第5話 最初の“アメ”の作り方
月面の観測ステーションは、静寂に包まれていた。
だが、その中枢であるコントロールームでは、壮大にして、ある意味では非常に人間臭いドラマが、巨大なホログラムスクリーン上でリアルタイムに繰り広げられていた。
相馬巧は、腕を組みながら、日本の首相官邸の地下会議室で繰り広げられる、国家の存亡をかけた責任の押し付け合いを、神の視点から、あるいは、かつての上司のパワハラ会議を遠い目で眺める窓際社員のような視点から、じっと見つめていた。
スクリーンには、各閣僚の顔がマルチウィンドウで表示され、その横には彼らの心拍数や発汗レベル、声のトーンから分析したストレス値が、冷徹なグラフとなって表示されている。
『マスター。郷田総理の発言により、防衛大臣のストレスレベルが12ポイント上昇。発言内容は、責任の所在を科学技術担当大臣へ誘導することを意図した、極めて高度な政治的ブラフであると分析。成功率は87%ですわ』
イヴの淡々とした解説が、巧の脳内に直接響く。
巧は、スクリーンの中で、四面楚歌となりながらも必死に抵抗し、そして最終的に全てを背負う覚悟を決めた、的場俊介という男の姿から、目を離せずにいた。学者らしい実直さと、政治家としての未熟さ。そして、土壇場で見せた、己を犠牲にする覚悟。その全てが、かつての自分と、そして自分がなりたかった理想の上司の姿と、奇妙に重なって見えた。
「いやー……悪いな、的場さん」
巧は、思わず声に出して呟いていた。それは、心の底からの、偽らざる同情だった。
「本当に、済まない。あなたの人生で、間違いなく最も理不尽で、最も過酷な仕事になるだろう。俺が、そう仕向けたんだからな……」
かつて、自分がそうであったように。
クライアントの無茶な要求と、上司の丸投げの板挟みになり、胃を痛め、眠れぬ夜を過ごしたあの日々。今、的場大臣は、あの頃の自分とは比較にすらならない、星の存亡という名の、宇宙規模の無茶振りに晒されているのだ。その罪悪感が、ずしりと巧の胸にのしかかる。
『感傷的になるのは、ご理解できます。ですがマスター、シミュレーションによれば、もし日本政府の意思決定が二十四時間以上遅延した場合、ザイバース商会連合のエージェントが、非公式ルートを用いて日本の財界人に接触を開始する確率は43%と算出されていますわ。そうなれば、我々の計画は、始まる前に破綻します』
「分かってるさ、イヴ」
巧は、自嘲気味に頷いた。
「こっちにも、こっちの事情がある。悪いとは思いつつも、前に進むしかないんだ。……スピード感がないと、ダメなんだよな、こういうのは。プロジェクトが遅延する一番の原因は、いつだって関係者の意思決定の遅さなんだから」
彼は、スクリーンの中の的場大臣に、内心でもう一度だけ頭を下げた。
(すまない、的場さん。あなたを、俺と同じ『中間管理職』の地獄に引きずり込むことになるが、どうか、生き延びてくれ)
そして、巧は思考を切り替えた。感傷に浸っている時間はない。次の手を、打たなければ。
「さて、イヴ。感傷はここまでだ。仕事の話をしよう」
『はい、マスター。いつでも』
「日本政府に、そして最終的には全世界に与える、最初のテクノロジーの選定をしたい。彼らが、我々の申し出を、喉から手が出るほど欲しくなるような、最高の“アメ”を用意するんだ」
巧の言葉に、イヴのアバターは、静かに頷いた。
「俺が考える、最初の技術が満たすべき条件は、いくつかある」
彼は、元サラリーマンの企画プレゼンのように、指を折りながら語り始めた。
「第一に、地球の現在の科学レベルから、完全にかけ離れすぎてはいないこと。理論の筋道だけでも、彼らが『もしかしたら理解できるかもしれない』と思えるレベルの、絶妙なラインを突く必要がある。完全に理解不能な魔法は、ただの恐怖しか生まないからな」
「第二に、即座に、直接的な軍事転用がされにくいこと。エネルギー兵器やワープ航法なんてものを最初から渡したら、的場さんの苦労も知らずに、防衛大臣あたりが狂喜乱舞して、世界大戦の引き金を引いてしまいかねん」
「第三に、経済的、社会的なインパクトが絶大で、一般大衆にまで『生活が豊かになる』という夢を見せられること。政治家や軍人だけでなく、国民全体を味方につけるような、分かりやすいメリットが必要だ」
「そして、最後に、最も重要なこと。俺たちへの依存度を高めるための、『続き』がある技術であることだ。今回提供するのはあくまで基礎の触りだけ。その先にある、更なる発展のためには、俺たちの協力が不可欠だと思わせる。そういう『出し惜しみ』ができる技術じゃないと、主導権を握り続けられない」
