2話 交渉
ヴァーリア監獄では、朝と夜にパンとスープ、時々干し肉が支給される。
そして、日中はひたすら地下鉱山で魔石の採掘を強いられた。
しかし、こんな地獄にも”特権階級”は存在する。
――今日も労働の時間がやってきた。
牧緒とニャプチは、錆びたツルハシを持って鉱山へ向かう。
いつもなら深く潜るが、今日はすぐに横道へそれた。
「道を間違えてるぞ。さっさと戻れ」
行く手を阻んだのは、門番のように立ち塞がる二人の屈強な囚人。
「いや、間違ってない」
牧緒は強気に言い返した。
「テメェ、ここがどこだか分かって言ってんのか?」
「もちろん。あんたたちのボスと、話がしたいんだ」
誰が囚人たちのボスなのか、牧緒は2ヶ月間で調べ上げた。
その結果、辿り着いたのがこの場所だ。
そして、ボスと対等に向き合うためのカードこそが、ニャプチだった。
「あぁん!? ふざけたことぬかしてんじゃ……」
「ボクがお相手しようかにゃ?」
牧緒の陰からひょっこりと現れたニャプチが、舌を出してからかうように言った。
「……何であんたみたいな人が、こんな弱そうな男に」
「さぁ? なんでだろうにゃ~」
誰もが知るニャプチの強さは、囚人間であれば問答無用の通行手形となる。
態度をコロリと変えた囚人は、耳打ちをしてから一人だけ奥へ消えた。
「入れ。ボスがお呼びだ」
暫くして戻って来た囚人が、弱弱しい声で言った。
通された先は、監獄とは思えない空間。
上質な絨毯に、酒の匂い。壁にかけられた複数の松明は、装飾された金属製だ。
その最奥、豪奢な椅子に深々と腰掛ける巨躯の男がいた。
その名は、オルガノ・ロスガーデン。
投獄されるまでは、裏社会のフィクサーとして名を轟かせていた人物。
3メートル近い身長と、丸太のように太い手足は、座っていても牧緒を見下ろす威圧感を放っている。
「……見ない顔だな」
オルガノの声は低く、重い。
手元のグラスを揺らしながら、値踏みするような視線を牧緒へ向ける。
「新入りの牧緒です」
「挨拶はいい。儂に時間を取らせるだけの価値が、貴様にあるのか?」
牧緒は単刀直入に切り出した。
「取引をしたいんです。俺とニャプチをあなたの派閥に入れて欲しい。上層での労働を許可願いたいんです」
「ほう……では、貴様は何を差し出せる」
「ニャプチの武力です。その強さはご存じでしょう? 他の派閥を制圧し、より多くの”上納金”を集められる」
オルガノは看守を賄賂で買収し、刑務作業を免除されている。
ヴァーリア監獄では、面会はもちろん、外部から物資を受け取ることも許可されていない。
ならば、その財源は魔石の採掘で発見される副産物――金や宝石といった希少鉱石であろう。
牧緒の提案は、そのビジネスを拡大させるというもの。
だが、オルガノは鼻で笑った。
「武力か……それは与えられる物ではない。力で屈服させ、手に入れる物だ」
オルガノが杖の先を回す。
周囲に控えていた部下たちが、一斉に武器を構えた。
「ニャプチ、お手」
「にゃ」
牧緒は突然、ニャプチに芸を強要する。
「ニャプチ、お座り」
「にゃ」
当然、芸の出来の良さは関係ない。
牧緒が、傍若無人の獣人を制御できているという事実が重要だ。
「……ほう」
オルガノは、片目を見開いて唸った。
「この通り、俺はニャプチを手名付けられています」
もちろん、これは演技。
ニャプチの矜持を上回っているのは、脱獄という密。
「ますます気に入らんな」
オルガノは無情にも言い放った。
交渉は決裂。再び部屋中に緊張が走る。
ニャプチの存在は、オルガノにとって目の上の瘤。
傍若無人の強者は、囚人たちを束ねることの邪魔になっている。
その強者が、自ら軍門に降るというのだ。
にもかかわらず、この魅力的な提案を簡単に拒絶した。
「なるほど。仲間を増やしたくない理由があるわけだ」
牧緒は小さく肩をすくめてから、積み上げられた酒樽の方を指差した。
「あれは、何のための道だ?」
「……何のことだ」
「炎の揺れ方で丸わかりだ」
積み上げられた酒樽の両端に設置された松明。
