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第55話 設計図の降臨

 そのデータは、音もなく、光もなく、G7各国の最高国家機密サーバーの最も深い階層に、静かに降臨した。仮想対話空間『静寂の間』で、管制AIイヴと名乗る神の代理人が、G7首脳たちの精神的未熟さを厳しく断罪した直後。その“お説教”に対する、あまりにも甘美で、あまりにも危険な“アメ”として与えられた、次なる福音の設計図。


『指向性エネルギーシールド技術(基本設計図 Ver. 1.0 - 民生用制限モデル)』


 アメリカ、国防総省ペンタゴンの地下深く、国家軍事指揮センター。けたたましいアラートと共に、統合参謀本部議長のデスクに、最高レベルの機密データ受信を示す警告が表示された。データの送信元は『介入者』。その一語だけで、室内の空気は凍りつき、次の瞬間、灼熱の興奮へと転じた。すぐさま、DARPA(国防高等研究計画局)の全リソースを投入した極秘プロジェクトの発足が決定される。コードネームは『プロジェクト・プロメテウス』。人類に禁断の火を与えた神の名を冠したその計画は、この国の野心を何よりも雄弁に物語っていた。


 同じ頃、ドイツ、ベルリン。連邦情報局(BND)から首相官邸へともたらされた一報は、即座にマックス・プランク研究所と、ドイツ最大の軍需企業ラインメタル社のトップを招集させた。シュヴァルツヴァルト(黒い森)の地下深くに、数年前から極秘裏に建造されていた研究施設がついにその真価を発揮する時が来た。与えられた名は『ヴァルハラ計画』。神々の戦士が集う宮殿の名を冠したその計画には、ドイツが誇るマイスター精神の全てが注ぎ込まれることになる。


 そして、日本。富士山麓の樹海に隠されたCIST(Center for Inter-universal Science and Technology)の巨大な地下ドームでは、的場俊介が、転送されてきた設計図の構造解析データを前に、深い苦悩の表情を浮かべていた。イヴが突きつけた、AIの人権と、人類の排他性という根源的な問い。その答えを見出す前に、人類の闘争本能をさらに加速させかねない、究極の「力」が与えられてしまった。しかし、日本がこの開発競争から脱落することは、G7内での技術的優位性を失い、国家の安全保障を危うくすることを意味する。葛藤の末、的場は、CIST最高の技術者である佐伯教授をチームリーダーに任命し、プロジェクトの始動を命じた。その名は『八咫鏡やたのかがみ計画』。あらゆる攻撃を反射し、真実の姿を映し出すという神の鏡。それは、この技術がもたらすであろう光と影を、同時に見据えようとする、的場の祈りそのものだった。


 フランス、イギリス、イタリア、カナダ。G7の全ての国々が、それぞれの思惑と国家の威信を賭け、一斉にスタートラインに立った。それは、もはや単なる技術開発ではない。世界のパワーバランスを根底から覆し、未来の戦争のルールを書き換える、究極の覇権争いの号砲だった。人類は、AIの人権という哲学的な宿題を脇に置き、目の前にぶら下げられた、輝かしい破壊の玩具に、我を忘れて飛びついたのだ。


 第一章:アメリカ - ネバダの雷鳴(Project Prometheus)

 ネバダ砂漠の乾いた風が、滑走路の陽炎を揺らしている。ここは、世界で最も有名で、最も秘密に満ちた場所、エリア51。その地下深くに、わずか数週間で急造された巨大な実験施設こそ、『プロジェクト・プロメテウス』の心臓部だった。


 コントロールルームの巨大なモニターの前で、二人の男女が火花を散らしていた。

 一人は、エリアーナ・ヴァンス博士。30代前半にしてDARPAの素粒子物理学部門を統括する、天才的な頭脳と、それを全く隠そうとしない傲慢さを併せ持つ女性科学者。彼女にとって、このプロジェクトは、人類の歴史を書き換える壮大な科学的挑戦であり、退屈な軍人たちは、そのための資金と実験場を提供するスポンサーに過ぎなかった。

