しだけバツが悪そうに、視線を逸らした。
「とにかく! 家族はいつでも繋がっています。マキオ様さえ諦めなければ、いつか必ず逢えるのです」
「そう、だな。がんばるよ。何年かかろうと、俺は必ず元の世界へ戻る!」
「その意気です、マキオ様」
牧緒は勢いよく立ち上がり、次に控えた武術の稽古へ向かおうとする。
「あ、お待ちください。お渡ししたいものが」
アンリアは慌てて引き留めた。
「私の好きな本です。神話や童話の類ですが、きっとお役に立ちます」
「役に立つって、何の?」
「まだ分かりません。でも、道を示してくれるはずです」
「道か……ありがとう。今夜読んでみるよ!」
牧緒は言った通り、その日の夜に二冊の本を開いた。
「”唯一竜”の伝説、か」
一冊は神話の本。
太古から生きる、この世界でたった一頭の竜の話。
「あらゆる環境に適応し、死すらも克服した空の神……」
ワイバーンやサラマンダーといった、爬虫類系の魔物は多く確認されている。
しかし、竜と呼ばれる魔物は一個体しか記録されていない。
本にはそう書かれていた。
「俺の知ってる竜と同じだな」
数千年前の人間が描いた、抽象的な火を噴く竜の絵。
牧緒は、それを漫画や映画で見た竜と同じ姿だと認識した。
「さて、こっちはなんだろう」
もう一冊は童話の本。
千年を生きる魔女の話。
「長生きが多いんだなぁ」
牧緒は枕に頭を沈めて、ページをめくった。
「強欲の魔女は、城を建て、町を作り、大好きな夜を呼び寄せました」
――しかし、誰も遊びにはきてくれません。
魔女は、みんなに嫌われていたのです。
魔女は怒って、世界中から人々を攫いました。
攫われた人々は、毎日踊り、毎日歌い、毎日働きました。
顔を歪ませて、幸せそうに笑う人々は、魔女に感謝し、最高の町で人生を謳歌しました。
魔女はそれを見て、大きく頷いてから全て海の底へ沈めます。
全てを失った魔女は、再び何かを求めて旅立ったのでした。
「なんだこの話」
牧緒はすぐに本を閉じた。すると強い眠気に襲われる。
理不尽に攫われ、働かされ、最後は捨てられる人々。
まるで自分のことのようだ。
強い眠気が、思考を鈍らせていく。
「……でも、魔女の寂しい気持ちは、分かる気がするよ」
そう呟いて、目を閉じた。




