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第7章:変わる日常


ギルドを後にして、俺はまず銀行のATMに向かい、探索者ライセンスカードに紐付けられた口座から、現金で70万円を引き出した。分厚い紙幣の束が、ずしりと重い。ブラック企業時代の月給とほぼ同額の金が、今、こうして簡単に手の中にある。ほんの数日前まで、1万円の分配金に頭を下げていたのが、まるで遠い昔のことのようだ。


(まずは、住む場所だ)


あの薄暗い六畳一間のアパートは、俺の惨めな過去の象徴だ。もう、あそこに戻る気はなかった。俺はスマートフォンを取り出し、すぐに新しい住居を探し始める。条件は、セキュリティが万全で、アイテムを創造するための広い作業スペースが確保できること。


幸いにも、探索者特区には、そうした需要に応えるためのマンションがいくつも存在した。俺は、その中から、ダンジョンへのアクセスも良く、最新の防犯システムが導入されている物件を迷わず選んだ。内見もそこそこに、俺は保証金や家賃を、一括払いした。あっけにとられる不動産屋の担当者を尻目に、俺は新しい城の鍵を受け取る。


新居は、2LDKの広々とした空間だった。床から天井まである大きな窓からは、都市のきらびやかな夜景が一望できる。俺は、リビングの真ん中に大の字に寝転がった。ひんやりとしたフローリングが、火照った体を心地よく冷やしてくれる。


「はは……すげえ……」


笑いが込み上げてくる。もう、誰にも怯える必要はない。誰かの顔色を窺う必要もない。ここは、俺だけの空間だ。


その夜、俺は生まれて初めて、デリバリーで高級な寿司を頼んだ。トロリととろける大トロの脂の甘さが、空っぽだった胃袋と心に、じんわりと染み渡っていく。

温かい味噌汁をすするたびに、凍てついていた自己肯定感が、少しずつ溶けていくような気がした。



新しい生活は、驚くほど快適だった。

俺はまず、生活に必要な家具や家電を最新のもので揃えた。そして、残りの一部屋を、完全に俺専用の「工房」へと作り変えた。頑丈な作業台、素材を保管するための防湿庫、そして、創造の参考にするための様々な専門書。かつては夢のまた夢だった環境が、今、ここにある。


もちろん、探索者としての活動も怠ってはいない。むしろ、その効率は飛躍的に向上していた。


「さて、今日の『仕入れ』と行きますか」


俺は、自作の装備を身にまとい、再びCランクダンジョン『嘆きの迷宮』へと向かう。もはや、このダンジョンに、俺の敵はいなかった。


【ドレッド・ウルフの牙】と【ケイブ・リザードの溶解液】を組み合わせ、【酸性の牙を持つ猟犬アシッドハウンドの召喚石】を創造する。召喚された猟犬は、俺の忠実な僕として、先行して敵の位置を探り、時には奇襲をかけてくれた。


【粘着性のスライムの粘液】と【硬い木の実】、そして【ホブゴブリンの魔石】を組み合わせ、敵が踏むと炸裂する【遅延式の粘着爆弾ディレイ・スティッキーボム】を開発。通路の角に設置しておけば、面白いように魔物たちが罠にかかっていく。


俺の戦い方は、もはや「戦闘」ではなかった。ダンジョンという巨大な盤面で、敵という駒を、いかに効率よく、最小限のリスクで「処理」していくかという、知的なゲームだった。


戦うたびに素材が集まり、その素材で新たな道具を創造し、さらに効率が上がる。この正のスパイラルによって、俺のレベルと【万象再構築】の熟練度は、恐ろしい勢いで上昇していった。



▼相田 譲

レベル:15

スキル:【万象再構築リサイクル・マスター】(熟練度:18%)

装備:改・オーガボーンダガー、鱗の複合防御革鎧スケイルレザー



わずか一週間で、俺はCランク探索者の平均レベルを遥かに超える成長を遂げていた。スキルの熟練度が上がったことで、同時に組み合わせられる素材の数も「四つ」に増え、創造できるアイテムの幅と質は、さらに向上していた。


ギルド内での俺の評判も、うなぎ登りだった。

最初は「まぐれでボスを倒した幸運な新人」と見ていた者たちも、俺が連日のように、ソロで大量の素材を持ち帰るのを見て、その認識を改めざるを得なかった。


「おい、また『錬金術師』が来たぞ」

「あいつ、今日も一人でCランクダンジョンを一層まるごと『掃除』してきたらしいぜ」

「一体、どんなスキルなんだ……。俺のパーティーに入ってくれないかな」


『ゴミ拾いの錬金術師』。

その二つ名は、もはや俺を揶揄する言葉ではなく、畏敬と羨望の念を込めて呼ばれる、俺の代名詞となっていた。



ある日の午後、俺は工房で新しいアイテムの創造に没頭していた。

テーマは、「概念」の応用だ。


【暴走した魂の残滓(概念)】+【静寂を好むコウモリの羽】+【魔力を吸収する苔】+【ミスリル銀の粉末】


四つの素材を、慎重に組み合わせていく。俺が創り出そうとしているのは、単なる武器や防具ではない。もっと、根源的な何かだ。


「――再構築リサイクル


俺の手の中に現れたのは、一枚の薄い銀色のマントだった。


▶︎【気配を喰らう外套ステルス・クローク

┣ 種別:概念装備

┣ 効果:着用者の存在感を希薄にする。魔力探知や聴覚、嗅覚による索敵を大幅に阻害する。

┗ 解説:『暴走』の概念を逆転させ、『静寂』の概念で増幅。着用者から発せられるあらゆる情報(音、匂い、魔力)を、外套に織り込まれた苔が吸収し、無効化

する。


「できた……!」


俺は、その外套を羽織ってみた。すると、まるで自分の体の輪郭が、ふっと曖昧になるような奇妙な感覚に襲われる。これは、物理的に姿を消す透明化とは違う。

周囲の空間に、自分の存在そのものが溶け込んでいくような感覚だ。これさえあれば、高ランクの魔物がうろつく危険地帯でも、安全に探索を進められるだろう。


充実した日々。誰にも邪魔されず、自分の好きなことに没頭できる時間。そして、努力が正当に評価され、形になって返ってくる喜び。

俺は、生まれて初めて、「生きている」という実感を得ていた。


だが、心のどこかで、満たされない何かがあるのも事実だった。

このスキルは、あまりにも強力で、あまりにも万能だ。俺は、この力の本当の可能性を、まだ一割も引き出せていないのではないか。


(もっと、すごいものを創ってみたい)


低級な素材を組み合わせるだけでは、いつか限界が来る。より高度で、より複雑な概念を持つアイテムを創造するには、それ相応の高品質な素材が必要不可欠だ。


(Bランクダンジョン……いや、もっと上の……)


俺の視線は、自然と、ギルドのサイネージに表示される、高ランクダンジョンの情報へと向かっていた。そこには、俺がまだ見たこともない、未知の魔物と、未知の素材が眠っている。


「よし、決めた」


俺は、ステルス・クロークを翻し、工房を後にした。

次の目標は、Bランクダンジョンの単独踏破。そして、その先に待つ、さらなる高みへ。


俺の日常は変わった。だが、物語はまだ始まったばかりだ。

相田譲という男が、本当の意味で「最強」へと至る道は、まだ長く、そして険しい。

しかし、今の俺の心には、不安よりも、未来への尽きない好奇心と高揚感が満ち溢れていた。

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