 もう一人は、統合特殊作戦コマンド(JSOC)司令官、ジョン・“ブルドッグ”・マティス大将。アフガニスタンの砂漠から、南米のジャングルまで、あらゆる戦場を生き抜いてきた叩き上げの軍人。彼にとって、理論や数式は意味をなさない。重要なのは、部下たちの命を守り、敵を確実に排除できる、シンプルで頑丈な「道具」だけだった。


「博士、まだなのか」マティスが、苛立ちを隠さずに言った。「設計図を受け取ってから一ヶ月だ。一体いつになったら、あの『神の盾』とやらを拝めるんだ?」


「大将、科学というものは、シチューを煮込むのと似ています。最適な温度で、時間をかけてこそ、完璧な結果が生まれるのです。あなたの軍隊のように、ただ頭数と弾薬を投入すれば勝てるというものではない」ヴァンスは、モニターから目を離さずに、冷ややかに返した。「現在、基本設計図のシミュレーションは99.8%完了。プロトタイプ・ジェネレーターの出力も安定しています。最初の実地試験は、あと15分で開始可能です。…もっとも、あなたの部下たちが、ターゲットの設置にもたついていなければ、の話ですが」


 モニターには、砂漠の実験場に、巨大なトラックに搭載された、銀色の円筒形装置が設置される様子が映し出されていた。その周囲を、特殊作戦群の兵士たちが、慌ただしく動き回っている。

 やがて、準備完了のランプが灯った。


「フェーズ1、開始します」ヴァンスが、マイクに向かって冷静に告げた。「ジェネレーター、出力5パーセントで起動。指向性フィールド、座標デルタ7に展開」


 ヴァンスの言葉に応じ、銀色の装置が低い唸りを上げた。その前方、約50メートル先の空間に、何かが起こった。目には何も見えない。しかし、その空間の向こう側の砂漠の風景が、まるで陽炎のように、ごくわずかに揺らいで見えた。


「シールド、展開を確認。安定しています」


「よろしい。では、お楽しみの時間です、大将」ヴァンスは、マティスに皮肉めいた笑みを向けた。「あなたのところのオモチャで、撃ってみてください」


 マティスの指示で、100メートル離れた場所に設置された、遠隔操作のM2重機関銃が火を噴いた。毎分500発の速度で放たれる12.7mm徹甲弾が、曳光弾の赤い軌跡を描きながら、不可視の壁へと殺到する。


 そして、信じられない光景が起こった。

 銃弾は、シールドに命中した瞬間、砕け散るのでも、弾かれるのでもない。まるで、見えない蜂蜜の海に飛び込んだかのように、その運動エネルギーを急速に奪われ、速度を失い、最後は、ぽとり、ぽとりと、ただの鉛の塊となって、力なく地面に落下していく。甲高い着弾音も、火花も、一切ない。ただ、無音の、絶対的な拒絶があるだけだった。


「……信じられん……」コントロールルームの若い士官が、呆然と呟いた。


「物理学的には、極めて合理的です」と、ヴァンスは解説した。「高密度の重力子フィールドが、弾丸の運動エネルギーを、我々が認識できない高次元空間へと『逸らし』ているのです。いわば、時空の漏斗。我々の三次元宇宙からは、エネルギーがただ消滅したように見える」


「能書きはいい」マティスは、目を細めてモニターを凝視していた。「博士、次は、私の『恋人』の番だ」


 彼の言う『恋人』とは、バレットM82対物ライフルのことだった。熟練のスナイパーが、2キロ先の装甲車を撃ち抜くための、悪魔的な威力を持つ銃器。その銃口から放たれた12.7x99mm NATO弾は、音速の3倍近い速度で、シールドへと突き進んだ。


 結果は、同じだった。

 音もなく、衝撃もなく、ただ、弾丸は勢いを失い、地面に転がった。


「…オーケー、オーケー…」マティスは、興奮を抑えるように、何度も頷いていた。「次は、爆発物だ。C4、5キログラム。シールドの目前で起爆させろ」


 数分後、実験場に設置されたC4爆薬が、リモートで起爆された。轟音と共に、灼熱の爆風と、無数の金属破片が、シールドへと襲いかかる。

 シールドが展開された空間は、爆風によって、まるで水面のように大きく波紋を広げた。しかし、その波紋は、決して破れることなく、全ての衝撃を吸収し、いなしていく。数秒後、爆煙が晴れた時、シールドの内側に置かれていた計測機器は、傷一つなく、そこに鎮座していた。


