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第6話 神々の企画書

 介入者が去ってから二十四時間が経過しようとしていた。

 それは、日本の近代政治史において、最も長く、そして最も濃密な一日だったと言えるだろう。

 的場俊介は、その大半を、不眠不休で駆けずり回って過ごした。

 総理命令という伝家の宝刀を手に、彼は霞が関の厚い壁を、ブルドーザーのような勢いで突き崩していった。各省庁の縦割り意識、面倒な手続き、政治的な駆け引き。平時であれば、一つの組織を立ち上げるのに数ヶ月はかかるであろうプロセスを、彼はわずか半日で完了させたのだ。

 『対地球外知的生命体コンタクト及び交渉に関する特命対策室』、通称『CISTキスト』。

 首相官邸の地下深く、かつては用途不明の倉庫として使われていた広大な空間が、CISTの本部として急遽あてがわれた。外部とは物理的にも電子的にも完全に遮断され、入り口は複数の生体認証で固く閉ざされている。日本の、いや、地球の運命は、今からこの秘密基地で決められていく。

 そして、CISTの頭脳となるべきメンバーたちが、日本の全国各地から、半ば拉致されるようにして集められてきた。

 ノーベル賞に最も近いと噂される素粒子物理学の権威。次世代スパコンの開発をリードする天才数学者。ステルス戦闘機の素材を開発した材料工学の第一人者。深層学習の分野で世界的な功績を上げたAI研究者。彼らは皆、ある日突然、政府の黒塗りの車に乗せられ、「これは訓練ではない。君の知性が、国家の存亡に必要だ」という、映画のようなセリフと共に、この地下基地へと連れてこられたのだ。

 会議の開始時刻が迫る中、的場は、集められた十数名の日本最高の頭脳たちを前に、ブリーフィングを開始した。

「――諸君。これから、信じられない話をしなければならない」

 彼の言葉は、静かだが、有無を言わせぬ重みがあった。

「単刀直入に言おう。昨日、日本政府は、地球外知的生命体と、公式に接触した」

 案の定、室内に、どっと失笑と困惑の混じったざわめきが広がった。無理もない。ここにいるのは、誰よりも科学的合理性を信奉する人間たちだ。宇宙人の話など、一笑に付すのが当然の反応だった。

 だが、的場は、冷静に続けた。

「気持ちは分かる。だが、これは現実だ。そして、その証拠が、これだ」

 彼が手元のスイッチを押すと、会議室の奥の壁がスライドし、ガラス張りの厳重な保管室が現れた。

 そして、その中央に、音もなく浮遊する、銀色のドローンが姿を現した。

 ざわめきが、ピタリと止んだ。

 科学者たちの目が、ガラスの向こうの、ありえない物体に釘付けになる。彼らは、その道のプロフェッショナルだ。一目見ただけで、あの物体が、地球上のいかなるテクノロジーをもってしても製造不可能であることを、瞬時に理解した。

 推進装置なくして静止する、反重力技術。

 継ぎ目一つない、完璧な一体成型の金属ボディ。

 そして、彼らの知る物理法則を嘲笑うかのような、その圧倒的な存在感。

 もはや、誰も的場の言葉を疑う者はいなかった。

「彼は、自らを『介入者メディエーター』と名乗った。そして、我々に一日という猶予を与え、公式な窓口を設置するよう要求してきた。我々CISTが、その窓口となる。そして、本日、今から、その介入者との、記念すべき初回会議が開催される」

 的場は、固唾を飲んで自分を見つめる科学者たちを、一人一人、ゆっくりと見回した。

「諸君、君たちには、これから始まる対話の、証人となってもらう。そして、介入者が提示するであろう、未知の科学技術を、その目で、その頭脳で、分析し、判断してもらう。……日本の、いや、人類の未来は、この部屋での我々の対応にかかっている。心して、臨んで欲しい」

 その言葉が終わると同時に、会議室の時計が、約束の時刻を指し示した。

 その、瞬間だった。


 何の前触れもなかった。

 会議室の中央、巨大な円卓テーブルの上方の空間が、まるで水面のように揺らめいたかと思うと、そこから光の粒子が、雪のように、静かに舞い降りてきた。

 粒子は、テーブルの中央で一つの像を結んでいく。

 銀色に輝く長髪。夜空を溶かし込んだような深い蒼色の瞳。男でも女でもない、神々しいほどに整った中性的な顔立ち。光そのもので編まれたかのような、シンプルなローブ。

 介入者メディエーターが、音もなく、そこに「降臨」していた。

 科学者たちは、息をすることも忘れ、その非現実的なまでに美しい存在に、ただただ圧倒されていた。ホログラム。その言葉では到底説明しきれない、圧倒的な実在感。まるで、高次元の存在が、自分たちの三次元空間に、その影を落としているかのようだった。