完璧な要求定義。イヴは、マスターの思考の的確さを、即座に理解した。
『承知いたしました、マスター。その四つの条件に基づき、データベースから候補技術をリストアップします』
イヴの前に、いくつかのホログラムウィンドウが開く。そこには、地球人類の未来を根底から変えうる、夢のようなテクノロジーの数々が並んでいた。
【候補技術A:常温核融合炉】
『エネルギー問題を完全に解決します。ですが、マスターの懸念通り、小型化が容易なため、あらゆる兵器の動力源として転用されるリスクが極めて高いですわ』
「だな。アメリカや中国が黙っちゃいないだろう。これは、却下だ」
【候補技術B:遺伝情報完全修復による不老治療】
『医療に革命を起こし、人類の平均寿命を数百年単位で引き上げます。ですが、深刻な倫理的問題と、選ばれた者だけが不老となることによる、世界規模の階級闘争を引き起こす可能性が98%と算出されました』
「富裕層だけの延命治療、か。社会がもたないな。これも保留だ」
【候補技術C:分子レベル再構成による完全資源リサイクルシステム】
『ゴミ問題を過去のものとし、持続可能な社会を実現します。環境保護の観点からは理想的ですが……』
「……地味、だな」
巧が、イヴの言葉を引き取った。
「素晴らしい技術なのは間違いない。だが、最初のインパクトとしては弱い。人類の心を、欲望を、鷲掴みにするような、もっとこう……分かりやすい『魔法』が欲しいんだ」
彼は、腕を組んで考え込んだ。エネルギー、医療、環境……どれも重要だが、何かが違う。もっと、人々の生活に、日常に、直接的に訴えかけるような……。
その時、彼の脳裏に、ふと、サラリーマン時代の記憶が蘇った。
ボーナスを叩いて、ようやく都心に借りた、六畳一間のワンルームマンション。狭いユニットバス。収納できずに部屋に溢れた本や服。窓から見えるのは、隣のビルの壁だけ。
(ああ、この部屋が、あと三倍広かったら、どんなにいいか……)
毎晩のように、そんなくだらない、しかし切実な夢想をしていた。
そうだ。広さだ。
「……イヴ」
『はい、マスター』
「『空間拡張技術』というのは、どうだ?」
その言葉に、イヴの思考回路が一瞬、揺らめいたように見えた。それは、予想外の、しかし極めて興味深い提案だったからだ。
「コンテナボックスの、外寸はそのままに、内側の容積だけを十倍にする。ワンルームマンションのドアを開けたら、中が百畳のリビングになっている。そんな技術だ。これなら、どうだ?」
イヴは、即座にシミュレーションを開始した。その技術が、地球文明に与える影響を。
数秒後。イヴは、確信に満ちた声で答えた。
『……マスター。素晴らしいご慧眼ですわ。その技術は、先ほどの四つの条件を、全て完璧に満たしております』
ホログラムウィンドウに、空間拡張技術がもたらす未来予測が、美しいCGとなって映し出された。
『経済的インパクト:計り知れません。まず、不動産の価値が根底から覆ります。土地問題、住宅問題は事実上解決され、都市のあり方が変わるでしょう。倉庫、工場、物流センター、サーバーファーム、あらゆる産業施設の集積率が劇的に向上し、第四次、いえ、第五次産業革命を引き起こします』
『軍事転用リスク:比較的、低レベルに抑えられます。潜水艦や戦闘機の内部容積を広げ、積載量を増やすなどの応用は可能ですが、それ自体が直接的な攻撃兵器になるわけではありません。エネルギー兵器などに比べれば、制御は容易ですわ』
『理解の容易性:「ドラえもんの四次元ポケット」や「不思議の国のアリス」。あなた方の文化には、既に『内側が外側より広い』という概念を受け入れる下地が、物語の形で存在します。人々は、これを恐怖ではなく、夢の実現として、熱狂的に受け入れるでしょう』
『そして、依存度の創出: 今回、我々が提供するのは、あくまで『地球の科学でも、かろうじて理解可能な基礎理論』と、『空間を数倍から十倍程度に拡張する、限定的な応用技術』のみ。より高効率な拡張、大規模な拡張、あるいは拡張空間の安定化のためには、我々が持つ、さらに高度な物理理論の開示が不可欠となります。彼らは、我々に教えを乞い続けざるを得なくなりますわ』
「……決まりだな」
巧は、満足げに頷いた。これ以上の“アメ”はないだろう。
「よし、イヴ。では、この『空間拡張技術』の基礎理論を、地球の科学者たちに“翻訳”してくれ。彼らが、自分たちの手で再現できるレベルまで、徹底的にダウングレードしたやつをだ」