「すげー!!!!!!」


 ついに、マティス大将は、子供のようにはしゃぎながら、その拳をコントロールルームのコンソールに叩きつけた。

「ハッハッハ! 見たか、ヴァンス! これだ! これこそ、俺が夢見ていたものだ! 神のゴッド・シールドだ!」


 彼の歓声は、施設内にいた全ての軍人たちの心の声を代弁していた。彼らは、この不可視の壁の向こうに、輝かしい未来を見ていた。もう、市街地での待ち伏せも、IED(即席爆発装置)も、自爆テロも、恐れる必要はない。ドアを蹴破って突入する最初の兵士が、英雄的な犠牲者になることもなくなる。戦争の、最も汚く、最も悲惨な側面が、この技術一つで、過去のものになるかもしれない。


 マティスは、興奮冷めやらぬ様子で、ヴァンスに詰め寄った。

「博士! これを、今すぐ小型化しろ! 全ての兵士が、歩兵が、自分の手で持てるサイズにするんだ! バックパックサイズ、いや、アタッシュケースサイズまで、小型化できんのか!?」


「……理論上は、可能です」と、ヴァンスは答えた。「ですが、そのためには、エネルギー源の小型化と、重力子フィールドの収束効率を、現在のプロトタイプの少なくとも50倍まで高める必要があります。ジェネレーターの核となる、超高密度エネルギーコアの製造には、極めて特殊な環境と、精密な制御が要求される。どんなに急いでも、最低でも2年は…」


「2年?」マティスの顔から、笑みが消えた。「冗談だろ、博士。2ヶ月でやれ」


「……不可能です」


「可能にしろ!」マティスは、吠えた。「予算も、人員も、施設も、全て無制限にくれてやる! 世界中の最高の頭脳を、今すぐここに集めろ! これは、ただの新兵器開発じゃない! 我々アメリカが、再び、世界のルールを作るための、聖戦クルセイドなんだ! 世界は、我々を待ってはくれんのだぞ!」


 その狂気にも似た覇気は、ヴァンスの科学者としての冷静さすら、圧倒していた。彼女は、目の前の軍人が、この『神の盾』を、人類を守るためのものではなく、アメリカの覇権を維持するための『神の矛』としてしか見ていないことを、改めて理解した。

 だが、その狂気が、不可能を可能にする原動力になることも、彼女は知っていた。


「……やってみましょう」ヴァンスは、不敵な笑みを浮かべて言った。「ただし、大将。私のやり方で、やらせていただきます」


 ネバダの砂漠に、新たな雷鳴が轟こうとしていた。それは、人類の未来を照らす希望の光か、それとも全てを焼き尽くす終末の稲妻か。その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。



 富士の樹海、その青木ヶ原の地下深くに広がる、CISTの巨大研究ドーム。そこには、アメリカのような軍人たちの怒声も、むき出しの興奮も存在しなかった。ただ、キーボードを叩く音と、冷却システムの低い唸りだけが、静寂を支配している。


 プロジェクトの最高責任者である的場俊介は、メインスクリーンに映し出される、シールドのエネルギー流動シミュレーションを、苦い表情で見つめていた。彼の脳裏には、イヴの言葉が、今も鮮明に反響していた。

『あなた方の鏡に映っているのは、ゼノフォビアに満ちた、排他的な精神性です』

『AIを、モノとして扱う、前時代的な奴隷制度』


 我々は、その問いに、まだ何一つ答えを出せていない。それどころか、今、我々がやっていることは、イヴが最も懸念した、人類の闘争本能をさらに助長させる行為そのものではないのか。この盾が完成した時、人類は、本当にそれを、守るためだけに使うだろうか。


