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第4話 国家という名の会議室

 介入者メディエーターが残した、静かなる爆弾。

 銀色に輝く未知のドローンが、音もなく浮遊する会議室は、介入者が消え去った後、数分間の完全な沈黙に支配された。その場にいた日本の最高指導者たちは、誰一人として声を発することができず、まるで時間の止まった絵画のように、目の前の非現実的な物体を見つめていた。

 その均衡を破ったのは、外部からの轟音だった。

「総理! ご無事ですか!」

 マスターキーによって強制的に解錠された分厚い扉が開き、武装したSPセキュリティポリスたちが雪崩れ込んできたのだ。彼らは、室内の異様な静けさと、テーブルの中央に浮かぶ謎の物体を認め、即座に臨戦態勢を取った。

「動くな! それは何だ!」

「総理から離れろ!」

 だが、彼らが威嚇する相手は、そこにいなかった。SPたちの困惑をよそに、最初に我に返った郷田龍太郎総理は、重々しく、そして力強く手を上げた。

「……全員、銃を降ろせ」

「し、しかし総理!」

「命令だ」

 その有無を言わさぬ声に、SPたちは不承不承ながらも銃口を下げる。郷田は、すぐさま秘書官に矢継ぎ早に指示を飛ばした。

「直ちに、このフロアを完全に封鎖しろ。人の出入りは一切認めん。情報管理を徹底させろ。それから、内閣情報調査室の長官と、警察庁、防衛省の情報部長を、一分以内にここに呼べ。……いや、それから、JAXA(宇宙航空研究開発機構)と国内の主要大学から、最高の物理学者と工学者を、手段は問わん、何が何でも三十分以内にここに集めろ!」

 その言葉は、平時では考えられない、独裁者に近いほどの強権的な響きを帯びていた。だが、この異常事態において、その強引さが、かろうじて政府中枢の機能を崩壊からつなぎ止めていた。


 それから数時間。

 首相官邸の地下会議室は、さながら野戦病院のような様相を呈していた。

 緊急招集された日本最高の頭脳たちが、恐る恐る、そして興奮と畏怖の入り混じった目で、銀色のドローンを取り囲んでいる。だが、彼らの試みは、ことごとく無に帰した。

「ダメです、総理。あらゆるスキャンが通用しません。X線も、中性子線も、全てがこの物体の表面で吸収、あるいは屈折させられてしまいます。まるで、内側にブラックホールでも抱えているかのようです」

「組成分析も不可能。非接触型のレーザー分光器を照射しましたが、意味のあるデータは一切得られませんでした」

「周囲に、我々の知らない原理の力場が形成されています。この物体が、なぜ重力に逆らって浮遊しているのか、我々の物理学では説明がつきません。触れようとマニピュレーターを伸ばしましたが、見えない壁に阻まれて……」

 報告を聞くたびに、閣僚たちの顔は色を失っていく。それは、人類の知性が、完全に敗北した瞬間だった。この小さなドローン一つが、人類が何百年もかけて積み上げてきた科学という塔を、赤子の腕のようにへし折ってしまったのだ。

 郷田は、この一連の出来事を、国家の最高機密レベルを遥かに超える、『甲号案件』と名付けた。そして、その場にいた全員に、家族を含め、誰にも口外しないという誓約書に署名させ、違反した者は国家反逆罪に問うと、冷徹に言い渡した。

 情報統制は、完璧だった。世間は、何も知らない。日本の、いや世界の歴史が、根底から覆るような出来事が起きたことなど、夢にも思わずに、いつも通りの日常が流れている。

 そして、介入者が消えてから約八時間が経過した、深夜。

 昨夜のメンバーと情報機関のトップだけが、再び同じ会議室に、極秘裏に集められた。寝不足で充血した目に、憔悴しきった表情。彼らは、これから始まる議論が、自分たちの政治家生命どころか、国家の存亡そのものを左右するものであることを、痛いほど理解していた。

