12話 ヴァーリアの空に
制御室へ続く横穴は、人が数人通れるほど十分な広さをしている。
しかし、巨躯のオルガノにとっては、這うように進まなければならない程に狭かった。
「おい、獣人。早く進め」
「うぷぷ、ごめんにゃ。詰まったうんちみたいで面白くって!」
「……餓鬼が」
松明を手に先を進むニャプチは、目を細めて笑った。
「マキオは本当に唯一竜を仲間にできたのかにゃぁ?」
「知らん。少なくとも、生きてはいる」
「なんで分かるのにゃ?」
「呪詛だ。ユレナを救えず小僧が死ねば、儂も死ぬ」
「はにゃ~、便利だにゃぁ」
命を賭した契約を、ニャプチはその一言で流した。
「あれ? 行き止まりにゃ」
松明の明かりは、何もない壁を照らす。
ニャプチはそこに耳を付ける。
「何か心臓みたいな音がするにゃ」
「壊せ。その壁の向こうが制御室だ」
そう聞いて、ニャプチは腕を回して拳を叩きつける。
すると簡単に、壁は崩れた。
――ドン、ドン、ドン。
部屋中に鈍い機械音が定周期で響く。
オルガノとその配下は、この音を頼りに穴を掘り進めていた。
閉ざされた部屋の中央には、巨大な黒鉄のタンク。
太いパイプと、幾本ものケーブルがタンクの上部から伸びてる。
タンクの一部はガラス張りとなっており、緑色に光る魔石が詰め込まれているのが分かった。
「これが制御装置か」
タンクの根元に、無骨な制御端末の光が埃に反射していた。
「壁を壊した音で、看守が集まってきちゃうかにゃぁ?」
「きても構わん。装置を止めてさえしまえばな」
オルガノは制御端末に指をかける。
「使い方、分かるのかにゃ?」
「こういう物は、比較的誰にでも扱えるようになっているものだ」
刻まれた小さな文字たち。
どのスイッチが、どの摘みが、どのような役割を担っているか記されている。
「……壊しちゃえばいいにゃ」
「黙っていろ。それは出力をゼロにしてからだ」
刹那、オルガノはいくつかのスイッチを押してから、一番大きな摘みを限界まで回した。
――シュウゥゥゥ、ゴッ、ゴッ、ゴッ……。
制御装置は煙を噴いて、何度か激しく振動してから動きを止める。
ヴァーリア監獄から、魔法防御が完全に失われた。
すぐに誰もが気付くだろう。
奈落となれば尚更だ。
唯一竜を拘束している鎖は、たった一本の蜘蛛の糸より簡単に引きちぎれるのだから――。
***
雲一つない晴天。
陽気な昼下がりに、看守は大きくあくびをして目をこすった。
「今日も平和だな」
「あぁ、俺たちにとってここは最高の職場だ」
「他の監獄じゃあ、命懸けの仕事だもんな」
「魔力の無い囚人なんて、少し生意気な子供みたいなもんだ」
「ハハ、違いない」
物見台から監獄の外周を見張る看守たちの、なんてことの無い日常の会話。
滅多に敵襲などないため、彼らは暇を極めていた。
だが、中には忙しなく動き続ける者たちもいる。
複数の掛け声や、釘を打ち付ける音が、監獄の中庭から響き渡る。
看守たちが、死刑執行に向けて断頭台と立会人のための座席を用意している。
ヴァーリア監獄で、正式な処刑が実施されることはほとんどない。
必要になる都度、こうやって設備を用意するのだ。
ユレナのような高い地位にあった者には、関係者の立ち合いの下に処刑が行われる。
元貴族令嬢だけあって、用意された座席は三段にも及び、断頭台を半円で囲むように設置されている。
「まったく……、なんでどいつもこいつも悪事を働くのかねぇ。お天道様が見てるっていうのに」
