第5章:ゴミ拾いの錬金術師
ボス部屋の重い石の扉をこじ開け、俺は通路へと一歩を踏み出した。
背後には、俺一人で討伐したフロアボスの亡骸から創り出した、新たな装備。手には、ずしりと重い【オーガボーン・ダガー】。身には、確かな防御力を感じさせる【硬化オーガレザーアーマー】。
もはや、パーティーのお荷物だった頃の俺はどこにもいない。絶望の淵で死を待つだけだった、無力な相田譲は、あのボス部屋で確かに死んだのだ。
「……さて、と」
俺は、スキルウィンドウを呼び出し、現在の自分の状態と、ストックされている素材の一覧を冷静に確認する。
▼相田 譲
レベル:1
スキル:【万象再構築】(熟練度:2%)
装備:オーガボーン・ダガー、硬化オーガレザーアーマー
▼マテリアル・ストック
┣ オーガロードの心臓(魔石)
┣ オーガロードの強靭な皮
┣ オーガロードの太い骨
┣ 呪われた古木の棍棒
┣ 暴走した魂の残滓(概念)
┣ ミスリル銀と黒曜鉄の合金
┣ 高密度花崗岩
┣ 破壊の魔力残滓(概念)
┗ その他、ホブゴブリン等の低級素材多数
レベルはまだ1。スキルを覚醒させたばかりなのだから当然か。だが、この素材のラインナップは、レベル1の探索者が持ちうるものとしては、明らかに異常だろう。
特に、`(概念)`と付記された素材。これは一体何なのだろうか。
俺は、試しに【暴走した魂の残滓】の詳細情報を開いてみる。
▼概念情報:暴走した魂の残滓
┣ 種別:概念データ(精神汚染系)
┣ 効果:対象に『怒り』『混乱』の精神状態を付与する。
┗ 解説:オーガロードが暴走状態に陥った際に放出した、純粋な破壊衝動のエネルギー。物理的な形を持たないが、他の素材と組み合わせることで、精神に干渉する特殊な効果を付与できる。
「精神に干渉する……?」
背筋がぞくりとした。これは、とんでもないものを手に入れてしまったのかもしれない。物理的なアイテムだけでなく、目に見えない「概念」すらも素材として扱える。このスキルの本質は、俺が考えているよりも、さらに奥深いところにあるようだ。
同時に、俺はスキルの制約についても理解し始めていた。
アイテムを創造する際には、微量ながらマナを消費する。オーガロードとの連戦で、俺の体内のマナはかなり消耗していた。無計画にアイテムを作り続ければ、すぐにマナが枯渇してしまうだろう。
「計画的に、効率よく、脱出する……」
かつての俺なら、ただ闇雲に出口を目指して歩き、運悪く魔物に遭遇して食い殺されるのが関の山だっただろう。だが、今の俺には「思考する」という武器がある。いや、元々あったのに、自己肯定感の低さから、それを放棄してしまっていただけだ。
俺は、この『嘆きの迷宮』の十階層から地上まで、最短ルートで脱出するための計画を立て始めた。道中で遭遇するであろう魔物の種類を予測し、それに対抗するためのアイテムを、手持ちの素材から事前に考案しておく。
まるで、精密なパズルを組み立てるように。あるいは、難解な詰将棋を解くように。俺の頭脳は、今、最高に冴えわたっていた。
◇
湿った通路を進んでいくと、早速、前方に魔物の気配を察知した。
暗がりから、ぬるりと現れたのは、二匹の『ケイブ・リザード』。体長二メートルほどの、ぬめった鱗を持つトカゲ型の魔物だ。動きはそれほど速くないが、口から溶解液を吐きかけてくる厄介な敵だ。
以前のパーティーでは、岩間が盾で溶解液を防ぎ、その隙に赤城と玲奈が攻撃を叩き込む、というのがセオリーだった。だが、今は俺一人。盾になるものはない。
「シュアアアアッ!」
ケイブ・リザードの一匹が、黄色い粘液を俺に向かって吐きかけてきた。俺は咄嗟に横へ跳んで回避する。粘液が着弾した壁が、ジュウウウ、と音を立てて溶けていく。まともに食らえば、俺の新しい鎧もただでは済まないだろう。
(さて、どうするか)
俺は冷静に敵を観察する。ケイブ・リザードの鱗は、物理攻撃に対してはそこそこの強度を持つが、関節部分は剥き出しだ。そこを的確に狙えれば、ダガーでも倒せるだろう。だが、問題はどうやって懐に潜り込むかだ。
俺は、周囲の環境に目を向けた。この通路の壁は、常に水が染み出しており、足元には水たまりができている。
(水辺の生物……ということは、おそらく電気に弱い。だが、電気を発生させる素材なんてあったか?)
