1話 計画
――ヴァーリア監獄。
そこは、世界中から大小問わぬ犯罪者を収監し、”餌”とする。
冷たい石の監房で、鉢木 牧緒は画策する。
石灰石で壁に描いたプランは、日本語で刻まれていた。
獣人、巨人、竜、魔女、令嬢の文字。
加えて書き込まれた小さな文字は、ほとんど掠れている。
この世界の者は、誰もその内容を読み取ることはできない。
『――貴様の罪は何だ?』
錆びのようにザラついた悲憤の声が、頭の中でリフレインする。
牧緒の黒く濁った瞳の奥には、燐光のように燃える決意が灯っていた。
「俺は……、まだ死ねない」
壁に向かって、己を奮い立たせる。
石塊の隙間からにゅるりと現れたミミズを掴み、口へ運ぶ。
食事も満足に与えられない監獄では、貴重なタンパク源だ。
「また落書きかい? ま、こんな地獄じゃ、やることも無いか」
同房の男が、小さく咳をしながら言った。
泥から水分が抜けきったように干からびた手足。
ここに長く居すぎた者の成れの果ての姿だ。
「やることはあるさ……」
そう言って、牧緒は拳を壁に叩きつけた。
「かかか、復讐か? 無駄だ無駄だ。ここで果てる運命は変えられんよ」
男が力なく嘲笑った。
その時だ――。
『逢魔時、逢魔時。全員、リーパーを駆除せよ』
魔法によって拡声された無機質な指示が、監獄中に響く。
同時に、ガチャリと鉄格子が一斉に開錠された。
逢魔時――時折、地下鉱山から魔物が這い出てくる現象を、ヴァーリア監獄ではそう呼んでいる。
看守たちが、それに対処することは決してない。
囚人たちは、”餌”に過ぎないのだから。
「ひぃぃ、またかよ! 命が何個あっても足りやしねぇ!」
男が部屋の隅で頭を抱えた。
対照的に、牧緒は静かに闘志を燃やす。
「来たか……!」
投獄されてから2ヶ月。
監獄の仕組みや看守の動き、魔物の習性に至るまで、全てを観察して頭に叩き込んできた。
今こそ――計画の第一段階へ進む時。
「よう、人間」
牧緒が房から出るや否や、蜥蜴人が絡んでくる。
「何やら、ゴキブリみてぇに色々と嗅ぎまわってるらしいじゃねーか」
「迷惑はかけてないだろ?」
巨大な人外に対して、臆することなく言い返した。
「囚人たちにもなぁ、掟ってのがあるんだよ」
「そっか、悪かった。次から気を付けるよ」
牧緒は素っ気なく言って、背を向ける。
「ハハハ、生意気な野郎だ!」
蜥蜴人は右手の爪を立てて、襲いかかる。
牧緒は瞬時に体を翻し、肘で相手の手首を殴打した。
同時に、隠し持っていた鋭利な石で脇腹を突き刺す。
「バーカ、俺にそんなもんが効くかよ」
蜥蜴人の硬い鱗を貫くことはできなかった。
伸びた尾が、牧緒の首に絡みつき、僅かに体を浮かす。
顔を赤く染めながらも、牧緒は敵意の眼差しを向け続ける。
「あがっ! ぐ……あ、あぁ……」
牧緒の膝が、股の間を蹴り上げた。
尾は緩み、解放される。
「けほっ、弱点がデカいと大変だな」
うずくまる蜥蜴人を尻目に、その場を去ろうとする。
その前に、複数の男たちが立ち塞がる。
「てめぇ、無事でいられると思ってんのか?」
多勢に無勢。
だが、牧緒に焦りはなかった。
「そんなことしてる場合じゃ、なさそうだけど」
牧緒が指を差した先から、肉が波打つ不快な音と、複数の鳴き声が迫ってくる。
「ギラアアアアアアア!」
現れたのは牛ほどの巨躯を持つ、白い芋虫に似た魔物――通称、リーパー。
無数のカギヅメと、幾重にも重なった牙が、目の前の囚人の頭を砕く。
「ぎゃあああ! 助けっ……」
それは咀嚼されながら、鮮血を噴き上げる。
「に、逃げろぉ!」
「馬鹿! 戦えお前ら!」
混乱の最中、牧緒は食事中のリーパーへ背中を押し当て、その場をやり過ごした。
頭を噛み砕かれた囚人の服を破って奪う。
それを、滴る血液に浸けた。
布が真っ赤に染まると、牧緒はリーパーが迫る方向へ走る。
跳びかかってくるリーパーに対して、赤い布を揺らし、それを右へ払う。
釣られて、リーパーは右へ反れた。
それを左右に振り回しながら、リーパーがそちらに気を取られた一瞬の隙に、死角へ滑り込む。
(リーパーは血の臭いに敏感に反応する。予想通り、上手くいきそうだ!)