「解像度の概念がない……ピクセルが存在しないホログラムだとでも言うのか……」

「周囲の空間が、微かに歪んでいる……重力場に干渉しているのか……?」

 専門家たちの口から、畏怖に満ちた呟きが漏れる。

 的場は、極度の緊張で張り付きそうになる喉を、唾を飲み込むことで潤すと、意を決して一歩前に出た。

「……時間通り、感謝する。介入者殿」

 彼は、CISTの室長として、そして日本政府の公式な代表として、ホログラムに向かって、はっきりと告げた。

「私が、日本政府より、貴殿との公式対話の全権を委任された、特命対策室『CIST』室長、的場俊介だ」

 介入者の蒼い瞳が、静かに的場を捉えた。その視線は、全てを見透かすかのように、どこまでも深く、そしてどこまでも冷徹だった。


『CIST。迅速な組織設立、見事です。的場室長。あなた方の対応能力、まずは第一段階、クリアといったところでしょうか』


 その声は、スピーカーからではなく、室内にいる全員の脳内に、直接響き渡った。テレパシー。また一つ、彼らの常識が、いとも容易く覆される。

 的場は、動揺を悟られまいと、努めて冷静に続けた。

「では、早速だが、初回会議を……」


『その前に、一つだけ』


 介入者は、的場の言葉を、静かに、しかし有無を言わさぬ力で遮った。

『まず、皆さんは、私の種族や、私の故郷の星、そして我々の文化について、非常に興味をお持ちのことと思います。ですが、最初にハッキリと申し上げておきます。私が、この場に来たのは、文化交流のためではありません。科学技術の付与のためです』

 その言葉は、冷や水を浴びせるかのように、室内のわずかな期待感を打ち砕いた。

『自己紹介や、お互いの星の美しい風景を語り合うような、感傷的な時間を過ごすつもりは、毛頭ありません。あなた方の文明に残された時間は、あまりにも少ない。文化交流などをしている暇があるのなら、一秒でも長く、科学技術を推し進め、来るべき日に備えるべきです』

 冷徹なまでの、合理主義。だが、その言葉には、否定のしようがない、圧倒的な説得力があった。

『我々の関係は、教師と生徒。あるいは、投資家と、投資先のベンチャー企業のようなものだと、お考えください。私は、あなた方に、成長のための『種』を与える。それを芽吹かせ、大木に育てられるかどうかは、全て、あなた方自身の努力にかかっている。……よろしいですね?』

「……承知した」

 的場は、頷いた。望むところだ。こちらも、お友達になりに来たわけではない。

「では、本題に入らせていただこう」


『ええ。では、私が、記念すべき最初の『種』として、皆さんに提示するのは、この技術です』


 介入者は、そう言うと、静かに目を閉じた。

 そして、次の瞬間、会議室にいる全員が、息を飲んだ。


 バサッ

 という、乾いた紙の音。

 的場、そして、円卓を囲む科学者たち全員の、目の前のテーブルの上に。

 何もないはずの空間から、まるで、超高速のプリンターで印刷されたかのように、A4サイズの紙の束が、物理的な実体を持って、忽然と出現したのだ。

 再び、目の前で見せつけられた、空間転移、あるいは物質創造という、神の御業。

 だが、今度、科学者たちが驚愕したのは、その現象だけではなかった。

 彼らは、震える手で、目の前に現れた、まだインクの匂いが新しいかのような、その資料を手に取った。

 そして、その表紙に印刷されたタイトルを見て、言葉を失った。


『時空連続体の局所的位相変異に関する基礎理論と、その応用による空間拡張技術の実現について(初級編)』


「……じ、時空……連続体の……位相、変異……?」

 素粒子物理学の権威である老教授が、かすれた声で、信じられないというように、そのタイトルを読み上げる。

 介入者は、薄く目を開けたまま、静かに告げた。


『あなた方が、その物理的な重さを感じ、インクの匂いを嗅ぎ、そして何より『改竄不可能な物理的証拠』として認識するために、あなた方の文明で最も古典的で、最も信頼性の高い媒体を選びました。どうぞ、お読みください。……そして、感想をお聞かせ願えますか』


 その言葉を合図に、会議室は、水を打ったような静寂に包まれた。

 聞こえるのは、ページの乾いた音と、科学者たちの荒い息遣いだけ。

 では、黙読タイムです。

 介入者の、そんな声が聞こえたような気がした。


 最初の数分間。

 科学者たちの表情は、一様に、深い懐疑と困惑に満ちていた。

 彼らが読み進めているのは、およそ、この世の学問とは思えないような、常軌を逸した理論の数々だったからだ。

「馬鹿な……この数式の前提が、まずおかしい。我々の知るプランク定数が、変数として扱われている……?」

「この図は、なんだ……カラビ-ヤウ空間を、三次元的に射影したとでも言うのか? ありえない、計算量が天文学的なものになるはずだ……」

 だが、五分が経過する頃には、その懐疑は、徐々に、別の感情へと変わっていった。

 驚愕。

 そして、畏怖。

 さらに、科学者としての、純粋な、歓喜。

 ページをめくる彼らの指が、微かに震え始めている。食い入るように資料を睨みつけるその目は、血走らんばかりに見開かれている。

「……美しい……」

 天才数学者が、恍惚とした表情で呟いた。

「この数式は、まるで神が書いた詩だ。どこにも、一分の矛盾も、破綻もない。それどころか、我々の数学が抱える、いくつかの未解決問題の答えが、ここに、当然のように書かれている……!」