俺はストックリストを高速でスクロールし、使えそうな素材を探す。都合よく電気を発生させる素材など、もちろんない。だが、俺の目は、ある素材の「解説文」に釘付けになった。
▼アイテム情報:ホブゴブリンの魔石
┣ 種別:魔石(生体コア)
┣ 効果:魔力を内包している。
┗ 解説:ホブゴブリンの生命活動の源。生体電流を制御し、筋肉を動かしていた名残で、強力な『電位差』を生み出す特性を秘めている。
「電位差……! つまり、プラスとマイナスの極を作れるってことか!」
見つけた。これこそが、錬金術の鍵だ。素材の持つ、表層的な効果だけではない。その成り立ちや、隠された特性を読み解き、組み合わせることで、全く新しい現象を引き起こす。
(魔石単体では、ただの魔力だ。だが、この電位差を『電気』として取り出すには、触媒が必要だ。電気を通しやすいもの……金属!)
俺は、ボス部屋で分解した、岩間の戦斧の破片を思い出す。
▼アイテム情報:砕けた戦斧の破片
┣ 素材:ミスリル銀と黒曜鉄の合金
┣ 付与効果:魔力伝導(中)、斬撃強化(微弱)
┗ 概念:岩間 剛の『守る』という意志の残滓
(魔力伝導率が高いこの金属なら、魔石の電位差エネルギーを効率よく引き出せるはずだ!)
俺は、ストックの中から、二つの素材を選択する。
【ホブゴブリンの魔石】+【ミスリル銀と黒曜鉄の合金】
「――再構築!」
俺が生成したのは、武器ではない。
▶︎【高電圧発生粉塵】
┣ 種別:魔法触媒(使い捨て)
┣ 効果:水などの液体を媒体として、強力な電撃を広範囲に発生させる。
┗ 解説:魔石の持つ電位差エネルギーを、魔力伝導率の高い金属粉を触媒として、純粋な電気エネルギーに変換する。
俺の手の中に、キラキラと青白い光を放つ、微細な金属粉が生成された。これだ。これが、俺の「答え」だ。
俺はそれを、通路にできた水たまりに向かって、思い切りぶちまけた。
金属粉は、水に触れた瞬間にさっと溶け、水たまり全体が、スキルを持つ俺の目には、青白いプラズマの奔流に見えた。
「さあ、こっちだぜ、トカゲ野郎」
俺は、わざとリザードたちの注意を引き、帯電した水たまりの上を跳び越えてみせる。案の定、思考能力の低いリザードたちは、俺を追って一直線に水たまりへと突っ込んできた。
バチチチチチチッ!
凄まじい放電現象が起きる。二匹のリザードは、感電して全身を激しく痙攣させ、その場に硬直した。
「もらった!」
俺はその隙を見逃さず、硬直したリザードの首元の関節に、オーガボーン・ダガーを深々と突き立てた。二匹のリザードは、悲鳴を上げる間もなく絶命する。
「ふぅ……うまくいったな」
これが、俺の新しい戦い方だ。敵の能力、地形、そして手持ちの素材の隠された特性。それらすべての情報を組み合わせ、最適解を「設計」する。それは、ただ強力な武器を振り回すのとは全く違う、知的な興奮を俺に与えてくれた。
俺は、倒したリザードの死骸に手を触れる。
「お前たちも、俺の力になれ。――分解」
【ケイブ・リザードの鱗】をストックしました
【溶解液の袋】をストックしました
(この溶解液、何かに使えそうだな……)
俺は、早速新しい創造に取り掛かる。
【ケイブ・リザードの鱗】+【オーガロードの強靭な皮】
「――再構築!」
▶︎【鱗の複合防御革鎧】(物理防御:中、酸耐性:小)
俺が着ていた【硬化オーガレザーアーマー】と交換する。これで、万が一溶解液を食らっても、多少は耐えられるだろう。
戦うたびに素材が増え、その素材で自分を強化していく。まるで雪だるま式に強くなっていくこの感覚は、中毒性のある快感だった。
◇
脱出を始めてから、数時間が経過した。俺は、道中で遭遇するゴブリンやスライムといった低級モンスターを危なげなく処理しながら、着実に上の階層へと向かっていた。
そして、五階層までたどり着いた時、俺は少し厄介な敵に遭遇した。
『ドレッド・ウルフ』の群れだ。その数、五匹。一匹一匹はCランク探索者なら対処できるレベルだが、群れで連携して襲いかかってくるため、非常に手強い。特に、リーダー格のアルファ個体は、他の個体よりも一回り大きく、狡猾な目でこちらを観察している。
(数が多いな……まともにやり合うのは得策じゃない)
俺は、通路の影に身を隠し、打開策を練る。
爆弾で一掃するか?いや、それでは素材が傷ついてしまう。もっと効率的な方法はないか。
そこで、俺はあの素材に目をつけた。
▼概念情報:暴走した魂の残滓
