11話 【魔王】
人間、それは最も脆弱で、高い繁殖力を持つ種。
妖精、それはエルフやドワーフなどといった、特殊な技術と能力を持った長寿の種。
亜人、それは今では獣人を指す言葉でしかなくなった。
かつて亜人の一種として存在していた魔人。
二種以上の動物の要素を併せ持つ獣人と違い、彼らは魔物の要素を併せ持つ。
人間や妖精とは、到底相容れぬ種族であった。
他種族との争いも絶えず、繁殖力が極端に低かったために魔人は数を減らし続けた。
だが、そんな魔人の中に希望の子が生まれた。
妖精に匹敵する生命力を持ち、魔物と言葉を交わすことのできる神童。
ロキアズルと名付けられたその子は、伸縮自在の尾と鋭い爪、そして黒く煌々とした双角と、禍々しい双翼を備えていた。
それが後の魔王である。
成長したロキアズルは、より多くの土地を占領する人間に白羽の矢を立てた。
そして、人間を根絶すると宣戦布告した。
そして作物の育たぬ枯れた土地を中心に、魔界という領域を宣言し、魔人の勢力を広げていった。
幾千の戦士を葬り、幾多の国を滅ぼしてきたロキアズルは、いずれ≪終末級≫に区分されることとなる。
≪終末級≫の者たちは、強さ故の矜持か、はたまた他の≪終末級≫を警戒してか、一線を超えることはない。
人間が蟻を恐れ、根絶しようとは考えないのと同じこと。
しかし、ロキアズルだけは違った。
魔物と魔人の軍勢を率いて、明確に人間を……延いては全種族に敵意を向けた。
ロキアズルが何を求めていたのか、それを知る者はいない。
しかし彼は、勇者と相対した時に初めて笑顔を見せた。
強者と戦うこと自体が、彼の生きる目的だったのかもしれない。
世界中の皆が知る通り、ロキアズルは勇者を殺し、勇者はロキアズルを殺した。
唯一竜すら傷つけた魔剣グラムを以って、勇者は勝利した。
あらゆる生命を死滅させる氷結の魔法を以って、ロキアズルは勝利した。
人類は英雄の命を以って、平和を手に入れた。
ここまでが、史実として残されている記録。
だが、ロキアズルの生涯には続きがあった。
原型魔法【転生】。
それがロキアズル本人すら知り得ない魂の形。
原型魔法とは、己の魂という型に魔力を注ぎ込み、成形することで発現する魔法。
魂の形は千差万別。
物体でないが故にその形を目視できず、再現不能と謳われる魔法。
本人にしか行使できない、唯一無二の魔法と言っても過言ではない。
第六感のような力が働くか、精神的に卓越した者でなければ、魂の形を捉えることはできない。
ロキアズルの場合は、自身の死に触発されて、無意識に原型魔法が発現した。
それが偶然、死の先を見据えた魔法であったのだ。
ロキアズルが転生したのは、死後数百年経過した時代の幼い少女。
その少女こそが、貴族令嬢ユレナ・フォス・マルジルクである。
転生は彼女の体を乗っ取る形で行われた。
幸いにも魂は上書きされず、同居することとなる――。
***
色とりどりの花が咲く庭園で、幼いユレナは使用人とままごとを嗜んでいた。
「今日はわたくしが女王様で、テリカは大きな国のお客さん!」
ユレナは「ようこそ、いらっしゃいました」と、空のティーカップを使用人に差し出す。
「ありがとうございます、女王様」
「フフフ、ケーキもあるわ。あなたのお名前は?」
「私は……、レイジリア・リヴ・ウェンティークと申します」
使用人は、大げさな名前を即興で考えて名乗った。
女王に謁見するのに相応しい、貴族らしい名前。
「女王様、どうなさいましたか? ……ユレナ様⁉」
ユレナは白目を剥いて直立していた。
今の今まで不調の兆候もなかったユレナの変化に、使用人は慌てふためく。
途端、陽炎の様にユレナの姿が歪み、変貌していく。
少女の肉体はそのままに、尾が生え爪が変形し、巨大な角と翼が影を作る。
「……誰だ、お前は? 勇者はどこへ行った? この体はなんだ?」
「ひっ……ユ、ユレナ様……こんな……」
突如としてユレナの肉体を支配したロキアズルは、現状に困惑する。
それ以上に、使用人は腰を抜かして、恐怖に歪んだ表情で困惑した。
ロキアズルは飛び上がり、上空から様子を窺う。
彼の最後の記憶は、鬼気迫る勇者の顔。
だが、その姿は見えない。
それどころか、何と気の抜ける風景か。
戦場の空気をまるで感じない。
ロキアズルは近くの建造物に手をかざし、呪文を唱える。
「決壊の動――」
しかし何も起こらない。
それは、肌に刻み込んだ魔法陣を型とする魔法。
ロキアズルが目覚めたことでユレナの体は変化した。
しかし、その肌にかつての魔法陣が浮かび上がることはなかった。
「仕方ない……消滅の静――」
ロキアズルの角は、それ自体が魔法具と同じ役割を果たす。
角は元々ユレナが持ち得ない物。
それが当時のまま顕現したのだとすれば、魔法は行使できる。
紫色に光る紋様が右の角を彩り、予想通り魔法は発現した。
その魔法は、ユレナの屋敷の半分を跡形もなく消滅させる。
「む、照準が狂ったか……」
ロキアズルは屋敷の全てを消し去るつもりでいた。
慣れない体で、当て損じたものと彼は考えたが、そうではない。
体を乗っ取られたユレナに意識はないが、意思はあった。