「的場さん」


 声の主は、この『八咫鏡計画』の実務を率いる、CISTが誇る老練な技術者、佐伯教授だった。彼は、分厚い眼鏡の奥の目を輝かせながら、手元のタブレットを的場に示した。


「やはり、私の仮説は正しかったようです。介入者の設計図は、我々の想像を遥かに超えていました」


「……どういうことですかな、教授」


「アメリカのDARPAは、おそらく、エネルギー源の小型化という、極めて直線的なアプローチで、この問題に取り組んでいるでしょう。力には、力で、と。しかし、それは、この技術の本質を見誤っています」


 佐伯は、シミュレーションデータを拡大した。そこには、無数の数式と、複雑なエネルギーの流れを示すグラフが、光の川のように流れていた。


「このシールドは、単なるエネルギーの壁ではありません。時空そのものを、極めて効率的に、そして繊細に『折り畳んで』いるのです。設計図のこの部分…この、我々の数学では記述不可能な、虚数と実数が入り混じった関数。これは、エネルギーを展開する際の、いわば『遊び』の部分、冗長性リダンダンシーを示唆している。彼らは、我々のような未熟な文明でも扱えるように、あえて、エネルギー効率を落とした、安全な設計図を提供してくれたのです」


「……つまり?」


「つまり、エネルギー源を無理に小型化せずとも、この『遊び』の部分を、我々の技術で最適化し、数式を書き換えることができれば……現在の、このポータブル電源ほどの大きさのエネルギーコアでも、理論上は、サイズを10分の1、いや、20分の1まで小型化できるはずなのです。アメリカが筋肉で挑むなら、我々は、頭脳で挑むべきです」


 佐伯教授の目は、純粋な科学者としての探求心に満ち溢れていた。彼にとって、これは兵器開発ではない。神が与えた、究極の知恵の輪への挑戦だった。

 的場は、その姿に、一筋の光明を見出した。


 そうだ。我々は、軍人ではない。科学者だ。この技術を、ただの殺戮の道具として終わらせてはならない。


「教授」と、的場は言った。「開発を、急いでください。しかし、忘れないでほしい。我々が目指すのは、最強の兵器を作ることではない。この技術の、本当の意味を、その平和的利用の可能性を、世界に示すことです」


 的場は、開発チームに、新たな指令を与えた。

 軍事目的の小型化と並行して、このシールド技術を、民生利用へと応用するための研究チームを、即座に発足させる。

 例えば、大規模地震の際に、倒壊する建物から人々を守る、広域避難シェルター。

 あるいは、原子力発電所の炉心を守り、メルトダウンを防ぐ、最後の安全壁。

 さらには、台風や竜巻の進路を、物理的に逸らす、気象コントロールシステムへの応用。


「我々日本は、世界で唯一の被爆国として、そして、多くの自然災害と戦ってきた国として、この『神の盾』の、真の使い道を世界に提示する責務がある」


 的場の言葉は、研究者たちの心に、静かだが、確かな火を灯した。彼らの仕事は、ただの兵器開発ではない。それは、人類の未来を、より安全で、より豊かなものにするための、聖なる事業なのだと。


 富士の樹海の静寂の中で、日本の挑戦は、アメリカとは全く異なるベクトルを向いて、静かに、しかし、着実にその歩みを進め始めた。それは、神が与えた力を、破壊ではなく、創造のために使おうとする、人類のかすかな、しかし尊い理性の戦いでもあった。



 ドイツ南西部、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の鬱蒼とした木々の下に、その入り口は、まるで自然の岩肌であるかのように、巧妙に偽装されていた。地下数百メートルに広がる、『ヴァルハラ計画』の研究施設は、ドイツの合理主義と機能美の結晶体だった。塵一つない白亜の廊下、ミリ秒単位で同期された原子時計、そして、そこで働く研究者たちの、一分の隙もない立ち居振る振る舞い。


 その全てを統べるのが、施設長のクラウス・フォン・ヘルツォーク博士だった。プロイセンの貴族の末裔である彼は、厳格な規律と、科学に対する絶対的な忠誠を、自らと部下たちに課していた。彼にとって、このプロジェクトは、アメリカのような覇権争いでも、日本のような理想論でもない。ただ一つ、介入者が与えたこの完璧な設計図を、寸分の狂いもなく、地上で最も完璧な「製品」として具現化するという、ドイツの技術力のプライドを賭けた挑戦だった。


