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第8章:銀閃の魔女


Bランクダンジョン『氷結の回廊』。

その名の通り、足を踏み入れた瞬間から、肌を刺すような冷気が全身を包み込む。吐く息は白く凍り、壁や床、天井に至るまで、すべてが分厚い氷で覆われている。時折、天井から鋭利な氷柱つららが、何の前触れもなく落下してくる、危険な領域だ。


「……これが、Bランク」


Cランクダンジョンとは、明らかに次元が違う。空気そのものが、探索者の生命力をじわじわと削り取ってくる。並の探索者なら、防寒対策をしていても、数時間で体温を奪われ、思考力もままならなくなるだろう。


だが、今の俺は、その冷気をほとんど感じていなかった。

工房で特別に調合した【極地用・自己発熱ポーション】が、体の中から安定した熱を供給し、外部の寒さを完全にシャットアウトしてくれているからだ。


「さて、と」


俺は、自作の【飛翔の革鎧エアリアル・レザー】の感触を確かめ、【炎牙のミスリルダガー】を抜き放つ。白銀の刃に宿る炎が、周囲の氷壁を揺らめかせ、淡い光を放った。


通路を進むと、早速、氷でできた狼型の魔物『アイス・フェンリル』が三体、群れで襲いかかってきた。その動きは、Cランクのドレッド・ウルフよりも遥かに速く、鋭い。


「グルアアアッ!」


一体が、氷のブレスを吐きかけてくる。俺は、革鎧の跳躍力向上効果を利用して、軽々とそれを回避。空中で体勢を整え、懐から即席で作ったアイテムを投げつけた。


【オーガロードの血脂】+【発火性の高い鉱石】で創造した、【高カロリー着火ボム】だ。


それは、アイス・フェンリルの足元で炸裂し、高温の炎を撒き散らす。氷の体を持つ魔物にとって、炎は天敵だ。


「ギャンッ!」


悲鳴を上げてのたうち回るフェンリルたち。俺は、その隙を見逃さない。炎に照らされた氷の壁を蹴り、三角飛びの要領で一体の懐に潜り込むと、炎牙のダガーをその心臓部コアに深々と突き立てた。


残りの二体も、同様に処理する。戦闘時間は、わずか数十秒。かつての俺では考えられない、効率的な戦闘だった。


「ふむ。素材は……なるほど、純度の高い氷の魔石か」


倒した魔物を【分解・解析】し、新たな素材をストックしていく。このダンジョンは、確かに危険だが、その分、得られる素材も一級品ばかりだ。俺の創造意欲が、否応なく掻き立てられる。


俺は【気配を喰らう外套ステルス・クローク】を深く被り、ダンジョンのさらに奥深くへと、慎重に、しかし確かな足取りで進んでいった。



数時間が経過しただろうか。

ダンジョンの十五階層まで到達した時、俺は、これまでとは比較にならない、強大な魔力の奔流を感知した。それは、まるで天災そのものが具現化したかのような、圧倒的なエネルギーの衝突だった。


(なんだ……この魔力は……!?)


一つは、冷たく、静かで、それでいて絶対的な支配力を感じさせる、洗練された魔力。

もう一つは、禍々しく、歪で、ただ破壊と拒絶の意思だけを撒き散らす、呪いのような魔力。


好奇心と、それ以上の危険信号が、俺の脳内で激しく点滅する。俺は、ステルス・クロークの効果を最大まで高め、音もなく、その魔力の発生源へと近づいていった。


やがて、目の前に、巨大なドーム状の空間――フロアボスの部屋が開けた。

そして、俺は息を呑んだ。


その中央で繰り広げられていたのは、もはや「戦闘」という言葉では生ぬるい、神話の戦いのような光景だった。


一体の、巨大なクリスタルの塊のようなゴーレム。その体は、あらゆる光を乱反射させる完璧な多面体で構成され、物理的な攻撃を一切受け付けないであろう、絶対的な硬度を誇っていた。その核からは、俺が遠くから感じ取った、あの禍々しい呪いのオーラが、黒い霧のように溢れ出している。


そして、その絶望的な巨体と、たった一人で対峙している、一人の女性がいた。


腰まで届く、月光を溶かし込んだかのような美しい銀髪。

雪のように白い肌。

そして、その身にまとっているのは、魔法の効果を最大限に高めるために、装飾を削ぎ落とした、機能美の極致ともいえる、深い青色のローブ。


その姿は、まるで一枚の絵画のように、完成された美しさを放っていた。


(Aランク探索者、『銀閃の魔女』……雫……!)