その炎の先だけが、穴の方へ傾いて揺らめいている。
奥に別の空間が広がっている証拠――としては少々弱い。
が、牧緒は堂々と啖呵を切った。
「どうやってその獣人を籠絡したのか疑問だったが……そうか、ぶら下げた餌は”脱獄”か」
隠していた真実を、自ずと吐露する。
オルガノは、牧緒の手の平で転がった。
「制御室まで穴を掘る手間が省けたな」
「ボクは穴掘り嫌いじゃないにゃ」
二人の間で、ハイタッチの音が響く。
「制御室のことまで知っていたか」
オルガノは、牧緒と同じ答えに至り、脱獄を計画していた。
看守に賄賂を渡してまで手に入れたかったのは、快適な監獄生活などではない。
魔石タンクの制御装置に最も近い場所を、隠れ家とするためだ。
看守の巡回も無く、誰の目も気にせずに上へ掘り進めることができただろう。
「それでどうする?」
オルガノは酒を飲み干してから、余裕を見せる。
「俺たちにも一枚噛ませろ。でなきゃ、脱獄計画のことを喚き散らしてやる」
そんなことが明るみになれば、たとえ賄賂があったとしても、看守はオルガノを処分せざるを得ない。
「ふん、それが貴様の手札か? 馬鹿馬鹿しい。それを知られて困るのは、貴様の方だろう」
「共倒れは、あんたも望んでないだろ?」
そう言いながらも、牧緒には他に手札が残っている。
しかし、それが有効であるか現時点では分からない。
いつ、それを切るべきか――牧緒は思案していた。
「マキオはお馬鹿だにゃ~。おっきなおじさんが言ってたにゃ。『力で屈服させて手に入れる』ってにゃっ!」
腕をぶんぶんと回しながら、ニャプチが前へ出る。
「ほどほどにな」
牧緒は小声で伝えてから、オルガノへ背中を見せて後ずさる。
まるで強者を指で扱う将の如く。
震える手を隠して、不敵に笑ってみせた。
実際には、牧緒の心臓は破裂寸前に鼓動している。
「猫ぱ~ん、みゅッ――」
ニャプチが殴りかかろうとした瞬間、その顔面はオルガノの鉄拳よって歪む。
「ニャプチ!」
吹き飛ぶニャプチを目で追いながら、牧緒はつい叫んでしまった。
轟音と共に壁が崩れる。
そのせいか、鉱山全体が小刻みに振動し始めた。
『逢魔時、逢魔時――』
地底から、リーパーたちがやってくる。
「丁度良い。これで暫くは看守もやってこまい」
オルガノの剛腕は、巨人の血が成せる業。
その血は薄いが、魔法の使えない聖域では十分なものだった。
その巨大な影は、牧緒の視界を暗くする。
「う、にゃっ~!」
壁にめり込んでいたニャプチは、土煙をあげながら縦に回転して跳び出し、オルガノへ踵を叩きつける。
それは呆気なく片腕で止められた。
しかし、その衝撃は周囲の者たちをよろめかせる程。
「むむ、やるな」
「久しぶりに楽しく遊べそうだにゃ☆」
ニャプチは、足技を中心に連撃を繰り出す。
それを全て体で受けながら、オルガノは大きく振りかぶった拳を突き出した。
「うにゃっ!」
「ぐむっ……!」
その拳を額で受け止める。
逆に、オルガノの方が痛みに顔を歪ませた。
「にゃにゃっ!?」
オルガノは杖を捨て、ニャプチの胴を掴んで持ち上げる。
「オラァッ!」
そのまま体を地面に投げた。
あまりの衝撃に、ニャプチの体は跳ねあがって天井にぶつかる。
そしてさらに、地面に叩きつけられ天井へ……それが何度か繰り返されるほどの威力。
「にゃんだかちょっとだけ、お腹空いてきちゃったにゃ」
何事も無かったかの如く、ニャプチはむくりと起き上がり、呑気なことを口にした。
「これだけやって、全くこたえんとはな……。こんな獣人は初めてだ」
オルガノは拳を擦りながら、眉を顰めた。
「お腹が鳴るまでやってやるにゃ」
「甘いな……どちらかが死ぬまで、だ」
そう聞いて、牧緒の頭に疑念が浮かんだ。
その疑念を解消するために、牧緒はわざと焦ったふりをして叫ぶ。
「こんなに暴れてどうする!? 流石に看守の目が入るぞ。そうなったら、脱獄を企てていたこともバレる!」
牧緒は崩れた酒樽の裏に覗く、大きな横穴に目をやった。
「ふん、もはや儂にとって、脱獄などどうでもよいこと」