中庭の作業を尻目に、一人の看守が稜線を視線でなぞる。
聳え立つ急峻を見上げた時、火山の頂から太陽の光が差し込んだ。
瞬間、それは噴火した――かのように見えた。
火口から噴き上げた炎は、雲まで届く。
それは、唯一竜バルバラの炎だった。
強引に広げられた翼が、火口の入口部分の岩石を砕き、隕石のように周囲に降り注ぐ。
「脱獄だあああ! 全員配置につけえええ!」
警鐘と怒号が鳴り響く。
飛び立ったバルバラは、ヴァーリア監獄の周囲を旋回する。
そして狙いを定めて、監房棟の真隣に降り立つ。
「誰も踏んづけてないよな!?」
「さぁな。言われた通り、気を付けはしたぞ」
バルバラの頭の上で、牧緒は叫んだ。
ぐったりとした魔女を背負い、身を屈めるユレナを片手で支える。
「ももも、もう少しゆっくり、慎重に飛んでください……、おお、落ちてしまいます!」
ユレナは顔を青くしながら懇願した。
「大丈夫。落ちたら翼で受け止めてくれるから!」
「自己責任だ」
「あ、あれ?」
牧緒の他力本願な励ましを、バルバラは一蹴した。
「放てえええ!」
外壁の上に並んだバリスタが、一斉に鉄の杭を放つ。
全ての弾に埋め込まれた魔石は、爆破の魔法を成す。
バルバラは片翼で半身を覆った。
――ドゴゥオオン、ドドドドドオオオオ。
熱と黒煙が轟音を奏でる。
「次弾装填!」
黒煙が風に流され、向こう側が露わになる頃、再びそれは放たれる。
大地を揺らす程の爆風が、全て跳ね返される。
バルバラが、片翼を一度だけ羽ばたかせたのだ。
「ぐあああああああ!」
「ぎゃああああ!」
看守たちの悲鳴に、バリスタが砕けて吹き飛ぶ音が混じる。
バルバラには、火傷も刺し傷も無い。
魔力を使えずとも、唯一竜の鱗は強靭であった。
「無事な者は、光弾を放て!」
短い警棒を振り、光の魔法をバルバラへ向ける。
諦めない小さな看守たちに痺れを切らし、バルバラは火を噴いた。
「恐れるな、これは魔法ではない! 魔石の魔力で身体を守れ! そうすれば熱さすら感じない!」
看守長が冷静に、それでいて声高に叫んだ。
だが、体に燃え移った火をかき消そうと、叫びながら地面を転がる者たちが後を絶えない。
これはあくまで混乱を招き、時間を稼ぐためだけの攻撃。
“聖域”を出るまでは、魔法の炎は使えない。
「あ、頭をっ、頭を動かさないで!」
火を噴くために振った頭が、ユレナの恐怖心を煽ってしまう。
「すまない。だが、さっさとしないと勇者がくるぞ」
バルバラは、頭を元の位置に戻して言った。
「もうすぐ、もうすぐのはずなんだ……」
牧緒は待ち続ける。
監房棟のどこからか顔を出すはずの二人を。
「……ひか、り?」
その時、太陽の光を浴びた魔女が、徐々に意識を覚醒させていく。
よろよろと牧緒の背を押しのけて、バルバラの頭皮にへたり込む。
伸びきった髪はくすみ、腕は枯れ枝のように細い。
身に纏っていたドレスも、軽く触れるだけでホロホロと崩れるほど劣化していた。
その瞳に空を映せる喜びよりも、醜く弱った自身の肉体を目にした悲しみの方が大きい。
そんな万感をかき乱す者が、魔女の視線を奪う。
「今夜は、星空も見られるな」
牧緒は魔女の肩にそっと触れて、夜空を想像させる。
「……本当に、やり遂げたのだな」
魔女は今になって、脱獄を実感した――。
一方で、看守長は圧巻の現状を客観的に分析する。
「唯一竜は、何故飛び立たない……?」
彼らは、唯一竜の頭の上に、他の囚人がいることに気が付いていない。