 テーブルの中央では、あの銀色のドローンが、変わらず静かに、そして嘲笑うかのように浮遊し続けている。


「――さて、諸君。昨夜の『介入者』と名乗る存在からの要求だが」

 重苦しい沈黙を破り、郷田総理が口火を切った。

「奴らは、我々に『一日』の猶予を与えた。我々との公式な対話の窓口を設置しろ、と。残された時間は、もう十六時間もない。早急に、担当部署と責任者を決めねばならん」

 その言葉を皮切りに、堰を切ったように閣僚たちの口から意見が噴出した。

「まず、これは明白な安全保障上の案件です! 相手の意図が善意であるという保証はどこにもない。窓口は、防衛省と自衛隊が主導で担当し、相手の技術、特に軍事的なポテンシャルを分析すべきです!」

 防衛大臣が、いつものように前のめりで主張する。

「待て、早計だ。相手は『技術発展を助けたい』と言っていた。これを経済再生の千載一遇の好機と捉えるべきだ。経済産業省と財務省が連携し、国益を最大化するための交渉チームを組織するのが筋だろう」

 財務大臣が、冷静に、しかし自省の利益をにじませながら反論する。

「いや、これはまず外交問題として捉えるべきだ。我々だけでこの問題を抱え込むのは危険すぎる。長年の同盟国であるアメリカには、即刻情報を共有し、連携して対応を……」

 外務大臣が、最も穏当な、しかし事なかれ主義的な意見を述べたが、それは郷田の一喝によって遮られた。

「馬鹿を言え! 介入者は、明らかに『日本政府』を名指しで選んだのだ。我々が試されていると言ったのを忘れたか。ここで他国に助けを求めるような真似をすれば、『この国に任せても無駄だ』と判断され、見限られるのがオチだ。この件は、当面、我が国単独で対応する。異論は認めん」

 総理の強い意志に、外務大臣はぐっと言葉を詰まらせた。

 議論は、完全に紛糾していた。誰もが、自分の専門分野、自分の省庁の視点からしか物事を語らない。それは、この未曾有の事態が、彼らにとって、自らの権益を拡大する好機にも、あるいは責任を押し付けられる災厄にもなり得るからだ。誰もが、この熱い鉄塊のような問題に、積極的に触れたがらない。

 郷田は、そんな閣僚たちの腹の探り合いに、苛立ちを隠せないでいた。時間がないのだ。悠長な縄張り争いをしている場合ではない。

 彼は、苛立たしげにテーブルを一度だけ叩くと、鶴の一声を発した。


「――もうよい! 時間の無駄だ!」


 その声に、会議室は再び静まり返る。

 郷田は、鋭い視線で閣僚たちを一人一人見回し、そして、テーブルの末席近くに座る、一人の男の上で、その視線を止めた。

 科学技術政策担当大臣、的場まとば俊介。

 著名な情報科学者から政界に転身した、まだ五十代の若手大臣だ。強力な政治基盤も持たず、派閥の力も弱い。その誠実な人柄と、専門分野における深い知識は評価されているが、このような魑魅魍魎が跋扈する政治の駆け引きの場においては、あまりに無力だった。

 郷田は、その最も反論しにくく、最も政治的影響力の少ない男に、狙いを定めた。


「的場君」


 穏やかな、しかし逆らうことを許さない声で、郷田は言った。

「まあ、ここは、科学技術担当大臣である君で良いんじゃないかな」

 その、あまりにも軽い、まるで町内会の役員でも決めるかのような口調に、的場は一瞬、自分の耳を疑った。


「…………わ、私、ですか!?」


 素っ頓狂な声が、静かな会議室に響き渡る。的場は、椅子から半分腰を浮かせたまま、信じられないという表情で総理を見返した。

「そ、総理! お待ちください! 私が科学技術担当であるとは言え、それはあくまで政策レベルの話です! 目の前にあるような、我々の科学を遥かに超越した存在とのコンタクトなど……!」