探索者を特集するテレビ番組で、何度もその姿は見ていた。だが、本物は、その何倍も、何十倍も、神々しく、そして強かった。


彼女は、ただ魔法を放つだけではない。

ゴーレムが振り下ろす光速の腕を、瞬時に作り出した分厚い氷の壁で受け止め、いなす。

足元に無数の氷の槍を生成し、ゴーレムの体勢を崩しにかかる。

時には、自ら氷の波に乗って高速で移動し、敵の死角に回り込んで、魔法を叩き込む。


その戦い方は、まるでチェスのグランドマスターが、盤上の駒をすべて意のままに操るかのようだった。冷静で、緻密で、一切の無駄がない。水と氷という、流動的で、時に静的な二つの属性を、彼女は完璧に支配していた。


「【氷河の牢獄グレイシャル・プリズン】」


彼女が、凛とした、鈴の鳴るような声で詠唱する。すると、ゴーレムの足元から、巨大な氷塊がせり上がり、その巨体を拘束した。


だが。


「グオオオオオッ!」


ゴーレムの核が、一際強く、黒いオーラを放つ。次の瞬間、ゴーレムを縛り付けていた氷の牢獄が、内側から、いとも簡単に粉砕された。


「くっ……!」


雫の美しい顔に、初めて焦りの色が浮かぶ。

彼女の魔法は、確かに強力だ。だが、そのほとんどが、ゴーレムの体表を覆う、不可視の力によって減衰させられている。


俺は、スキルでその正体を看破した。


▼個体名:クリスタル・センチネル(呪詛汚染状態)

┣ 素材:超高密度魔力水晶、太古の呪詛の核

┣ 付与効果:物理無効、自己修復(大)

┗ 概念:【呪いによる拒絶】、【魔法耐性・極】


(なるほど……これじゃ、相性が最悪だ)


雫の魔法属性は氷。ゴーレムもまた、氷の塊だ。同属性の攻撃は、元々効果が薄い。それに加えて、【魔法耐性・極】という、あらゆる魔法効果を大幅に減衰させる概念が付与されている。さらに、その根源には【呪いによる拒絶】という、外部からの干渉を根こそぎ拒む、厄介極まりない概念が存在している。


雫がどれほどの天才であろうと、この敵を単独で倒すのは、不可能に近い。


案の定、戦況は徐々に、しかし確実に、雫にとって不利な方向へと傾いていった。

ゴーレムの攻撃は、ますます激しさを増していく。雫は、それを回避し、受け流すだけで精一杯になっていた。彼女の額には、玉の汗が浮かび、肩で浅い呼吸を繰り返している。魔力の消耗も、相当なものだろう。


そして、ついに、その瞬間が訪れた。


ゴーレムが放った、予測不能な軌道を描くクリスタルの光線。それを回避しようとした雫の足が、わずかに床の氷に滑った。ほんのコンマ数秒の、致命的な隙。


「しまっ――」


光線が、彼女の華奢な体を、無慈悲に打ち据える。


「きゃあっ……!」


短い悲鳴と共に、彼女の体は、まるで木の葉のように吹き飛ばされ、ドームの壁に激しく叩きつけられた。


「がはっ……!」


壁からずり落ちた彼女は、口の端から、一筋の血を流していた。ローブは破れ、白い肌が痛々しく覗いている。もはや、立ち上がる力は残っていないようだった。


ゴーレムが、とどめを刺さんと、ゆっくりと彼女に近づいていく。その巨腕が、無情にも振り上げられた。


(――ここまでか)