見上げる角度からでは、それを目視できていなかった。
だが、何者かを乗せるための待機であると判断できる。
「監房棟へ走れ! 逃げる囚人は無視しろ! 棟を登るんだ!」
唯一竜が体を寄せる監房棟。
そこから、囚人が唯一竜へ飛び移る。
そう考えた看守長は、部下に指示を出した。
看守たちは、すれ違う囚人たちに目もくれず、指示通り監房棟を駆け上がろうとする。
「こ、これは……」
天井に開いた大穴。
強引に砕かれた石は、ほとんど下に落ちていない。
「突き上げられたのか……急ぐぞ!」
奔走する看守たちと異なり、階段も使わず、真っすぐ最速で上を目指す囚人たちがいた。
「うにゃあ!」
ニャプチは、驚異的な跳躍で天井に頭をぶつけ、そのまま砕く。
「次はオルガノにゃ!」
「わざわざ交互にやる必要はない。貴様は大人しくついてこい!」
オルガノはニャプチが開けた穴をよじ登り、巨躯をありのままに振るって、天井を拳で破壊する。
「にゃにゃ、ダメダメ! 次はボクの番にゃ!」
餅つきのように互いが順番に、垂直に上昇し続ける。
そして、それは遂に実る。
「にゃにゃにゃーん!」
間抜けな声が、空に響いた。
監房棟の天井を突き破って、ニャプチが空中へ飛び出す。
そして、クルクルと回転しながら屋上に着地した。
開いた穴から、オルガノも顔を出す。
「……ユレナ」
オルガノは呟く。
救い出された娘を見つめ、目頭を熱くした。
それに気付かれないよう、すぐに顔を逸らす。
「さぁ、乗れ!」
牧緒は手を伸ばした。
それに合わせて、バルバラは頭の位置を微調整する。
「お前たちは、背に掴っていろ」
そう言って、バルバラは顔を上げた。
全員、首を滑り台のように滑り落ちる。
「きゃああああ!」
ユレナの悲鳴が耳を劈いた。
オルガノはユレナを持ち上げ、立ったまま杖でバランスを取りながら滑る。
ニャプチは転がりながら「にゃはは」と笑う。
牧緒は、一番弱っている魔女を抱きかかえて滑った。
「大丈夫か?」
「……あぁ」
魔女は顔を背けて、素っ気なく答える。
「飛ぶぞ!」
バルバラが翼を持ちあげようとした刹那。
破壊された監房棟の壁から、弓を構えた看守が覗く。
「危ない――!」
牧緒は叫んだ。
放たれた無数の矢は、的確に全員を捉える。
「うにゃーん!」
ニャプチは片足を弧を描くように振って、全ての矢を弾く。
同じように、オルガノはユレナを巨躯の陰に隠して、杖で弾いた。
だが牧緒には、矢の速度に反応できるほどの実力はない。
「ぐあっ……」
魔女の盾になった牧緒は、右肩と左の鎖骨に矢を受けた。
そして、脳裏に浮かぶバリスタの爆破弾。
咄嗟に、二本の矢を両手で抜く。
チリッ、という静電気が走ったような音と共に、鏃は爆発した。
「にゃにゃ!?」
「マキオ様!」
ニャプチとユレナが、真っ先に反応する。
爆発の威力は小規模。しかし、人体を破壊するには十分な威力であった。
「ゴホッ、あ、があ……」
牧緒は、口から大量の血を吐き出す。
僅かに間に合わず、最悪にも鏃が体内に差し掛かったタイミングで魔法は発動した。
だが、瀕死の牧緒に対し、背後の魔女に怪我はなかった。
牧緒の体にぽっかりと開いた二つの穴。
右肩に至っては、腕が落ちてしまいそうなほど抉れている。
「……マキオ」
魔女が、無力に囁く。
「飛べ! 唯一竜!」
牧緒に構わず、オルガノが叫ぶ。
「言われずとも!」
バルバラは翼を羽ばたかせ、空を目指した。
――この間、約7分。
勇者の足止めを諦め、戦うことを前提にした牧緒にとっては、この時間は概ね満足のいくものだった。