まるで憂さを晴らすかのような態度と、開き直った言葉が、牧緒に確信させる。
「……なるほど。あんた、脱獄できないのか」
「なんだと?」
「あれ? もう終わりにゃ?」
ニャプチは空気を読んで、残念そうに構えを解く。
「制御装置に手が届いてるのに、脱獄してないってことは……つまり、壁を越えた後の計画が無いってことだ」
または、元々の計画が頓挫したか。
「あんたは諦めたんだ。だから脱獄計画が露呈することに躊躇しない」
「だからどうした」
「俺にはある! 完璧な逃走ルートと逃走手段が……!」
牧緒の手札は有効だった。
「その逃走手段は――」
言いかけた時、崩れかけた壁や、凹んだ床からリーパーたちが飛び出す。
「邪魔だ」
「にゃにゃ~!」
オルガノは拳を横に振り、複数のリーパーを一撃で薙ぎ払った。
同時に、ニャプチは子供のように両手足をバタつかせただけで、触れたリーパーの胴を裂く。
その様を見て、牧緒はようやく二人の化け物に挟まれていることを実感する。
今更になって冷や汗が体中から噴き出し、足は震えた。
それでも牧緒は、止まらない。
「俺が奈落に落ちて手に入れる」
ヴァーリア監獄は、メリアナ火山の中腹に位置している。
奈落とは――監獄と直結した火山の噴火口のことを指す。
そこには特別な囚人たちが収監されている。
単独で一個師団に匹敵する≪壊滅級≫の囚人。
単独で一国を滅ぼせる≪亡国級≫の囚人。
そして、世界を単独で滅ぼし得る≪終末級≫の囚人が力を奪われ眠っている。
「そこで、”唯一竜”を仲間にするつもりだ」
それは、世界で初めて収容された≪終末級≫の囚人。
「魔法防御を解除したら、竜に乗って脱出する。俺たちの逃走ルートは、空だ……!」
牧緒は自信満々に宣言するが、反応は芳しくない。
「ふん、あれは災害そのものだ。手名付けられるはずもない。食われて終わりだ、馬鹿者が」
オルガノは大きく溜息をつき、杖を拾って腰を下ろした。
「唯一竜が言葉を話せるとしたら?」
「何……?」
牧緒には、唯一竜を説得する策があった。
「俺は唯一竜の心の弱点を知っている」
それは推測の域を出ない。
しかし、異世界人だからこそ、牧緒には自信があった。
「いずれにしても、貴様らに利用されるつもりはない」
オルガノの天秤は、まだ傾かない。
「看守を呼べ」
互角のニャプチと、これ以上戦っても意味は無いと判断したのだろう。
オルガノは部下に指示を出した。
しかし、部下たちはそれを受けても直ぐには走り出せずにいた。
先の戦闘で酒樽が破壊され、隠し通路が露わになっているからだ。
看守にバレれば、自分たちのボスも処罰される。
「脱獄を諦めることと、脱獄計画の露呈を良しとするのは、全く違う」
急遽、牧緒は説得の方針を変える。
「……何が言いたい?」
「諦めたのは、脱獄だけじゃない。あんたは、生きることすら諦めた」
牧緒には、その理由が思い当らない。
しかし、オルガノの胸の内には、付け入る隙があると考えた。
「どうしてだ? 脱獄はできなくても、快適な監獄生活は送れるはずだ」
「貴様には関係ないことだ」
「いや、関係ある。教えてくれ、どうすればあんたは救われる?」
オルガノを引き留めねば、脱獄計画は破綻する。
牧緒は必死に感情へ訴えかけた。
「利用されたくないんなら、俺を利用すればいいだろ。俺はここから出るためなら、何だってする!」
求めるのではなく、与える。
武力という物理的な贈り物は失敗した。
だからこそ、オルガノの心を満たす何かが必要だ。
その宣言を受け、オルガノは一蹴せずに沈黙した。
その瞳の奥で、計算と昏い情動が交錯する。
「……貴様の罪は何だ?」
鬼気迫る問いが、牧緒を刺す。
「なんだよ、それ……。それは今、関係ないだろ?」
「いいや、ある。儂には重要なことなのだ。それ次第では……協力してやってもいい」
いつの間にか、立場は逆転していた。
胸中を聞き出そうとしていた牧緒の方が、自らの核心をさらけ出すよう迫られている。
「それを聞かれるのは……2度目だよ」
牧緒は自らの罪を語り始めた――。