「だが、相手は我々よりも遥かに進んだ科学技術を持っているんだろう?」

 郷田は、的場の反論を、こともなげに切り返した。

「我々のような素人が交渉に出たところで、相手の技術の価値も、その危険性も、何も分かりはしない。相手の土俵は『科学』なのだから、その専門家である君が、我が国の代表として立つ。これほど、理に適ったことはないと思うがね。……これで良いよな、みんな?」

 郷田は、そう言うと、他の閣僚たちに、まるで根回し済みの案件を確認するかのように、同意を求めた。

 それは、悪魔のパスだった。

 このパスを受け取った大臣たちは、一瞬の躊躇の後、堰を切ったように賛意を示し始めた。彼らにとって、これほど都合の良い責任の押し付け先はなかったのだ。

「ふむ、総理の仰る通りですな。まずは、相手の科学レベルを正確に把握することが、全ての始まりでしょう。専門家である的場大臣こそ、適任です」

 防衛大臣が、腕を組んで重々しく頷く。

「そうだとも。的場大臣ならば、我々素人には分からない技術的な価値を正しく判断し、我が国の国益に繋がるような、素晴らしい交渉をしてくださるに違いない」

 財務大臣が、にこやかな笑顔で追従する。

「我々は、後方支援に徹します。的場大臣、日本の未来は、君のその双肩にかかっていますぞ!」

 外務大臣に至っては、激励の言葉まで送り始めた。

 四面楚歌。

 的場は、この言葉の意味を、これほど痛切に感じたことはなかった。誰もが、口では「適任だ」「期待している」と言いながら、その目の奥では「厄介事を引き受けてくれて、ご苦労さん」と嘲笑っているのが、手に取るように分かった。これが、永田町という名の伏魔殿の現実だった。

 彼は、必死に、最後の抵抗を試みた。

「お待ちください! 総理、皆様方! 私は情報科学が専門で、素粒子物理学や宇宙工学については、専門外です! それに、この問題は、もはや科学という一分野だけの問題では断じてありません! 外交、安全保障、経済、法律、そして倫理! あらゆる要素が複雑に絡み合った、超々重要案件です! それを、私一人の判断に委ねるなど、あまりにも危険すぎます!」

 それは、的場の偽らざる本心であり、火を見るより明らかな正論だった。

「それに、相手は我々を試していると、そう言いました! こんな、担当大臣一人に丸投げするような安易な人選で、我が国の見識を、そして人類の知性を、低く見積もられることになりかねません!」

 悲痛なまでの訴え。だが、その正論は、一度「責任を押し付ける」という方向に傾いた、この場の空気を変えるには、あまりにも無力だった。

 郷田は、そんな的場を、諭すような、しかし一切の反論を許さない目で、静かに見つめていた。

「……的場君。君の言うことは、全て正しい。だがな、我々には、時間がないのだ」

「……!」

「君が言うように、各分野の専門家を集めて、合議制で物事を決めていては、一日などあっという間に過ぎてしまう。相手が求めているのは、我々の『迅速な決断』だ。ならば、トップダウンで、一人の責任者に権限を集中させるしかない。それが、たとえ乱暴なやり方に見えようともな」

 そして、郷田は、最後の一撃を放った。

「これは、総理命令だ。君が、この国の代表として、介入者との窓口となれ。……嫌だとは、言わせんぞ」

 その言葉に、的場は、全身の力が抜けていくのを感じた。

 もう、何を言っても無駄だ。これは、決定事項なのだ。

 彼は、ゆっくりと、会議室にいる閣僚たちの顔を一人一人見回した。安堵の表情を浮かべる者、申し訳なさそうに目を逸らす者、そして、どこか面白がっているかのような表情を浮かべる者。

