20話 死者への冒涜
牧緒は目を覚ました。
痛みはなく、すんなりと上体を起こすことができる。
皮膚は本来の質と色を取り戻し、潰れたはずの片目に光を感じる。
それどころか、燃えて穴だらけになった服さえも元通りだ。
「気絶してばっかりだな……俺」
牧緒は全てを察し、他人に頼ることしかできない自身の情けなさを憂う。
「気にするな。妾がいれば、これが当たり前になると言ったであろう?」
腰に手を当てたリデューシャが、笑みを浮かべた。
「うにゃ~、急にマキオの匂いが消えたときはどうなることかと思ったにゃ」
そう言って、ニャプチが体を寄せた。
牧緒は生き残った。
窮地の中で絞り出した苦肉の策。
それを瞬時に理解し、実行に移したバルバラの功績は大きい。
「ありがとう、みんな」
牧緒は深く頭を下げて謝意を告げる。
「俺が迂闊だった……。まさか、ここまでする奴がいるなんて考えてなかった。あいつらはどうなった?」
「全員散ったか、気を失っている。妾がいる限り、手も出せまい」
「そうか、よかった。てっきり殺したかと……」
この世界の命の重さは、日本とは比べ物にならないほど軽い。
そんな環境を理解した上で、長く過ごしてきた。
それでも牧緒は、自身が直接関わった人間の命が奪われることに、強い罪悪感を抱いてしまう。
大罪人を脱獄させ、あまつさえ人を、国を騙し今に至る。
そんな行いと矛盾する、善の感情。
牧緒はそれを、捨てきれていなかった。
「帰ろう。バルバラにも直接お礼がしたいしな」
若干ふらつきながらも、自身の力で立ち上がる。
「マキオ様。本当に彼らをこのままにしておいて、よろしいのですか?」
ユレナが意見する。
彼女の目は暗く、冷たい色をしていた。
「あぁ、俺が一人にならなければ、同じ真似はできない。報復を恐れる必要はないよ」
「それは優しすぎるのではありませんか? それでは、悪意に侵食されるばかりです」
ユレナは自身が歩んできた、今までの人生を教訓として忠告した。
たかが16年間の短い経験。
しかし、ただのちっぽけな一人の人間としては、誰よりも密度の高い人生だろう。
「それは君の……“悪役”の考え方か?」
「いいえ、わたくしはこの考え方を悪とは思っておりません」
「俺もだよ。奴らを生かすことを優しさだとは思ってない。ただ、この世界に来る前の……俺の心を守りたいだけだ」
それは、ユレナと相反する想い。
それ以上、彼女は言葉を紡げなかった。
そんな様子を見て、リデューシャは呪文を唱える。
「開龕――」
牧緒たちは、現れた黒い壁の中へと消えていく。
しかし、リデューシャとオルガノだけはその場に残った。
ドルーガンたちを殺さなかったのは、決してリデューシャが機転を利かしたわけではない。
牧緒の知らぬところで、オルガノが彼らの処分を買って出ていたのだ。
「奴らをどうするつもりだ?」
リデューシャは、彼らの処遇について全く興味がない。
しかし、牧緒の今後の指標になるかもしれないと考え、念のため確認した。
「再利用するつもりだ。今後のためにな」
それは全て、ユレナのため。
「そうか、暫く転送魔法は残しておく。後始末は其方に任せた」
リデューシャはそれだけ言うと、その場を去った。
一人になったオルガノは、積み上がった瓦礫に向かって問いかけた。
「さて……、もう意識は戻っているのだろう?」
ガラガラと音を立てて、崩れた暖炉の破片が盛り上がる。
「……てめぇ、よくも騙しやがったな……!」
ドルーガンは、そこから姿を現した。
「騙した? それは酷い言い掛かりだ。儂は手掛かりを与え、貴様は自ら判断して行動に移した。ただそれだけだ」
「ふ……っざけるな!」
左目の魔法陣を魔力が満たす。
その目に映るオルガノは、成す術もなく燃え上がった。
「せめて……てめぇだけは殺してやるっ!」
激しく睨みつけて息まくも、その魔法は実を結ばない。
オルガノは平然とした様子で、杖の持ち手をこめかみに当ててから軽く振る。
彼の上半身を包んでいた激しい炎は、杖の宝石に吸い込まれ、消えた。
「冥府の業火と比べれば、ぬるま湯に等しいわ」
そう言うと、続けて杖の石突を地面に突き立てる。
