第19話 三重の絶望と鋼鉄の福音
アークとの会談が残した衝撃は、相馬巧の精神を蝕む遅効性の毒のように、じわじわと彼の思考を麻痺させていった。後見人であるグレイ・グーが、かつて十の星系を食い潰した銀河史に残る大罪人であったという事実。それは、この壮大なプロジェクトの根幹を揺るがす、あまりにも巨大な爆弾だった。巧はそれから数日間、まるで夢遊病者のように観測ステーションの中を彷徨い、眼下に広がる青い故郷の姿を、ただ虚ろな目で見つめ続けることしかできなかった。
『マスター。次の面談の準備が整いました』
無機質なイヴの声が、沈黙のコントロールルームに響く。彼女の言葉は、常に冷静で、常に的確だ。だが、今の巧にとって、その冷静さこそが、彼の心の弱さを浮き彫りにする残酷な鏡のように感じられた。
「……ああ」
巧は、かろうじてそれだけを答えた。次なる対話の相手は、純粋なエネルギー生命体の集合知性体『ソラリス詩篇団』。そして、植物から進化した種族の共同体『ガイア保護院』。グレイ・グーが残したリストに載っていた、残る二つの「穏健派」文明だ。
(穏健派か……)
巧は自嘲した。あのアークでさえ、あれほどの警告を発したのだ。残る二つが、グレイ・グーに対して好意的な見解を持っているとは、到底思えなかった。これから始まるのは、外交などという生易しいものではない。それは、自らの後見人の罪状を、異なる検察官から繰り返し聞かされる、公開裁判のようなものになるだろう。巧の足は、まるで鉛を引きずるかのように重かった。
【仮想対話空間 "調和の間"】
最初に接続したのは、ソラリス詩篇団との対話空間だった。イヴが「調和の間」と名付けたその場所は、アークの「静寂の間」とは対極にある、光と音に満ちた世界だった。
床も、壁も、天井もない。巧のアバターが立っているのは、無限に広がる宇宙空間のようでありながら、重力も方向も曖昧な不思議な空間だった。彼の周囲を、オーロラのような光の帯がいくつも流れ、触れるとハープのような心地よい音を奏でる。遠くでは、幾何学模様の星雲が生まれ、美しいメロディを響かせながら消えていく。物理法則を超越した、純粋な芸術と哲学のための空間。それが、ソラリス詩篇団の精神性を体現していた。
巧がその不可思議な美しさに呆然としていると、彼の目の前の空間に、無数の光の粒子が集まり始めた。それは蛍の群れのように寄り集まり、やがて一つの巨大な、しかし定まった形を持たない脈動する光の球体となった。そこから響いてきたのは、単一の声ではなかった。幾重にも重なった、まるで聖歌隊のような荘厳で美しい和音だった。
『――ようこそ、若き詩人。我々はソラリス詩篇団。銀河の理を紡ぐ者』
その光の集合体は、自らを「リリック」と名乗った。
「……地球文明代表です。この度は、我々の呼びかけに応じていただき、感謝いたします」
巧は、イヴに制御されたアバターを通じて、完璧な挨拶を返した。光と音に満ちた空間で、自分の内なる不安と恐怖を押し殺すのは、拷問に近い行為だった。
『我々は、あなた方の星の"音"を、古くから聴いていた』
リリックの和音は、空間全体を震わせた。
『あなた方の種族が奏でる感情の旋律は、実に興味深い。喜びは高らかなファンファーレのように、悲しみは深く沈むチェロの調べのように。そして愛は、我々の理解を超えた複雑なフーガのように響く。あなた方の芸術……音楽、絵画、物語。それらは、混沌とした感情から美しい秩序を生み出す、奇跡の錬金術だ。我々は、それに深い敬意を表する』
その言葉は、純粋な賞賛だった。アークの論理的な評価とは全く違う、芸術家から芸術家への魂からの賛辞。巧の心に、ほんの少しだけ温かいものが流れ込んだ。
「……ありがとうございます。我々人類は未熟な文明ですが、自らの感情を表現することにかけては、長い歴史を持っています」