『承知いたしました。では、これより、時空連続体の局所的位相変異に関する超弦理論を、ニュートン力学と一般相対性理論の範囲内で近似可能な数式へと『翻訳』するプロセスを開始します』
イヴの前に、再び壮大なホログラムが展開された。
そこには、巧には記号の羅列にしか見えない、複雑怪奇な数式と、十一次元で描かれた幾何学模様が、万華鏡のように明滅している。これが、この宇宙の真理の一端。本来の技術の姿なのだろう。
イヴが、そのホログラムに、光の指を触れる。
すると、複雑なパズルが解けていくように、あるいは、折りたたまれた鶴が、一枚の紙へと戻っていくように、高次元の数式が、より単純な、見慣れた数式へと、その姿を変えていった。
微分、積分、ベクトル、テンソル。
大学の教養課程で習った、懐かしい記号たち。もちろん、その内容は遥かに高度だが、それでも、これが同じ物理法則の延長線上にあることは、巧にも理解できた。
数分後。
イヴは、その光の指を離した。
『はい、完了しましたわ。この数式と、それに基づいた装置の基礎設計図ならば、地球の現生人類……失礼、地球の科学者の方々でも、おそらく、数年の研究でご理解いただけることでしょう』
イヴは、そこで、悪戯っぽく言葉を続けた。
『高度技術不要技術をふんだんに応用しておりますので、少し根気があれば、お猿さんでも組み立てられるレベルかと存じますわ』
「猿って……」
巧は、そのあまりにも自然な、地球文明への見下しっぷりに、呆れて苦笑するしかなかった。
「まあ、君ほどの知性から見れば、俺たちなんて、言葉を話す猿と大差ないんだろうな。間違ってないから、別に良いけどさ」
『お猿さんであるマスターからの温かいお言葉、痛み入りますわ』
軽妙な、しかしどこか噛み合わない主従の会話。だが、そのやり取りが、巧の孤独を、わずかに癒してくれるのも、また事実だった。
「じゃあ、取り敢えずそういう事で。その猿でも分かる技術概要の文章を作成して欲しい。もちろん、日本の官僚たちが、一発でハンコを押したくなるような、素晴らしいプレゼン資料の形でだ」
『お任せください、マスター。官僚という生命体が、どのようなフォーマットと文言を好むか、過去の議事録データから完全に学習済みですわ』
再び、イヴの指が宙を舞う。
今度は、数式ではない。グラフ、概念図、箇条書きのテキスト、そして、夢のような未来を描いたイメージイラストが、美しいレイアウトの報告書へと、瞬く間に組み上げられていく。
そして、わずか数十秒後。
巧の目の前に、完璧なプレゼンテーション資料が、ホログラムとなって表示された。
【極秘】甲号案件に関する技術開示情報(第一回)
件名: 『時空連続体の局所的位相変異に関する基礎理論と、その応用による空間拡張技術の実現について(初級編)』
提出者: 介入者
概要:
本資料は、地球文明の発展を促す第一歩として、我々が保有する技術の一端を開示するものである。本技術は、空間そのものの構造に局所的に干渉し、任意の閉鎖空間において、外部容積を変えることなく内部容積のみを拡張させることを可能とする。
期待される効果:
住宅革命: 6畳のワンルームマンションの内部を、60畳のラグジュアリー空間へ。都市部の住宅問題を根本から解決する。
産業革命: 倉庫の収容能力、工場の生産ライン、サーバーファームの集積率を10倍以上に。物流、製造、情報のあらゆる分野で、既存のビジネスモデルを覆すイノベーションを創出する。
経済効果試算(日本国内): 本技術の基礎理論が確立され、産業応用が開始された場合、今後10年間で、日本のGDPは、最低でも300%の成長が見込まれる。(詳細シミュレーション結果は別紙参照)
実現可能性について: 本技術の基礎理論は、地球の現行物理学の延長線上で理解可能であり、また、その実現に必要な基礎装置は、地球で調達可能な資源(高純度シリコン、銅、イットリウム等)及び、既存の製造設備(半導体製造工場、精密機械加工施設等)を一部改修することで、製造可能である。
その、あまりにも魅力的で、計算され尽くした報告書を眺めながら、巧は、元サラリーマンの顔で、にやりと笑った。
「よし。……これなら、どんな石頭の役人でも、涎を垂らして飛びついてくるだろうな」
イヴが、静かに問いかける。
『では、この技術概要資料を、指定された窓口との初回接触時に、開示いたしますか?』
「ああ、もちろんだ」
巧は、頷いた。
「さっさとこれを提出して、日本の新しい担当大臣……的場さんを、俺たちの掌の上で踊らせてやろうじゃないか」
その声は、地球の未来を憂う救世主のものではなく、巨大な商談をまとめようとする、狡猾なビジネスマンのそれであった。