「召喚獣――ヘルベルグ」
瓦礫の隙間から、わらわらと蛇が這い出る。
それは、数千匹にも及ぶ群れ。
頭の先から尾の先まで、真っ黒な鱗が光を反射する。
それと同じくして、周囲の瓦礫の影から、多くの人影が顔を出す。
それはドルーガンの部下たちだった。
「お前ら、戻ってきてくれたのか! よし、こいつを殺せ! 一斉にかかるぞ!」
命令するも、反応はない。
喉が詰まったような、苦しそうな息遣いだけが返ってくる。
彼らの目は落ちくぼみ、血色は悪く、まるで糸に吊られた人形のような立ち振る舞いだ。
「皆、既に死んでおる。ヘルベルグに噛まれれば、瞬時に血液は凝固し、死に至る」
蛇の魔物であるヘルベルグの原型魔法は、魔力を蝕む猛毒の魔法。
生物における、あらゆる抗体を無視して侵食する、事実上の即死魔法である。
「じゃ、じゃあ、なんでこいつらは動いてんだよお!!」
ドルーガンは、叫びながら何度も何度もオルガノを燃やす。
効かないと分かっていても繰り返す。
燃やし続ければ、オルガノを覆う炎で、その視界を奪うことができるからだ。
「石巌の牙!」
ドルーガンの両手首に光る、魔法具の腕輪。
それは呪文に反応して、二本の巨岩の腕を作り出す。
拳を振り抜くか、それとも手の平に包み込み握りつぶすか。
選択肢は数あれど、そのいずれも実現することはなかった。
「無駄なことだ」
オルガノは、ため息を付きながら軽く杖を振り、迫る巨岩の腕を払う。
触れてすらいないのに、何かに押されるように容易くそれは弾かれた。
間違いなく、炎はオルガノの視界を遮っている。
しかし、見る必要などなかった。
「くっ……そ……」
実力の差は歴然であった。
オルガノの魔法は重力を生み出し、その指向を操作する。
炎も岩も、何者も彼に触れることはできない。
「貴様のおかげで≪終末級≫の行動原理を知ることができた。感謝している」
オルガノの目的は、牧緒の窮地に≪終末級≫がどのように行動するか確かめること。
牧緒の死がほぼ決定的になった場合、それを救うのか。
救うとして、彼ら自身がそれを望み、率先的に動くのかどうか。
そして、娘のユレナが牧緒にどう接するのか……。
それを知るためだけに、ドル―ガンを嗾けた。
そして、牧緒を死の一歩手前まで追い込んだ。
「奴らと共に沈むわけにはいかん。そうなる前に、手を打たねば……」
誰に言うわけでもなく、呟いた。
世界は脅威を排除するべく、手段を選ばず行動するだろう。
≪終末級≫は、その強さで全てを撥ね退け自由に生きる。
そして牧緒は、≪終末級≫に守られて生きる。
だが、ユレナとオルガノはどうだろうか。
ユレナの中の魔王は、調伏できていない。
利用するには危険すぎる存在だ。
そしてオルガノも、牧緒にとっては扱いづらい存在だろう。
今後、用済みとなるのは誰か。
オルガノにとっては、それは明白であった。
生き残るには、行動して現状を変えるしかない。
「何なんだよ……、何がやりてぇんだよおおおお!」
ドルーガンの絶叫は、無数の蛇たちに埋もれて小さくなっていった。
「魔法陣の刻まれた体は重宝する」
オルガノは鼻で大きく息をはき、事が済んだことに人心地つく。
「儂は学んだのだよ。生者よりも、死者の方が使えるとな。少なくとも、背中を刺されることはない」
かつて、オルガノは仲間に裏切られ、ヴァーリア監獄に投獄された。
脱獄するまでの6年間で、少しずつ体に刻んだ不格好な魔法陣。
魔法の使えぬ”聖域”であったため、試行することもできず、ただ頭の中にある知識をだけを応用した。
前人未踏。闇の魔法の極致。それは、禁忌に触れる力。
「闇の魔法――死者への冒涜」
魂なき肉体を、自在に操る魔法。
この日、オルガノの魔法実験は成功した。
死者たちは再び立ち上がり、オルガノの意のままに動く。
いずれ死者の軍団が完成すれば、一国を落とし得るほどの力となるだろう。
これを以って、オルガノは≪亡国級≫に匹敵する脅威となった。
全ては、ユレナに迫る危機を排除するために――。
この土地の凍えるような寒さは、血の巡らぬ彼らにとって、最適であった。




