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第40話 神々の指名と、王たちの序列

 その会議室は、もはや人類にとって最も重要な聖域と化していた。

 月に一度、西側世界の七人の王たちが、神の代理人と相まみえる場所。仮想対話空間『静寂の間』。

 光を飲み込むマットブラックの無限空間に、白く輝く円卓が浮かぶその場所は、初めて訪れた時のように、彼らを畏怖で圧倒することはなくなっていた。だが、その代わりに、この場所で交わされる一言一句が、自国の、いや、この星全体の未来を直接左右するという、現実的な、そしてあまりにも重いプレッシャーが、指導者たちの魂に鉛のようにのしかかっていた。


 今日の会議の空気は、始まる前から、どこか奇妙な緊張と、子供じみた期待感に満ちていた。G7の指導者たちは、この数ヶ月で、一つの共通の儀式を編み出していた。それは、会議が始まる前の数分間、日本の代表――今日は郷田総理と的場大臣の両名が出席していた――の周りに集まり、まるで最新のガジェットの自慢話でもするかのように、代替装備技術が自国にもたらした奇跡の数々を、報告し合うことだった。


「いやはや、郷田総リ。先日は本当に感謝する」

 最初に口火を切ったのは、フランスのデュボワ大統領だった。彼のホログラム・アバターは、普段の尊大な態度はどこへやら、満面の笑みを浮かべていた。

「我が国の国民的シャンソン歌手、アヌーク・ルグラン女史を覚えておいでかな? 喉頭癌で声を失い、引退していた彼女を、貴国のCISTに送った件だ。……先日、彼女はパリのオランピア劇場で、奇跡の復活コンサートを開いた。貴国から授かった人工声帯で、かつての、いや、それを遥かに凌駕する天使の歌声を披露してね。……フランス中が泣いたよ。本当にありがとう。日本は、我々に文化の至宝を返してくれた」


 その言葉に、ドイツのシュミット首相も、その鉄の仮面のような表情をわずかに和らげながら、続けた。

「我が国でも、同様の奇跡が起きています。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の、伝説的な元・コンサートマスター。パーキンソン病で震えることしかできなかった彼の両腕に、日本のCISTが『神経接続型・代替義手』を施してくださった。……彼は今、若き日の完璧な技巧を取り戻し、後進の指導にあたっています。……我が国の音楽界は、計り知れない贈り物をいただいた」


 イギリス、カナダ、イタリアの首相たちも、次々と自国で起きた奇跡の物語を披露していく。それは、感謝の表明であると同時に、自国がいかにこの神の技術を有効活用しているかをアピールする、巧妙な外交合戦でもあった。彼らは皆、心の奥底で、同じことを渇望していたからだ。

 ――あの『サイボーグ化ポッド』を、我々の国にも。


 その熱のこもった、しかし腹の底に打算を隠した報告会が終わるのを、見計らったかのように。

 円卓の中央に光の粒子が舞い降り、介入者メディエーターが、その神々しい姿を現した。


『――どうやら、賑やかなことになっているようだね。諸君』


 その静かな、しかし全てを見透かしたような声が、全員の脳内に直接響き渡った。

 指導者たちは、はっと我に返り、慌てて自らの席に戻った。

「おお、お待ちしておりました、介入者様!」

 G7を代表して、アメリカ大統領ジェームズ・トンプソンが、満面の営業スマイルで挨拶をする。

「はい! まさに今、日本の友人たちがもたらしてくださった『鋼鉄の福音』が、いかに我々の世界を素晴らしいものに変えつつあるかを、語り合っていたところです! これも全て、介入者様と、そして日本の友人たちの、寛大なるご尽力のおかげです!」

 そのあまりにも露骨なゴマすり。だが、それは彼の本心からの感謝でもあった。この数ヶ月で、彼の国内支持率は、奇跡的な医療技術の実現を主導した偉大なリーダーとして、過去最高の数値を叩き出していたのだ。