 ああ、そうか。

 これが、政治か。

 学者として、真理だけを追い求めてきた自分には、到底理解できない世界。だが、自分は、今、その世界のど真ん中にいる。

 的場は、ふーっ、と長く、深く、息を吐き出した。それは、諦念と、絶望と、そして、ほんのわずかな、科学者としての未知への好奇心が入り混じった、複雑な溜息だった。

 彼は、ゆっくりと椅子に座り直し、背筋を伸ばすと、郷田総理をまっすぐに見据えた。


「――はー……。分かりました」


 その声は、驚くほど、静かだった。


「その、大役。謹んで、お受けいたします。不肖、的場俊介、この身命を賭して、精一杯やらせていただきます」


 完璧な、公人としての答弁。その覚悟の決まった姿に、一部の大臣からは、ほう、と感嘆の声が漏れた。

 だが、的場の言葉は、まだ続いていた。

 彼は、にこり、と完璧な笑みを浮かべると、その場にいる、自分に全てを押し付けた閣僚たち全員に向かって、はっきりと言ったのだ。


「――恨みますよ、皆様がた」


 その言葉には、一切の皮肉も、冗談も含まれていなかった。それは、これから待ち受けるであろう、想像を絶する重圧と孤独を、たった一人で背負うことになった男の、偽らざる本音だった。

 そのあまりに率直な一言に、さすがの歴戦の政治家たちも、一瞬、言葉を失い、気まずそうに咳払いをするしかなかった。

 郷田は、そんな的場の姿を、満足げに、そして少しだけ申し訳なさそうに見つめると、力強く頷いた。

「うむ。すまん、的場君。君に、とんでもない重荷を背負わせてしまう。だが、これは、君にしかできん仕事だ。……分かった。これは総理命令だ。全ての省庁は、これより、的場科学技術担当大臣の指揮下に入り、この甲号案件について、全面的に協力せよ。いいね?」

 その言葉を、待っていた。

 的場は、もう学者でも、若手政治家でもない、冷徹な指揮官の顔になっていた。

「ならば、権限をください、総理。今この場で、私直属の、超法規的な対策チームの設立を、ご許可いただきたい。メンバーは、私が各省庁、民間、学術機関から、最高の専門家たちを、身分を問わずに選抜いたします」

「……うむ。チームの名称は?」

「はい。『対地球外知的生命体コンタクト及び交渉に関する特命対策室』。通称、**『CISTキスト』**と、いたします!」

 その気迫と、即座の行動力に、もはや、この会議室で彼を侮る者はいなかった。

 日本の、いや、地球の運命は、今、この瞬間、たった一人の男の双肩に、確かに託されたのだった。


 会議が終わり、深夜の首相官邸を後にした的場は、一人、大臣専用の執務室に戻った。

 机の上には、既に、彼の秘書官が血眼になってかき集めた、各分野のトップランナーたちの分厚い人事ファイルが、山のように積まれている。

 彼は、大きく、重い革張りの椅子に深く沈み込むと、天井を仰いだ。

 宇宙人。技術供与。交渉。

 数時間前まで、それはSF映画の中だけの話だった。それが今、自分の現実になっている。

 ポケットからスマートフォンを取り出し、愛する妻と、まだ幼い娘の写真が表示された待ち受け画面を、じっと見つめる。電話をかけようとして、指が止まった。何を話せばいい? 「実は、宇宙人と交渉する責任者になったんだ」とでも言うのか?

 言えるはずがなかった。

 彼は、そっとスマートフォンを机に置いた。

 この戦いは、誰にも共有できない、孤独な戦いなのだ。

 秘書官が、ノックと共に部屋に入ってきた。

「大臣、最初の人員リストです。ご確認を」

 的場は、覚悟を決めた目で、その分厚いファイルを受け取った。

「ああ。始めよう。……時間がない」

 彼の、人類の命運を賭けた、長くて短い、交渉の日々が、今、まさに幕を開けた。

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