28話 邪悪
日がほとんど沈み、街の篝火が灯され始めた頃。
戻ってきた牧緒とニャプチを出迎えたのは、肌に刺さる冷気だった。
「一体何があったんだ……?」
敷き詰められた石畳は白く滑り、出店の商品は固くなっている。
至る所が霜に覆われ、吐く息は光を散らす。
街の中央――モニュメントを取り囲む形で、幾つもの氷像が聳え立っていた。
それは生命を骨組みとした、死の氷像。
分厚い氷の奥に見えるのは、複数の魔物。
四つの瞳を持つ巨大な狼と、それを従えるトロールたち。
それは、棍棒を振り上げたまま、無様に静止していた。
住民たちは、家の中から窓の隙間を通して、こちらの様子を窺っている。
怯えているのは間違いない。
だが、それが魔物たちに向けられた恐怖なのか、氷像を見上げて佇むリデューシャに向けられたものなのかは分からない。
「街を襲った魔物をリデューシャが瞬殺した……ってところか?」
牧緒はリデューシャに近づき、この惨状の顛末を予想する。
「おかえり。マキオ」
「ついさっきの騒ぎじゃないよな? どうしてコテージに戻らないんだ?」
火照った頬は、冷え切ったこの場所に暫く留まっていたという証左。
「街がこれほど静寂に包まれていては、マキオが不安がるだろうと思ってな。帰りを待っていたのだ」
リデューシャは、か弱い女を演出しようとしている。
そもそも、魔女が寒さに頬を染めることなどあり得ないのだ。
「そうか。ありがとう」
吐き出す白い息を見て、牧緒は羽織ったマントを脱いだ。
そして、それをリデューシャの肩へかける。
「ふふ……」
リデューシャは、マントで顔半分を包み込みこんで微笑んだ。
「いやぁ、本当にありがたいことです」
突然、ポグロが二人の空間に割って入る。
リデューシャが殺意のこもった視線を向けたことに、彼は気付いていない。
「魔物が街に入ってくるなんて……普段は滅多にないんですがねぇ。それもこんなに大量に……」
焦ったように頭を掻きながら、困惑を口にする。
「彼女がいなければ、私たちは多くの犠牲を払うことになったでしょう。何とお礼をすればよいか」
「構わん。これらが寄ってきたのは、妾のせいだろうからな」
「ん、どういうことだ?」
牧緒は首を傾げた。
魔女から放たれる殺気は、何人たりとも引き寄せたりなどしないはずだ。
「これらは、差し向けられたということだ。妾を倒せるとでも思ったのか、それとも妾が魔女であることを確かめたかったのか……」
そう聞いて、牧緒はポグロに問い詰めた。
「ここ以外に集落があるのか? 敵対している奴らは?」
「そ、そんなもの、ありません! しかし、もしかすると……」
「詳しく話してくれませんか」
怯えるポグロを見てから、牧緒は冷静に取り繕った。
「この森には、エルフが住んでいると噂されているのです」
妖精に該当する、長寿の種。
”迷いの森”の入口にて、石板に刻まれた文字もエルフ語であった。
「し、しかし、今まで誰も目撃しておらず、あくまで噂にすぎません」
牧緒は、ニャプチの方へ視線を移す。
ニャプチは、フルフルと首を横に振った。
ポグロの話に嘘はない。
「ただ、一か所だけ確認できていない場所があります」
悩み込む牧緒に向かって、ポグロは新たな情報を開示する。
「100年近く前になるらしいですが、北東に広げた”道”の先に……遺跡が発見されまして……」
その遺跡の中。あるいは、遺跡を越えた先にエルフの集落があるかもしれない。
可能性の一つとして、牧緒はそれを飲み込んだ。
「ここには、冒険者も多いはずですよね? 誰も遺跡の中を確かめようとは思わなかったんですか?」
「少なくとも、私の代にはおりませんでした。何せ、入った者は誰も戻ってこなかったと伝えられておりましたから」
「”迷いの森”の中に、別の迷宮か……」
エルフの有無はどうでもいい。
この森に魔術師デルバがいると思い込んでいる牧緒にとっては、攻略必須の迷宮である。
