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過労死サラリーマン、銀河の無茶振りに挑む 〜地球の存亡は10年後の星間会議(ミーティング)で決まるそうです〜  作者: パラレル・ゲーマー


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第15話 新しい鉄のカーテン

 その声明は、アメリカ東部標準時の午後二時、全世界が固唾をのんで見守る中、ホワイトハウスのプレスブリーフィングルームから発信された。

 壇上には、壮観という以外に表現のしようのない光景が、広がっていた。

 アメリカ合衆国大統領ジェームズ・トンプソンを中心に、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダ、そして日本の首脳たちが、まるで一枚岩の城壁のように肩を並べて立っている。昨日まで互いに疑心暗鬼と嫉妬の視線を交わし、日本の独占を非難していた男たちの姿は、そこにはなかった。彼らの顔には、共通の、そしてあまりにも巨大な秘密を共有した者だけが纏う、悲壮なまでの連帯感と、揺るぎない決意が漲っていた。


 アメリカのトンプソン大統領が、G7を代表してマイクの前に立った。世界中の何十億という人々が、テレビやスマートフォンの画面越しに、彼の言葉を待っていた。


「――親愛なる世界の市民の皆さん。本日、我々G7の指導者たちは、人類の歴史における新たな章の幕開けを、ここに共同で宣言するために集まりました」


 その、あまりにも荘厳な前置き。

 世界中の記者たちが、息を飲む。


「皆様も既にご存知の通り、我が偉大な同盟国である日本は、先月、人類の科学を数世紀分飛躍させる奇跡的な技術、『空間拡張技術』の実証に成功しました。この一ヶ月、世界は、そのあまりにも大きな発見を前に、期待と、そしていくばくかの混乱の中にありました。なぜ、日本だけが? その技術は、どのように世界と分かち合われるべきなのか? ……我々G7もまた、皆様と同じ疑問を抱いておりました」


 トンプソンは、そこで一度言葉を切った。

 そして、隣に立つ日本の郷田総理の肩に、親しげに手を置いた。


「ですが昨日、我々は、日本の勇敢な友人たちから、全ての真実を打ち明けられました。そして我々は、理解したのです。我々がこれまで日本に対して抱いてきた疑念が、いかに的外れで、そして恥ずべきものであったかを」


 その、衝撃的な告白。

 G7が、日本に謝罪したとでもいうのか?

 記者席が、大きくどよめく。

 トンプソンは、構わず続けた。


「結論から申し上げます。日本は、間違ってはいなかった。それどころか、彼らはこのあまりにも重い人類の宿命を、ただ一国でその双肩に背負い、我々全人類のために、気高く戦ってくれていたのです」


 彼は壇上にいる他の首脳たちを一人一人見回し、そして全世界に向かって、高らかに宣言した。


「本日、我々G7は、ここに『ワシントン共同宣言』を採択しました。その趣旨は、極めてシンプルです。第一に、我々G7は、空間拡張技術の研究開発において、日本が果たしてきた、そしてこれから果たしていくであろう主導的な役割を、全面的に支持し、尊重する。この未知の技術を、人類にとって最も安全で、そして有益な形で成熟させるためには、まず、その第一人者である日本が、その研究に集中できる環境を整えることが最善の道であるという結論に、我々は達しました」


「第二に!」

 トンプソンの声のトーンが、一段上がった。

「我々G7は、この日本の崇高な努力に対して、いかなる形であれ不当な圧力や妨害を加えようとする、いかなる国家、組織、個人に対しても、G7が一致団結し、断固として対抗することを、ここに誓います。友好国への恫喝や恐喝を用いて、人類の宝を独占しようとするような輩の卑劣な行いを、我々は決して座視しない!」