誰の命も奪わない……そのユレナの意思に、ロキアズルは無意識に従っていたのだ。
事実、消滅した部分には人はおらず、死者も怪我人も無かった。
そのことにロキアズルは気付かない。
だが、違和感は感じていた。
それを払拭するために、彼は真下で腰を抜かした使用人に向けて、魔法を放つ。
「剔抉の動――」
轟音と共に、庭園には大穴が開いた。
しかし、肝心の使用人は生きている。
今回も照準がずれて、思った場所とは別の場所に魔法を放つ結果となった。
「ふむ……、この体の魂が邪魔をしているのか」
ここでようやく、ロキアズルは理解した。
厄介ではあるが、いずれユレナの魂は完全な眠りにつき、二度と表層に上がってくることはないだろう。
と、ロキアズルは考えていた。
「ふはははは! どれほどの時が過ぎたのかは知らぬが、どの時代にも強者はいる。そいつの面を歪ませるのが、今から楽しみだ!」
復活した魔王は高らかに笑い、再び人間を絶望の淵に追いやる算段を立て始める。
まずは世界の様子を窺おう……そう考えたが、何故か体が動かない。
浮力を生む翼がない。
指先は少女らしい華奢な姿を取り戻し、尾の感覚もなく、頭も軽い。
「え? 空?」
いつの間にかユレナの魂は目覚めていた。
体を支配されていた間の記憶はない。
自身が垂直落下している理由も分からない。
魔王の強靭さが僅かでも残っていたのか、地面に叩きつけられたユレナは軽い打撲程度で済んだ。
この事件を目撃した者は固く口止めされ、世間に知れ渡ることはなかった。
これが一度目の魔王の顕現。
何事もなかったかのように、ユレナは成長して八歳になる頃に実父の存在を知る。
それは母親が大切に保管していた、一枚の手紙を見つけてしまったことに起因する。
オルガノがユレナの母に宛てた別れの手紙は、ユレナとオルガノの関係を明確にするほどの内容だった。
手紙からは、名前を含めて実父の素性はほとんど分からない。
実父が裏社会を生きる人間であることは、辛うじて読み取れた。
手紙を読んだ日から、ユレナの周囲に対する態度は徐々に変化していく。
傲慢に振る舞い、身勝手に行動する。
最初は、マルジルク家のお転婆娘程度の認識のされ方だった。
歳を重ねるごとに態度は酷さを増して、誰からも恨まれるようになる。
それもこれも、まだ見ぬ実父へのアピール。
これほど悪い娘なら、悪人たちの界隈にも噂が流れるかもしれない。
これほど悪い娘なら、気を遣わずに会ってくれるかもしれない。
ユレナは罪に問われない程度に、悪役を演じ続けた。
そして、ユレナは最後の仕上げに入る。
子供の頃から決まっていた王子との婚約。それを台無しにする計画だ。
王族との亀裂は世界的な話題となるだろう。
問題はユレナから婚約破棄を申し出られないこと。
悪評を広めるどころか、監獄に入れられてもおかしくない。
では、どうやって王子に婚約破棄を口にさせるか。
ユレナはある庶民の女性に目を付けた。
ユレナは変装して素性を隠し、王子の使用人であると偽って、その女性に近づいた。
王子との成婚後に報酬をもらう契約で、王子との愛のキューピッドになると提案した。
「王子はお忍びで、城下町を散策するのが楽しみなんです。その日が分かれば、テレーア様にお伝えします」
「ありがとうメロナさん。きっと人生を逆転してみせるわ!」
庶民の女性はテレーアと名乗り、ユレナはメロナと名乗った。
互いは秘密裏にやり取りを続け、テレーアは見事に王子の心を掴んだ。
そしてある日の社交パーティー。
王子は新しい恋人を招待し、その場でユレナとの婚約破棄を申し出た。
こんな公の場で宣言したのは、きっと恋に溺れて正常な判断ができていなかったからに違いない。
だが、噂を広めたいユレナにとっては好都合だった。
「――私は、このララ・イリエラと婚約する……!」
王子はララという令嬢の肩を抱き、高らかに知らしめた。
「……ララ?」
聞いたことのない名前に、ユレナは指先を揺らした。
婚約破棄の契約は、言うなれば裏取引。
ララは念のため本名を隠し、テレーアと名乗っていたのだ。
だから何だ。どうだっていい。全て思惑通りなのだから。
想定外であったのは、再び魔王が顕現したこと――。
***
気が付くと城は全壊し、まるで戦場跡のよう。
周囲に人影はなく、ユレナ一人が更地のど真ん中に立っていた。
この時も、ユレナには記憶がなかった。
その後、母親から死者が出なかったことを聞かされた。
そして、五歳の頃にも同じような現象があったことを教えられる。
数多くの魔法使いが、原因究明にあたった。
そして、何らかの魔法によって、ユレナの中に魔王の魂が宿ったと結論付ける。
いつ、どのようにして魔王が顕現するのかは、分からない。
最悪の結末を避けるため、ユレナはヴァーリア監獄に収監された。
そこでなら魔力は封印され、仮に魔王が目覚めても被害は出ない。
ユレナは素直にその処置に従った。
優秀な魔法使いたちが、魔王の魂を排除してくれるまでの辛抱だと信じて。
しかしその裏で、この事件は王子に対する殺人未遂であると判決された。
ユレナは、ヴァーリア監獄で死刑が決まったことを聞かされる――。