 だが、彼はそこで終わらなかった。本題はここからだ。

「……つきましては、介入者様。……誠に申し上げにくいことではございますが、一つご相談が……」

 トンプソンは、最も丁重な、そして最も哀れみを誘うような表情を作った。

「……この素晴らしい代替装備技術ですが、ご存知の通り、現在はその全ての製造と施術を、日本のCISTが一手に引き受けてくださっております。……ですが、世界中から奇跡を求める患者が殺到し、CISTの処理能力は、もはや限界に達していると聞いております。……多くの患者が、順番を待つ間にその命の灯火を消してしまうという悲劇も、起き始めている。……これは、あまりにも人道に反する状況ではありますまいか」

 その言葉に、他のG7首脳たちも、まるで示し合わせたかのように、悲痛な表情で深く頷いた。

「……ですので、介入者様! どうか! どうか、我々G7の他の国々にも、あの素晴らしい『全自動サイボーグ化ポッド』と『医療用ポッド』を、一台ずつお分けいただくことはできませんでしょうか!? そうすれば、日本の負担を軽減し、より多くの人々の命を、より速やかに救うことができるのです! どうか、我々のこの人道的な願いを、お聞き届けください!」

 それは、G7の総意として練り上げられた、完璧な嘆願書だった。

 自国の利益のためではない。

 あくまで、全人類の福祉と、そして日本の負担を軽減するためなのだと。

 そのあまりにも見え透いた、しかし誰も反論できない正論の前に、介入者は静かに腕を組んだ。


 数秒間の沈黙。

 指導者たちは、固唾を飲んで神の審判を待った。

 やがて、介入者はふっと息を吐いた。

 それは、まるで出来の悪い子供たちの言い分を聞かされた、疲れた親のため息のようだった。


「――うーん……。まあ、君たちの言い分にも、一理ないこともない」


 その意外なほど前向きな言葉に、指導者たちの顔に、ぱっと希望の色が浮かんだ。

 だが、介入者の次の一言が、その希望を無慈悲に打ち砕いた。


「――だが、ダメだ」


 その、あまりにもあっさりとした拒絶。

「……なっ……!?」

 トンプソンは、言葉を失った。

「な、なぜですかな、介入者様!? 我々の願いは、それほどまでに聞き入れがたいものなのでしょうか!?」

 デュボワが、食い下がる。

 介入者は、まるで言うことを聞かない子供たちを諭すかのように、ゆっくりと首を横に振った。

『なぜだと? ……簡単なことだ。……あのポッドは、まだ『お試し』で日本に与えただけのプロトタイプに過ぎん。……あれをいきなり世界中に拡散させるのは、あまりにもリスクが高すぎる。……まずは、CISTという一つの厳格に管理された環境下で、最低でも地球時間で五年は運用データを収集し、その安全性と有効性を完璧に確立する必要がある。……君たちは、まだベータ版のOSを、全世界のインフラに導入しろと、そう言っているのだぞ。……その危険性が、分からんのかね?』

 そのあまりにももっともらしい、そして科学的に反論のしようのない理由に、G7の指導者たちは、ぐうの音も出なかった。

 そうだ。

 自分たちは、少し焦りすぎていた。

 神の技術を、あまりにも安易に考えすぎていた。

 トンプソンは、世界のリーダーとしてのプライドをずたずたにされ、悔しさに唇を噛み締めた。その表情には、「では、我々は何のためにここにいるのだ」という無言の抗議が滲んでいた。