同時に牧緒は、理解している。
国家魔術師の治癒魔法であっても、失った血肉を補完することはできないと。
同時に牧緒は、空想する。
もしも命を落とせば、家族の下へ戻れるのではないかと。
同時に牧緒は、願っている。
これはただの長い悪夢で、次に目を覚ました時には、見慣れた天井が迎えてくれると。
***
看守たちは、皆ヴァーリアの空を見上げて、小さくなっていく唯一竜を眺めるしかなかった。
魔法を以ってしても、唯一竜に傷一つ付けられなかった事実に、≪終末級≫の恐ろしさを垣間見る。
騒ぎの直後、看守たちは魔法防御が効果を失った原因を特定した。
制御室の装置は破壊されており、即座の復旧は叶わない。
魔法は使えずとも、囚人たちは数で勝る。
ニャプチほどでないにしても、力の強い獣人も多い。
更に、奈落にはあと一人の≪終末級≫が残されている。
加えて、16人の≪亡国級≫と、21人の≪壊滅級≫の囚人たちも、いずれ奈落から這い出てくるだろう。
看守たちだけでは、勝ち目はない。
そんな、監獄を支配する狂乱の渦を塞き止めるように、次元の裂け目が出現した。
そこから姿を現した一人の男を見て、看守たちは歓声を上げる。
「あぁ……、あぁ! 勇者様! 勇者様がきてくれたぞ!」
その男は歴代最強にして、現代の勇者――レトロ・ウォーハート。
「酷い有様だね。脱獄した≪終末級≫の囚人はいる?」
レトロは辺りを見回し、最も近くにいた看守に問う。
「は、はい! 脱獄した≪終末級≫の囚人は4名! 唯一竜、魔女、暗黒騎士、そして例の令嬢が……」
看守たちは、ユレナの中に魔王の魂が存在していることを知らない。
しかし、彼女もまた≪終末級≫の囚人であることは伝えられている。
「暗黒騎士? あぁ、彼は逃げないさ」
「え? あ、そ、そうでしたか。てっきり脱獄したものだと……」
「まぁいいや。魔法防御の復旧はいつ頃になりそうかな?」
「わ、分かりません。制御室に侵入され、出力が停止された上に操作盤が破壊されておりまして……」
「そっか……うん、ここの対処は君たちと彼らに任せるよ」
未だ閉じない次元の裂け目から、次々と屈強な戦士たちが姿を現す。
「僕は≪終末級≫の対処に当たるとしよう」
レトロが右手にはめた指輪の一つが光る。
「召喚獣――ローラ・ペガサス」
小さな肉の塊が空中に現れ、それは蠢きながら徐々に大きくなる。
骨や皮膚が生成され、やがて白い鬣と翼が風に靡く。
それは空を駆ける天馬。
魔法により、人間に飼われる魔物。
「ここでは魔石の魔力しか使えないからね。この子に乗って行くのが一番早い」
レトロは、天馬の首を優しく撫でながらぼやいた。
「ゆ、勇者様……、早くしないと囚人たちが……」
全く焦る様子の無いレトロへ、一人の看守が苦言を呈した。
「ははは、心配はいらないよ。僕が責任をもって殺すから」
周囲の不安を、レトロは嘲笑った。
そして天馬へ跨り、螺旋を描きながら空へ舞い上がる。
あっという間に、火山よりも高く飛んだ。
「西か」
常人を超越した視力は、遥か遠くに唯一竜の姿を見た。
レトロは手綱をミシミシと引き延ばしながら、肩を震わせる。
彼は高揚していた。
その強さと立場故に、死力を尽くして力を振るう機会に、あまり恵まれない。
だが、≪終末級≫の脱獄は、大義名分の下に剣を抜く状況に相応しい。
「感謝するよ。平和な世界は、僕には退屈すぎる」
レトロは、西へ天馬を走らせた。




