15話 逃亡先
「ぐむっ……!」
バルバラは勢いよく背を踏まれ、少しだけ喉を鳴らす。
魔王の帰還だ。
「マキオを離せ」
リデューシャが構える。
「落ち着け、どうこうするつもりはない。聞きたいことがあるだけだ」
ロキアズルは、警戒を解こうとした。
強者と戦うことを何よりも望む彼であっても、時と場合は選ぶ。
今、最も優先度が高いのは、転生の秘密を聞き出すことだった。
「勇者はもう追ってこない。ゆっくり座って話そう……うぇっぷ……」
牧緒は落下と急上昇を体験し、三半規管が若干麻痺していた。
腰を落ち着かせ、息を大きく吸って気分を整える。
ロキアズルは、転生の秘密を知ることが、元の肉体を取り戻す手掛かりになると期待している。
しかし、牧緒の口から出た言葉は彼を落胆……いや、激高させるものだった。
「お、もう時間は無さそうだな。次に会ったら、また話そう」
「あぁ!?」
ふざけた態度を取った牧緒の首めがけて、ロキアズルは爪を振り抜こうとする。
だが、その肉体に爪など無く、翼も角も尾さえも綺麗さっぱり消えていた。
「んぁ、ん……マキオ様。勇者はどうなったのですか?」
そこにいたのは、間違いなくユレナであった。
「きゃぁ! ま、また服が……」
露わとなった肌を両手で隠し、うずくまる。
そんなユレナの肩に、オルガノが大きすぎる上着をかけた。
「答えろ小僧! 貴様、ユレナ……嬢に何をした!?」
オルガノは、額に血管を浮き上がらせ、杖を握りつぶして折った。
「ユレナの中には、魔王の魂があるんだ」
「……訳の分からんことを!」
「ほ、本当なんです、オルガノ様! マキオ様は、きっと勇者を倒すために、魔王の力を……そうですよね?」
ユレナは咄嗟にフォローする。
「倒すつもりは無かったよ。最初から、勇者の戦意を喪失させることだけ考えてた」
それが牧緒の、対勇者作戦の真髄。
「バルバラも、ありがとう」
牧緒はペチペチと鱗を叩いた。
「逃げないからこそ、逃げられる。ガハハハ、盲点だったぞ」
作戦の意図を理解したのか、バルバラは上機嫌に舌を上下させた。
牧緒が提唱した作戦は二つ。
一つは、魔王顕現のためのトリガーを引くこと。
これは、理由を語らずにニャプチとオルガノに託した。
一つは、牧緒がこの場を離れた場合、バルバラに待機してもらうこと。
これは、保身を図ったからではない。
「重要なのは、≪終末級≫が一枚岩だと思わせることだった」
魔王が勇者を足止めしている時間。
それは逃亡において絶好の機会。
敢えてその好機を捨てることで、勇者は脱獄囚たちをチームだと認識した。
「流石の勇者も、世界を滅ぼせるような奴を、三人も同時に相手にできないだろ」
「ならば、最初からそうすればよかったのではないか?」
疑問を呈したのは、意外にもリデューシャだった。
「手の内を見せずに、勇者を撒けるのが理想だったからな」
牧緒は、勇者が魔女と戦った時点で、追跡を諦めてくれることを期待していた。
「……そんなことはどうでもいい! どうやって魔王を顕現させた!?」
「五月蝿いぞ、デカブツ。妾とマキオの対話に割って入るな」
「なっ!? ……もとは儂がその小僧と――」
「口答えか? この妾に対して」
そう凄まれて、オルガノは口を噤むしかない。
ユレナと再会し、守ると決めた。
≪終末級≫に目を付けられて、消されるわけにはいかない。
「ま、まぁまぁ。リデューシャ、落ち着いて」
「ふむ、マキオがそう言うなら大人しくしておこう」
リデューシャは、スッとスカートを整えた。
ペタリと座り込んでから、牧緒の隣を陣取る。
「魔王顕現のトリガーは……あ、ユレナは耳を塞いでて」
「またですか!? わたくしだけ仲間外れは悲しいです!」
「たぶん、本人は知らない方が良いと思うし……」
「もうっ……! 仕方ありませんわね」
ユレナは渋々、耳に手の平を当てた。
「偽名を名乗ること。正確には、ユレナ本人が知っている以外の名前が名乗られた時、だな」
貴族令嬢が――いや、どんな立場だったとしても、偽名を名乗られる機会は少ない。