俺は、静かに外套を脱ぎ捨てた。

このまま見過ごすという選択肢は、俺の中にはなかった。目の前で、誰かが理不尽に命を散らすのを、黙って見ていることなど、もう二度とごめんだ。


それに――。


(あの、禍々しい『呪い』の概念。あれは、最高の『素材』になる)


俺の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。

俺は、雫とゴーレムの間に、敢えて音を立てて割って入った。


「――そこまでだ、ガラクタ野郎」



「な……!?」


突然、自分の前に立ちはだかった男の背中に、雫は目を見開いた。

ツギハギの手作り感溢れる革鎧。腰には、無骨な骨のダガー。お世辞にも、Bランクダンジョンのボスに立ち向かえるような装備には見えない。


(誰……? Cランク……いや、Bランクの探索者? なぜ、こんなところに……? 馬鹿なことを……早く逃げなさい!)


声を出そうとするが、喉がひりつき、言葉にならない。


だが、その男は、雫の心配など意にも介さず、絶望的な巨獣を、まるで路傍の石でも見るかのように、真っ直ぐに見据えていた。


「お嬢さん、少し休んでな。こいつは、俺の『ゴミ拾い』の邪魔なんだ」


男は、振り返りもせずにそう言うと、ゴーレムに向かって、右手を突き出した。


「俺のスキルは【ゴミ箱】。不要なものは、何でも捨てられるんでね」


その言葉に、雫は耳を疑った。【ゴミ箱】? あの、探索者スキルの中でも、最も価値がないとされる、完全な外れスキル? そんなもので、この化け物に何ができるというのか。


だが、次の瞬間、雫は、自らの常識が、目の前で粉々に砕け散る音を聞いた。


「お前が大事に抱え込んでる、その厄介な『呪い』と『魔法耐性』……。俺にとっては、ただの回収すべき『ゴミ』だ。まとめて捨てさせてもらうぜ!――【概念分解コンセプト・ブレイクダウン】!」


男がそう叫んだ瞬間、彼の右手から、不可視の力が奔流となって放たれた。それは、物理法則を無視し、世界の理そのものに干渉する、禁忌の御業。


ゴーレムの核から、渦巻いていた黒いオーラが、まるで掃除機に吸い込まれる巨大な塵のように、男の右手へと、凄まじい勢いで吸い込まれていく。


「ギ……ギギ……ギギギギギッ!?」


ゴーレムが、初めて苦痛の声を上げた。その体を覆っていた、あらゆる魔法を拒絶する絶対的な守りのオーラが、急速に剥がれ落ちていく。


「な……なにを……したの……?」


雫は、朦朧とする意識の中で、信じられない光景を見つめていた。

彼女が、どれだけ強力な魔法を叩き込んでもびくともしなかった、あの呪いの根源が、今、目の前の男によって、いとも簡単に「捨てられて」いく。


やがて、ゴーレムからすべての呪いが吸い尽くされると、男は、満足そうに頷いた。


「よし、これでただのデカい氷の塊だな」


彼は、まるで、道端の空き缶をゴミ箱に捨てたかのような、気軽な口調で言った。そして、ゆっくりと雫の方を振り返る。


「お嬢さん、出番だぜ。そいつの息の根を止めてやれ」


その言葉に、雫は、はっと我に返った。

目の前の男の正体も、スキルの原理も、何もかもが謎だ。だが、彼女の天才的な戦闘勘が、今が千載一遇の好機であることを、明確に告げていた。ゴーレムを縛っていた、あの忌まわしい枷は、もうない。


「……感謝するわ」


雫は、ふらつきながらも、白樺の杖を支えに立ち上がった。そのアイスブルーの瞳に、再び、絶対零度の闘志が宿る。


「あなたは、一体何者なの……?」


「相田譲。しがないCランクの『ゴミ拾い』ですよ」


譲と名乗った男は、悪戯っぽく笑った。


雫は、その笑顔に、一瞬だけ見惚れた。そして、すぐに意識を目の前の敵に戻すと、杖を天に掲げた。彼女の周囲の空気が、急速に凍てついていく。膨大な魔力が、彼女の杖の先端に、星のように収束していく。