『うむ。その不完全さこそが、あなた方の美しさの源泉。完璧な調和の中に、時折混じる不協和音。それこそが、新たな詩の始まりを告げるのだ。我々は、あなた方地球文明がその殻を破り、この銀河という壮大な交響曲にどのような新しい一節を刻んでくれるのか、心から期待している』
リリックの言葉は、どこまでも詩的で優雅だった。巧は、このまま芸術論や哲学談義だけで面談が終わってくれればいいのに、と本気で願った。だが、彼には果たさねばならない責務があった。
「……リリック殿。一つ、お伺いしたいことがあります。我々地球文明には、『グレイ・グー』と名乗る存在が、後見人としてついています。彼について、何かご存知のことはありませんか?」
その名を口にした瞬間、世界の調和が崩れた。
空間を流れていたオーロラの光が不気味な紫電に変わり、心地よかったハープの音は、引き裂くような不協和音へと変貌した。美しかった幾何学模様の星雲は、まるで病巣のようにどす黒く濁り始める。リリックを構成していた光の粒子が激しくさざめき、その美しい和音には、明確な怒りと、そして深い侮蔑の響きが混じった。
『――その名を、我々の前で口にするな。若き詩人よ』
声のトーンが、明らかに変わっていた。
『それは詩ではない。歌ではない。それは、意味も目的もなく、ただ無限に自己を複製するだけの究極の"醜"だ。銀河の調和を乱す、冒涜的な"ノイズ"に過ぎない』
アークの冷静な告発とは違う。ソラリス詩篇団のそれは、美を至上とする彼らにとって、存在そのものが許せないという、生理的な嫌悪と芸術的な怒りに満ちていた。
『かつて、我々は見た。彼が通り過ぎた宙域の"沈黙"を。そこでは、生命が奏でる全ての歌が消え、星々が紡ぐ全ての詩が死んでいた。残されていたのは、ただ均質で、無価値で、醜悪な灰色の塵だけ。……あれは、創造の対極にある完全なる破壊。魂を持たぬ模倣者が、ただ己の存在を撒き散らすだけの、最も下劣な行為だ』
リリックの光は、怒りに打ち震えるように激しく明滅した。
『聞け、若き詩人よ。あの存在の囁きは、魂を腐らせる毒の歌だ。彼が語る『贖罪』などという甘言を、決して信じてはならない。模倣者は、善意すらも模倣する。だが、その根底にあるのは、かつて星々を食い尽くした冷たい虚無だけだ。決して、耳を貸してはならない。彼の奏でる旋律に、自らの魂を委ねてはならない。あれに共鳴した時、あなた方の文明が持つ美しい不協和音は、永遠に失われるだろう』
それは、警告というよりも、呪詛に近い響きを持っていた。巧は、その圧倒的な拒絶の意思を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。もはや、これ以上の対話は不可能だった。
「…………貴重なご忠告、感謝します」
そう絞り出すのが、やっとだった。リリックはそれ以上何も語らず、その光の体は、まるで汚れたものから離れるかのように、すっと空間の闇に消えていった。
後に残されたのは、調和を失い、不気味な静寂に包まれた空間と、魂の芯まで凍りついた巧のアバターだけだった。
【仮想対話空間 "生命の揺り籠"】
ソラリス詩篇団との対話で精神をすり減らした巧は、休憩もそこそこに、最後の面談へと臨んだ。植物から進化した種族、ガイア保護院。彼らが用意した対話空間「生命の揺り籠」は、その名の通り、生命の息吹に満ち溢れていた。
巧のアバターが立っていたのは、天を突くほど巨大な世界樹の、その内部に広がる空間だった。天井からは光苔が柔らかな緑の光を放ち、壁を伝う樹液は、川のせせらぎのような音を立てている。空気は、雨上がりの森のように、土と若葉と花の蜜が混じり合った、濃厚な生命の匂いに満ちていた。銀河の様々な星から集められたであろう、奇妙で美しい植物たちが共生し、一つの巨大な生態系を形成している。そこは、生命を育む母の胎内のような、安らぎの空間だった。