更に言えば、それが偽名であると気付く機会は、もっと少なくなるだろう。
それでいて、決して難しい条件ではない。
「オリーブという名前に、意味は無いということか?」
「あぁ、あれは適当だよ。偽名を名乗ってくれってお願いするよりは、意味ありげで従いやすいかと思ってさ」
「しかし……何故そんなことが」
「分からない。魔王の問題なのか、転生のシステムなのか……」
一つの体に、二つの人格。
一人の人間が、二つの名を名乗る事象が、それを思い出させるのかもしれない。
「俺は、それを奈落で知った」
――――――
――――
――
「俺の名前は、太郎だ」
「タ、タロウ? マキオ様では……な、か……」
独房の中で、ユレナは何かに変化した。
同時に、弾けるように壁を何度も殴打する音が響く。
「……魔力を感じられない。ここは”聖域”か……」
魔王ですら、魔力無しに魔法防御は破壊できない。
「あんたが魔王ロキアズルか?」
この世界の歴史を学んだ者であれば、必ず知っている名だ。
「気安いな。お前は誰だ? 聞いてから殺してやる」
「俺は牧緒」
「その臭い、ただの人間か」
牧緒はコツ、コツ、と壁を指先で叩く。
「何が起こったのか、理解してるのか?」
「……知ったことではない」
たとえ現状に困惑していたとしても、人間に乞うほどロキアズルの矜持は安くない。
「でも、知りたいだろ? 転生の秘密を」
「……お前、何者だ?」
「俺は牧緒」
「馬鹿が! 二度も聞くか! 何故それを知っているのかと聞いている!」
少しだけからかって、牧緒は魔王の性質を判断した。
暴虐――という印象ではなく、むしろ逆。
怒りの中でも、会話が成立するだけの理知を持っていると安堵する。
「俺も転生者だからさ」
真っ赤な嘘。
しかし、異世界転移者ならば、転生者としても取り繕えるだろう。
「信じられんな」
「俺には、転生によって手に入れた特殊な力があるんだ」
無能な牧緒は、有能を偽る。
「未来予知だ。次にロキアズルが目覚める時、目の前には勇者がいる」
「っ!? 勇者……だと?」
「同時に、俺はあんたの体にしがみ付いてる」
「我が肉体に触れられるとでも?」
「あぁ。その時は、殺さずに話しを聞いてくれ」
「知ったことか」
「転生の秘密を知っているのは……この世界で俺一人だけだ」
牧緒は、できる限り声を低くし、占い師のように意味深に語り続けた。
「早く、転生の秘密とやらを話せ!」
「来たるべき時に話すさ」
「斬り刻むぞ、人間! この体はなんだ!? 何故我はこのような弱い人間に転生した!?」
詰問を受け流し、牧緒はひたすら指で壁を叩き続けた。
その間、ロキアズルは罵声を浴びせ続ける。
「――汚れたお前の肉親をっ……お?」
声量が落ちた瞬間、牧緒は指を止めた。
「3分間か」
それは、魔王が顕現していられる時間。
(適当に『転生の秘密』なんて言ったけど、結構食いついてきたな)
魔王の琴線を探る予定だったが、牧緒は一発でそれを引き当てた。
「――っは! わたくし、今……」
「役者は揃った。一緒にここを出よう!」
魔王顕現の方法は確立された。
しかし、最後に確認しておくべきことがある。
「ユレナ、俺の名前は次郎だ」
「え、名前? マキオ様、ではなかったのですか?」
「ごめんごめん。牧緒であってるよ」
恐らく、魔王を顕現させた人物に、二度目はない。
「あ、あれ? ふ、服が……」
「え?」
独房の中は暗く、牧緒は魔王の容姿を見ていない。
まさか、服が破れるほどの変化だとは想像もしていなかった。
「着替えとかは……」
「あ、あります。大丈夫です。ごめんなさい」
「こちらこそ申し訳ない……」
貴族令嬢であるからか、それとも死刑の日に向けてなのか、予備の衣装は用意されていた。
「それで、ここをどうやって出るのですか?」
「あぁ、それはな――」
――
――――
――――――
オルガノは、そっとユレナの手に触れる。
「もうよろしいのですか?」
「あぁ、もう大丈夫だ」
キョトンとした顔のユレナを、オルガノは軽く抱き寄せた。
「小僧、次は儂の許可を得ろ。もし勝手なことをすれば……」
「わ、分かったよ」