これを使えば、奴らの精神を直接攻撃できるかもしれない。
俺は、ストックの中から、三つの素材を選択した。いつの間にか、スキルの熟練度が上がっており、同時に三つの素材を組み合わせられるようになっていたのだ。
【暴走した魂の残滓(概念)】+【ホブゴブリンの魔石】+【高密度花崗岩】
「――再構築!」
俺の手の中に、禍々しい紫色のオーラを放つ、小さな石が生成された。
▶︎【恐怖を増幅させる音響石】
┣ 種別:概念兵器(使い捨て)
┣ 効果:対象の聴覚に直接干渉し、脳内に『恐怖』の感情を強制的に増幅させる特殊な音波を発生させる。
┗ 解説:『暴走』の概念を『恐怖』の概念に変換し、魔石をエネルギー源として音波に変換する。生物の闘争本能を根源から揺さぶる。
「概念兵器……」
とんでもないものが出来上がってしまった。俺は、ゴクリと唾を飲み込み、その石をドレッド・ウルフの群れの中心へと、そっと転がした。
石が地面に触れた瞬間、キィィィン、という人間には聞こえないはずの高周波が、俺の脳内にだけ響いた。
次の瞬間、ドレッド・ウルフたちが、一斉に奇妙な行動を取り始めた。
「キャンキャン!」「グルルル……アウン!」
彼らは、仲間同士で睨み合い、威嚇し始めたのだ。リーダーであるアルファ個体も、何かに怯えるように尻尾を丸め、その場でぐるぐると回り始めた。奴らの目には、仲間が自分を襲ってくる裏切り者に見えているのかもしれない。
やがて、威嚇は本物の殺し合いへと発展した。牙が仲間を引き裂き、爪が仲間を切り刻む。阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
俺は、その光景を、ただ静かに見つめていた。俺は、指一本触れていない。だが、この惨状を引き起こしたのは、紛れもなく俺自身だ。
(これが……概念を操る力……)
かつて、赤城たちが振るっていた物理的な暴力とは、次元が違う。これは、魂に直接干渉する、より根源的で、恐ろしい力だ。
やがて、同士討ちの末に生き残ったのは、満身創痍のアルファ個体だけだった。俺は、そのアルファ個体の前に静かに姿を現す。
「グル……?」
アルファ個体は、俺の姿を認めると、恐怖に引きつった顔で後ずさった。俺が、この地獄を創り出した元凶であることを、本能で理解したのだろう。
俺は、何も言わずにダガーを構えた。アルファ個体は、戦意を完全に喪失し、その場にひれ伏した。俺は、その首筋に、静かにダガーを突き立てた。
「……お前たちも、俺の糧となれ」
五匹のドレッド・ウルフの死骸を、すべて【分解・解析】する。高品質な毛皮や牙、魔石が、大量に俺のストックに加わった。
◇
それからの脱出劇は、もはや「サバイバル」ではなく、「実験」と「素材収集」の場と化していた。
【発光する苔】と【ポーションの空き瓶】で、暗闇を照らす【簡易ランタン】を。
【硬い木の実】と【魔物の油】で、暖を取るための【着火剤】を。
【粘着性のスライムの粘液】と【丈夫なツタ】で、即席の【捕獲トラップ】を。
俺は、ダンジョンに存在するあらゆる「ゴミ」をリサイクルし、自分の力に変えていった。かつて俺を苦しめたこのダンジョンが、今や俺にとって、無限の可能性を秘めた巨大な実験場であり、宝の山となっていた。
そして、数日が経過した。
俺は、ついに見慣れた地上の光が差し込む、ダンジョンの入り口へとたどり着いた。
俺の姿は、ダンジョンに潜る前とは様変わりしていた。
身にまとっているのは、ケイブ・リザードの鱗とオーガの皮を組み合わせた、ツギハギだが機能的な鎧。腰には、ドレッド・ウルフの牙を加工して作った、予備のナイフが数本差してある。背負った、魔物の皮で作った自作のリュックの中には、様々な効果を持つ即席のアイテムが詰め込まれている。
その姿は、お世辞にも洗練されているとは言えない。だが、その一つ一つが、俺が自分の力で生き抜いてきた証だった。
俺は、ゆっくりと外の世界へ一歩を踏み出す。久しぶりに浴びる太陽の光が、目に染みた。
「ただいま、クソったれの世界」
俺は、誰に言うでもなく、そう呟いた。
もう、俺を「ゴミ箱」と呼ぶ者はいない。俺の価値を、他人に決めさせる必要もない。
俺は、俺自身の力で、価値を創造する。
俺は、ギルドのある街の方角へと、力強く歩き出した。
その背中には、かつてのような卑屈さのかけらもなかった。
――こうして、後に「ゴミ拾いの錬金術師」と呼ばれ、探索者の歴史にその名を刻むことになる男の、本当の物語が、静かに幕を開けたのだった。