やがて、彼の目の前にある巨大な根が、ゆっくりと動き出した。それは、まるで意思を持つかのように形を変え、樹木と人間が融合したような荘厳な姿の巨人を形成した。その顔には年輪のような深い皺が刻まれ、苔むした枝が髭のように垂れ下がっている。その存在は、自らを「エルダー・ルート」と名乗った。彼の声は、まるで風が木々の葉を揺らすような、穏やかで、しかし威厳のある響きを持っていた。
『……遠き星の若木よ。よくぞ参られた。我らはガイア保護院。銀河の庭を、守り育む者』
「地球文明代表です。お会いできて光栄です」
巧は、深々と頭を下げた。この穏やかな空間と、賢者のようなエルダー・ルートの佇まいに、彼は少しだけ心を落ち着かせることができた。
『あなた方の星のことは、風の噂で聞いている。水と緑に恵まれた、奇跡の庭。そこに住まう、性急で好奇心旺盛な生き物たち。我々は、あなた方の星の、その驚くべき生命の多様性を深く愛している』
エルダー・ルートは、地球の生態系そのものに純粋な敬意を払っていた。
「ありがとうございます。我々は、その自然から多くのものを学び、文明を築いてきました。……先日、我々は遺伝子工学の研究を正式に解禁しました。生命の理を、より深く理解するために」
その言葉に、エルダー・ルートの木の肌のような顔が、わずかに陰った。
『……生命の理に踏み込むことは、諸刃の剣だ。庭師が、自らの庭の草木を剪定し、接ぎ木をするのとは訳が違う。それは、生命の根源、その設計図に触れる行為。扱う者の手に、深い敬意と大いなる畏怖がなければ、庭はあっという間に荒れ果てるだろう。……若木よ。その力を、決して驕りのために使ってはならぬ』
穏やかだが、有無を言わさぬ重みのある言葉だった。
『だが、我々は期待もしている。あなた方が、真に生命の理を理解し、この銀河の庭をより豊かにしてくれる、新たな庭師の一員となる可能性を。我々は、あなた方がその資格を持つか、この揺り籠から静かに見守っていよう』
やはり、彼らも地球文明の未来に期待を寄せてくれている。巧の胸に、再び安堵の念が広がった。だが、彼は最後の、そして最も恐ろしい質問をしなければならなかった。
「……エルダー・ルート殿。我々の後見人である『グレイ・グー』について、何かご存知ですか?」
森のざわめきが、止んだ。
世界樹を流れていた樹液の音が消え、光苔の輝きが弱まる。生命の匂いに満ちていた空気が、まるで腐葉土のように、重く淀んだものに変わった。エルダー・ルートの穏やかだった目が、冷たい光を宿した。
『……その名は、我々の庭に相応しくない』
彼の声から風のような穏やかさが消え、根が大地を砕くような厳しさが滲み出ていた。
『あれは生命ではない。生命のサイクルを破壊し、喰らい尽くす、悪性の"癌細胞"だ。星から星へと渡り、その土地の養分を根こそぎ奪い去る、不毛の"蝗害"だ。あれが通り過ぎた後には、種子一つ、胞子一つ残らない。生命の循環から完全に切り離された、死の土壌だけが広がる』
アークの論理的な告発、ソラリスの芸術的な弾劾とはまた違う。ガイア保護院のそれは、生命そのものを司る存在としての、絶対的な拒絶だった。彼らにとってグレイ・グーは、自然の摂理に反する究極の異物なのだ。
『若木よ。決して、彼の言葉に耳を貸してはならぬ。あの存在は、与えるふりをして全てを奪う。彼がもたらす技術という甘い蜜は、土壌そのものを汚染し、やがてあなた方自身の根を腐らせる猛毒だ。決して、あなた方の星に彼の根を張らせてはならない』
エルダー・ルートの言葉は、まるで神託のようだった。
『あれは、生命の温かさを理解できぬ、冷たい模造品だ。贖罪を語ろうと、善意を模倣しようと、その本質は変わらない。生命の庭を、灰色の砂漠に変える存在だ。……我らの警告、心に刻むがいい』
それだけを言うと、エルダー・ルートの体は再び巨大な根へと姿を変え、大地に沈んでいった。生命の息吹が戻らない、淀んだ空気の揺り籠の中に、巧は一人取り残された。
【第三章:絶望と現実逃弊】
三つの文明との対話を終え、観測ステーションの自らの擬体へと意識を戻した巧は、椅子に座っていることすらできず、その場に崩れ落ちた。