 コントロールルームのモニターには、アメリカや日本とは異なる、地味で、しかし過酷な実験の様子が、延々と映し出されていた。

 プロトタイプのシールドは、展開されたまま、何十時間も放置されている。研究者たちは、そのエネルギー消費率の微細な変動や、重力子フィールドの安定性を、ナノ秒単位で計測し続けていた。


「ハインリヒ、36時間経過時点での、フィールド減衰率の誤差は?」ヘルツォークの声が、室内に低く響いた。


「博士、0.001パーセント未満です。シミュレーション値と、完全に一致しています」


「そうか。では、次のフェーズへ移行しろ。施設全体を、極低温環境に移行。マイナス50度で、さらに12時間、安定性を計測する」


 ドイツチームの実験は、派手さとは無縁だった。彼らは、シールドが銃弾や爆弾を防ぐことなど、もはや当然のこととして、全く興味を示さなかった。彼らが執着したのは、その「品質」と「信頼性」だった。

 極低温、超高温、高湿度、真空、強力な電磁パルス、ガンマ線照射。考えうる、ありとあらゆる過酷な環境下で、シールドが、設計図通りに、完璧に、一寸の狂いもなく作動し続けるか。彼らは、まるで高級自動車の品質テストのように、神の技術を、徹底的に痛めつけ、その限界を探っていた。


「アメリカの連中は、最初の実弾テストで、シャンパンを開けたらしいな」ヘルツォークは、部下の一人がもたらした諜報情報に、鼻で笑った。「素人め。試作品の一つや二つが動いたからといって、何になる。それを、数万、数十万の兵士に、全く同じ品質で供給できてこそ、初めて『技術』と呼べるのだ」


 彼の視線は、小型化の先、そのさらに先にある「量産化」へと向けられていた。

 どうすれば、この神の技術を、最も効率的に、最も低コストで、最も高い品質を維持したまま、工業製品へと落とし込めるのか。彼の頭の中では、すでに、巨大な工場の組立ラインが、完璧な精度で稼働し始めていた。


「日本のCISTは、平和利用などと、甘いことを言っているらしいな」ヘルツォークは、吐き捨てるように言った。「結構なことだ。彼らが理想に酔いしれている間に、我々は、現実の世界で、最も信頼性の高い『盾』を完成させる。最終的に、戦場マーケットを制するのは、最も堅牢で、最も信頼性の高い製品だ。我々ドイツの『マイスター精神』が、それを、世界に証明することになるだろう」


 黒い森の地下深く。ドイツの叡智は、完璧なる品質という名の、絶対的な価値を信じて、ただひたすらに、神の技術を鍛え上げていた。その先にあるのが、平和な秩序か、それとも、より効率的な戦争か、彼らは、まだ知る由もなかった。