牧緒は五月雨式に向かってくるリーパーたちを、次々と翻弄した。
少しでもタイミングを違えれば、死に直結する。
それでも牧緒は、躊躇するわけにはいかなかった。
逢魔時は、他の監房への往来が自由になる。
これは、とある重要人物に接触するための、絶好の機会であった。
「あっ……」
赤い布は遂に牙に捉えられ、ビリビリに裂かれた。
眼前には無数のリーパーが折り重なり、肉の壁を形成している。
牧緒は即座に、端に倒れた死体を持ち上げた。
「結局最後は、捨て身の特攻か……!」
死体を盾にして、そのまま火花を散らすカギヅメへ目掛けて突進した――。
阿鼻叫喚の廊下の先。
そこだけが、台風の目のように静寂に包まれている。
人を食らうリーパーですら、本能的な恐怖で近寄ろうとしない場所。
「よぉ。あんたがニャプチだな?」
全身血だらけの牧緒は、鉄格子に肘をついて、房の主人に声を掛ける。
そこには、舌を出して退屈そうに寝そべっている獣人がいた。
「んにゃ、何にゃお前、死にそうにゃ?」
ふさふさの耳と尻尾。
風貌だけなら、人間に近い狼人。
だが、何故か猫を思わせる、わざとらしい語尾を話す。
「大丈夫だ。ほとんど俺の血じゃない」
その血は、盾にした死体のものだった。
「俺は牧緒。一般房で一番強いあんたに、美味しい話を持ってきた」
「美味しい……? 甘い物かなにゃ!?」
この地獄には似つかわしくない、子供じみた反応。
その純情な衝動は、全てを無邪気に破壊し、無鉄砲な恐怖を放つ。
それは、好奇心の獣。
「まずは手土産として――」
懐から取り出した干し肉は、言い切る前に一瞬にして形を消した。
「んむぐ、むぐむぐ。うまいにゃぁ」
「……その食い意地、期待通りだよ」
涎を散らしながら、恍惚に瞳を潤ませるニャプチを見て、牧緒は確信する。
「もっと美味い物を、いくらでも食わせてやるよ」
「にゃ!? 嘘つき! そんなもの、ここにあるわけないにゃ!」
「ここから出たら、何だって奢ってやる」
ピクリと、獣の耳が動く。
「にゃはは、マキオはお馬鹿だにゃ。魔法防御は、ぜぇぇったいに壊せないにゃ」
「ああ、知ってるよ。魔法には、魔力を込めた何かでしか対抗できない」
ヴァーリア監獄では、魔法は使えない。
大地に根付くメリアナ火山が、あらゆる生命から魔力を吸い上げてしまうからだ。
教会から”聖域”と認定されたこの土地で、唯一魔法を行使する方法は、魔石から魔力を捻出すること。
「でも、壊せる場所もある」
牧緒の話を遮るように、再び囚人への指示が飛ぶ。
『リーパーは退いた。直ちに地下鉱山へ向かえ』
最もリーパーの巣に近い地下鉱山。
非道にも、そこで刑務作業にあたれという命令だ。
「実際に見ながら説明した方が早い」
牧緒は一度手招きして、房を出る。
「ホントに出られるにゃ? もし嘘だったら……」
「分かってるさ」
ぞろぞろと移動する囚人の波の中に、ぽっかりと穴が開く。
皆、ニャプチの存在を忌諱しているのだ。
魔力を生成できないのであれば、純粋な生物としての強さだけが物を言う。
この現状は、ニャプチのずば抜けた強さを物語っていた。
監房棟を下ると、中央に広い看守部屋が現れる。
中では、チェスで遊んだり、豪華な食事を楽しむ看守たちの姿があった。
敢えて真横を歩かされ、囚人たちは恨めしそうにその様子を睨みつける。
「止まるなよぉ! さっさと歩け!」
警棒を手の平で叩きながら、看守が叫ぶ。
その警棒は魔法具。
柄には魔石が埋め込まれ、鈍い緑の光を放っている。
「さぁ、下りろ!」
囚人たちは地下へ誘導される。
階段を少し下ると、広い踊り場に出た。
正面の壁は、まるで岩盤が崩れたように雑然としている。
それを背にして、三人の看守が囚人たちを横へ流す。
