14話 対勇者②
「ニャプチ、オルガノ! それとバルバラも聞いてくれ!」
牧緒が叫ぶ。
「あ、ユレナは耳を塞いでて」
「は、はぁ」
言われるがまま、ユレナは両手で顔を挟む。
娘だけ蚊帳の外に置かれたことに、オルガノが不満を口にする。
「何のつもりだ?」
「対勇者作戦さ。皆の力が必要になる!」
「たった今、その勇者を退けたばかりだろう」
「いや、そうとは限らない」
この場において、牧緒は誰よりも勇者を知っている。
それは口伝に過ぎないが、想像する勇者がこの程度で終わるとは思えない。
「――という手筈で」
詳細は省き、ただやるべきことだけを指示する。
「……それに何の意味があるのだ?」
意味不明な対勇者作戦を耳にして、オルガノは呆然と顎を落とす。
「んにゃにゃ? あれ何にゃ?」
牧緒はその声を聞いて見回すも、どこにもニャプチがいない。
バルバラの横腹。隆起する鋭い鱗に掴って、ニャプチは風を受けていた。
「何が起きてる? 報告してくれ!」
風に声が掻き消されないように、牧緒は大声を上げた。
「何かが走ってくるにゃ」
地平まで伸びる樹海。
樹齢の長い木々が、バキバキと音を立てながら薙ぎ倒されていく。
それはあっという間に真下に到達した。
――ゴッ――ドオオッ。
大地が割れる音。それに続き、風が切り裂かれる音。
更に、ミサイルが衝突したかのような爆音が響いた。
「むっ!?」
バルバラの喉から驚嘆の声が漏れる。
垂直に飛んできた何かが、バルバラの腹部を殴打した。
その背が、大きく波打って揺れる。
「きゃっ!」
両手が塞がっているユレナの体が浮いた。
透かさず、オルガノが掴む。
(勇者が走って……跳躍した!?)
牧緒は状況を想像する。
(一瞬体を丸めたバルバラの、どこに――)
予想されるのは――。
「尾の先だ!」
誰よりも早く、牧緒は敵の位置を特定した。
「うっにゃあ!」
ニャプチが、尾の根元へ跳ぶ。
そして、レトロと同時に駆けた。
まるで金属同士が衝突したかのような高い音が空気を揺らす。
「にゃひっ☆」
むき出しの脛で、レトロの剣を受けた。
「何なんだ、君は!?」
レトロにとって、ノーマークの囚人。
簡単に最速の剣に反応され、あまつさえ生身で防がれた衝撃が、そのまま言葉となった。
ニャプチは剣ごと、レトロを蹴り飛ばす。
互いに、空中へ投げ出された。
「バルバラ!」
咄嗟に叫んだ牧緒に反応して、バルバラは身を翻して、吹き飛んだニャプチをバクリと口で受け止めた。
そのまま一度体を回転さてから、再び西へ飛ぶ。
「ニャプチは無事か!?」
「知らん。後で吐き出す」
バルバラは、勢い余ってニャプチを飲み込んでしまった。
しかし、今は構っている暇はない。
灼熱渦巻く腹の中で、ニャプチが原型を留めていることを願うしかない。
「あの猫……いや、犬か。なかなか面白いではないか」
リデューシャは感嘆し、一人だけニャプチの無事を確信する。
一方、落下するレトロは冷静に考える。
(やっぱり、空中遊歩の魔法が効いていない)
靴底に刻まれた魔法陣。
そこに流し込まれたはずの魔力は、途切れて散る。
「魔女め……直接触れなくても魔力を弄れるのか……」
誰も魔女と本気で戦ったことなど無い。
故に、魔女の本領は誰も知らない。
(光や風の魔法、魔剣の力も失われたと見ていいだろう)
迫る地面を背に、分析した。
(魔法は使えなくても、僕の内に巡る魔力は健在だ)
魔力による肉体の強化。
それだけで、魔法戦闘を戦い抜ける者は少ない。
レトロ自身すら、魔法を使わずにどこまでやれるか分からない。
「試してみるか」
両手を振り、風の流れを感じ取る。
幾度も体を回転させ、遠心力で内の魔力を表層に溜めた。
「脚力だけで――空を蹴る!」
ボッ、ボボボボボ――。
空気を押しのける音が、ジグザクに走った。
物理法則を超越した存在が、誰の予想も打ち砕いてやってくる。
「やっ」
レトロは、バルバラの背に両足を付け体を滑らせて、挨拶してみせた。
「なっ、ゆ、勇者……!」
勇者の登場に、牧緒は頭をフル回転させた。
その隙があれば、勇者は全ての者の首を落とせる。
しかし、幸いそうはならなかった。
「……なんで攻撃しないんだ?」
レトロは顔を顰めて、魔女へ問う。
だが、返事はない。
「近接戦闘は不得意だろ? だったら、広範囲魔法で僕を真っ先に吹き飛ばすべきだ」
「ふっ、浅いな。魔法は苦手か?」
リデューシャは不敵に笑いながら向かい合う。
(まさか……、他の囚人が犠牲になることを躊躇っているのか? あの傲岸不遜の≪終末級≫が?)