「ああ、信じられん……」

 老物理学者が、眼鏡の奥の目を、子供のように輝かせている。

「一般相対性理論と、量子力学。水と油のように、決して交わることがなかった二つの理論の間に、こんな、こんな美しい架け橋が存在したというのか……! 我々が、何百年もかけて、暗いトンネルの中を手探りで進んできた、その出口の光が、今、ここに……!」

 彼らは、もはや、会議も、的場の存在も、忘れ去っていた。

 ただ、純粋な求道者として、目の前に突然現れた、神々の手による『聖書』に、その魂ごと引き込まれていた。

 そして、約束の十分が、経過した。

 一人の、比較的若い物理学者が、全てのページを読み終え、ガクン、と椅子に崩れ落ちるように、深く背もたれに体を預けた。

 彼の顔は、蒼白だった。そして、その口が、わなわなと震えている。


「ば……馬鹿な……!」


 絞り出すような、絶叫に近い声だった。


「こんなことが……こんなことが、あり得るというのか……!? これは……これは、ただの理論じゃない! 空間そのものを、自在に伸縮させる……空間拡張技術じゃないか……!」


 その叫びが、引き金となった。

 他の科学者たちも、次々と、その驚愕の結論にたどり着き、会議室は、阿鼻叫喚の様相を呈し始めた。

「おお……神よ……!」

「我々は、今日、人類の歴史が終わる日を見るのか、それとも、始まる日を見るのか……」

 その、専門家たちの混乱を、介入者は、静かに、そしてどこか満足げに眺めていた。


『――その通りです。あなた方の言葉で言う、空間拡張技術。もっとも、これは我々の技術体系の中では、子供向けの科学工作のレベルに過ぎませんが』


 介入者の、追い打ちをかけるような、静かな言葉。

『これは、我々が持つ本来の技術を、あなた方の科学レベルでも、かろうじて理解し、そして再現できるように、意図的に性能と概念を劣化させた、高度技術不要技術ダウングレード・テクノロジーで作成されたものです。あなた方が、その知性の限界まで背伸びをして、ようやく指先が届くか届かないか、という、絶妙なレベルに調整しておきました』

 その言葉は、彼らの、人類最高の頭脳であるというプライドを、優しく、しかし、木っ端微塵に打ち砕いた。

 混乱が極まる中、的場が、震える声で、科学者たちに問いかけた。

「……み、皆、聞いてくれ……! 済まない、技術的なことで、済まないが……教えて欲しい。この、この資料に書かれている技術は……我々に、実現できるのか? そして、できるとしたら、どれくらいの時間で……?」

 その問いに、科学者たちは、一斉に、我に返った。

 彼らは、顔を見合わせ、数秒間、専門用語を早口で交わし、そして、代表として、あの老物理学者が、ゆっくりと、しかし、興奮で紅潮した顔で、的場に向き直った。


「……いやー……」


 彼は、ぐしゃぐしゃと、自分の白髪頭をかきむしった。


「的場大臣……まず、この資料の、査読についてですが……無理です!」

「なっ!?」

「誰が、これを査読できるというのですか!? 我々人類の中に、この、神が書いたとしか思えない論文の、正しさを証明できる人間など、一人もおりません! ……ですが!」

 老教授は、一度、言葉を切ると、決意を固めたように、続けた。

「ですが、この数式は、どこまでも美しい。どこにも、矛盾がない。我々の知識の範囲内では、この理論は、『正しい』としか、言いようがないのです! そして……もし、もし、この理論と設計図が、全て、一字一句、真実であると、信じるとするならば……!」

 彼は、ゴクリ、と喉を鳴らした。


「……必要な設備と、最高の人材を、この国中から、いや、世界中から集めることを許可していただけるのなら……おそらく、一ヶ月……いえ、三週間もあれば、基礎的な実証実験に、漕ぎ着けることができる……かもしれません……!」


 そして、彼は、頭を抱えた。

「……いや、本当に、凄いぞ、こりゃ……。我々は、とんでもないものを、手に入れてしまった……」

 その言葉は、会議室にいる全員の、偽らざる思いだった。

 的場は、科学者たちの答えを聞き、ゆっくりと、介入者に向き直った。

 彼の心は、決まっていた。

「……感謝する、介入者殿」

 彼は、日本の代表として、深々と、頭を下げた。

「我々CISTは、この技術を、人類の未来のために、全力で解析し、実現させることを、ここにお約束しよう」

 その言葉に、介入者は、静かに、そして満足げに、頷いた。

 人類は、神々の手による、最初のテストに、かろうじて、合格したのだった。

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