 それは、脅迫だった。

 名指しこそ避けてはいるが、その言葉の刃がどの国に向けられているかは、火を見るより明らかだった。

 中国、そしてロシア。

 G7という世界最強の経済的、軍事的同盟が、今この瞬間、日本の絶対的な守護者となることを、全世界に宣言したのだ。

 トンプソンは最後に、まるでミュージカルのフィナーレのように、両腕を大きく広げた。


「世界の市民の皆さん! どうか、ご理解いただきたい! 我々が今日行っていることは、技術の独占ではありません! 未来の共有です! 日本の友人たちがその茨の道を歩み終えたその時、この奇跡の恩恵は、必ずや全世界の人々と、公平に分かち合われることになるでしょう! その輝かしい未来を信じ、今はただ静かに、そして力強く、我々の代表である日本を応援しようではありませんか! 進め、日本! 進め、人類! 未来は、我々の手の中に!」


 えいえいおー!

 その幻聴が聞こえたかのような、あまりにも熱狂的で、あまりにも芝居がかった演説。

 演説が終わると、壇上のG7首脳たちは、示し合わせたかのように郷田総理の周りに集まり、その手を固く、固く握りしめた。

 フラッシュが、嵐のように焚かれる。

 その歴史的な一枚の写真が、瞬く間に全世界へと配信されていった。

 それは、西側世界の完全な勝利と、そして新たな時代の幕開けを告げる、一枚の絵画のようだった。


【世界の反応】


《東京・渋谷スクラブル交差点》


 そのニュースは、渋谷の巨大な街頭ビジョンに、繰り返し、繰り返し映し出されていた。

 信号待ちをしていた大勢の人々が、皆足を止め、食い入るようにその画面を見上げている。

「……すげえ……」

 高校生の少年が、呆然と呟いた。

「G7が、全部日本の味方についたってこと……? 俺たちの国、いつの間にそんな世界のリーダーになってたんだ……?」

「見た? アメリカの大統領が、総理の肩抱いてたわよ。なんか、感動しちゃった」

 若い女性が、スマートフォンでその歴史的な写真を撮りながら、興奮気味に話している。

 この一ヶ月、日本国民は、誇らしさと同時に、世界から孤立するのではないかという漠然とした不安の中にいた。

 だが、その不安は今日この瞬間、完全に払拭された。

 日本は、孤独ではなかった。

 それどころか、世界の中心として、自由主義社会の希望の象徴として、そのリーダーたちから認められたのだ。

 街には、一種の祝祭的な高揚感が満ち溢れていた。

 テレビのワイドショーでは、全ての番組がこの話題で持ちきりだった。コメンテーターたちが、興奮した面持ちで語っている。

「いやー、歴史が動きましたね! まさに日本の戦後復興、そして経済大戦を乗り越えたその誠実な国民性が、ついに世界に認められたということでしょう!」

「これでもう、どの国も我が国に手出しはできません! 我々は、G7という最強の盾を手に入れたのです!」

 インターネットのトレンドワードは、『#G7は日本の味方』『#誇らしい国ニッポン』『#ありがとうG7』といった、肯定的なハッシュタグで埋め尽くされた。

 株価は、史上最高の値をつけ、円は、基軸通貨としてのドルに迫る勢いで買われた。

 日本は、かつてのバブル期すら霞んで見えるほどの空前絶後の好景気と、そして国民全体の万能感に包まれていく。

 だが、その熱狂の片隅で。

 一部の冷静な人々は、気づいていた。

 手に入れた盾が大きければ大きいほど、その盾を向けられる敵もまた、強大になるという単純な事実に。


《北京・中南海》


 中国共産党の最高指導部の執務室は、氷のような静寂と怒気に支配されていた。

 巨大な紅木の執務机の上で、国家主席は、G7の共同声明の全文が表示されたタブレットを、指先でなぞっていた。その指は、怒りで微かに震えている。