最も不可解な疑問。
特に、あの強欲の魔女が他人を気に掛けるとは思えない。
「強欲の魔女ともあろう者が、随分と甘くなったんだね」
安い挑発。
しかし、レトロは下らない会話を交わしてでも探りたかった。
魔女が気にかけている者が、一体誰なのか。
特定の一人か、それとも全員か。
「ふふふ、ふははは!」
リデューシャは視線を外して、隙を見せてまで笑う。
勇者の思惑に気が付いた訳ではない。
懐かしい響きが、あまりに滑稽に思えたからだ。
「妾は月の魔女。残念だが……人違いだ」
レトロは瞬時に構えて、警戒する。
なんてことの無い異名の変化。
だが、そこに意味があるものだと、深読みしてしまう。
新たな魔法、新たな能力……何かを示唆した発言だと判断した。
「オルガノ……」
牧緒は勇者から目を離さずに、小声で伝える。
事前に打ち合わせていた、対勇者作戦を実行する時だ。
「……ユレナ嬢よ」
「は、はい」
「儂の名前は……オリーブという」
「え……? でも先ほどは……」
ユレナは、眉の端を下げて困惑する。
何故、こんな状況でそんなことを言うのか。
何故、最初に名乗ったものとは別の名を騙るのか。
何故――血沸き肉躍るのか。
ミシミシと、ユレナの体は変化していく。
黒曜石の如き輝きを放つ、鋭い爪。
紫黒色の渦巻く模様が刻まれた、双角。
服を突き破って広がる翼と、スカートを剥がすほど太い尾。
黒く光る眼光は、勇者を見据える。
「これは……魔王?」
レトロの声に反応し、魔王ロキアズルは息を吐く。
「臭うぞ。勇者の魔力……待ち望んだ、決着の時だ!」
一瞬にして二人は彼方へ飛ぶ。
爪を剣で受け、レトロは嘆く。
「こんな時に、魔王が顕現するとはっ……!」
構わず、ロキアズルは拳を叩き込んだ。
レトロは地面に叩きつけられ、まるで噴火のように土煙を上げる。
「おっ!?」
土煙に紛れて、真っすぐレトロが跳躍して戻ってくる。
そして、爪と剣がぶつかった。
横に跳んだレトロの足が、何かを捉える。
「足場?」
いつの間にか、黒い岩石が浮いている。
「お前は空を飛べないだろう」
「なかなか気の利く魔王じゃないか」
「ははは! 全力でやりたいからな!」
高笑いを上げたところで、ロキアズルはとあることに気が付く。
「……お前、ソルナスではないな。息子か?」
「ソルナス? あぁ、昔の勇者か。僕は血縁者じゃないよ。それに、ソルナスは3代前の勇者だ」
「そうか、思ったよりも時間が経っているのだな」
ロキアズルは、少しだけ悲しそうに目線を落とす。
「安心していいよ。僕の方が強い」
「くはっ、楽しめそうだ!」
再び開戦の時。
そう思われたが、レトロが構えを解いて剣先で指し示す。
「その前に、それを何とかした方がいいんじゃないかな?」
「それ……だと?」
ロキアズルは、少しだけ重さを感じて下を見る。
そこには、尾にしがみ付いた牧緒がいた。
「なんだお前は。さっさと落ち――いや、お前は殺すわけにはいかなかったな」
そう言って、監獄での出会いを思い出す。
「あぁ、そうさ。転生の秘密を知ってるのは、俺だけだからな!」
転生の秘密――それは牧緒が事前に仕込んでおいた、魔王の核心。
そして、交渉が始まる。
「ここは引くんだ、魔王」
「断る。我は勇者と戦うために再び生を受けたのだからな」
「勇者とはいつだって戦える。でも今戦えば、俺は死ぬ」
すなわち、ロキアズルが求める転生の秘密を知ることができなくなる。
「ふむ、それは悩ましいな……」
ロキアズルは腕を組んで思案する。
彼らの一連のやり取りを、レトロは遠巻きに眺めていた。
ロキアズルの隙をつく好機であるはずだが、攻撃は疎か位置取りすら変えようとしない。
その視線は空に移り、遥か上空を旋回するバルバラを警戒する。
(何故逃げない?)