「あっちだ、進め!」
牧緒は、理不尽に警棒で背中を殴打される。
抵抗することも、やり返すことも許されない。
看守に立てつけば、即座に”餌”とされるのだから。
そこからは、長い螺旋階段が続く。
「ふにゃあぁ……」
ニャプチが退屈して背伸びした頃、ようやく風景が変わった。
蟻の巣の如く掘り下げられた、巨大な地下鉱山が広がっている。
僅かな硫黄の臭いと、蒸し暑さが立ち込めて息苦しい。
天井では、魔石の魔力を動力にした、巨大なファンが回転している。
しかし、それだけでは酸素の供給が不十分なようだ。
「おらっ、受け取れ」
看守が荒っぽく、ツルハシと革袋を投げつける。
牧緒はそれを受け取って、ポツポツと灯る松明に沿って、更に下った。
「よし、ここまでくれば大丈夫だな」
牧緒はツルハシを杖にして、体重を乗せた。
深く潜れば、看守の目はない。
粉塵爆発や、漏れ出した天然ガスが引火して、大惨事になることもしばしば。
その上、リーパーが這い出てくることもある。
看守は囚人に適当な採掘ノルマだけを課し、それ以外は関与しない。
「で、どうやって脱獄するにゃ?」
「もちろん、穴を掘るのさ」
牧緒はツルハシを振り上げて、岩の端を砕いて見せた。
「さてはボクのこと、お馬鹿だと思ってるにゃ?」
ニャプチは片手でツルハシを振り回しながら、呆れたように溜息をついた。
「そんなので外に出られるなら、みんなやってるにゃ」
地上まで掘り進めようにも、酸欠か生き埋め、またはリーパーに殺される。
安全に掘り進められたとして、地上にも魔法防御が施されていれば、肝心の外には出られない。
「地上まで掘る必要はないんだ。掘るのは、そうだな……地下1階までだ」
「それってどこにゃ?」
「鉱山に辿り着くまでに、長い階段があっただろ? あそこさ」
「そこまで掘ったからって、何になるのにゃ?」
「そこには、魔法防御を解除するための……制御装置がある!」
――牧緒はずっと考えていた。
監獄全体に魔法防御を施し続ける大量の魔力は、どこからくるのか。
それは当然、魔石以外にない。
では、その大量の魔石はどこにあるのか。
「地下だ」
そして、魔石から吸い上げる魔力量の調整は、何が行っているのか。
メンテナンスにおける停止、起動などの操作も必要になるはずだ。
それは、牧緒の世界――機械工学の進歩した現代であれば、当然の発想かもしれない。
「地下1階には、岩盤が崩れた場所があったよな?」
「そうだったかにゃ?」
「その向こう側こそが、制御室だ」
牧緒には、その推理を裏付ける根拠があった。
「昔のヴァーリア監獄には、鉱山は無かったんだ」
ある時から、囚人を労働力とし、魔石の発掘をさせ始めた。
それにより、監獄の一部で大きな改修が発生する。
「元々は、地下1階が看守部屋だったんだ」
囚人たちを魔法防御の内側に閉じ込め、看守はその外側で待機する。
その形こそが元来の在り方。
「魔法防御は、一朝一夕では張り直せない。国家魔術師が、3代かけて施すようなものだ。きっと、ここの管理者はその手間をケチったんだろうな」
故に、地下1階には魔法防御は存在しない。
「俺たちが目指すのは、その制御室だ」
これが、壁を越えるための計画。
「何でマキオがそんなこと知ってるんだにゃ……?」
「ちょっと訳ありでね。この監獄のことには詳しいのさ」
牧緒は、脳裏によぎった過去を振り払うように、無心でツルハシを振った。
「で、どうするにゃ? ボクたちは下に掘り進めるだけ。制御室に行くには、結局上に掘らなきゃダメにゃ」
「大丈夫、考えがある。乗るか?」
「にゃはは、ちょっとだけ面白くなってきたにゃ」
こうして、異世界の脱獄計画は走りだす。