 彼の前に直立不動で立つのは、国家安全部と人民解放軍統合参謀部のトップたちだ。彼らの顔もまた、屈辱と憤怒で歪んでいた。

「……ふん。茶番だな」

 国家主席は、吐き捨てるように言った。

「G7が、一団となってだと? 笑わせる。これは、G7という名の時代遅れの海賊同盟が、日本という新たな獲物を見つけ、その富を山分けするための談合に過ぎん」

 彼の分析は冷徹で、そしてある意味では、本質を突いていた。

「奴らは、我々を恐れているのだ。この奇跡の技術が、我が国の手に渡ることを、何よりも恐れている。だからこそ、日本を自らの陣営に完全に囲い込み、我々を排除するための新しい『鉄のカーテン』を下ろした。……これが、奴らの言う『新しい世界秩序』の正体だ」

 統合参謀部のトップが、一歩前に進み出た。

「主席。……もはや、悠長なことを言っている時間はありません。G7は事実上、我が国とロシアに対する宣戦布告を行ったも同然です。……軍事的な選択肢も、視野に……」

「馬鹿を言え!」

 国家主席が、一喝した。

「今ここで軍を動かせば、それこそ奴らの思う壺だ! 我々は、世界から侵略者としての烙印を押され、G7に大義名分を与えることになる。……戦争は、まだ早い。……我々がやるべきは戦争ではない。もっと静かで、もっと陰湿な『闘争』だ」

 彼の目に、冷たい計算の光が宿った。

「諜報活動を強化しろ。CISTとかいう、日本の秘密組織。その全てを、丸裸にしろ。科学者の一人残らずリストアップし、弱みを握れ。金、女、思想……使えるものは、何でも使え。技術を直接盗めないのなら、技術を持つ人間ごと、こちら側に引きずり込めば良い」

「はっ!」

 国家安全部のトップが、力強く頷いた。

「そして、経済だ。我が国が進める『一帯一路』。その影響下にあるアジア、アフリカ、南米の国々を、完全に我々の陣営に引き込む。G7が富の独占を図る強欲な帝国であるというプロパガンダを、世界中に流せ。発展途上国の怒りと不満を煽り、G7の足元を揺さぶるのだ」

 それは、全面戦争ではない。

 だが、それ以上に根深く、そして終わりの見えない新たな冷戦の始まりを告げる、号令だった。

 技術を巡る、覇権争い。

 世界は、G7という巨大な城壁と、その外側で牙を研ぐ中露という二頭の龍との間で、二つに引き裂かれようとしていた。


《モスクワ・クレムリン》


 ロシア大統領は、執務室の窓から、雪が舞い始めた赤の広場を、無表情で見下ろしていた。

 彼の背後の大型モニターには、G7のあの歴史的な握手の写真が、映し出されている。

「……やれやれ。まるで、ヤルタ会談だな。……もっとも今回は、我々は、そのテーブルにすら招待されなかったというわけか」

 彼の声には、怒りよりもむしろ、皮肉と諦観が滲んでいた。

「西側は、いつの時代も変わらんな。自分たちのクラブハウスに閉じこもり、それ以外の人間を野蛮人と見下す。……そして今度は、宇宙人までそのクラブに引き入れたというわけだ。……滑稽な芝居だ」

 彼の前に立つ対外情報庁(SVR)の長官が、静かに言った。

「大統領。……中国の国家主席から、緊急のホットライン要請が入っております。おそらくは、対G7の連携についてかと……」

「繋げ」

 大統領は、短く命じた。

「奴らの言うことも、聞くだけ聞いてやろう。……だが、忘れるな。我々は中国の下僕ではない。我々には、我々のやり方がある」

 彼の氷のような青い瞳が、モニターの中の日本の郷田総理の老獪な笑顔を、射抜いた。

「……日本か。面白い国だ。かつては我々と同じ帝国の野望を抱き、そして西側に牙を抜かれ、経済動物として飼い慣らされた哀れな国だと思っていたが……。どうやらその腹の底には、我々が想像するよりも、遥かに深い野心を隠し持っていたらしい。……あるいは、あの神とやらも、日本の老獪な狐に、まんまと手玉に取られているだけなのかもしれんぞ……?」