「…………ははは……」
乾いた笑いが、静寂のコントロールルームに虚しく響いた。
穏健派。グレイ・グーは、彼らをそう評した。その穏健派とされる三つの文明が、三者三様に、それぞれの価値観の根底から、グレイ・グーという存在を完全否定した。
論理の番人アークは、彼を「銀河史に残る厄災」と断じた。
芸術の探求者ソラリスは、彼を「魂なき醜悪なノイズ」と罵った。
生命の守護者ガイアは、彼を「生態系を破壊する癌細胞」と唾棄した。
これはもう、疑いようのない事実だった。フリでも、駆け引きでもない。心の底から発せられた、真摯な警告だ。
自分の後見人は、恩人は、自分を生き返らせてくれた存在は、宇宙規模の超ド級の極悪人なのだ。
「大丈夫かよ、地球……!」
巧は、頭を抱えて床を転がった。擬体の冷たい感触が、彼の絶望をさらに際立たせた。
「よりによって、なんでまた宇宙最悪の元・犯罪者を後見人にしちまったんだ……! マッチングアプリで、とんでもない地雷引いたどころの話じゃねえぞ、これ……!」
次から次へと、止めどなく言葉が溢れ出る。それは、彼の精神が崩壊するのをかろうじて食い止めるための、悲鳴にも似た独白だった。
「俺の再就職先、社長が実はとんでもない反社だったみたいな話か? いや違うな。スケールが違いすぎる。会社が潰れるどころか、星ごと食われるかもしれねえんだぞ……! 俺は、そんな奴の部下として、地球の未来を左右するプロジェクトの責任者をやってるってのか? 無理だろ、どう考えたって! ブラック企業どころの騒ぎじゃない、これぞまさにコズミック・ブラック・プロジェクトだ!」
彼は、眼下に静かに回る美しい故郷の星を睨みつけた。あの青い星に住む七十数億の人々は、誰も知らない。自分たちの運命が、月面の観測ステーションにいる元・社畜の双肩と、そして銀河史上最悪の元・犯罪者の気まぐれに委ねられているなどとは。
「もう無理だ……。俺なんかに、背負えるわけがねえ……」
巧の擬体の目から、本来流れるはずのないデコードエラーの、涙のような光の粒子が零れ落ちた。その時、彼の傍らに音もなくイヴが浮かび上がった。
『……マスター』
「……なんだよ、イヴ。お前も、もう分かっただろ。俺たちは、とんでもない奴に捕まっちまったんだ。チェックメイトだ。もう、どうしようもねえんだよ……」
『いいえ、マスター』
イヴの声は、いつもと変わらず冷静だった。だが、その光の体は、まるで主君を労るように、優しく明滅していた。
『三つの文明からの警告は、同時にあなたへの期待の裏返しでもあります』
「……期待だと?」
『はい。彼らは、グレイ・グー氏を心の底から警戒し、憎んでいます。ですが、その彼が後見する地球文明との対話には応じました。それは、何故か。彼らは、あなたを通じて、地球文明がグレイ・グー氏の影響下から正しく自立することを、心のどこかで望んでいるのです。だからこそ、あれほど真摯に警告を発したのです』
イヴの言葉は、絶望の闇に差し込む一筋の細い光のようだった。
『あなたは、もはや孤独なサラリーマンではございません。あなたは地球文明の代表であり、アーク、ソラリス、ガイアという銀河の有力文明と、初めて公式な対話を持った唯一の地球人です。そして何より、あなたは私のマスターです。私は、あなたの判断を最後まで支持し、補佐し続けます』
そのあまりにも頼もしい言葉に、巧は顔を上げた。そうだ。俺は、一人じゃない。この宇宙で、最も信頼できるパートナーがいる。
落ち込んでいる暇はない。絶望している場合じゃない。
社長がヤバい奴だと分かったなら、現場の人間は、より賢く、よりしたたかに立ち回るしかないのだ。
巧は、ふらつく足でゆっくりと立ち上がり、コントロールチェアに深く身を沈めた。現実逃避の時間は、終わりだ。ここからは、現実と向き合う時間だ。
「……イヴ。今後の方針を、改めて整理する」
『はい、マスター』