 その気まずい沈黙が支配する空気を、介入者は見逃さなかった。

 彼は、まるで飴と鞭を使い分ける熟練の調教師のように、ふっとその声のトーンを和らげた。

『……だが、まあ。……君たちをそうがっかりさせたまま、手ぶらで帰すのも、私の寝覚めが悪い』

 その一言に、指導者たちの耳がぴくりと動いた。

『サイボーグ化ポッドは、まだ早い。……だが、君たちにはもう一つの素晴らしいオモチャが、与えられているはずだ。……そうだろう?』

 介入者の視線が、日本の郷田総理へと向けられた。

「……はっ。……仰せの通りです」

 郷田は、全てを察したように、静かに頷いた。


『――空間拡張技術だ』


 介入者は、宣言した。

『日本のCISTは、この一年、驚くべき速度でこの技術の基礎理論を完全にマスターし、その応用も、極めて安定したレベルで再現できるようになった。……そろそろ、この素晴らしい知識を、次の生徒へとバトンタッチしても良い頃合いだろう』

 その言葉に、G7の指導者たちの顔が、一斉に上がった。

 次の生徒?

 それは、誰のことだ?

 誰もが、固唾を飲んで神の指名を待った。

 介入者の深い蒼色の瞳が、ゆっくりと円卓を見回し、そして、一点でぴたりと止まった。


 ――アメリカ合衆国大統領、ジェームズ・トンプソンの、その目の前で。


『――特に、アメリカ』

 介入者の声が響いた。

『君たちの国には、NASAやDARPAといった、この技術をさらに発展させうる素晴らしい頭脳と組織がある。……そして何より、君たちのそのフロンティア・スピリットは、この未知なる領域を切り拓く上で、何よりも強力な武器となるだろう』

 彼は、静かに、しかし有無を言わせぬ力強さで宣告した。

『――良いだろう。……日本の次に、君たちの国にこの空間拡張技術を教えることを、許可する』


 その瞬間、トンプソンの脳内で、何かが爆発した。

 先ほどまでの屈辱と不満が、一瞬にして、純粋な、そして爆発的な歓喜へと変わっていく。

 ポッドが手に入らない?

 そんなことは、もはやどうでもいい。

 空間拡張技術。

 神が最初に人類に与えた、あの奇跡の力。

 その正統な後継者として、このアメリカが指名されたのだ。


「―――マジですかッ!!!!!!!!」


 彼の口から、もはや国家元首とは思えない、素っ頓狂な絶叫がほとばしり出た。

 彼は、椅子から跳ね起きると、まるで長年の親友に語りかけるかのように、介入者に向かって満面の笑みを浮かべた。

「おお……! おお、介入者様! なんという、なんという寛大なるお申し出! 信じられません! 本当によろしいのですか!?」

『ああ、構わんよ』

「流石です! 流石、介入者様ですね! あなた様は、やはり我々人類の真の友人だ! 素晴らしい! このジェームズ・トンプソン、そして一億のアメリカ国民は、貴殿のそのご期待に必ずや応えてみせることを、ここにお誓いいたします!」

 その、あまりにも見事な手のひら返しと、熱狂的な忠誠の誓い。

 他のG7首脳たちは、その光景を、羨望と嫉妬と、そしてほんの少しの呆れたような目で見つめていた。

 介入者は、そのアメリカ大統領の狂喜乱舞を、満足げに眺めていた。

 彼は、あまりにも巧みに、G7という名の獣たちの序列を、その手綱を、完全に掌握していたのだ。


 だが、介入者の本当の狙いは、そこでは終わらなかった。

 彼は、喜びに打ち震えるトンプソンを、静かに手で制した。

『まあ、落ち着きたまえ、ミスター・プレジデント。……ただし、この技術供与には、一つだけ重要な条件がある』

「条件ですと? なんなりと、お申し付けください!」

『ああ。……この技術を、私が直接君たちに与えるわけではない』

 介入者は、そう前置きすると、日本の郷田と的場へと、その視線を移した。

『――君たちの国の最高の科学者と技術者たちを、日本のCISTへと派遣したまえ。……そして、日本の友人たちから、直接その手で教えを乞うのだ』


 そのあまりにも予想外の、そしてある意味では屈辱的ですらある条件に、トンプソンの顔が、一瞬だけ引きつった。

 この世界の覇者であるアメリカが、かつて自分たちが支配し、守ってやっていたあの極東の小さな島国に、頭を下げて教えを乞えと、そう言うのか。

 その一瞬のプライドの葛藤を、介入者は完全に見透かしていた。


『どうしたね? ……不満かね?』

「いいえ! とんでもない!」

 トンプソンは、慌てて首を横に振った。

「素晴らしいご提案です! ええ、素晴らしい! 我が国の若き才能たちを、偉大なる先輩である日本の友人たちの元で学ばせる! ……なんと、なんと教育的な配慮に満ちたご提案でありましょうか!」