 彼は、ふっと笑った。

 それは、全てを見透かしたような、冷たい笑いだった。

「……いいだろう。ゲームは始まったばかりだ。西側が正面から城壁を築くというのなら、我々は、その地下からトンネルを掘るまでだ。……SVR、GRU、全てのアセットを総動員しろ。……日本のあの聖域の、一番柔らかい部分を探し出すのだ。……どんな堅牢な城にも、必ず裏口というものはあるのだからな……」


《CIST地下本部 & 月面観測ステーション》


「――確率98.7%」

 月面の相馬巧の脳内に、イヴの淡々とした分析結果が響いた。

「G7共同声明の発表を受け、今後一年以内にCISTに対して大規模な諜報活動及びサイバー攻撃が発生する確率は、98.7%へと上昇しました。……マスターのご計画通り、世界は軍事的な衝突を回避する代わりに、水面下での熾烈な情報戦争の時代へと突入いたしましたわね」

 巧は、ホログラムスクリーンに映し出される北京とモスクワの最高機密会議の様子を、神の視点から眺めながら、静かに頷いた。

「ああ。……計画通りだ」

 その声には、安堵も高揚もなかった。あるのは、巨大なプロジェクトを次のフェーズへと移行させる、マネージャーの冷徹な覚悟だけだった。

「これで、人類は二つの陣営に分かれて、競争を始める。俺が与える『アメ』を巡って、互いに競い合い、騙し合い、そして結果として、文明全体の技術レベルを猛烈な勢いで引き上げていく。……いわば、世界規模の蠱毒だ。最も強く、最も狡猾な虫だけが、生き残る」

 その、あまりにもマキャベリスティックな計画。

 自分は、人類を救うために、人類を互いに争わせているのだ。

 その途方もない矛盾と罪悪感を、彼はただ一人で背負い続けていた。


 同じ、その時。

 富士の樹海の、地下深く。

 的場俊介もまた、同じ結論に達していた。

「……つまり我々は、G7という最強の盾を手に入れたと同時に、中露という最強の矛を向けられる、的になったということだ」

 彼の前に立つ湯川教授が、重々しく頷いた。

「その通りですな、大臣。……これよりこのCISTは、科学の聖域であると同時に、世界で最も危険な戦場となります。……物理的な防衛は自衛隊に任せるとして、問題は内部です。……人間という最も脆く、そして最も攻略しやすい城壁を、我々は、どう守るべきか」

 二人の視線の先には、巨大なガラス窓の向こう側で、歓声に沸く若い科学者たちの姿があった。

 彼らは、日本の、そしてG7の勝利に心から酔いしれ、自分たちが歴史の中心にいるという高揚感に、満ち溢れている。

 だが、的場と湯川には見えていた。

 その純粋な科学への探究心や愛国心という光の裏側に潜む、金銭欲、名誉欲、あるいは思想的な脆弱性という、深い闇が。

 敵は、必ずその闇を突いてくる。

「……湯川先生」

 的場は、決然とした声で言った。

「CIST全部署のセキュリティレベルを、今日から三段階引き上げます。そして、全職員に対して、再度の厳格な身辺調査と、心理鑑定を実施する。……もはや、ここは大学の研究室ではない。……我々は、今日から兵士となるのです」

 その非情なまでの宣告に、湯川はただ静かに目を伏せた。

 世界が熱狂の渦に包まれる、その裏側で。

 本当の戦いを知る者たちは、これから始まる長い長い冬の時代を予感し、静かにその鎧を着込み始めていた。

 新しい鉄のカーテンは、下ろされた。

 だが、そのカーテンの向こう側で、何が起きるのか。

 そして、そのカーテンを下ろさせた張本人である月の上の孤独な観測者は、この自らが作り出したチェス盤の上で、次にどの駒を動かすつもりなのか。

 その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。

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