 第四章:加速する競争と、見えざる戦争

 G7という同盟関係は、今や、水面下で繰り広げられる、熾烈な技術開発競争の、薄っぺらな覆いでしかなかった。

 CIAがCISTに潜入させた、日系アメリカ人研究員からもたらされる、日本の「数式最適化」アプローチに関する断片的な情報。

 フランスDGSE(対外治安総局)のハッカーチームが、ドイツの研究所のサーバーに仕掛けた、巧妙なバックドアから盗み出した、耐久テストの生データ。

 イギリスMI6が、ダークウェブ上で、各国の研究者たちの個人的な通信を傍受し、プロジェクトの進捗を推測する、地道な情報戦。


 各国は、互いに笑顔で協力の姿勢を見せながら、その裏で、相手の進捗状況を探り、自国の優位性を確保するために、あらゆる手段を講じていた。

 その情報は、真偽不明の噂となり、各国の軍上層部を駆け巡り、彼らの興奮と焦燥を、極限まで煽っていった。


 ペンタゴン、作戦会議室。

「マティス大将! 最新情報です! ドイツは、すでに量産化ラインの基本設計に着手したとのこと!」

「何だと!? ヴァンス博士はどうした! 我々の小型化の進捗は!」

「日本の連中は、何か、根本的なブレークスルーを見つけたと。エネルギー効率を、劇的に改善する新理論だとか…」

「くそっ! やはり、あの小国は、侮れん…!」


 競争は、狂気の様相を呈し始めた。各国は、国家予算に匹敵するほどの資金を、青天井で、それぞれのプロジェクトに投入した。研究者たちは、家族と引き離され、地下の研究施設に缶詰にされ、「国家の未来は、君たちの双肩にかかっている」という、甘美で、しかし呪いのようなプレッシャーの中で、昼夜を問わず、開発に没頭させられた。


 そして、彼らの背後で、軍人たちの興奮は、ついに、飽和点に達しようとしていた。


「どの国が、一番先に実用化できるか。もはや、時間の問題だな」

「ああ。第三次世界大戦が起きるとしたら、その勝敗は、この盾を、歩兵の一人ひとりが携行できる形で、最初に手にした国で決まるだろう」

「いや、待て。これを持っているだけで、もはや戦争そのものが、起きなくなるのかもしれない。核兵器と同じ、究極の抑止力としてな」

「どちらにせよ、これを持っている国が、これからの世界のルールを決める。経済力でも、外交力でもない。この、たった一つの『盾』が、だ!」

「そうだ! これを持っているかで、戦争の、いや、世界のルールが、完全に変わるぞ!!」


 彼らは、イヴが与えた『問い』を、完全に忘れていた。

 この盾は、人類の未熟さに対する、警告の証として与えられたのだということを。

 彼らにとって、それはもはや、自国の力を誇示し、敵を圧倒するための、最高の『玩具』でしかなかった。



 オリオン腕、ベテルギウス星区。

 時間結晶の砂浜が、双子星の恒星風を受けて、オーロラのように煌めいている。超新星の残光を凝縮したカクテルグラスを片手に、相馬巧は、リゾートチェアに深く身を沈めていた。

 彼の網膜に、イヴから転送されてきた、最新のレポートが投影された。


『G7エネルギーシールド開発競争に関する中間報告』


 そこには、ネバダの爆煙に歓喜する軍人たち、富士の地下で苦悩する科学者、黒い森で品質に執着する技術者、そして、ペンタゴンで交わされる、好戦的で、あまりにも愚かな会話の数々が、淡々と記録されていた。


 巧は、深い、深いため息をついた。その息は、リゾートの完璧な大気の中に、白い軌跡を描いて消えた。

「…………やっぱり、こうなるよな」


『マスター。彼らは、私が提示した、文明の成熟度に関する根源的な問いを、完全に忘却しているようです。闘争本能を刺激する、新たなテクノロジーへの熱狂が、彼らの理性を麻痺させています』

 イヴからの、冷静な通信が、彼の脳内に響いた。


「分かってるさ、イヴ」

 巧は、空のグラスをテーブルに置くと、立ち上がった。

「人間なんて、そんなものだ。目の前に、ピカピカの新しい玩具をぶら下げられたら、難しい哲学の授業なんて、すぐにサボって、運動場に駆け出していく」


 彼は、砂浜の縁まで歩いていった。彼の足元で、時間結晶の砂が、彼がここに来るまでの、過去の足跡を、淡い光でおぼろげに映し出していた。


「……だが、イヴ」

 巧は、星々が渦巻く、異世界の空を見上げながら、言った。

「……それもまた、面白いじゃないか」


 彼の瞳には、休暇を楽しむ男の、穏やかな光はなかった。

 そこにあるのは、自らが創り出した、手のつけられない問題児たちの、次なる愚行を予測し、その上で、さらに複雑で、さらに困難な、新たな脚本の構想を練り始めた、神の脚本家の、孤独で、しかし、どこか楽しげな光だった。


 人類は、神から与えられた最強の盾を、果たして、何に使うのか。

 その答えが導き出される前に、脚本家は、次の一手を、打たなければならない。

 彼の、ささやかなバカンスは、どうやら、もう終わりが近いようだった。

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