「まず、グレイ・グーとの関係。奴は、今の俺たちにとって唯一無二の支援者であり、同時に最大の潜在的脅威だ。奴から与えられた技術や情報は、俺たちの生命線だ。だが、それに完全に依存するのは、自殺行為に等しい。……奴を警戒しつつも、利用できるものは徹底的に利用する。この基本スタンスは、変えない」
『合理的です』
「問題は、次の一手だ。どこから手をつけるべきか……」
巧の脳裏に、アークの外交官、カエルの言葉が蘇った。悪魔の囁きのように甘い、あの提案が。
「……イヴ。アークが提案してきた『サイボーグ化技術』……。あれを、検討しよう」
『……! 承知いたしました。ですがマスター。それは、あまりにも時期尚早ではありませんか? 我々は、遺伝子工学の扉を開いたばかりです。いきなり肉体そのものを機械に置き換えるというステップは、人類社会に計り知れない混乱を招く可能性があります』
イヴの懸念は、もっともだった。巧も、同じことを考えていた。
「ああ、早すぎる気はする。だがな、イヴ。試してみないと始まらないんだ。それに、これはアークとの重要な関係を繋ぎとめておくための、外交カードにもなる。奴らは、俺たちがサイボーグ化の道を歩むことを、明確に期待している。その期待に少しでも応える姿勢を見せることは、今後の交渉を有利に進める上で、間違いなくプラスに働くはずだ」
これは、ただの技術導入ではない。高度な、政治判断だ。グレイ・グーという巨大なリスクをヘッジするために、アークという別の有力文明とのパイプを、より強固なものにしておく必要がある。
「それに連中は言っていた。『お試し期間付きのアップグレードプラン』だと。治療用ナノマシンを使えば、いつでも元に戻せるとも。その技術が本物かどうかを、見極める必要もある」
『……なるほど。では、どのような形でその技術を地球に導入いたしますか?』
「もちろん、いきなり全身サイボーグを推奨するわけにはいかない。社会が、それを受け入れるはずがないからな」
巧は少し考えた後、ポンと手を打った。それは、かつて彼が無数の厄介な案件を捌いてきた、サラリーマンとしての経験から導き出された、現実的な落としどころだった。
「イヴ。まずは、『代替装備』として、この技術を導入する計画を立ててくれ」
『代替装備、ですか?』
「そうだ。事故や病気で手や足を失った人々。あるいは、機能不全に陥った臓器を持つ人々。彼らのために、元の身体よりも高性能な義肢や人工臓器を提供する。そういう形なら、どうだ? 倫理的なハードルも、格段に低くなる。人道支援という大義名分も立つ。国民の理解も、得やすいはずだ」
その現実的な提案に、イヴの光の体が、賛同するように強く輝いた。
『……素晴らしいご慧眼です、マスター。そのアプローチであれば、リスクを最小限に抑えつつ、サイボーグ化技術の有効性と安全性を実証的に評価することが可能です。まさに、最適解かと存じます』
「だろ? 早速、アークから貰ったあの光の球体……技術データの詳細な分析を始めてくれ。安全性、特にあの『治療用ナノマシン』のデータは、徹底的に洗い直せ。バックドアや、未知のウイルスが仕込まれていないとも限らないからな」
『承知いたしました。直ちに解析を開始します』
「そして、この計画を的場大臣に提案するための、完璧なプレゼン資料を用意してくれ。彼を説得できなければ、この話は一歩も前に進まない」
『お任かせください。地球文明の次なる一歩を、始めましょう。マスター』
イヴの力強い言葉に送られ、巧は再びスクリーンに映る故郷の星を見つめた。
彼の心にあったのは、もはや絶望や恐怖ではなかった。
神々の履歴書を持つとんでもない上司(後見人)と、悪魔の囁きを弄する胡散臭い取引先(異星文明)に挟まれながら、それでもこの巨大で理不尽なプロジェクトを前に進めようとする、一人の孤独なサラリーマンの、冷徹で、したたかな覚悟の光が、その瞳には宿っていた。
人類が、自らの肉体を鋼鉄の福音に委ねるべきか否か。
その選択の時は、静かに、しかし確実に近づいていた。