その疑問こそが、レトロの動きを止めた要因。
唯一竜、魔女、魔王。
三人の≪終末級≫の協力関係は、脱獄における一時的なものに過ぎないはず。
しかし、バルバラは距離を空けない。
まるで、仲間の帰りを待っているかのようだ。
歴代最強と謳われた勇者であっても、複数の≪終末級≫を相手にして勝てる保証はない。
バルバラは逃亡に集中していた。
だからこそ、魔女との一騎打ちに躊躇いはなかった。
だが、今は違う。
バルバラが逃げ出さないということは、戦う意思を見せたということ。
眼前の魔王を倒せても、唯一竜と魔女を同時に相手取ることになる。
魔王の加勢にくる可能性も高い。
レトロは、手を出せずにいた。
まずは、状況を見極める必要がある。
そんな時、ロキアズルの言葉に耳を疑った。
「……勇者よ、決着はまたいずれつけよう!」
ロキアズルは牧緒の首根っこを掴み、翼を広げてバルバラの元へ帰還する。
レトロはそれを追えない。
「何が起こっているんだ……?」
何もかもが想定外。
「何故、魔女は仲間を気遣った? 何故、唯一竜は仲間を待った? 何故、魔王は仲間と引いた?」
代々の勇者が残した伝記では、魔王は決して引くことはない。
代々の勇者が残した伝記では、魔女は決して靡くことはない。
代々の勇者が残した伝記では、唯一竜は決して人を背に乗せることはない。
「……仲間?」
自ら放った言葉に、レトロは驚いた。
≪終末級≫が団結することはない。
彼らの矜持がそれを許さない。
しかし、レトロが目にした光景は、それを疑わざるを得ない物だった。
最後に思い浮かんだのは、魔王と言葉を交わしていた――あの男。
「彼は明らかに異分子。まるで猛獣の檻の中に迷い込んだ一匹の兎……」
勇者ともなれば、剣を交えずとも、相手の力量を見定めることができる。
脱獄囚の中で一人だけ、実力の伴わない者がいた。
レトロは疑問を収束させ、ある結論に至る。
「特異点、か」
ジジジジジとレトロの耳飾りが鳴り、そこから幼い少女の声が聞こえる。
『勇者様、勇者様! 悪い奴は倒しましたか?』
「いや、逃げられたよ」
『え? 倒した? さっすが勇者様!』
「気になることがある。逃げた囚人たちのことを調べて欲しい」
『え? 万事解決? 楽勝でしたね、勇者様!』
「これからヴァーリアに戻る。奴らの居場所を検知できるかい?」
『え? 今日は直帰ですか? 脱獄囚の居場所は見当もつかないので安心して休んでくださいね、勇者様!』
ちぐはぐな会話は、一方的に途絶えた。
「切れたか……。まったく、相変わらず忙しないな」
レトロはゆっくりと魔剣を鞘に納めた。
それとは別の、二本の魔剣が宝物庫に眠っている。
一帖の魔盾と、一条の魔槍も控えている。
それらはすべて、転送魔法によって即座に握ることができる。
自身の原型魔法すら、未だ片鱗を見せていない。
レトロには、まだ余力が残っていた。
しかし、特異点の謎を残したまま立ち向かうには不利が付き纏う。
勝利のために知るべきは、取るに足らないはずの一人の囚人。
レトロは再び空を蹴って、ヴァーリア監獄へと戻る。