 その、あまりにも苦しい言い訳。

 だが、介入者は、その彼の心の揺らぎをさらに深く抉るように、その真意を語り始めた。


『――教えることは、最も優れた学びだ。……日本の友人たちも、君たちアメリカという新しい生徒に教えるという経験を通じて、自らの理解をさらに、さらに深めることになるだろう。……これは、日本にとっても大きなメリットがあるのだ』

 その言葉に、日本の郷田と的場は、はっとした。

 そうだ。

 これは、罰ゲームなどではない。

 我々もまた、このプロセスを通じて、成長することができるのだ。

『そして、君たちアメリカにとってもだ』と介入者は続けた。

『ただ与えられただけの知識など、本当の意味では身につかん。……自分たちの頭で考え、苦労し、そして時には失敗を繰り返しながら学び取ってこそ、その技術の本当の価値と、そしてその裏に潜む危険性を、魂で理解することができる。……私がやっているのは、安易な技術拡散を防ぐための、最も確実な安全保障でもあるのだよ』


 その、あまりにも完璧な教育論。

 そして、安全保障論。

 もはや、トンプソンに反論の余地はなかった。

 彼は、完全に納得させられたのだ。

「…………分かりました。……介入者様の、お考え、しかと理解いたしました。……謹んで、そのご指示に従わせていただきます」

 彼は、深々と頭を下げた。


 そして、介入者は、最後の、そして最も重要な、その計画の全体像を明らかにした。

 彼の視線は、もはやアメリカだけではなく、G7の全ての指導者たちへと向けられていた。

『――そして、このプロセスは、アメリカだけで終わりではない』


 その一言に、他の指導者たちが息を飲んだ。


『アメリカがこの技術を完全に習熟した、その暁には。……今度は、アメリカが教師となり、G7の次の国へと、その知識を伝授するのだ。……例えば、ドイツへ。……そして、ドイツが習熟したら、今度はドイツがフランスへ。……フランスがイギリスへ。……そうやって、人類が、人類自身のその手で、この神の知識のバトンを繋いでいくのだ』


 そのあまりにも壮大で、そして美しいビジョンに、G7の指導者たちは、もはや言葉もなかった。

 彼らは、理解した。

 介入者が、何を望んでいるのかを。

 彼は、我々にただ技術を与えたいのではない。

 彼は、我々人類が、互いに助け合い、教え合い、そして共に成長していく姿を、見たがっているのだ。

 それは、まるで父親が子供たちの成長を見守るような、厳しくも、どこまでも愛情に満ちた眼差しだった。


『――人類が、人類の手で自らを教育する。……それこそが、君たちがこの銀河の幼稚舎を卒業し、星間文明として自立するための、最初の、そして最も重要な卒業試験となるだろう』


 その、あまりにも荘厳な宣告。

 それが、この日の会議の最終的な結論となった。

 介入者は、その言葉を最後に、満足げに頷くと、すうっと光の粒子へと変わり、消え去った。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、そして神から与えられた壮大な卒業試験を前にして、呆然と立ち尽くす七人の王たちだけだった。

 彼らの心の中には、もはや嫉妬も打算もなかった。

 あるのは、これから始まる人類の新たな時代の幕開けに対する畏れと、そして震えるような興奮だけだった。

 世界は、新たな秩序の時代へと突入する。

 日本を教師として。

 アメリカを最初の生徒として。

 そしてG7を一つの教室として。

 人類の最も長く、そして最も困難な授業が、今、静かに始まろうとしていた。

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