「……其方、マキオを脅しているのか?」
「ややこしくなるから、それ止めて!」
やたらと味方するリデューシャを、牧緒は制止する。
「マキオ、城が見えたぞ。あれが王都か?」
バルバラの声が届くよりも早く、背中の揺れが伝わる。
「あぁ、間違いない、あそこだ! 正しくは、帝都だけどな!」
そこは、セントファム帝国の帝都、ヴァルラスタ。
かつて牧緒が社交の場で見た、ヴァルキア皇帝の国。
「本当に上手くいくのか?」
オルガノが不安を煽る。
「ヴァルキア皇帝の性格は熟知してる。俺たちの亡命を受け入れてくれるはずだ」
「亡命だと? そんな手続きは必要ない。全て壊して、妾たちの物にすればいい」
「それじゃダメだ。勇者も手が出せない、本当の自由を手に入れるためにはな」
世界中の国と繋がりを持つ、ヴァーリア監獄の脱獄囚。
それを亡命者として受け入れる国は、まずないだろう。
受け入れた国は孤立し、崩壊の一途を辿るだけ。
しかし、牧緒には考えがあった。
亡命と言いつつも、少し異なる。
セントファム帝国の立場を落とさず、脱獄囚を受け入れさせる手段。
「どこに降りる?」
帝都の上空を旋回するバルバラの姿を、街の人間たちが見上げる。
その騒めきは、牧緒たちには届かない。
「そうだなぁ。城の正面に頼む。怪我人は無しで頼むぞ」
言われた通り、バルバラは城門を越えた先、城の入口の前に降り立った。
そのまま低く伏せて、翼の位置を調整した。
牧緒たちは、スルスルと翼を滑って石床に足を付ける。
「バルバラ、ニャプチを吐き出してくれ」
んぐっ、と嗚咽してから、まるで毛玉を吐き出すように塊を転がした。
たっぷりの胃液と唾液に浸かった塊は、徐々に形を取り戻していく。
「んっ、にゃあああ、良いお湯だったにゃ」
ベトベトのニャプチは、背伸びして軽口をたたいた。
「よ、よかったあぁ」
牧緒は肺を空にして膝を付いた。
「もう着いたのかにゃ?」
「あぁ、ここからが自由の始まりだ」
そんな風に和気あいあいと触れ合う牧緒たちは、既に兵士たちに囲まれている。
しかし、誰も手は出せない。
誰も勝てないと知っているからだ。
「ヴァルキア皇帝が留守でなければいいんだけど……」
友人宅へ立ち寄ったかの如く、牧緒は呟きながら城へ入った。
一切の邪魔は無く、静まり返った城内を真っすぐに進む。
向かうは謁見の間。
そこにヴァルキア皇帝がいると、牧緒は信じている。
「ごきげんよう、皇帝陛下。あなたなら、逃げずに迎えてくれると思っていましたよ」
「逃げる? 考えもしなかったな」
皇帝、ヴァルキア・リビジルタン・ラ・ブラムスト。
牧緒の知る人物像は、豪胆にして野心家、そして自尊心の化身。
「早馬で、貴殿らの動向は聞いていた。しかし、本当に私の前に現れるとはな……」
真っすぐ帝都へ向かってくる唯一竜を、ヴァルキア皇帝は警戒していた。
その覚悟は、謁見の間の端に見て取れる。
そこには、カタカタと震える画家たちが、キャンパスに筆先を付けていた。
「専属の画家たちを急遽用意した。私が≪終末級≫に殺される最期の瞬間を、最も美しく記録させるためにな」
その瞳は、恐怖ではなく恍惚に歪んでいた。
本物――牧緒は感嘆して頷いた。
≪終末級≫に勝てる道理はない。
だからこそ、避けられない死を栄光の踏み台にしようとしている。
「最後まで悪逆と戦った稀代の皇帝……。私の名は、世界の歴史に刻まれる!」
剣を抜き、叫びながら牧緒に迫る。
そして、大きく跳躍してから剣を振り下ろした。
「……っ、剣が……溶けた、だと?」
リデューシャが小さく指を振っただけで、無駄に荘厳なデザインの剣は溶けた飴になった。
「皇帝陛下。俺……、私はあなたに、お願いがあって伺ったのです」
「ふっ、そんなもの、私が聞き入れると思ったのか?」
命を賭して英雄であろうとするヴァルキア皇帝の意気は、牧緒の想像していた通りのものだった。
「死んで英雄になるのもいいですが、生きて”世界を統べる皇帝”になるのはどうですか?」
「何を言って……」
牧緒は、自由を手に入れるために交渉を始める――。