「情報をありがとうございます。そこへ足を踏み入れること自体に問題はありますか?」
「いえ、問題はありません。あなた方なら、きっと攻略できるでしょう。街を豊かにするための資源があるかもしれませんしね」
牧緒は念のため、許可を得た。
(資源……か。脱出する方法は期待しないんだな)
”迷いの森”に佇む謎の遺跡。
普通なら、その中に出口……あるいは、その手掛かりがあるかもしれないと考えるはずだ。
しかし、ポグロはそんな素振りを一切見せなかった。
(ここの生活が快適すぎて、むしろ出たくないのかもな)
牧緒なりに、その違和感に答えをだして納得する。
「凍り付いた魔物の後処理は私たちに任せて、今日はゆっくりお休みください」
その言葉に甘え、牧緒たちは帰路につく。
***
”迷いの森”で過ごす、最初の夜。
「さぁ、召し上がってください!」
ユレナが、ハグボッグ料理を振る舞う。
彼女は、血抜きから皮と骨の処理まで完璧にこなした。
捌いた肉はソテーにし、余った屑肉はシチューに入れる。
街で買った野菜をふんだんに使用し、彩り鮮やかな食卓となった。
「元令嬢とは思えないな」
令嬢といえば、何もかも使用人に任せるものだと、牧緒はイメージしていた。
だが、想像を遥かに超える手際の良さに驚きを隠せない。
「いずれ国から追放されることを想定していたので、一人で生きるための術はあらかた習得しているのです」
悪役令嬢を演じていた彼女は、バットエンドの先まで想定していた。
魔王が覚醒して死罪を宣告されてしまったのは、人生最大の誤算であっただろう。
自慢げに胸を張るユレナに声もかけず、オルガノは一心不乱に食事を貪る。
娘の手料理を口にできることが、さぞ嬉しいのだろう。
不器用な男の姿は、他の者からしてみれば非常に不気味に映った。
「そんなに急がなくても、料理は逃げたりしませんよ」
「む……そ、そうだな」
「お気に召したのなら、おかわりもありますから」
ユレナは、内心ほくそ笑む。
今後、オルガノを排除する必要に迫られれば、毒でも仕入れれば簡単に始末できるだろう。
警戒心の無い豪快な食べっぷりが、不穏な計画を加速させる。
「で、どうだった? 森の謎は解けた?」
フォークを片手に片膝を付き、椅子に斜めに腰かけたキュラハが牧緒の成果を確認する。
「まだまだこれからだ。ただ、この森の特性は少しわかってきた」
「へぇ。どんなだったの?」
「森の奥へ惑わせるタイプじゃない。森の奥へ行けないタイプだ」
それは、脱出できないという意味では同じ。
だが、安全性の面では大きな違いがある。
魔物が蔓延る、光も通さぬ森から永遠に出られない……なんてことにはならないからだ。
”森林”へ踏み込めば、すぐに”道”に戻される。
そしてこの町は、謂わば巨大な”道”。
少しずつ住民が巨木を切り倒し、根を抜いて踏み均した広大な土地。
だから誰も迷うことなく、一つ所に留まって生活できている。
「他にも色々試したいことはある。でも、明日向かうのは遺跡だ」
「遺跡?」
「あぁ。そこに、魔術師がいるかもしれない」
「なるほどねぇ」
「どうせキュラハは、魔術師を見つけられてないんだろ?」
「ははは、まぁね」
他人事のように笑いながら、フォークで肉を刺す。
「魔術師捜索のために、キュラハを連れて行く。他に行きたい人はいる?」
牧緒は、敢えて指名しなかった。
誰がどれだけ積極的か。
誰がどれほど友好的か。
その判断材料としたかったからだ。
「はい! わたくしがっ……いぃぃ、痛っ! いたたたた!」
勢いよく挙手したユレナは、途端に体を反って呻き始める。
「な、なんだか体がしびびびびびび」
全身の筋肉をつったような痛みが走る。
「ふはっ、ユレナっちって、結構ひょうきんなんだねぇ」
心配の声が上がるよりも早く、キュラハが噴き出した。
「おい、魔女よ。いい加減にしろ」
「何のことだかさっぱりだ。デカブツ」
オルガノが臆さずに非難するも、当の本人は鼻で笑うばかり。