「我が名は雫! 銀閃の魔女! 凍てつく理の果てに、すべてを無に還しなさい!」


彼女の詠唱が、氷のホールに響き渡る。それは、もはや魔法の呪文ではなかった。世界に対する、絶対的な命令。


「――【絶対零度アブソリュート・ゼロ】!」


放たれたのは、白い閃光。

それは、ゴーレムを包み込み、そして、音もなく、その存在そのものを、この世界から消滅させた。後に残されたのは、キラキラと舞う、ダイヤモンドダストだけだった。



静寂が、ホールを支配する。

雫は、肩で息をしながら、ゆっくりと譲に向き直った。その美しい瞳には、先ほどまでの警戒心は消え、代わりに、抑えきれないほどの強い好奇心と、研究者のような探究心の色が浮かんでいた。


「相田譲……さん、だったかしら」


「はい」


「あなたのスキル……本当に【ゴミ箱】なの? 私の知るギルドのデータベースにある【ゴミ箱】は、不可逆的な消去スキルのはず。でも、あなたはさっき、まるで再利用できるかのような口ぶりだった。それに、『概念』を分解して吸収するなんて、そんな芸当ができるスキルは、Aランクの中でも聞いたことがないわ」


彼女の質問は、鋭く、的確だった。この人には、下手な誤魔化しは通用しない。譲は、そう直感した。


「……俺のスキルは、少し、特殊でして」


譲は、観念して、自らのスキルが【万象再構築】に進化したことを、かいつまんで説明した。捨てたものを分解・解析し、新たなものに創り変える能力だと。


話を聞き終えた雫は、しばらくの間、黙り込んでいた。そして、やがて、その表情が、驚愕から、歓喜にも似た、輝くような笑顔へと変わった。


「すごい……! なんてこと……! 世界の理そのものをハッキングするようなものじゃない……!」


彼女は、譲の力を危険視するのではなく、未知の可能性を秘めた「奇跡」として、純粋な興奮と共に受け止めていた。その反応は、譲にとって、少し意外なものだった。


「あなた、天才ね」


雫は、きっぱりと言った。


「正規の魔法体系を極めた私とは、全く違うアプローチで、世界の真理に辿り着こうとしている。あなたのその力、もっと詳しく知りたいわ」


彼女は、一歩、譲に近づくと、真剣な眼差しで、彼の目を見つめた。


「実は、私、ある呪われたアーティファクトを追っているの。それは、今日のゴーレムのように、周囲の魔物を異常強化し、ダンジョンそのものを汚染する、非常に危険な代物よ。そして、それは、あらゆる物理・魔法攻撃を無効化する。破壊は、不可能」


だから、と彼女は続けた。


「完全に『消し去る』か、あるいは、その『呪い』という概念を無力化する必要があった。そのために、私はあなたのスキルに似た能力を持つ存在を探していたの」


「相田譲さん」


雫は、譲に向かって、すっと右手を差し出した。その手は、細く、白く、そして、少しだけ震えているように見えた。


「私と、パーティーを組んでくれないかしら。あなたの『創造』と、私の『魔法』。二つが合わされば、きっと、誰も見たことのない景色が見られるはずよ」


Bランクの天才魔術師からの、突然のスカウト。

かつての俺なら、恐縮して、その場で土下座でもしてしまいそうな状況だ。


だが、今の俺は、彼女の瞳の奥に、自分と同じ「探求者」の魂の輝きを見ていた。

この人と一緒なら、もっと面白いものが創れる。もっと、世界の根源に近づける。


譲は、差し出されたその手を、力強く握り返した。


「ええ、喜んで。こちらこそ、よろしくお願いします、雫さん」


こうして、規格外の「錬金術師」と、正規の「天才魔術師」という、異色のコンビが誕生した。

二人の出会いは、やがて、世界の秩序さえも揺るがす、大きな渦の中心となっていく。


相田譲の、本当の成り上がりは、まだ始まったばかりだった。

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