(面白そうだからボクも行ってみたかったけど……、やっぱりやめとくにゃ)
奔放であるはずのニャプチも、呆れて溜息をつく。
「適任は妾しかおるまい。魔力を持たないマキオの無事を確約できるのは、妾だけだ」
そう言い切ると同時に、ユレナがパタリと床にへたり込んだ。
「そうだな。ありがとう、リデューシャ。お願いするよ」
リデューシャが、事あるごとに牧緒の反応を窺うのと同じ。
牧緒もまた、リデューシャの一言一句に注目していた。
(嫌われたわけじゃなさそうだよなぁ)
突然押し倒して告白したり、献身的な一面をみせつつも、どこかよそよそしい。
その曖昧な態度が、牧緒を酷く不安にさせている。
相手は≪終末級≫の魔女。
好意に胡坐をかくわけにもいかず、かといって好感度を下げるわけにもいかない。
煩悩や計略を一時忘れるために、牧緒は食事に舌鼓を打った――。
食事を終えると、オルガノとキュラハはさっさと各々の寝室へ向かう。
対してユレナとニャプチは、リビングのソファに座って仲良く談笑している。
牧緒は皿を洗いながら、リビング全体を見渡した。
暫く物憂げな表情で暖炉の火を眺めていたリデューシャが、その場から立ち去るのを見る。
否でも応でも、この後のことを想像してしまう。
きっと自分に割り当てられた寝室の扉を開けると、そこにはリデューシャがいるだろう。
牧緒は覚悟を決めて、最後の皿を積み上げた。
「あれ?」
そそくさと寝室に向かった牧緒は、拍子抜けする。
そこには、誰もいなかった。
「まぁ、別に……期待してたわけじゃないしな」
自身の妄想を恥じながらも、ベッドに入って目を瞑る。
数時間か、いや、たった数分かもしれない。
牧緒はもぞもぞと何度も寝返りを打ちながら、眠れぬ夜に苦しむ。
「いやいやいや、おかしいだろ!」
別室に聞こえない程度に声を上げて、体を起こす。
どうしても、リデューシャの告白が忘れられない。
今日も、牧緒の帰りを肌を冷たくしながら待っていた。
そんな彼女が何故、何もしてこないのか。
「くそっ、意識させるだけさせておいて……。女の子に告白されたことなんてないから、舞い上がっちまった。いや、千歳以上だから女の子ではないのか……」
一体何が原因か、頭を抱えて考える。
「押してダメなら、引いてみろ作戦の真っ最中ということだろうか?」
女性と交際したことがない彼の脳内は、常に自分優位な前提で考えを巡らせていた。
だが、ふと冷静になる瞬間がある。
「美織が俺を避ける時は、いつも罪悪感が原因だったよな」
妹のことを思い出す。
弟をイジメた、小遣いを使いすぎた、門限を破った――そんな小さな罪悪感は、顕著に妹の態度を変えた。
普段通り接しながらも、どこかよそよそしい。
そして、笑顔を見せながらも距離を取る。
それは、リデューシャの振る舞いとは多少異なる。
なのに、どこか共通点を感じた。
「リデューシャは、罪悪感で俺を避けてる……?」
それは、遠からずも近からず。
魔女が一線を越えない理由は、罪悪感などではなかった。
牧緒という男が、非道になり切れないことを、リデューシャは理解している。
だからこそ、リデューシャは自身の邪悪が牧緒の心を遠ざけることを危惧していた。
できる限りしおらしく振る舞い、機が訪れるのをひたすら待つ。
それがリデューシャの心境だった。
リデューシャは、コテージの窓に腰掛けて月を眺める。
「妾がマキオの心を手に入れるには……、マキオに堕ちてもらうしかない」
求めるのは、同情ではなく同調。
牧緒が、悪逆非道の選択をせざるを得ない時を待つ。
「屑を蹂躙する様を、二人で笑って堪能できるようになる日まで……」
誰に語らうわけでもなく、期待に胸膨らむ気持ちが声となる。
「マキオには、悪鬼羅刹を従える魔王……いや、魔境の王になってもらう……!」
強欲の魔女に自戒は無い。
どんな手を使ってでも、欲するモノは必ず手に入れる。
邪悪な声は、月夜に散った。




